第七十三章
第七十三章
「ねぇジュン」
「なに?」
「そろそろ聞かせてくれないかなぁ〜」
「なにを?」
「ワタシ今度はちゃんと覚えてるよ、あの時ジュンが言ってくれたこと…」
車椅子を押す殉に、少し甘えた口調で話しかけながら、加夏子は後ろを振り返った。
「いわない」
「どうして?」
「僕も覚えてる、から」
ぶっきらぼうに殉が答える。
「恥ずかしいコトはないのだよ、堀川クン。ワレワレはかなりトクシュなジョーキョーにあったのだからして、キミのケッシのコクハクをワガハイはヒジョーにヒョーカしているのだ。ウン」
軽く顎をあげ、ちょっぴり突きだした唇から息を吹きかけるように気取った口調で加夏子が言った。
「なんだよ、それ」
「つまり、嬉しかったってこと♪」
「なら素直にそう言えばいいじゃん、調子狂っちゃうなぁ〜」
まばらな人影に遠慮する事もなく、二人は陽光の差し込む廊下をじゃれあうように喋りながら進んでいた。
「ところで、どうしてあの時すぐに帰っちゃったの?まるで逃げ出したみたいだったよ」
「あ、イヤ、銀さんがね…何だか急ぎの用事だか急患だかがあったみたいで…」
「銀さんってお医者さんじゃないでしょ?急患だなんて…ヘンなの」
「僕にもよく判らないんだ、ゴメン」
殉は胸の中で手を合わせていた。
実の所、脇で聞いていた殉にはあらかた見当はついていた。
それだけに、おいそれと加夏子に話す訳にはいかなかったのだ。
「フゥ〜ン、まっ、いっか」
加夏子はあっさりと引き下がった。
「キミ、清水加夏子さん、かな?」
おしゃべりに夢中だった二人は、その男が傍に来ていた事に気が付かなかった。
「…はい、そうですけど。どなたですか?」
「いやぁ、デート中を邪魔しちゃったかな」
男は下卑た笑いを浮かべ、懐から小さな手帳を取り出して見せた。
「xx署の柴田です、お会いするのはこれで二度目ですが…覚えちゃいないでしょうねぇ」
「警察のひと、ですか…」
加夏子の顔に緊張が走る。
廊下の奥の角から、銀さんが三人の方をジッと伺っていた。
その彼をまた伺う者が。
白衣のポケットに両手を突っ込んだ痩身の男…
九十九は無表情のまま、廊下の壁に寄りかかっていた。
(続く)