第五十四章
第五十四章
久しぶりの自分の部屋だった。
明るい木目の机、小さなスタンド、座り慣れた椅子。淡い花柄の壁紙は入院前と少しも変わっていない。
変わったのはワタシね
それとも、本当のものが見えるようになったのかな
じゃあ何故、今まで判らなかったの
本当のものって何?
ワタシって何?
一階には両親が居る筈であったが、物音は聞こえてこない。寒さが冷たく締め上げた夜の街は、しんとして静まり返っていた。夕食後、階段の簡易エスカレーターで二階に上がった加夏子を気遣い、母が顔を覗かせたのが2時間ほど前。それからずっと一人きりの部屋でスタンドの灯りを見つめ続けていた。
やる事も、やりたい事も無い。
彼女から望んだ帰宅ではなかった。父のたっての願いで実現した今回の一時帰宅は、加夏子にとって不可解であり鬱陶しくもあった。あれだけ切望した家族の温もりも今は白々しく感じる。
どうでもいいや
怒り狂うのにも、もう飽きちゃった
ひとりでいられればそれで充分、そう、一人がいい…
荒野にゆきたいと、ふと加夏子は思った。
そこかしこに得体の知れない生き物の骨が転がっているような、草も生えない石ころだらけの荒野。
何の表情も見せない風がただビュウビュウと吹き荒んでいるだけの荒れ野が今の自分には似合っていると、虚ろな目で乏しいスタンドの光を眺めながら、加夏子はひとつ溜息をついた。
彼女の周囲は皆、大変な間違いを犯していた。
清水加夏子の精神は、決してガードを下げた訳でも回復への緩やかな過程についた訳でもなかったのだ。
加夏子の冷ややかで醒めた眼差しも、いつ飛び出すか判らない暴力も、全てが自分と世界との関わりを見つめ直し再構築しようとする彼女なりの葛藤であり足掻きであったのだ。
他人がどう思おうと、その結果どれ程自分が忌避されようとも、加夏子は壊れてしまった自分と世界との繋がりを手探りしながら必死に探していたのだ。
だがその想いは、碧の出現で足場を失ってしまった。
癒される事は、張りを失う事に等しい。
残されたのは自分自身への果てしない嫌悪感だけ…
加夏子の精神は今、崩壊の危機に晒されていたのだった。
一階で電話が鳴るのが聞こえた。
(続く)