第三十三章
第三十三章
「先生はそうやって、鎮静剤で彼女を抑えるだけ。少なくとも今までは」
首筋を伝う寒々しさを押し退け恵美子が問う。
「で?」
九十九が問い返す。
「具体的な治療はいつ始められるのでしょうか。プランについて口出し出来る立場ではないのは判っています。しかし此れでは、この娘はまるで晒しものではありませんか? 勝手気ままに暴走を繰り返し、それ以外の時は冷たく醒めた目で他人を見透かす。この娘は本来、そんな人間ではありません。以前、感情的になって私に食事のトレイをぶつけた時だって、運悪く切れてしまった私の額の傷を見て蒼くなっていた位なのですから」
「…治療ならもう始まってるよ」
「エッ?」
「何故、彼女は唐突に狂暴な振る舞いをするようになったと思う?」
「それは… やはりあの晩、この娘を変えてしまうような何かがあって…」
恵美子が言葉を濁す。
「棚上げにお手挙げ。僕達の置かれた状況さ。判るかい?」
「ハァ…」
とっさに言葉が見付からず、恵美子は曖昧な返事を返した。九十九の言っている意味がよく判らなかった。
「痛覚検査の結果を知ってるかい? 足だけでなく腕や躰の一部にも行われているんだが、パスこそしているものの結果は全て最低値を示していたよ」
手近にあったパイプ椅子を引き寄せ、背もたれに両肘を置いて、九十九は恵美子と向かい合った。
「これが何を意味するか、エミちゃんに判るかい?」
「判りません」
一見、こちらを小馬鹿にしたような態度に内心、腹を立てながら恵美子は答えた。
何やら納得したような口調で九十九が断言した。
「情緒麻痺だよ。しかも飛びきり歪な形の、な」
人間はねぇ〜…と、九十九が続ける。
大きな衝撃や外的なトラウマを受けると、心の働きを自動的に抑え込む事でダメージを避けるのさと、教師のようなもの言いで目前の恵美子に言って聞かせた。
本来は情動そのものを抑制しダメージの蓄積を回避するのが情緒麻痺の筈なのに、患者がこれ程の凶暴性を示すというのは、暴れる事自体が患者自身を守っているという事に他ならないのだ…と。
「外見では判らない。唯一、判断する方法は痛覚検査だけだ。情緒麻痺に陥った人間は痛みに対して極端に鈍感になる。思い当たるフシがあるんじゃないかい」
そう言えば、あれ程注射を嫌っていた加夏子が、最近は顔色一つ変えずにそれを受けるさまに酷い違和感を覚えた事があった。
「だとしても、それが先生の治療とどう関係あるのですか?」
挑みかかるように、恵美子も九十九の顔を覗き込んだ。
(続く)




