後日談⑦ 息子の成長チートが止まらなかった結果
「ついにうちのワンコが、息子の影響で鞭の練習をしだした件について」
「……私の婚約者が申し訳ないわ」
「息子すげぇな。魔王を謝らせたよ…」
「くぅーん」
見た目は優雅にお茶をしているように見えるが、その目はどこか遠くを見ている覇王様。魔王はそんな珍しすぎる友達の憔悴した姿に、じっとりとした冷や汗が流れた。今まで唯我独尊のごとく、覇の道を歩んできたユーリシアの精神を的確に抉ってくる息子であった。
当然フェリックスにそんなつもりはなく、無自覚にやらかしているので人の心を操ってきた魔王様でも察知するのが大変なのだ。覇王ロードを歩む目的だけなら、息子は全く障害になることはない。しかし、自分の婚約者におかしな影響を与えるのは勘弁してほしかった。本人は天然ハイブリッドという、ドM変態に怪物と認められし存在。真の天災がここにいた。
シーヴァはいつも通り給仕役として、言われるでもなくテキパキと活動していく。そして、自分の主人の頭を抱える様子に視線を明後日に向けた。S気のある女傑な性格の主ではあるが、なんだかんだでユーリシアの感性はまだ常人寄りなのである。野生のドMが現れたら、魔王ならドS心のトキメキに従って下僕にするが、覇王なら「野生のドMってなんだ」と頬を引くつかせながら有益でない限り足蹴りして追っ払うだろう。
ユーリシアとルルリアは似た境遇や共感できる部分も多くあるが、それでも二人が歩んできた道はかなり異なる。貴族社会の中枢を幼少期から生きてきたユーリシアは、冷静に世間の基準や流れを見据えて行動してきた。さらにエヴァンやシーヴァという守るべき者と守ってくれた者がいたこともあり、そこまで極端な考えに偏る必要がなかったのだ。その点で言えば、彼女は恵まれていたのだろう。黒いが普通の感性を持つ弟が素直に姉と慕えるぐらいには、彼女の感性はまだ常人寄りになれたのだから。
一方でルルリアは、他者との接触がほとんどない暮らしをしてきた。実際に表立って世間に出られるようになれたのは、十五歳の売られた日からである。信頼できる者は誰もいない、自分の力だけで上り詰めなければならなかった幼少期を生きてきたルルリアは、なんでもポジティブに極端な方向に考えていかなければ、自分で自分を潰しかねなかった。常人と似た思考など笑止。彼女の魔王化はある意味で必然であったのだろう。
「王子に言ったらどうだ。その……息子のハイブリッド性癖」
「その、今はな…。クライスにとってフェリックスは心を許せる後輩だろう。息子のように蔑みを快感に昇華できるような変態ではないため、カレリアの件での罪悪感が残っている。同じ境遇を体験した者であり、同じく婚約者にアタックしている者同士。女の私に相談できないプライベートな話もしていると聞く。故に学生の内に本性をばらすと、息子の取り扱いに真剣に悩んで王としての教育に支障をきたすかもしれん」
「無駄に悩みそうね、王子様」
「あいつはお人好しだからな。仲良くしていた後輩が突如変態になったら、迷い犬のようにキュンキュン鳴いてしまうだろう。……いや、それはそれで愛らしいかもしれないか?」
「ご主人、あんまり後輩ワンコをいじめてやるなよー。俺の胃に優しい貴重な常識人枠なんだから」
全員が全員好き勝手に次期国王について語っていく。彼らの中ではもう尻尾の生えたワンコ王子で決定であった。ルルリアはケルベロスを抱き上げ、さっきまで学園の庭で遊んでいた彼の毛をブラシで整えておく。最近はケルベロスと王子のセットを見ると、兄弟のように見える幻覚まで見え出した。「ルゥもついに、その領域に来たか」と嬉しそうに友人に微笑まれたが、これは果たして喜んでいいのだろうか。ワンコの奥深さに、ルルリアはちょっと疲れた。
「こほんっ、話が脱線したな。少し戻すが、やはりフェリックス・ガーランドに私から一度、釘を刺すぐらいしてもいいかと思っている。彼はこちらの事情をわかっているし、次期侯爵家当主となるのならこれからも付き合いがあるだろうからな」
「フェリックスに? でも、学園だと私と一緒でも目立つわよ。それに、ユーリシアがわざわざ彼と話す理由はどうする気? セレスフォード公爵家とガーランド侯爵家との表向きの接触は、社交界で行う予定よね」
「あぁ、そうだ。私もそのつもりで、……そのつもりで、ガーランド家との接触を先延ばしにしていたというのに…。息子が覚醒してからの暴走が想定外で……」
「……私の婚約者が大変申し訳ないわ」
確かにこのまま息子を放置したら、ワンコ王子が別の方向に覚醒しかねない。そして裏方の覇王の犬も、息子関連にはめちゃくちゃ抵抗するぐらいに心底関わりたくない! と相棒に祈りを捧げるありさまである。いつもの覇王様なら特に気にせず蹴りを入れて、シーヴァを容赦なく放り込んで防波堤にするのだが、さすがに抑止力としては低いと言わざるを得ない。
フェリックスはシーヴァをライバル視しているところがある。なんだかんだでルルリアと一番長く付き合ってきたのはシーヴァであり、お互いに気心が知れているのだ。そんな様子が面白くない、と感じてしまう気持ちはわからないでもない。恋している女の子が親しくしている男性に、嫉妬してしまう感情。思春期の少年としてなら可愛らしいものである。しかし、防波堤の役割としては面倒事を生んでいた。
犬属性であるシーヴァの本質に勘付いているのかいないのか、最近は彼に対してドS方面がよく顔を見せるようになったのだ。シーヴァを宛がうと、フェリックスのお母様の血筋を順調に育ませてしまう悪循環に覇王様の頭痛が止まらない。しかし何かを防波堤にしないと、余計に面倒なことになってしまう。このままではルルリアによってM心を順調に育まれ、シーヴァや周りからの目によってS心がさらに花開いてしまうという始末。何この息子の成長チート環境。
故に、覇王様が自ら動くしか注意ができる人がいないのだ。特にクライスの婚約者であるユーリシアが直接言うことに効果がある……といいなぁーというレベルなのが悲しくなる。悲しくてもやるしかない。さすがに王子の方に息子と距離を置け、とはユーリシアも言いたくないのだ。なんせ理由が言えない。婚約者が変態化したら嫌だから、とか言ったらワンコが引きこもりかねない。姉で女の怖さを叩き込まれ、友人で性癖改変されかけていたとか悪夢だろう。
「そこでだ。ルゥ、よかったら息子と一緒にセレスフォード家に来ないか?」
「えっ、ユーリの家に? でも…」
「もちろん、本家ではないがな。領にある私が管理している場所にだ。息子に言いたいことがあるのも事実だが、もう一つ。……王家とセレスフォード家から元エンバース子爵家の娘と未来の侯爵閣下に聞いておきたいこともあってな。それを理由に話し合いの場を作ることは可能だろう」
「……ルルリア・ガーランドではなく、元ルルリア・エンバースにってことね。ということは、表側の理由かしら?」
「あぁ、クライスからも思案されてな。ただこれはルゥの意思とガーランド家の意向も必要なことだ。正式にはまた後日、ガーランド侯爵閣下に話をするつもりではある」
ユーリシアからの話に、ルルリアは入れられた紅茶を飲みながら思考を巡らせる。はっきり言って、ルルリア・エンバースには何も価値がない。何も持っていなかった、親に売られた哀れで無力な小娘でしかないのだ。何も持っていなかったからこそ、彼女はエンバース家の全てを王家に渡すことができた。それに未練すらも起きなかったのだ。
そんな元エンバース子爵家の娘に関係すること。さらにガーランド家にも関係がある。エンバース家とガーランド家は、ルルリア以外に接点が何もない。娘を物として与えた者と、代わりにお金を与えた者という関係でしかないのだ。さらに王家とユーリシアの家も関わっているということは、おそらくエンバース家の没落に関することだろう。そちらに関しては、ルルリアは彼ら三人をざまぁして以降、全く興味がなかったのでどうぞお好きにスタンスだった。
「これは、私とクライスからのわがままも入っている。エンバース家の裏を取ったことになっている私への功績として、王家からいただくことになっているものに関してだ」
「私自身は正直エンバース家のモノなんてどうでもいいんだけど、……そう簡単に決めるのは早い内容ってことね」
「そうだ。簡単に決めるには内容が内容であり、しかしそう難しい内容でもない。侯爵閣下の性格なら、判断基準にルゥが大きく関わるだろうからな。なので、表向きは友人として相談を持ちかけたという流れにしようと考えている」
友人としての思いから、ルルリアと未来のガーランド家の当主に相談を持ちかける。セレスフォード家も関わることなら、確かに彼女の領へ行く理由にもなるだろう。まさか王家や公爵家も、息子の性癖注意のダシにその理由を使われることになるとは夢にも思わなかったであろうが。世の中には、知らない方が幸せな真実というものがあるのであった。
「げっ、ご主人。まさかその集まり、俺も行かないといけないか……?」
「当然。……と言いたいところだが、お前と私の繋がりは伏せておきたい。お前が舞台に関与した関係者であることは知っているだろうが、私たちの背景は知らない。知る者は少ない方がいいだろう」
シーヴァは胃薬片手に、雄叫びをあげてガッツポーズをした。遊びと思ったケルベロスも隣で一緒に遠吠えをする。犬二匹は今日も元気であった。
「それに、……おそらくエヴァンが知ったら、ついて来そうだからな」
「それって、確か弟さん?」
「あぁ、あの子は私の友人となったルルリア・ガーランドに興味を持っていた。表立った特定の友人を私が持つのは初めてだからな。年齢より大人びてはいるが、年齢通り好奇心の強いところがある」
「ふーん、ユーリがいいなら私は特に気にしないわ」
ユーリシアが素で接している数少ない人物の一人が、彼女の弟であることを覇王伝手でルルリアは知っている。時々お茶会で、弟の黒い成長を嬉しそうに口元に笑みを浮かべながら話す友人を見てきた。彼を連れてくると言うことは、ルルリアと交流を持たせておこうという考えもあるのだろう。
「あの子には色々な人物と会い、経験を積ませてやりたいからな」
「へぇ、ユーリもお姉ちゃんなのね」
「あとは、……シーヴァの代わりに変態防波堤になってくれるのかも見極めたい」
「さすがはユーリ。可愛い弟も使うのなら使うスタンス、素敵よ」
「……後半が一番の本音じゃ。いや、俺に被害が来ねぇのならいいか。弟くん頑張れー」
覇王様、ハイブリッド変態への防波堤に純粋で黒い弟を巻き込む気満々だった。ルルリア・ガーランドへの彼の好奇心を満たすように表向きは誘い、裏で変態の相手をさせるつもりである。シーヴァは珍しく優しい笑みを浮かべながら、身代りになってくれた覇王弟の冥福を祈った。
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エヴァン・セレスフォードは、父親譲りの黒髪と母親譲りの碧眼を持つ十歳の少年だ。世間的にはセレスフォード公爵家の長男として、次期当主となるために日々勉強をしていた。姉であり、次期王妃となるだろうユーリシアと半分だけ血が繋がっている異母姉弟。五年前の五歳の時に、父が消え、母が壊れ、その原因となった姉が後見となった少年である。エヴァンにとって幸いだったのは、姉は決してエヴァンを虐げることはせず、むしろ全力で守ってきてくれたことだろう。
五年前までのことは、彼にとってもうろ覚えだ。しかし、父も母も優しかった記憶はある。そして、姉にはほとんど会わせてもらえなかったことも。ちゃんと姉と向き合うことができたのは、やはりあの全てが変わった日からだろう。幼い弟を見て、彼女にしては珍しく沈痛な表情を見せたことを覚えている。
ユーリシアを恨んでいるのか。これに関しては、エヴァンは答えを見つけられていない。覇王様も言っていたが、現在の環境もあり彼は年齢の割に大人びた思考を持つようになった。故に、自分の両親が姉にしてきた仕打ちを知って因果応報だと納得する思考もあれば、それでも自分に優しかった家族を壊した姉の仕打ちに整理のつかない心もあったのだ。
もしユーリシアがエヴァンを虐げていたのなら、母のように存在を無いものとして無視していたのなら、彼女を恨めた。理不尽に自分のものを奪った女だと、彼女の復讐の理由を例え理解できても、姉を恨んでその敵となる道を進めただろう。しかし、そうはなれなかった。突然両親がいなくなり、泣いていたエヴァンに誰よりも接し、そして厳しくも真っ直ぐに愛情を持って向き合ってくれたのは姉だけだったからだ。
エヴァンを手駒にするために優しくしているだけなら、彼も絆されることはなかっただろう。少し壊れてしまった母も、エヴァンを利用するつもりで姉は優しくしているだけなのだと何度も彼に言っていたのだから。だが、彼女はエヴァンの怒りを全て受け止めた。それが当然だと、肯定さえした。彼女からの償いの心と愛情を感じてしまったからこそ、エヴァンの昇華しきれない思いは迷子になってしまったのだ。
姉を恨んでいいのか、幸せを願っていいのか。エヴァンは、ユーリシアが好きだ。家族として、弟として、姉を尊敬している。しかし、ただ姉が幸せになっていく姿を応援するだけの自分で果たしていいのかと思う考えもあった。彼女が自分の幸せのために、理不尽にエヴァンの世界を壊したのは事実である。それを忘れて、母や父を過去にして自分は生きてしまっていいのか。
十歳の少年が悩むには非常に重い内容であるが、こればかりは自分で答えを見つけるしかないと思っていた。なんせ姉のことを姉に相談することはできないし、母は姉に怯えて錯乱するばかりだし、使用人は姉と母の関係に触らぬ覇王に祟りなしなスタンスだし、同年代など良い子ちゃんかレベルの低い悪餓鬼ばかりである。悩みの重さを理解してしまっているエヴァンは、さすがに誰かに相談することはできないと諦めていた。
そんな時に聞いたのだ。あの姉に、特定の友人ができたことを。彼女の覇王的な性格をエヴァンは知っていて、世間ではそれを公爵令嬢の仮面で覆っていることも知っていた。だから、彼女が派閥の関係者ではない、純粋な友達を認知したことに驚いたのだ。学園でもよく話をしており、姉が楽しそうにしている姿を知って。だからこそ、ルルリア・ガーランドに彼は興味を持った。
世間でのルルリアの評価は、慈悲深く健気な少女だと聞く。しかし、あの覇王と仲良くできる女性がそんな超天使的な存在だと? そんなことはありえない。絶対にありえない。だって、あの姉だ。覇王思考全開な女傑である。あの姉が友達と認め、そして仲良く友人関係を築ける女が、慈悲深くて健気なだけじゃないことは明白だろう。だって、あの姉の友人なのだからっ!
そんな思考と十歳の好奇心も含め、エヴァンはルルリア・ガーランドの存在にずっと興味があったのである。姉と仲が良いことから、姉の本性も知っているだろう。彼女の友人ということから、姉の味方であることは間違いないだろうが、初めて姉について語れるかもしれない第三者なのだ。悩みについて相談できるかはわからないが、何かきっかけの一つになれたらという気持ちが彼にはあった。
「そうだ、エヴァン。今度領の別邸で、ルルリア・ガーランドと次期侯爵殿と話をすることになったんだ」
「えっ、セレスフォード領で?」
「あぁ、ほら、前にクライスから相談があった例の件についてだ。それとプライベートな内容もあるからな」
そんなあくる日、エヴァンの前にどでかい釣り針がぶら下がった。姉がこうして自分に話すということは、遠まわしに誘われているのだろうと気づく。いずれガーランド侯爵家と関わるだろうと思っていたが、それは数年後の社交界でだと考えていた。それも周りに他人が多いため、本心で話をすることはできないだろう場で。だから、プライベートな空間で姉の友人と会えるかもしれないという餌は、なんとも魅力的に映った。
しかし、しかしだ。この姉だ。この姉なのである。愛情は感じるし、大切にされているのはわかるのだが、根本的なところがいじめっ子気質なのだ。エヴァンがルルリアに興味を持っていたことは知っているだろう。そんな彼女が、わざわざ弟のために誘ってくれた。……と、そんな甘い考えではこのセレスフォード家で生きていくことはできない。
これは、確実に何かある。この姉がわざわざ弟である自分をその場に連れていきたい、と考えるだけの何かが絶対にある。エヴァンはごくりっ、と唾を飲み込んだ。
「へぇー、そうなんだ。ねぇ、姉さん。僕も会ってみたいな、姉さんの友達に」
「ふふっ、そうだな。お前もいずれ社交界に出るんだ。侯爵家と今の内に繋がりを持っておくのは、悪くないことだろう」
「……何を企んでいるの、姉さん?」
「おや。お前が彼女に興味がありそうだったから、誘っただけだ。姉として、弟のお願いを叶えてあげようと思う純粋な気持ちさ」
本心か? いや、本心の一部ではあるのだろう。しかし、全てではない。エヴァンは思わずため息を吐きたくなった。結局のところ、彼女のフィッシュに釣られるか、釣られないかの二択しかないのだ。情報があまりになさすぎる。ルルリア・ガーランドと自分が会うことで、いったい何が起こるというのか。姉の狙いは何か。エヴァンの大人びた思考がフル回転するが、その答えは見つけられなかった。
さすがの覇王弟も、まさか尊敬する姉の狙いがルルリアではなく、その婚約者の変態性癖の防波堤に弟を宛がうつもりだったとは想像もできなかった。そこそこ黒いノーマル十歳児に対して、姉は本当に容赦がなかった。
「そっか、僕の為なんだ。ありがとう姉さん」
「あぁ、可愛い弟のためだ。当然だとも」
「はははははっ」
「ふふふふふっ」
この姉にして、この弟である。エヴァンの少々棒読みになってしまったお礼に、ユーリシアはそれはそれは美しい微笑みで返した。姉は尊敬しているし、家族として愛してはいるものの、このいじめっ子気質だけは本気でなんとかしてほしかった。
というか、一度でいいからこの姉をギャフンとさせたい。復讐とかそんな高いレベルではなく、ちょっと怒られるぐらいで済むような感じのレベルで。それぐらいの可愛らしい逆襲はしたいなー、と弟は笑顔で黒いことを考えた。
そして、数日後。様々な思惑が交差しながら、ガーランド家とセレスフォード家の邂逅は果たされる。そこで覇王弟は、変態がこの世にいることを知ったのであった。