第四十章
第四十章
私が、泣いてた?
「そうだよ、ウチ聞こえたもん」
銀さんの後ろに隠れたままの碧が言う。
「うるさい位え〜んえ〜んて、すごく気になったよ」
「嘘よ」
「ホントだもん」
「うそっ!」
「ホントだもんっ!!」
むきになって碧にくってかかる加夏子。
これまたむきになって言い返す碧。
妙な展開に、銀さん一人が置いてけぼりとなっていた。二人の女の子に挟まれた形の彼は、出した手のやり場に困ったあげく、両手で頭をかきながら顔をしかめる位しかやる事がなかった。
どうなってるんだい、こりゃあ
だが彼は二人の間を離れなかった。
確かに、先程の殺気じみた険しさは加夏子の表情から消えていた。今はそう…まるで姉妹の口喧嘩といったところであろうか。
油断は出来ない。いつまた彼女が爆発するか、彼女自身ですら判りはしないのだ。それでも、銀さんは加夏子の様子が今までと何か違うようで、それが何処とはなく好ましいと感じ、二人が喚き合うに任せておいたのだった。
そういえば、前はよくあの坊やと一緒にいる時、こんな風にふくれっ面になったりしてたよな…
殉の事に思い当たった瞬間、目の前の光景に寸時忘れていた疑問が再び銀さんの脳裏に浮かび上がった。
聞こえた…って、言ってたよな?
俺には何にも聞こえなかったぞ
あの時、加夏子はキレそうな顔でジッとこちらを見ていた。俺も気が付いたが…
泣いてたって?
声ひとつあげていなかったぜ
もしかして、この娘…本当に…
「なによこのコ! もうっ!」
「へーんだ、イジっぱり!」
「なんですって!?」
いつの間にか銀さんの前に回り込んでいた碧に向かい、加夏子が勢いよく右手を振り上
げた。
しまった!
ぺしっ。
加夏子の掌が、髪がめくれた碧のおでこを弾いた。
「なまいき言う子はおしおきだからねっ」
「いったぁ〜…」
大袈裟に額を両手で押さえてみせた碧が、指の間から加夏子を覗いてペロリと舌を出す。
つられて加夏子が微笑み、やがて声を上げて笑いだした。碧もケラケラと笑いだす。
加夏子が笑っている…
痺れるような想いで銀さんは彼女の声を聴いた。
銀さんが初めて聞く、加夏子の笑い声だった。
(続く)