第七十一章
第七十一章
「さぁ、いこうか」
器具をまとめた銀さんが声をかけた。
加夏子を車椅子に座らせていた恒彦が、ベッドの脇に戻ると殉に手を貸し立ち上がらせる。
「僕は大丈夫ですから、加夏子さんについててあげて下さい」
渡された杖を抱え、左手で壁を探りながらドアの方へと歩く。
「下で待ってて、ジュン」
「うん、待ってる」
紗季子がフラリとついてゆく。
「お二人に何か飲み物でも出してやってくれ、わたしも喉がカラカラだ。階段に気をつけてなぁ!」
簡易エスカレーターの固定器具を解く恒彦の声は弾んでいた。
ソファに殉を座らせた銀さんは、思い詰めたような目でジッとこちらを見つめている紗季子に気ずいた。
「どうしたサ…清水さん、何かありましたか?」
「……」
「あの…清水…さん…?」
物もいわず紗季子が銀さんの胸に飛び込んできた。
「来てくれたんだ!あの子が危なくなったらちゃんと…待ってた、アタシ待ってたんだよぉ!!」
銀さんのぶ厚い胸板にむしゃぶりつき、何度も顔を擦りつける。
「ちょっと!おい、どうしたんだ?よせったら、離れて…離れろよ!」
「またアタシを置いてっちゃうの?イヤだ!連れてってよ、アタシとあの子も一緒に連れてって!!」
「バカ!」
バシッ!
紗季子の頬が鳴った。
「アタマ打って混乱してるんだ…目ぇさませ!ここはお前の家で、ダンナもいて、あの子はダンナとお前の子じゃないか!しっかりしろ!!」
え…
だってあたし…
アンタがいなくなって…
けっこん…ムスメ…あのヒト…
「戻るぞ、長いは無用だ」
「銀さん」
「ナンも言うな!ほら立て」
モーター音がして、恒彦達が二階から降りてくる気配がした。
「悪いが失礼します!今夜の事はまた後日に、じゃあ!!」
殉を引きずるように玄関を飛び出した銀さんは、停めてあったワゴンに彼を押し込むと脱兎のように運転席へ駆け込みキーを回した。
「ジュン!」
「ゴメン、病院で待ってる!まってるから!!」
玄関から聞こえてきた加夏子の声に大声で答えた途端、殉は座席に背中を抑えつけられた。
派手な音を立てて急発進したワゴンは、夜明けの町並みの中みるみる遠ざかっていった。
(続く)