第七十章
第七十章
あ…あ…
ブルブルと震える殉の腕が、天井に向かって持ち上がる。瞳孔は激しく拡大と収縮を繰り返していた。
「どうした?俺が判るか?!おい、しっかりしろ!!」
銀さんは懸命に話しかけた。
殉の腕が限界まで伸ばされる。
銀さんは見た。
腕についた痣がグニャリとへこむのを。
その時何故、加夏子の方を振り向いたのか彼自身にも判らなかった。
鉤型に硬直していた加夏子の手が瞬間、こぶしとなって握り締められた。
がはぁっ!!
吐き出すような呼吸音と共に、殉がもの凄い勢いで腕を引き降ろした。肘が手首の近くまで深々とベッドにめり込む。
…
……ピン…
……ピン、ピン…
……ピン、ピン、ピン、ピン…
AEDの電子音が、規則正しく心拍をモニターし始めた。
でんきょくをはずしてください
でんきょくをはずしてください
でんきょくを…
加夏子の脇に屈み込んで電極を外した銀さんは、ゆっくりとAEDのスイッチを切った。
「やった…のか?」
「判りません、まだ」
恒彦の問いに、彼もそう答えるしかなかった。
後ろで誰かが動く気配がして振り返った恒彦は、物憂げに身体を起こす少年の姿に思わず声をあげた。
「きみっ!大丈夫なのか?!」
紗季子も銀さんも吊られてベッドの方を見る。
「…なん、とか…カナちゃんは?」
う、うう〜ん…
小さく唸った加夏子が目を開く。
「カナ!パパだよ、判るか!?」
「ここ…わたしの…部屋…だよね?」
「そうだ!そうだよ!!どこか痛くないか?寒くないか?もう大丈夫だからなぁ!!」
ガッシリと抱きしめられ何度も何度も身体をゆさぶられながら、加夏子は父親の肩越しにベッドの殉を見ていた。
「オカエリ、お姫サマ。悪い夢は終わったよ」
「じゅん…」
大粒の涙が、後から後から溢れ出て加夏子の頬を、恒彦の肩を濡らしていた。
「やったのか、坊や?」
銀さんの言葉に、殉は晴れ晴れとした笑顔で返した。
「えぇ、たぶん」
「多分だぁ?そのわりにゃスッキリした顔してるじゃねえか」
緊張から解かれ、銀さんもいつもの口調に戻っていた。
見えぬ目で加夏子を見る。
彼女も照れたように微笑み返した。
夜が、明けようとしていた。
(続く)