後日談⑨ ラスボスの変身は様式美である 後半戦
未知に溢れしフェリックス少年の生態について、何も知らなかったエヴァン少年が事情を把握して数刻後。大変すっきりした様子で再び何事もなかったかのようにお菓子をかじりだす息子と、こめかみに手を当てながら項垂れる十歳児。初戦の結果は、言うまでもなかった。
「被虐体質? そういった性癖の方がいらっしゃることは、話や書物で知ってはいましたが…。えっ、つまり僕の言葉は性癖第一主義の方には理解されるってこと? それってどうなんだ……」
「……ユーリ。弟さん、自分の世界に入ってしまっているわよ」
「ふむ、新しい価値観と向き合うには時間が必要だろう。私は今でも時々、黄昏ることがある」
「そうね、人と向き合うことは大切だわ。ところで、そろそろ本題に入ったほうがいいわよね。このままじゃ、いつまでもおしゃべりしてしまいそうだもの」
人と向き合うのハードルがあまりに高すぎるが、そこは特に気にせず、弟君の成長のためにここは温かく見守ることにした女傑たち。相変わらず容赦がない。そして、それにツッコんでくれる常識人がいないため、この場の混沌はもう加速するしかない。彼女らの中では、ほぼ平常運転なことであった。
ルルリアからの催促の言葉に、ユーリシアも同意を示すようにうなずく。ルルリアだけではなく、この場にはわざわざセレスフォード領に招いたフェリックスもいる。エヴァンは現在自分の世界の常識と戦っている最中なので、少しこちらの話をしていても問題はないだろう。
「それで、元エンバース家の娘とガーランド家の子息にしたい話って何なの?」
「あぁ、もったいぶっていても仕方がないから簡潔に言おう。ルゥ、領地経営に興味はないか?」
「……領地? ガーランド領とは別にってことかしら」
覇王様からさらっと言われた内容に、ルルリアは軽く首をひねった。息子と一緒にリリックから領地経営について教授を受けているが、それは婚約者の経営を支えるために習っていた側面が強い。そのため、自分が領地をもって指示を出す側に回るなど考えたこともなかったのだ。
第一、まだ何も実績がないことになっている十代の小娘に遊ばせておくような領地などないだろう。普通ならもったいないと感じるであろうし、周りの貴族も納得しない。しかし、一つだけ心当たりがあった。以前ユーリシアが、王家とセレスフォード家からの話だと言っていたことを思い出す。あの舞台で、表向き姉を断罪したことになっている覇王様への功績としてもらえるとされたもの。
「なるほど、元エンバース子爵家が所有していた領地のことを言っているのね」
納得がいった魔王様は小さく笑うと、紅茶で喉を潤しておく。確かにこれは、簡単に決めるには内容が内容であり、しかしそう難しい内容でもない。そして、ルルリアの身柄を預かる侯爵家に打診したとしても、リリックならエンバース家に関しては判断基準の多くをルルリアに任せそうだ。
そこまで話を聞いて、次に首をかしげたのはフェリックスだった。ルルリア個人が直接領地を持つことはできないだろうから、表向きはガーランド侯爵家の新たな領地にカウントされるのだろう。しかし、もう一度考えるが、表向きのルルリアには何も功績がないのだ。ガーランド家も、表向きは姉に巻き込まれた被害者なだけだ。元自分の家の領地だったとはいえ、いきなり領地を渡すなんてできるのだろうか。
「エンバース領をルルリアがね…。でも、ルルリアは王家にエンバース家の全てを渡すことに同意したんじゃなかったでしたか?」
「あぁ、まあな。だが、世間一般からの視点で考えてみろ。今回の話は、クライスから私にまず相談があったんだ」
「王子様から……つまりこちらが全てを渡すと決めた王家から、私に領地をってこと?」
ワンコ王子は、魔王様の近辺では大変貴重な平和的で常識的な感性の人物である。あの息子の天然が目の前で炸裂しても、常識の範囲内で自分で納得してノーマルの世界を闊歩できる、ある意味で常識の世界の申し子なのだ。
基本姿勢が相手の言動の裏を考えるという、捻くれてねじ曲がった非常識代表の一角である魔王様でも、「ワンコだしなぁー」と考えるとその言葉通りに受け取ることができる。十歳児すら身代わりにするあの胃薬が、かばうだけはある貴重な人物なのであった。
「ふむ、そうだな…。では聞くが、あの舞台でルルリア・エンバースに残ったものは何だ?」
「……何もないんじゃない?」
「そうだ。傍から見なくても、何も残っていない。家族も私財も人も、被害者であるはずの彼女は身一つで全て失ったことになっているんだ。しかも本人は健気にも、迷惑をかけた王家へ全て渡し、自分はガーランド家で暮らせるだけでいいと、他には何もいらないと実行に移している。なんとも健気なことだと思わないか」
「つまり、殿下がそれじゃあ、被害者であるはずのルルリア・エンバースがあまりにも可哀想だからってことかしら。だから、せめて私が育ってきた領地だけでも娘に返してあげたらどうかってこと?」
なるほど、と一般視点から見るとそんな風に感じるのかと感慨深く思う。ルルリアはエンバース家のものに関して、微塵も興味がなかったから気にしていなかった。しかし世間から見れば、エンバース子爵家の娘として持っていたはずのもの全てを完全に失った瞬間でもあったのだ。周りからの評判以外でガーランド家で得たものは、ルルリアの力(技)によって手に入れたものだから。
「前にも言ったが、クライスはカレリアに騙されたことに罪悪感を持っている。それは巻き込んでしまったルゥに対してもな。カレリアを助長させた原因の一つが、自分にもあると考えている訳だ」
「エンバース家の関係者から、今後守っていただけるというお約束をもらっているけど?」
「そんな約束は当たり前のことだ、とあいつは思っている。国民を守る当然の義務だとな。つまり、その約束だけではルゥにかけた迷惑の償いにならないと考えているんだ」
「それで、残った領地だけでもせめて私にね…」
迷惑とは思わないが、喜ぶほど嬉しいとも感じない。なんとも微妙な気持ちになる。どちらかと言えば、予定外の償いに戸惑いの方が強い。ルルリアとしては、もう興味のなくなったエンバース家の人間が自分の輝かしい未来に干渉してこないように配慮してもらえるだけで、十分な報酬だと思っていた。
魔王様はすっごくいい笑顔で、不幸だった自分の境遇を利用し、存分に活用していく女だ。相手から同情を引き出すように仕向けて自分有利に進めたり、哀れな女だと油断している相手の懐へ捩じり込んでみたり、散々可哀想なルルリアちゃんを演じてきた。それに罪悪感を感じるような神経は持っていないので、当然ノリノリである。
しかし、さすがに善意100%の過ぎたる好意をもらうのは苦手なのだ。もらえるというのならもらうところはルルリアであるが、悪意ばかりを受けてきたため裏がある相手の方が落ち着いて対応ができてしまうのである。そのため裏がない相手というのは、彼女にとってはどうも扱いにくい分類に値する。
次期国王で友人の婚約者という立場のクライスは、彼女としても仲良くなっておいて損はないのだが、どうも親しくなるのに距離ができてしまう。フェリックスがその分、王子と懇意になってくれているので、現状はそれでいいかと納得している形だった。
「領地かぁ…。でも、セレスフォードさんはいいんですか? 話を聞く限り、その領地はあなたの功績としてもらえるものみたいですけど」
「その証拠となる功績だって、ほとんどルゥが私に渡してくれたものだ。私はそれを表の断罪役として、周りに示しただけに過ぎない。それに、……正直に言えば公爵家にとっても、新たな領地は手に余るものであるんだ」
フェリックスからの疑問にあいまいながらも、ユーリシアは答えておく。いくら領地がもらえるとしても、それが王家から追放を言い渡された元貴族の領地だと二の足を踏むものだ。だが、あの舞台で断罪側に回ったセレスフォード家なら周りも一応納得するだろう。しかし、今新しい領地が増えることは公爵家にとってはあまり喜ばしいことではなかった。
「えっ、領地が増えるかもしれないのにですか?」
「……姉さんは学園を卒業したら、王妃教育に本腰を入れないとまずいだろうからね。そうなると、新しい領地の経営は正直こちらにとっては重荷になりかねないんですよ」
「おっ、お帰りエヴァン。折り合いはついたかな?」
「はい、ただいま戻りました。容赦なく新世界へ放り込んでくれたおかげで、色々考えさせられましたよ。えぇ、この人たち僕が十歳なのを忘れているんじゃないかと真剣に考えるほどに」
「あら、ごめんなさい。忘れてはいないのよ、意識をしていないだけで」
「忘れてはいないさ。これは姉としての純粋な期待の表れなだけだ」
ああ言えば、こう言う魔王と覇王。今回はさすがに嫌み込みでジト目で女傑たちを睨め付けた弟君。向かいに座る嫌みソムリエが、「これは良い嫌み合戦」とサムズアップで評価を下しているが、全員が当然無視をする。興奮しだした。
そんな息子だけが幸せになった空気を、エヴァンは咳ばらいをすることで無理やり霧散させる。弟君、慣れてきた。
「話を戻しますけど、学園を卒業すれば王妃教育のために姉さんは家に帰ってくるのがさらに難しくなりますからね。だけど僕はまだ社交界に出ることも、当主として立つことも厳しい年齢です。……こちらの事情をある程度わかっていると思いますから言いますけど、せめてあと数年は時間が欲しいんですよ」
覇王家の事情を知るルルリアは、エヴァンとユーリシアの会話からセレスフォード家が元エンバース領を統治する難しさがわかった。学園を卒業すれば、ユーリシアは王妃教育に本腰を入れることになる。そうなれば、現公爵家当主代理であるエヴァンの母が主に経営を行うことになるが、今だってほとんどをユーリシアに任せて嘆き悲しむばかりである。つまり、二人共彼女に期待していないのだ。そのため数年後にはエヴァンが社交界に出て、すぐに当主となる手順なのだろう。
姉の教育と彼女が育てた犬のおかげで、セレスフォード領を統治する力なら十代前半であってもエヴァンはやり遂げられるであろう。しかし、全く勝手が違う元エンバース領も含めると、さすがに重荷になってしまう。はっきり言って、もらえる時期が悪いのだ。ユーリシアにまだ余裕がある時期なら、エヴァンがもう少し成長をしていたら、領地を増やすことに問題はなかった。
治めるだけならなんとかできるだろうが、無理をしてでも欲しいものではない。ユーリシアにとって、元エンバース領はそういう認識だったのだ。
「それに、そこの領民がな。ぜひ心優しいと評判の元ルルリア・エンバースにと推す声もあるんだ」
「……勝手ね」
「かもな。ルゥは次期王妃である私の友人とされている。王家に不評をかって取り潰された貴族の領だ。領民にとっても住み心地はよくないだろうな。ならばせめて、適当な領主を宛がわれて後ろ指を指されるぐらいなら、元エンバース家の娘で慈悲深く聡明と有名な者なら、自分たちを見捨てないはずだと考えたのだろう。今では誰もがルゥ以外の元エンバース家の関係者に、怒りを向けているらしい」
ユーリシアからの言葉に、思わず失笑が漏れた。幼い頃のルルリアの世界は、エンバース領だけだった。彼女たちに学を教えた家庭教師もほとんどが領民であったし、先生につれられて見たエンバース領の町で聞いたルルリアの評判だって知っている。美しき両親と姉を褒め称え、次女で容姿の似ていなかったルルリアを好き勝手に噂していた彼ら。
本当に不義の子なんじゃないか。実はエンバース家の血が一滴もない娘なんじゃないのか。と笑いながら酒のつまみのように話をしていた。表向きは領が大変だからとして、姉の贅沢のために領民の税が上がった時も、事情を知らない人はルルリアに矛先を向けていた。表向きの顔で領民に涙を見せて謝る姉と、そんな大変だろう時にも役に立たない妹。
はっきり言って、エンバース領でのルルリアの評判はあの舞台まで最悪なものだっただろう。ルルリアが侯爵家に買われた時も、ようやくこの領の役に立ったかと言われていたのだから。親から表に出ることを禁じられていたため、何も知らない周りは面白おかしく噂していたことであろう。
情報屋としてシーヴァに師事を受けている間も、当然ルルリアはそんな領民の姿を見てきた。それを否定することや、諌めることを何もせず放置したのは、他人からの噂などどうでもよかったからだ。そんな風にこんなやつらどうでもいいと無視していたルルリアと、自分たちの鬱憤を噂でしか知らない次女に向けていた領民。その関係は、--エンバース家が没落して真実がわかるまで続いていたのだ。
「散々私を自分たちの捌け口にして、あの人たちを褒め称えていた人たちが、見事な手のひら返しね。踊らされすぎていて、笑うしかないわ。愚かさもここまでくると、可愛らしく感じてくるものね」
「彼らも必死なのさ。前領主であったエンバース家に見事に騙され、カレリアの演技に完全に踊らされていたんだ。その散々褒めていた相手がこの国に多大な不利益を及ぼしたんだから、自分たちの節穴を挽回したくて仕方がない。だからこその手のひら返しであり、今まで堕としていたルルリアをあげだしたんだ」
「そんな領をプレゼントにいかが? ってどちらかというと嫌がらせよね」
「あいつもそのあたりは悩んでいたが、過去はどうあれ、今はルルリアに協力的だからな。それに領地を持つことの意味は大きい。ルゥなら、その程度の些事など全く気にせず自分にとって得となる方を選ぶだろう?」
それにまったくもってその通りだったので、魔王様も「まぁ、いっか」と彼らについて軽く放り投げた。それにこれは、もしかしたら初めてエンバース家の所有していたものを、自分が奪うことになるんじゃないかと思い浮かぶ。ガーランド家へ行ってから手に入れたものは、ルルリア自身が手に入れたものだ。母や父を支持し、姉を敬っていた民と領。それらが全て魔王のものになる。それは、国外追放された彼らの耳にもいずれ届くだろう。
彼らを遠くから虐める材料としては、面白そうだ。しかし、そこまでやる気が起きないのは、もう興味がない人たちのために行動することがめんどくさいからである。はっきり言って、どっちでもいい。ルルリアがガーランド家の娘となり、そしてその繁栄に力を貸すことは決定事項だ。それを遅らせてまで、元領民たちのためにルルリアが動く必要性が感じられなかった。
領地の件はお父様の判断に任せよう、とルルリアは無感情に決断する。領民や領地とか、はっきりいって彼女にとってはどうでもいい存在だから。ガーランド家にとって得となるのなら受け入れるし、邪魔になるのなら適当な新しい領主にでも任せればいいだろう。
「まぁ、気楽に考えたらいい。クライスもルゥの意思に任せるみたいだからな」
「わかったわ。お父様に相談して、考えるだけしてみる。フェリックスもそれでいい?」
「俺も父さんに任せていいと思うけど。……よかったら、俺はその領地をもらいたいかな」
フェリックスが何気なく言った「欲しい」という言葉に、魔王と覇王は意外に思いながら視線を向けた。基本、現状に満足だと考えているフェリックスが、新しい領地に興味を持つとは確かに珍しかった。そんな二人の視線に気づいたのか、息子は何でもないような表情で笑って言った。
「ルルリアはさ、元エンバース家の領民や領地なんて正直どうでもいいって考えているよね?」
「……そうね、正直どうでもいいわ」
「ほら、俺って学園を卒業したら、父さんから領地経営を本格的に学ぶことになるだろ。でも、実際に俺自身が領地を経営するのはもっとずっと先だよね。ならさ、--そこを俺の領地経営の練習台に使わせてもらえたら、すごく有効的じゃないかなと思ったんだ」
まったく悪気のない穏やかな笑顔で、魔王様ですら一瞬空耳かと思ってしまった内容を言い切った息子。友人のために用意したものが、変態の成長チートの多大な糧になりそうな未来に、覇王様の視線がぼんやりと天井を向く。覇王弟は被虐で興奮していたはずの変態が、突然第二形態になって戦慄した。
「あとさ、学園以外でルルリアと俺に心から従う下僕づくりの訓練にもよさそうだと思わない? 自分の体裁のためならどこにでも尻尾を振れるようなどうしようもない駄犬を躾けるのも、主人の大切な役目だよね」
「……姉さん、この人は二重人格なんですか?」
「……ただのハイブリッドだ」
「ただの、の使い方が明らかにおかしいです」
にっこりと魔王様にお伺いを立てるフェリックスの横で、肩を寄せ合って思わず本音でささやき合う姉弟。そんな中、息子の大型下僕量産牧場の提案を聞いた魔王様は、胸の前で手を組んでうっとりと頬を赤らめた。
「あら、それ面白そうだわ!」
「……さすがは、トップブリーダーのご友人ですね」
「……それほどでもない」
「こっちに視線を合わせて言ってくださいよ」
息子もアレだが、魔王様も根本はアレである。領民皆犬化計画に夢が広がった。
「そうよね。私についていきたいっていうのは、彼らの方なんだもの。なら、私たち好みの領民にしてもいいってことよね。嫁いできた者として、ガーランド領の人たちは守るべき人たちだけど、彼らなら別にいいかしら。ふふっ、好きに領地経営ができるって案外楽しそうねっ!」
「うん、それに主人として下僕は大事にするものだしね。ルルリアも元エンバース家の領民だとやる気が出なくても、かわいい下僕たちのためなら経営にもやる気が出るだろう?」
「下僕はかわいがるものだものね。真綿で首を絞めるように多彩に一人、また一人と丁寧に堕として尊厳を踏みにじっていく…。やだ、久しぶりに胸がときめいてきちゃったじゃないっ……!」
頬を朱に染めて興奮する似たもの夫婦。権力と実行力を持った、実力のある変態ほど手に負えないものはなかった。
覇王様は友人の突き抜け具合にどうしてこうなった、と頭に手を当てる。領民の意識(性癖)改革が実行されれば、この国の変態率が上がる。すると、魔王様への忠誠心も上がる。同時に、魔王が友と慕っている覇王様への忠誠心も一緒に上がっていくことだろう。おかしいな、忠誠心ってなんだっけ。
フェリックスが侯爵閣下になる頃には、元エンバース領も物理的に落ち着いていることだろう。そうなったら、次は二人の子どもが後を継ぐこともできるはずである。しかし、魔王とハイブリッドの子って人という枠組みで大丈夫なのだろうか、と覇王様ちょっと失礼なことを考える。血筋に関しては、彼らは恐ろしいほどの効果を表す一族なのだから…。そこまで思考した覇王様は、深く考えることをやめた。
今回の件は、こちらのプレゼントに友人が喜んでくれたらいいかなー、という素敵なエピソードで終わるつもりだった。終わりたかった。普段から令嬢の仮面をつけて過ごしているルルリアが、堂々と魔王様として君臨してもいい領地づくりを実行する。間違いなくノリノリで。変態が増えることは、もはやこの国の定めなのか。うちのワンコだけは、絶対に癒しの常識人として守らなければ国がある意味で終わる。覇王様、決意を新たにした。
一方でエヴァンは、姉と同じように難しそうな表情をしながらも、楽しそうに領民を下僕にする計画を立てているルルリアをじっと見つめる。そして、考え込むように顎に手を当てた。
「ありがとうございます、セレスフォードさん。こんなにも有意義なお話ができてよかったです」
「はははっ、……それは何よりだ。そうそう、そうだった。領地の話もそうだが、当初の目的だったな。フェリックス・ガーランド。私から、ちょっーとお前にずっと言いたかったことがいろいろあってな?」
「えっ、俺に?」
「あぁ、私がなんとしてでも守るべきワンコのために」
--ちょっと別室で話でもしようや。覇王様、目が据わっていた。
ユーリシアはクイクイと、息子を人差し指を曲げて呼び出す。もはや完全に体育館裏への呼び出しのような雰囲気だ。その不穏すぎる空気に、「やだ、俺虐められちゃうの? 愛するドSがいるのに」と背徳感もプラスしてちょっとハァハァしてしまう息子。自由すぎた。
そんな中、友人から漂う本気の覇王オーラと、婚約者がそれに悶えている様子を無言で見つめた魔王様は、少しだけ思案した後に口を開いた。
「フェリックス」
「ん、何? ルルリア」
「ユーリのお説教やお仕置きで興奮したら、……私は今後一切あなたに何もしないから」
「…………何も、しない?」
「えぇ、何もしない」
「セレスフォードさんからどんな目にあわされようとも、あらゆる事象すらも賢者モードで受け止め、真面目にお説教とお仕置きをもらってきます」
普段はのほほんとしている息子の目がキリッ、と鋭くなる。その真剣な顔つきは、鷹のように精悍な目をしたナイスミドルをどこか彷彿とさせる。まるで戦場へ行くかのような気概を入れ、彼は心をゆっくりと落ち着かせる。すると徐々に、今の彼から漂い出す清涼なる空気。その姿は、まるできれいな水の湖面のような静けさを感じさせた。
何もしない。有言実行の彼女が何もしないと言ったら、本当に何もしなくなるだろう。思い出すのは、妻が亡くなったことで、何もされなくなったお父様の大暴走である。あの苦しみ嘆き続けた父を見続けてきたフェリックスにとって、ルルリアの言葉はあまりに急所すぎたのであった。
今から向かうは極上のドSの一人からの折檻。しかし、心を震わせてはならない。快感へ変換してはならない。悶えたり、興奮してはならない。魂にまで変態化した自分に無茶を告げる婚約者に、しかしフェリックスは折れない。これが愛の証となるのなら、喜んで賢者となろう。息子は脂汗のにじむ拳を強く握りしめ、覇王様の注意を真面目に受けに行くことを決意したのであった。
前に覇王様から教わったトラウマ握りの効果を、ちょっと試してみた魔王様。効果抜群な様子に、私も頑張れば恋愛できるじゃない、とちょっとご満悦だった。友人の役に立ち、婚約者の手綱取りもできるとは…。今まで恋愛を侮っていたとルルリアはちょっぴり反省し、婚約者に負けないように自分もレベルアップしていかなければと心に決めた。
そんな三者それぞれが突き抜けている中で一人、「今更だけど、僕は何でこんな人たちに囲まれているのかな…」と遠い目で紅茶を飲みながら、世界の広さを知る十歳児がいるのであった。
延長戦へ