第六十三章
第六十三章
ここまではうまくいっているようだ、そう思う殉の意識は、既に光球ではなく人の形をしていた。
更に下へと目を凝らす。
…見えてきた。
黒いだけだった闇に濃淡が生じていた。
変化の兆候だ。
「扉」への微かな期待を胸に、殉は頭を下げ、スカイダイビングの急降下のような姿勢をとった。
グンと勢いがついた次の瞬間…
避ける間もなく突っ込んだ。
生暖かい灰色がかった極彩色が巨大なブロブとなって吹き上げてきた。目眩がする程の猛烈な悪臭と全身を覆う不快なドロドロに押し流され、もみくちゃにされ、猛烈な勢いで遥か上方に吹き飛ばされそうになる。気持ちの悪い未消化物のようなものが穴という穴から入り込んできた。
抗いたくても、しがみつく物も踏ん張る足場も無い。ここはイメージの世界なのだ。
イメージの世界
そうか
「僕は逃げないぞ!」
強く念じて四肢を張り顔を上げた。
眼球の表面にまでヌルリと流れる粘液の気味悪さに吐きそうになりながら、やっぱり見えるという事はイイことないんだなぁと場違いな想いを抱いてみる。
奔流がふいに消えた。
漆黒の空間に、再び一人ぼっちで取り残された殉は、手足の緊張を解いて辺りを見回してみた。
…
ふと背後に気配を感じて振り返った殉は、喉の奥から心臓が飛び出そうになった。
目だ。
全てを覆い尽くすかのような目、いや目玉が彼を見下ろしていた。
巨大な虹彩が彼に向かって引き窄められる。血走った、敵意に満ちた目。
全身に立った鳥肌が皮膚を突き破って飛び散りそうになる。
びりびり、ばりばりばり
音を立てて巨大な目玉が真ん中から裂けてゆく。
ばっくりとあいた。
ズラリと並んだ、出鱈目に生えた牙…
頭の皮がめくり上がる程口を開け殉は絶叫した。
ぉうわあああぁぁぁぁぁぁぁぁ〜!!!
突然、のけぞるようにベッドへ倒れ滅茶苦茶に躯をよじり始めた殉を見た恒彦は、慌てて彼の両腕を掴み押さえつけようとした。
もの凄い力でベッドから跳ね上がろうとする殉に覆い被さりながら叫ぶ。
「サキ!病院に電話しろ!今すぐっ!!」
紗季子が駆け出そうとして止まる。
「あなた…」
加夏子が、うっすらと笑っていた。
(続く)