後日談③ きょうのスタイリッシュワンコ 特集編
ルルリアやユーリシアが通う学園の教員として働いているシーヴァの朝は、それなりに早い。彼は寝癖のついた黒髪を適当に整えると、壁のフックに掛けていたものを手に持つ。シーヴァは、学園の教員以外に覇王様の情報屋にしてパシリの側面も持つ。そこに数ヶ月前からさらに魔王様も加わり、社畜根性全開で頑張っていた。
年下の女性に思いっきりパシられている現状だが、年上の尊厳やプライドぐらい、明後日に放り投げていないとやっていられない。見事に覇王にそのあたりを調教されているので、彼女たちに関して彼は潔く諦める道を選んだ。ちなみに溜まった鬱憤とかは、別のところで八つ当たりで解消しているので問題ない。弱い者いじめ上等。自分のストレス解消のためなら、モラルも投げ捨てられた。
「今日は牛にするかー」
手に持ったエプロンを慣れた手つきで装備すると、彼はいつも通り台所へ向かった。赤身の肉を取り出すと適度に切り、鍋に放って茹で、脂身をおとす。次にキャベツやもやしなどを洗い、包丁で細かめに切るとそれも別の鍋に放り込んで茹でる。
その間に調味料を作ろうとして、ズボンを引っ張られたことに気づき、視線を下に向けた。そこにはキラキラとした丸い瞳で、涎を垂らす居候。見事にズボンが涎で濡れている。この新しくできた居候は食いしん坊らしく、お腹がすくとこうしてシーヴァに催促をするのだ。彼の朝が早いのも、お腹がすいたら涎を垂らして無言で切なげに見つめてくる居候の視線と、それで一回ベッドが悲惨なことになった教訓からであった。
「くぅーん」
「あぁー、もうちょっと待て。お前用のはもうすぐ出来上がる」
「わんっ」
あの魔王の部下になっているだけあって、彼はそれなりに聞き分けがよかった。魔王の調教とシーヴァの躾のおかげで、室内では吠えないこと。物を壊さないこと。相手をちゃんと見極めること。チョロそうな相手には愛想を振り撒くこと。ムカつく相手には子犬としてのアドバンテージを使って追い詰めること、等々を教え込んでいる。純真無垢な子犬にあざとさを教え込む、ひどい主人たちであった。
それから、シーヴァは柔らかくなった野菜や肉を鍋から取り出し、煮た時にできた汁も少々添える。それを犬用の皿に盛りつけると、ぶるんぶるんと尻尾を振るケルベロスの前に水と一緒に置いた。
「……よし」
「ハグッ、ワッ、はむっ」
「食うのか返事するのかどっちかにしろよ」
合図を出したと同時に顔を餌に突っ込む子犬に、呆れながらも満更でもなさそうに彼は次に自分用の朝ごはんを作り出す。茹でて余った野菜と肉を取り出し、ネギ類を鍋に入れて油でいためてかき混ぜる。そこに一度茹でて水を切った野菜と続いて肉を放り込み、調味料で味付けをした。犬の餌などは余りものや粗末なものが当たり前であったが、面倒なので彼は料理して一度に出せるようにしていた。
ちょっと物足りない時もあるが、そこまでこだわりはないのでシーヴァの食事はだいたいケルベロスに合わせて作っている。犬と似たような食事を取ることを、特に気にしないところに彼の犬根性がちょっと垣間見えた。
「今日の予定は……。げッ、息子がいる授業の日じゃねぇか」
「くぅん?」
「いや、なんでもない。少し前までルゥとの関係で謂れのない絡み方をされただけだ。しかし、最近あいつの周りを見る目が魔王に似て嗜虐が見えてきた気が……。いや、まさかな」
ルルリアの本性を知ったフェリックスは、全てではないがある程度の裏は教えてもらっていた。自分が餌にされた事実に最初はへこんだようだが、すぐにルルリアの踏み台にされたことに興奮していたので問題はなかったらしい。それはそれで解決したが、彼の中でルルリアと親しげに見えたシーヴァに、ちょっとばかり面白くない感情は芽生えていた。
自分の婚約者が本性で接する、何かしら親しい異性の人物。彼女の性格と下僕牧場を考えるに、シーヴァも何かしらの性癖を持っているに違いないと思い、彼は宣戦布告をしたのだ。「ルルリアからのお仕置き希望者なら、俺と勝負をしろっ!」と。言われてすぐに胃薬をがぶ飲みした自分は決して間違っていない、とシーヴァは心の底から思った。
すでに魔王の下僕たちと性癖勝負をして勝利を収めているらしい彼に、犬だけど自分の性癖はノーマルだと信じているシーヴァは心底一緒にされたくなかった。話し合いでなんとか解決しようとした結果、何故か最終的には『胃薬フェチ』という謎の性癖を持っているということで納得して帰っていった。その後、性癖関係で普通に巻き込んでくるようになる。胃薬を飲むペースが上がった。
「俺、ご主人様が卒業したらすぐに教員をやめて、性癖の話が出てこない職場に行くんだ…」
「わん」
今なら相手がどれだけひどい性格でも、性癖がノーマルならなんだか受け入れられそうな気がする。おそらくユーリシアの卒業と同時に、次の裏方に回ることになるだろう。というか、絶対にそうなるように申請すると心に決めた。
あれから、クライスの躾をあのざまぁで完了させ、覇王ロードのための裏方の仕事も増えていた。ユーリシアの足場作りと、彼女と近い年代の者たちの情報は粗方集め終わっている。学園という一つの社会で作られている場所には、様々なコネや情報が揃えられていた。ご主人のために、教員として預かった個人情報も大変おいしくいただきました。まさに最低教員の典型だった。
彼女の障害になりそうだと判断した家には、気分転換もかねてノリノリでシーヴァは動いた。将来の布石として情報を集めるだけでなく、女性男性関係を拗れさせたり、偽りの情報で他家同士の関係を悪化させたり、決して自分は表には出ない様に年単位で仕込んでいったのだ。味方になり得そうな相手には、それとなく危機に陥らせて覇王に助けさせたり、彼女の派閥に所属している家と婚姻できるように誘導したりする。
ルルリアがシーヴァを見て真似たのは、相手に無意識に選ばせるその手法である。カレリアがざまぁまで妹の性格に気づくことなく踊ってくれたのは、彼女自身が目の前に提示された選択肢を、自分で選んで手に取っていると思っていたからだ。
自分の家庭教師を辞めさせたのも、学園に入りたいと希望したのも、ガーランド家の子息を誘惑しようと思ったのも、ルルリアを嵌めようとしたのも、全て自分で決めたこと。それ故に、実はその選んだ答えがあえて作られていたものだったと気づきにくい。手間は少々かかるが、第三者の介入を匂わせないように注意を払うことで、最終的には手間が少なくなるものだ。
正直に言えば、泥臭く地道な作業だが、シーヴァにとってはこれが一番性に合っていた。最後にはその積み重ねたものが、一気になだれ込んでいく様も爽快である。真面目にコツコツ積み重ねる俺、超頑張り屋、とそんな斜め上な思考回路を持つ青年であった。
「……さてと、それじゃあ今日も頑張りますかね」
「きゃん!」
「おう、ついでにお前もいつも通り周りを誑し込んでおけよ。お前といると、いい人に見えるのか連中の口が軽くなるから助かる。令嬢辺りは、狙い目だからな。悩みを持っていそうな相手だったら、一人の時に可愛らしく犬が慰めにくればイチコロだ。お家事情だと更においしい。もし出来たら、飯をさらに豪勢にしてやろう」
「わんっ、わわんっ!」
ご飯報酬に、普通に下種の片棒担がせる最低主人である。今週が終われば、生徒は帰省する者が多いのでそれまでは頑張ろう。嬉しそうに跳ね回るケルベロスと、権力で押し付けられた飼い主は、なんだかんだで上手くやっているのであった。
******
「あれ、ルルリア。何を難しそうな顔で書いているんだ?」
「あら、お父様の領地講義は終わったの。今日は早かったのね」
「うん、今日は午後に用事があるみたいだったから早めに」
「そう…。私はちょっと手紙の内容を考えていただけよ」
「手紙?」
そうして今週が終わり、久しぶりに家に帰った彼らはまったりとした日常を送っていた。フェリックスはガーランド家の書庫でルルリアを見つけ、何気なく声をかける。大体のことはあっさり決める彼女が、珍しく眉を寄せていたことが気になったのだ。ルルリアも予定より早く講義が終わったらしい息子に驚いたが、特に問題はないので素っ気なく返事をした。
ルルリアは今までの境遇もあり、他者との関わりが薄い。それを知っていたため、フェリックスは思わず声が出てしまった。順当に考えればユーリシアに送る手紙かと思ったが、それならこんなにも悩んでいないだろうし、学園でいつでも会える。重要な案件だったら、わざわざ自分に教えないだろう。しかし、他に彼女が手紙を書くような人物が思い浮かばなかった。
「ちなみに誰に?」
「……先生よ」
フェリックスの頭の中に、胃薬の大切さをものすごい勢いで語っていた教員が思い浮かんだ。
「……へぇー。自分は胃薬が似合う女の子以外興味がないみたいなこと言っていたのに、へぇー。ちゃっかり文通していたんだ。侯爵家の権力使って、胃薬買い占めてやろうかな」
「何しょうもないことに、権力を使おうとしているのよ。でも、その胃薬買い占め案は面白そうだから、最終兵器にとっておきなさい。あと私が言った先生は、昔家庭教師をしてくれていた先生のことだから」
「えっ、家庭教師?」
実に清々しいドSスマイルをお互いに披露していたが、ルルリアの説明を聞いてきょとんと彼は目を瞬かせた。ちょっと話を聞きかじった程度だが、幼少期のルルリアにとって唯一の味方だった人物がいたことを思い出す。彼女に外の世界を教え、娘のようにかわいがってくれた親子がいると。
彼女は復讐を選んだが、もしかしたら全てを投げ出してその親子について行った可能性もあった。ルルリアがざまぁの執念を捨てなかったからこそ、今こうして自分と一緒にいる。リリックの性癖を満足させ、そしてガーランド家を再び貴族社会に復帰させることができたのは、紛れもなくルルリアのおかげであった。
その親子に対して少々複雑な思いはあるが、それでもその親子がいなければ彼女はここにいなかったかもしれない。そう考えれば、その先生親子はガーランド家にとっても恩人であった。
「そっか。ルルリアの恩師なら、内容に悩むのも当然か。エンバース家をざまぁして、追放できたことを伝えるの?」
「……いいえ。エンバース家の没落のことはどうせ伝わるから、それについて書いて、私は元気に過ごしているから心配しなくていいって書くだけよ」
「書くだけって、それだけ?」
恩師への手紙だというのに、あまりの内容の薄さに驚く。彼女が十年間、エンバース家ざまぁのために執念を燃やしてきて、それがついに念願かなったのだ。ルルリアの味方をしたその先生親子だって、彼女が幸せになれたのなら喜んでくれるだろう。そう思ったのだが、彼女の複雑そうな表情に彼は口を噤んだ。
「……先生は、私がこんな性格なことを知らないから。私が作り上げた世間の評判通りに思っている。家族に復讐することを虎視眈々と狙っていたなんて、彼らは思ってもいないわ」
彼らは表側のルルリアの味方だった。ガーランド家に引き取られた時も、彼女は自分の裏側を見せることはしなかった。そして今も、それを続けている。
ルルリアは、彼らの純粋な善意を利用していた。リリックのような相互関係もなく、シーヴァのような協力の示しもなく、ユーリシアのような同盟を組んだ訳でもない。それでも彼らは、何も持っていなかった幼い少女を助けてくれた。見返りなんて考えず、自分にできる精一杯で支えてくれたのだ。
ざまぁのために、彼女はとにかく突き進んできた。自分の欲望と爽快感のために、どんなものでも利用してきた。自分の性格は最悪だと、ルルリアは自覚している。エンバース家に一切罪悪感なんてないし、この道を選んだことに後悔もない。どれだけやり直しても、あの通りに歴史が動くのなら何度だって同じ選択をするだろう。
そんな彼女だが、彼らにだけは言い知れぬ胸の痛みを感じ続けていた。
「どんなに言い繕っても、私は彼らを騙した。善意を利用して、無意識にエンバース家を没落させる布石を作らせたのだから」
「……本当のことを言ったら、幻滅されそう?」
「幻滅されるのなら、その方がいいのよ。彼らには、私を責めるだけの正当な理由がある。それが当然だもの。……でもあの人たちは、きっとそうしない」
彼らとの関係は、ルルリアにとってエンバース家の次に長いのだ。だからこそ、彼らの性格をよく知っている。ルルリアの真実を告げても、彼らは受け入れてくれる可能性が高い。それならよかったじゃないか、と自分たちが騙されていたことを許容し、ルルリアを許して笑顔を向けてくれるかもしれないのだ。
だけどそれは、彼らのためになど何一つもならない。彼らは真剣に、ルルリアに向き合ってくれた。その誠実さが騙されたものだったと知って、嬉しいと思う者がいるだろうか。傷つかない者がいるだろうか。告げなくてもいい真実など、告げなくていい。偽りの自分だが、それを知らない彼らにとってはそれが真実の姿なのだから。
「あなただって、最初は私に騙されていたことを知って、へこんでいたでしょう?」
「うっ…、まぁうん。だけどそれだと、ルルリアはずっと彼らに本当のことを告げないのか。恩師なんだろ?」
「……恩師だからこそよ。彼らは哀れな少女を助けた、慈悲深い人。それでいいのよ。彼らが気づかない限り、それが真実。私は自分のために嘘を告げたんだから、それを最後まで貫き通すわ」
それに寂しさや虚しさがあることを、ルルリアは理解していた。胸の内をこうして外に吐き出してしまっているのも、もやもやとした気持ちに整理をつけたかった部分もある。いつか彼らと会った時に、リリックとフェリックスにはルルリアの仮面につきあってもらう必要があるかもしれない。そういった打算も含めて、彼女は話をしていた。
一番の懸念は彼であったため、釘を刺す意味も込めてルルリアは目を光らす様に見据える。それにフェリックスはときめきに胸がドキドキしたが、真面目な話だったと思い出し、恍惚になりそうだった顔を引き締めて頷いた。蔑まされることはバッチコーイだが、嫌われたくはないので、任せろと胸を張る。彼も大概打算まみれであった。
「……そうだ、俺もその人たちに手紙を書いていい? 世間でのルルリア視点だと没落とか重い内容になりそうだけど、俺の視点での内容を混ぜれば相手への説得力や安心感も増すと思うんだ」
「えっ、何を書くのよ」
「ルルリアは俺が幸せにしますとか、俺も幸せにされていますとか」
「後半はちょっと待ち……、いえ前半も待ちなさい」
それから、あーでもない、こーでもない、と書庫で二人で話し合って決めていった。呆れたり頭痛を起こすような思いであったが、ルルリアの表情は先ほどよりもどこか生き生きとしている。それにフェリックスは、こっちの方が彼女らしいと小さく笑みがこぼれた。
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「ユーリシア、その…、贈り物を用意したんだが受け取ってくれないか」
「クライス様、なんだか私ばかりがいただいているようで申し訳ないわ」
そう言って、ユーリシアがちょっと憂いを帯びた表情をすると、必死に隠しているが彼の尻尾があわあわと右往左往しているような感じに見えた。ざまぁ後に彼女との仲を進展させようと、ヘタレなりに頑張っていることは当然知っている。そこをあえてつついてみるのが、大変楽しく愛いやつめと覇王様は思っていた。
月に一度ほどルルリアがガーランド家に帰省しているように、ユーリシアたちも実家に戻っている。そして王宮の一室で、紅茶と菓子を手に何気ない会話を楽しんでいた。今日のワンコは、以前の蝋燭のようにプレゼントで気を引こうと思ったのであろう。
王子故に英才教育は受けているが、良くも悪くも彼の恋愛観は普通寄りだ。一般の女性が喜びそうな方法をまずは思いつく。ユーリシアという婚約者しかそこまで関わりを持っていなかった彼は、他よりも女性経験が浅い。そのあたりを彼は必死に取り繕っているが、先輩胃薬ワンコの情報で筒抜けである。それに少々弄りはするが、笑うつもりはなかった。
「なので、今度は私からクライス様に何か贈り物をしますね。これでおあいこです」
「あっ、本当か。いやっ、無理をする必要はないからな。これは私が勝手にやっていることだ」
「私はこうして、あなたから贈り物をいただけていることに温かい気持ちを感じています。だからクライス様も、私と同じように思っていただけたらと感じたのです」
「そうか。確かに一方的なやり取りでは、気に病んでしまうものだからな。なら、いつでも受け取ろう」
シーヴァ曰く、家にいる居候がご飯をもらえた時と同じような感じに尻尾が見えたらしい。
「あぁ、それで今回の贈り物だが、色々実用性を考えて選んでみたんだ」
「まぁ、わざわざありがとうございます」
それほど物欲はない方だが、ユーリシアのためを思って選んでくれただけで、彼女にとっては微笑ましく感じる。そんな自分に単純だと思う思考もあるが、感謝の言葉は自然と口に出ていた。彼女は口調や態度は令嬢モードだが、感情はそれなりに素の自分で接するようにしていた。
ちなみに友人から本性は出さないのか、と聞かれたことはあったが、そこは急がず焦らずである。ユーリシアは自分の性格が結構ひどいと思っている。魔王の婚約者のように、特殊な性癖は彼にはない。なのでじっくりじわじわ調教しながら無自覚に慣れさせていき、しっかり婚約から結婚まで突き抜けられたら、その後押し倒せばいいと考えていた。完全に肉食であった。
それからいそいそと手渡された贈り物に、彼女は目を細める。クライスからも許可をもらい、包まれていた包装を丁寧に解くと、そこから大変立派な武器が出てきたのであった。
「いや、ちょっと待とう」
「ユーリシア?」
「な、なんでもな……くはないのですが、少しお待ちを」
思わず段階すっ飛ばして素が出そうになるぐらい、覇王様本気で焦った。こんな戦慄は、あの友人の婚約者の覚醒以来である。あの蝋燭でもそれなりに表情が引き攣りそうにはなったが、なんとか耐えられた。しかし、これはまずい。自分が知らないところで、微妙にうちのワンコが変な方向に突っ走っているような気がした。
「その、……何故鞭なのですか?」
「私も最初は疑問に思ったが、護身用のものらしい。その、ガーランド家のご令嬢と君は親しいだろう? 彼女も婚約者から護身用にもらって喜んでいたと聞いて、それなら仲の良い二人のためにお揃いにしようと思ったんだ。女性は友人とペアだと嬉しいと聞いたからな」
顔を少し赤らめながら自信あり気に告げる彼に、女性経験少量がここで響くとは思わなかったと覇王様はちょっぴり後悔した。これは自分はわからないけど、女性なら嬉しいのかもしれない思考で決行したとわかった。確かに女性は不思議な感性で喜ぶことはあるが、あれは友人が特殊なだけだ。そう思ったが、ルルリアは世間では淑女の見本とされる女性である。頭を抱えたくなった。
「護身用というのはどこの筋から」
「ん? フェリックスから、女性へのプレゼントの話をしていた時に。そういえば、護身用とは言っていなかった気が……違うのか?」
困惑したように尻尾が揺れるクライスに、やっぱりガーランド家の息子かっ! とユーリシアは遠い目になった。間違いなく、彼の性癖をクライスは気づいていない。普段は先輩後輩として気さくな付き合いをしている二人に、彼女は微笑ましく思っていた。息子も父親と同じく、学園では隠れて悶える派のようなので安心していたのだ。
しかし思えば、息子は自然体でやらかす時もあった。次期国王に明らかに変な知識を、たぶん無自覚に吹き込んでいる。信用できる友を得られた喜びを奪いたくはない。しかし、これ放置したら国がやばくならないかとも思った。
ルルリアに息子の暴走のストッパーを頼もう、と彼女は心から決意する。魔王を任せられるのは変態しかいない思考から、ナチュラルに変態の危険性の方がなんかやばいとユーリシアは感じたのであった。
「もしかして、この贈り物は君を困らせてしまっているか?」
『もしかして、こんな風に会いに来ることは君を困らせてしまっているか?』
どこか不安が滲むクライスの問いかけの声を聴き、彼女はゆっくりと息を吐くと花が綻ぶように笑った。幼少期の頃に聞いた彼の言葉と似ていたことに、ふと懐かしい気分になる。母を亡くし、もう自分一人しかいないと思っていた日々。公爵家のために王子に取り入れ、と父親に命令されて彼と幼馴染になった。
最初は憎んでいる男からの命令ということもあり、当たり障りのない対応しかしなかった。邪険にはせず、しかし踏み込ませず。公爵家の、あの男の事情に他者を巻き込みたくなかったのだ。そうして距離を保っていたが、母が亡くなってから彼は心配そうにユーリシアに声をかけることが増えた。
それに内心関わらないで欲しいと感じていたが、表に出さず彼女は丁寧に対応をしてきた。そんな日々が続いていたが、クライスはユーリシアに今のような質問をしたのだ。自分の行いは迷惑だろうかと。それに彼女は、初めて言葉を詰まらせる。彼は本当に、ただ自分のことを心配してくれているだけだと改めて実感したからだ。
誰にも必要とされていない自分を、心配してくれる人がいる。その時の彼にとっては、きっと身近な女の子だからという理由だろう。それでも彼女にとっては、それだけのことが嬉しかった。そうだ、彼が声をかけてくれていたことに自分は確かに嬉しいと感じていたとわかった。
そして、気づいたのだ。あの男の影を気にしすぎている己に。反抗しようと足掻いても、結局囚われているだけの自分自身に。なんであの男を中心に考えて、私が行動しなければならない。自らの感情を抑えなければならないのだと思った。自覚するとだんだん溜めてきた鬱憤が表に現れ、そして「よし、蹴落とそう」と見事に爆発したのだ。
その日から、吹っ切れたユーリシアは唯我独尊に進むことを決めたのであった。
「そんなことはありません。クライス様からの気持ちを、私は嬉しいと感じています」
あの時と同じ返答をしたユーリシアは、仕方がなさそうに笑いながらもらった贈り物を大切にしまった。中身が鞭なことに思考が少々とんだが、贈り物をもらえたことは素直に感謝している。きっとかなり悩んで選んだことだろう。今手に持っている物を叩き返すのと、彼の安心したような笑みを見られるかなら、後者を選べるぐらいには、彼女の彼に対する許容範囲は深かった。
とりあえず、女性の感性を彼に勉強させて、無自覚性癖の嵐に巻き込ませない様にしようと彼女は決意する。シーヴァあたりを変態の防波堤にすれば、多少抑えられるだろう。国のためにもなる。クライスはシーヴァを尊敬しているようなので、恩師として招き入れても問題ないと覇王様は考えた。彼の次の仕事が、容赦なく決まった瞬間であった。
「クライス様、よろしければ今度の休みに外出しませんか。お買いものでもしましょう」
「えっ……、私とユーリシアとで?」
「はい、お忍びで護衛は当然つけますがいかがですか」
「もちろん、行こう」
効果音がつきそうなぐらい尻尾を振り回しているであろうワンコの姿に、覇王様はほっこりした。女性への感性は、買い物などで培わせていこう。あと彼への贈り物は、首につける感じがやっぱりいいだろうか。そんな想像を膨らませながら、彼らもほのぼのとした日常を過ごしていくのであった。