第七話 魔王様と協力者と下僕の行進
「おまッ、本気で蹴りやがっただろっ……」
「あら、女の子が一途に目指している素敵な夢を大笑いしておいて、これぐらいで済んでよかったと思ったら?」
「……えっ、女の子? 素敵なゆ……悪かった、俺が悪かったからまた鳩尾を狙うのは――じゃあこっちでって、向う脛も狙わないでくれるかなっ!」
なんで地味に本気で痛いところばっかり狙うんだよ! とどこか嬉しそうにクリティカルを狙って来る十一歳の少女に向けて、青年は叫んだ。叫んでから、そういえばこいつは人体の急所について載っている本を、うっとりと興奮しながら読むような相手であったことを思い出す。現実に目を逸らしたくなった。
この少女に会うようになって、もうすぐ半年が経つ。実際に会った回数は三回ほどと少ないが、彼女の猛獣のような目が何かを虎視眈々と狙っているのはわかっていた。この少女と同じような目の人間を知っていた青年は、学園の情報を求める彼女にわざと接触し、目的を探っていたが……まさかの目的に久しぶりに大笑いしてしまった。そして、制裁を食らったのであった。
「しかし、あのカレリア・エンバースをね。まぁ、彼女は色んなところから恨みを買いそうな性格みたいだからなぁ。……それを『ざまぁ』するために、わざわざこんなところまで来るやつがいるとは思わなかったが」
「何よ? ……別に信じられなくてもいいわ」
「いや、信じるよ。君は目的のためなら嘘をつきそうな人間だけど、意味のない嘘はつかなさそうな人間な気がするし」
「…………」
軽い口調で言われた彼の言葉に、少女は小さな驚きをみせる。はっきり言って、こんな理由を信じてもらえるだなんて思ってもいなかった。だから、正直に答えてみせたのだ。この青年がここで、彼女のご機嫌取りのために嘘をつくような人間じゃないことも知っていたから。
相手は自分よりもこの業界が長い相手で、年上だ。正誤を見極める目だって、自分よりもずっとあるはずだろう。それでも彼女にとっては、本心で語った言葉を初めて「信じる」と言ってくれたのだ。それが驚きとして、態度に出てしまった。
「どうした?」
「――なんでもない。それで、わざわざ私の目的を聞いて、あなたに収穫はあったの?」
「ん、あぁ。それはいいな、と思うぐらいには。面白そうだし、何より俺の目的とぶつかることはなさそうだから」
「あなたの目的?」
自分が見透かされるのは、あまり面白くない。少女はすぐに話の矛先を変えたが、気になる内容が出てきたことに好奇心が疼いた。もちろん彼女と同じで、この青年もわざわざ目的を相手に語る必要はない。それはわかっていたが、気にはなる。だから、自分は話したんだから話しなさいよ、と冗談半分に告げてみたのだ。
「うーん、……まぁいっか」
「えっ、いいの」
「君に話しても、問題はないしね。逆に、俺にとって邪魔だと思うことを知っていれば、君もその目的以外で下手に動かないだろう」
「確かに、あなたと敵対は嫌ね…」
彼女は彼の目的を吹聴する気はない。少なくとも、カレリアを『ざまぁ』することは彼にとってどうでもいいことらしい。エンバース家も同様だろう。それならお互いに協力者として、これからも関係を築いて行く方が得だ。余計な敵を作る必要はない。
「それで、どんな目的なの。人の夢を笑うほどなんだから、当然それだけの内容よねー?」
「あれだけ人の急所を抉ったのに、まだ根に持っているよこいつ。……あー、まず簡単に言うと、俺には雇い主というか、主人がいたりするんだ」
「……あなた、従者だったの?」
「似たようなもん」
主人ということは、青年はお抱えの情報屋だったということ。貴族が通える学校の関係者が情報屋ということに疑問を持っていたが、貴族の従者なら納得できる。平民にしては立ち振る舞いが綺麗だが、貴族にしては雰囲気が荒っぽいのだ。自分と同じように特殊な環境で育ったのかもしれない、と彼女は分析した。
彼は相手の反応に、少しおかしくて噴き出しそうになるが、痛い目にこれ以上あいたくないので堪える。己の主人に少女のことはすでに話しており、彼女の目的によっては話す許可をもらっているので問題はない。
取り込む気なのかな…、と主人と似てちょっと遠い目をしたくなるような目と性格の少女を見据える。自分と近い年齢の少女という話を聞いて、珍しく興味を持っていた自分の主。彼女の目的を主人に伝えたらどうなるかはわからないが、少なくとも今ある関わりを終わらせようとはしないだろう。
出来たら自身の平穏のために、このまま情報屋同士の関係で終わりたいなー、と切に思う。情報屋としての勘だが、主人とこの少女を会わせたら……非常に自分の胃に優しくないような気がしたのだ。主人は大切だが、自分の身も可愛かった。
「……あの人は、俺にとって恩人でね。俺の目的は、あの人が目指す夢を叶えるために頑張るってことだ。めっちゃ健気だろう?」
「自分で言わなければ」
「ちなみに俺の主人の夢は十文字ですっきり。『国の天辺を目指す』ことだ」
「……てっぺん? えっ?」
「一言で結論を言うと、俺のご主人様。……すごく、覇王様です」
「……成り上がり思考の強い方、なのね」
正直彼らの目的に曖昧な部分はあったが、目の前の青年の煤け具合に、珍しく少女は追及をしないでおいた。彼女は権力にそこまで固執する性格でもなかったので、自分に被害がないのならどうぞ頑張って下さい、な心境だった。むしろ、変に巻き込まれたくないかもしれないと思った。
それからお互いを、「ルゥ」と「シィ」と呼び合うようになって五年後が経った現在。ルルリアが学園に入学したことで、曖昧だった彼らの関係に明確な変化が訪れたのであった。その結果、青年は胃薬や頭痛薬をストックするようになったらしい。
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「今頃女王様は、妹を嵌められたという気持ちよさに高笑いしていそうよねー」
「俺は初めて、本来同情もできないような相手に、哀れな気持ちが芽生えそうだった」
こいつの表裏は、もはや詐欺だ。犯罪だ。付き合い五年目に到達した協力者のサド顔に、青年はなんとも言えないような目でたそがれる。出会ってすぐの頃は、自分が彼女を振り回せるぐらいの、まだ雀の涙ぐらいな可愛げはあったはずなのだが、十五歳になってから本能が解き放たれていた。おそらく、ストレス発散の手口が手に入ったが故だろう。
無事に学園に入学を果たしたルルリアは、本性を隠して過ごしていた。社会的な地位を手に入れた彼女が、次に手に入れようと考えたのが人望であったからだ。周囲を味方につけることの怖さを、ルルリアは幼少期より刻み込まれている。間違いさえも正しくさせる怖さを、彼女は知っていた。
故に世論を味方に付けるなら、人との関わりが重要である。彼女が学園に入りたかったのは、そういう部分もあった。何よりせっかく長年かけて用意した舞台なのだから、観客がいなければつまらないだろう。
「はぁ…、本当にお前の猫かぶりはとんでもないな。お前の性格なら、この学園の真の女王様を目指せるんじゃないか」
「嫌よ、私が討伐される側になっちゃうじゃない。健気で優しい女の子の方が、世間を味方につけやすいし、相手の油断を誘えるし、何より反応が面白いわっ!」
「……自覚している分、余計に性質が悪い」
思考回路というか、存在そのものがデンジャラス令嬢なのは今更だったので諦めた。喜びなさい、下僕以外で私の本性を知っているのはあなただけよ! と言われたことはあったが、全く嬉しくない秘密である。情報屋に、この真実はできれば知りたくなかったと項垂れさせたのは、ルルリアぐらいだろう。
ルゥとシィという情報屋としてのみの関係が少し変わって、それなりに日にちが経つ。協力者のぶっ壊れっぷりに頬を引き攣らせながらも、彼らの関係事態はそこまで大きな変化は起こらなかった。性格はよろしくないが、まだ感性は常人よりだった青年の頭痛の元にはなったが、もともと本性でお互いに接していたし、敵対する理由がなかったからだ。
「あら、私が今まで受けてきた仕打ちは全て真実よ。不幸だわー、って泣いたって罰は当たらないと思うけど」
「周囲に虐待され、姉に全てを奪われ、孤独を強いられ、親に売られて、五十代の男に嫁がされ、回避するも婚約者を略奪され、学園でも嫌がらせをされる。……おかしいな。間違いなく同情できるような相手なのに、なんで同情する気持ちにものすごい違和感が…」
真実とは、時に残酷である。
「それにしても驚いたな。学園に入学して数ヶ月で、そこまで情報を集められるなんて。人脈の伝手はそれほどなかったよな」
「彼女を挑発したおかげで、面白いぐらいに動いてくれたからね。私って裏で姉の標的にされているじゃない? 女に呼び出された回数や、男に襲われた回数だって、それなりの数よ。……おかげで、たくさん情報源をいただいているわ」
「な、なるほど。しかしそれだと、カレリアに気づかれるだろうし、襲ったやつらからの報復もありえる。スパイをさせるにしても、信用はできないだろう?」
「ただ聞き出したり、協力させるだけなら、そうでしょうね…」
彼の言葉に、にぃ、とルルリアは笑った。この学園での、彼女の情報収集のやり方を知っておきたいのだろう。ルルリアとしては、そう簡単に真似はできず、どうせ調べられるだろう、とわかっていたので教えても構わなかった。姉の指示で襲いかかってきた彼らに、ルルリアが容赦をする理由なんてない。潰すだけなら簡単だが、カレリアの手駒を減らす役割も兼ねて、寝返らせてきたのだ。
カレリアの持つ美貌と男を落とす手腕は、ルルリアには真似できないものである。姉の魅力に勝る何かがなければ、彼らを自分側に引き摺り落とすのは難しいだろう。しかも、女一人に手を上げようとするような相手だ。情報を駆使して脅す方法もあるが、生半可な対応では裏切られる可能性も秘めていた。
だからルルリアは考え、結論を出した。自分が持っている最大の武器の存在を。愛情や尊敬を上回るもの――それは、絶対的な恐怖や畏怖であると。
「でも、そこは安心していいわ。襲ってきた連中はみんな潰した後に、『素直に調教を受けて私の忠実な下僕になるか、姉の魅了に二度と惑わされないように性癖をMやその他に塗り替えられて新しい人生を開くか』の二択だけを用意して、誰が上かをじっくり教え込んでいるから」
「おい、待て。その二択待て」
「くくくっ、私は自分の部下はちゃんと大事にするわ。男には適度な刺激が必要だってカレリアはよく言っていたし、女の子はあまーいものが大好きよね。私はちゃんと下僕に鞭と飴は定期的に与えているもの。人権だって認めるわ。彼女が容姿と愛で魅了するなら、こっちは恐怖と優しさからの心服ってね…」
「お前、どこに行こうとしているんだ?」
協力者の魔王理論っぷりに、冷や汗が止まらなかった。
「何よー、世間では心優しい健気で哀れなルルリアちゃんと認識されているのに」
「……自分の婚約者で釣りをして、姉の略奪に大喜びするような神経を持った人間が、健気で優しい…」
「言いたいことがあるならちゃんと言って下さいな、シーヴァ先生。それとも、フィッシュ第一号?」
「第一号言うな。……あー、あの時に時間を戻してなかったことにしたい」
そう言って項垂れる青年は、黒髪を揺らした。彼はこの学園の教員を勤めており、ルルリアよりも年上である。おそらく二十代ぐらいであろう容姿を持っているが、実年齢はよくわからない。彼は情報屋としてそれなりに名はあり、初めて会った五年前から未だにこの学園に在籍しているのだ。だから学生より年齢は上だろうと踏んでいたし、彼が学園の教員か事務員であろうとルルリアは考えていた。
しかしこの学園は、教員数も事務員数もかなりの人数がいる。そこから彼を探し出すのは難しいだろう。『ざまぁ』のために学園で暗躍しようと思っていた彼女にとって、シィとその主の存在は無視できないものとなっていた。
そのためルルリアは、シィを見つけ出すことを考えた。情報屋経由で話をすることも頭に過ったが、彼の主に彼女が認められなければ踏み込ませてはくれないだろう。ルルリアは全く知らない他人に、自分の全てを委ねることなどできなかったのだ。
幸い、彼はルルリアがルゥであることも、ルゥが貴族として学園に在籍することも知らない。普通に考えれば、貴族の令嬢が情報屋などしないし、破壊力なんて持つはずがない。学園の情報を欲しがっていたことで、学園に入ることができない人間と思われている可能性がある。それらを利用できないか、とルルリアは思考した。
何より、彼女は二年前のアレをまだ許したわけではない。難易度を勝手に上げたのは彼の主が決めたことなのかもしれないが、実行したのは彼だろう。だから、ルルリアは自分自身と彼の目的を餌に釣り上げることにしたのだ。
「シィなら『ルルリア・エンバース』の情報を得るために、私を監視するだろうってわかっていたからね。……そして、彼女に何かしらのアクションを起こせば来ると思っていたわ」
カレリアの動向を見ていた彼が、その妹であるルルリアに注意を向けないはずがなかった。何より、ルルリア・エンバースの情報は少ない。彼女は親から外出を禁じられ、外からの人間の情報でも彼女の存在は大変希薄であった。
侯爵家に行ったことでようやく表に出てきた少女の印象も、よくわからないものが多い。侯爵閣下の闇を払った、婚約者に尽くす心優しき穏やかな少女という噂のみ。カレリアの妹であるルルリアなら、知っている情報や今後の動きに関わってくるかもしれないと普通なら考えるだろう。
「はぁ…、ルルリア・エンバースの正確な情報把握は、確かに俺の仕事になっていた。優等生で優しさに溢れているだけの、奪われ続ける女。正直最初は、煽るような姉への対応の仕方にただの考えなしかと思っていたが……、そんなやつがいきなり『王子の婚約者』の机の中に、呼び出しの手紙を投入するとは思っていなかった」
ルルリアの行動を監視していたシーヴァだったが、まさか登校して数週間後に、いきなり無人の教室に入っていき、公爵令嬢である『ユーリシア・セレスフォード』の机の中に手紙を突っ込んでいくとは考えていなかった。ルルリアが去った後、シーヴァは確認した手紙を読んで唖然とした。「大切な話があります。一人で来てください」という特徴のない筆跡と、場所と時間が指定されていただけのものであった。
「おかしいと思ったのよ。ユーリシア様は公爵家の方で確かに優秀なんでしょうけど、それでも姉の悪意からほとんど無傷っていうところにね。カレリアが女王となっているこの学園に私が入学して、数日経ったことでそれが確信に変わったわ」
ルルリアはこの数ヶ月で、それなりの下僕を作れるぐらいには襲われたのだ。姉はどこか他人事のように、無邪気に悪意を振りかざす人間だ。相手の気持ちを弄ぶくせに、誰よりも他人の気持ちがわからない。肯定のみの世界で生きてきたカレリアには、自分の行いが間違っていると思わないから。それを指摘してくれる人間がいなかった十七年間が、彼女の根底を作ったのだ。
カレリアの性格に、もう何かを思うことはルルリアにはなかった。今更悲しさや嫌悪感、罪悪感を覚える領域なんてとっくに過ぎてしまっている。彼女の助長を促したのは、間違いなく己にも原因はある。それでもこの道を選び、他の道を蹴ったのは自分自身なのだから。
彼女は、婚約者を奪われたルルリアが絶望するとわかっても、それがどれだけの痛みなのか理解できない。哀れだと思っている妹を、平気で男を使って襲わせようとする。自分が普通じゃないから問題はなかったが、普通の女性なら最悪のトラウマものになっていたことだろう。
そんな悪意へのストッパーが、ぺらぺらの紙装甲な姉がいる学園。それなのに、姉に疎まれている彼女が襲われていないというのはおかしな話だと思った。公爵家や婚約者という地位が周りのストッパーになっている部分もあっただろうが、彼女は学生であり、まだ正式な伴侶ではない。間違いなく、裏から手を出されていたはずなのだ。
そんな状況下で、彼女が二年間も無事だったこと。学園内には警備員もいるが、ずっと守り続けるのは不可能だろう。いくら彼女が気をつけていたのだとしても、全てを回避するのは無理というもの。
「姉に目を向けてしまっていた王子様が、彼女を守るのは無理でしょうしね」
「……幼馴染の延長線みたいな態度だったからな、王子様は。そんで昔からよく婚約者の彼女と比べられて、ちょっと卑屈になってもいた。もちろん王子として、自他共に厳しい婚約者に釣り合うように、頑張ってはいたんだが――」
「あー、つまりその隙をカレリアに付け込まれたって訳ね」
ルルリアは学園に入学したことで、遠目からだがクライス王子を見たことがある。情報を見た限りでも、彼はまだ姉にそこまで傾倒している訳ではなかったが、心の拠り所にはなってきているようだった。
彼はおそらく、婚約者の彼女への気持ちにまだ答えが出ていないのだ。昔から一緒にいたから、なんとなくこれからも一緒にいる、という考えだったのかもしれない。ある意味、他の女を知らずに過ごしてきたのだろう。だからカレリアはかなり慎重に動きながら、虎視眈々と狙っているのだ。
「けど王子様のことは、今はいいわ。とにかく私はこの学園に入学してからユーリシア様の情報に耳を傾け続けたけど、彼女を悪く言うものは聞こえなかった。だから、……彼女には何かあると思ったのよ」
姉の悪意を一番に知っていて、そして受けてきたルルリアだからこそ。裏から伸びる手を完全に排除し、情報の統制ができる相手を知っていたからこそ。公爵令嬢である彼女に、違和感を持った。ユーリシア本人が全てを排除するのは厳しくても、そこに彼女を守る第三者がいたら可能だろうと。
だからルルリアは、行動を起こすことに決めた。このまま動かなければ、彼らのフィールドに気づかずに引きずり込まれる可能性がある。もし外れたとしても、姉の標的にされても生き残っている彼女と関係が持てるのは大きいだろう。
逆に彼女が、彼が言っていた人物の関係者だったのなら――確実にシィは動く。もちろん疑問は多くあったが、これ以上考えても堂々巡りだとルルリアは思った。知りたいのなら、直接本人に聞いてみればいいのだから。
多少の不安要素はあるが、ユーリシア・セレスフォード公爵令嬢は、ルルリアの目的のために通らねばならない存在であることに変わりはない。ならば、迷って足を止める愚よりも、どんな障壁をもぶち壊すバイタリティこそが、今の自分に必要なものと結論した。
だからルルリアは――正々堂々と一対一で来いやァ! と果たし状を送ったのであった。
「まぁ、本当に本人が来たらびっくりしただろうけどね」
「何を考えているのかわからない相手のところに、行かせられないだろ」
「えぇ、だってこの時の『ルルリア・エンバース』って、シィの視点からなら結構不気味な存在だったと思うから。あなたなら、彼女当てに送られた意図の分からない手紙をまず回収するはず。そして、それを送った相手の真意をはかりに来るだろうと思ったわ。あの内容じゃ、敵か味方かわからないものね」
もし第三者などおらず、ユーリシア本人が来たらそれはそれで彼女の見極めに使える。警戒して来なくても構わない。複数人の気配がしたら、逃げる準備もできていた。しかしその待っていた教室に、彼女以外の第三者が訪れた場合は、ターゲットである可能性が高い。
ルルリアは一人で放課後の特別教室で待機し、扉が開かれるのを待った。人気はなかったとはいえ、あんなに堂々と手紙を突っ込むような少女が相手だ。ユーリシアを守っているのがシィなら、丸腰の女一人しかいない教室に入ってくる。そして、無害そうな顔で情報を聞き出そうとするだろう。
そうして日が傾いてきた時間に入ってきたのが、若い男性教員だったのだ。施錠のチェックをしていて、たまたまルルリアを見つけたように。相手の心配そうな表情や声や歩行などを見ながら、ルルリアは気づけばニッコリと笑っていた。
そして、――握っていたトラップ発動の紐を引き千切った。
「まぁ、うん。確かに調査対象だったし、呼び出しのやり方の強引さと、丸腰の女子相手だからって、油断していた俺が迂闊だったのは認めよう。……だからって、いきなり机とか椅子とかがとんでくると思うかっ! 公共施設に大量のトラップをしかけまくるんじゃないッ! 寿命が確実に縮んだ!」
「結局全部対処しちゃったじゃない。一つぐらい大当たりしてくれたら、腹を抱えて笑ってあげたのに」
「『シィの必死な回避顔が笑える』って、すでに笑っていただろうが…」
二年前の意趣返しに成功したルルリアの表情は、とても晴れ晴れとしたものだった。もしもの危険のためにトラップを色々用意していた彼女は、目的を果たしてもそのまま勿体ないからと全トラップを放出。そしてシーヴァも、ルルリアの鬼畜な性格と呼び方で相手が誰なのか見当がついたのだ。
「お前な…、ルルリアがあのルゥなら、こちらとしても動きやすいから協力はしたぞ。俺の主人に伺いだってたててやったと思う。情報屋経由で、素性は話せただろう」
「シィをギャフンと言わせたかった。反省も後悔もしていない」
「おい」
「……まぁ、あなたの言うこともわかるわ。でもこちらが話しても、あなたが真実を言うとは限らないじゃない。主の命令なら自分の趣旨を変えるぐらいしそうだし。あなたの尻尾ぐらい掴んで、お互いの条件を近づけておかないと、私はただの都合のいい駒として使われるかもしれなかった」
「信用ないな…」
「私、他人を信じるのは好きじゃないから」
というより、信じることができない。託すことが怖い。相手に委ねるより、自分で強引に捻じ曲げた方がずっと安心できる。リリック侯爵とも、互いの利益が一致しているからこそ、彼女は任せられるのだから。
「……何?」
「――いや、なんでも。それで、無事に俺を見つけ出せたまお……ルゥはこれからどう動くつもりかなって」
「えっ、そんなの当初の予定通りよ。あなたがユーリシア様に接触するのはまだ待ってくれ、一生のお願いだからッ! って面白いことを言うから待っていてあげたんだから」
「……やっぱり、会っちゃうのか?」
シーヴァの態度に少し違和感を覚えたが、いつも通りの飄々とした様子に深く聞かないようにした。聞いても答えずに、はぐらかされるだけだろう。それなら、無駄なことに時間を割いても仕方がないと切り替えた。
下僕からの報告では、カレリアの目的はユーリシア公爵令嬢とルルリアを嵌めることらしい。なんともタイムリーな話題である。表の二人を接触させようとする動きがあるのに、裏でこまねいている訳にはいかない。向こうも見解は同じだからこそ、彼もルルリアが彼女に会うことをこれ以上止めるようなことはしないだろう。
二人を嵌める下準備なのか、私物がなくなったり、ルルリアの婚約者とユーリシアが一緒にいるところを目撃したと、わざわざルルリアに聞こえるように噂話をする女生徒たちまで現れていた。
あれか、女の嫉妬みたいなのを煽るためか。ルルリアは呆れよりも、ちょっと感動を覚えた。本人ですら女の部分はかなり諦めているのに、姉はルルリアを女だと認識してくれていたらしい。素でびっくりだ。
「……ねぇ、シィ。私って女の子よね」
「ん? あぁ、見た目はな」
「そうよね、女の子らしいことをしても違和感なんてないわ。協力者と下僕以外の味方を作ることも、女として大切なこと」
「うん、人間として大切だな」
「……だからね、思ったの。裏の協力者は充実してきたし、表の人間関係もちゃんと構築していくべきだって」
ルルリアは女の子らしくスカートを翻しながら、くるりと一回転する。健気な少女の仮面をかぶり、その演技に慈愛を含ませていく。全力の違和感というか寒気に、シーヴァが腕を擦っているが気にしない。自分が学園の優等生であるイメージ浸透はすでに完了しており、手駒も申し分なかった。
「えーと、結局彼女とはどういう関係になるおつもりで?」
「えっ、そんなの女の子らしく、きゃっきゃっうふふなお友達を目指すに決まっているじゃない。彼女となら、なんだかいい関係が築けそうだって私の勘がね…」
「……あはははは」
表から見れば、次期王妃と次期侯爵夫人。お淑やかで、可憐な少女二人を思い浮かべれば、午後のティータイムをほのぼのと楽しんでいそうだろう。しかしシーヴァの頭の中では、肉食獣二人による、きゃっきゃっうふふなお友達関係が繰り広げられていた。
表では楽しく元気な姿を見せながら、きっと貴族の令嬢とはとても思えないオーラが全身から迸ることになるのだろう。それがおそらく学園を卒業しても続くかもしれない。自分はその仲介役になることが、ここに決定した。
……友達の意味を、本気で調べたくなった青年であった。