第四十一章
第四十一章
「笑っていた? 彼女が」
「はい」
デスクに向かい忙しくカルテに目を通していた九十九医師が椅子ごと恵美子に振り返った。
思い切り背中を丸め、猫科の動物のように恵美子の顔を視線で舐めあげる。
嫌悪感が蟻の大群となって背筋を這い上ってくるのを感じ、恵美子は小さく身震いをした。
「フフゥ〜ン…なかなか面白い。子供、か。そう来たか」
ネットリと笑う九十九の顔は、恵美子でなくとも酷くいやらしいと感じたであろう。
「やけに楽しそうですね、先生。子供との交流が心を開くきっかけになるなんて、ありふれた話なのではないですか?」
皮肉を込めて恵美子は聞いた。
「ありふれた経緯じゃつまぁ〜んないかな、エ〜ミちゃんはさぁ〜」
黄色がかった眼球が容赦無く視線をまとわりつかせてくる。何となく変質者じみていた。
「そんなつもりじゃ…」
「まぁいいって、君が感心あるのはあの娘じゃなくって、彼女のボーイフレンドの方なんだからさぁ」
恵美子は顔が怒気をはらむのを感じた。
看護師としての彼女のプライドは、九十九の一言で酷く傷付けられ怒りを感じていた。
だがその指摘は正しかった。
「それにしても早かったな」
「何が、ですか」
「ガードを下げ始める時期がだよ、決まってるじゃん!」
まだ判ってないのかと言わんばかりの九十九の言い種であった。
清水加夏子が自ら封印した心…九十九は『棚上げ』と表現していた…を再び開け放つそのタイミングを、彼と恵美子は息を殺すように待ち続けてきたのだ。
納得出来ない点はあるが、チャンスだ
もう少し様子を見て、アレを仕掛けてみよう
九十九の目の澱みが硬玉の鋭い光に変わる。
猫から虎へ。
獲物を得た虎の目…
ゴクリと唾を飲み、恵美子が頷く。
彼女もまた、自分の成すべき事を想い描いていた。
(続く)