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スタイリッシュざまぁ  作者: Aska
本編
12/22

第十二話 勝ち取った未来へ




「あぁ、もう最高! 最後のあの人たちの顔、きっと一生忘れられないわぁ」

「……おかげで、こっちは色々大変だったけどな」

「あなた正直、ご飯を食べていただけじゃない」

「うるせぇよ。俺の相棒が力を発揮するためには、必要な行動だったんだよ! ……ユーリも、久々にノリノリだったしなぁ」


 悠々と高笑いする魔王様を眺めながら、シーヴァは大きくため息を吐いた。自分の主人と協力者による名場面(茶番劇)を、心の中でツッコみまくりながら胃薬一箱分を飲んでいたら、魔王様による止めの仕上げである。自分の胃に止めを刺されるかと思った。


 あの後、ルルリアの本性を知ったカレリアは、目の前にいた妹に掴みかかろうとしたのだ。溢れんばかりの憎しみを止められず、感情のままに動いてしまった彼女は当然取り押さえられた。それに「きゃぁーー」と裏を知っている人間からすれば、腕を擦りたくなるような可愛らしい悲鳴をあげる魔王。怯えて震えるところまで、抜かりはなかった。


 ルルリアの本性を知らない周りからすれば、自棄になって妹を害そうとした姉である。散々酷い目にあわせてきたにも関わらず、それなのに自分たちの助命を願い出た健気な少女に牙をむく女。それを止めることなく、呆然とただ座り込むだけの両親。取り押さえた側も、周りも容赦をする理由がなかった。


 言葉にならない叫び声をあげ続けるカレリアとその両親は、そのまま警護の兵に連れて行かれ、ルルリアから強制的に引き離された。その時、姉の青い瞳と、妹の栗色の瞳が一瞬交わる。ルルリアの優越を浮かべる瞳は次第に色を無くしていき、彼らを見つめるその目は、最後には無感情な路頭の石を眺める様に変わっていった。


「さようなら、……私の過去」


 言葉を無くす姉を見据えながら、彼女は静かに視線を外した。それがルルリアと、その家族との最後の別れとなった。



「ありがとうございますね、シーヴァ先生。パーティーの騒ぎの収束のために、わざわざ傷心中の私を別室に連れてきてくださって」

「その口調、マジでやめてくれ…。まぁ、ご主人様は忙しいし、あのおっさんは色々報告もあったみたいだし、お前の婚約者はな・ぜ・か気絶中だったしな。教員で面識があり、ルゥの味方をしただろう俺なら、問題ないって感じかねー」


 あとは、覇王様からの指示も含まれているけどな…、とシーヴァはルルリアを横目で見ながら、ガシガシと頭を掻いた。自分の主人が心配していることは、わかっているつもりだ。そして、おそらく自分が一番の適任者であることも。


 ユーリシアもリリックも適任者として不可能ではないだろうが、彼らがルルリアに出会ったのは、ざまぁ準備の後期と言ってもいい。ルルリアがまだ力を持っておらず、彼女の本性も目的も知りながら、ずっと彼女の成長を見守ってきたのはシーヴァしかいなかった。


 十年――言葉にすれば簡単だが、そこに費やされ続けてきた思いは、言葉では言い表すことができない年月だろう。ルルリアはそんな長い年月を、たった一つの目標を成し遂げるために費やしてきたのだ。そしてそれは、今日という日についに完遂された。それは間違いなく、嬉しいことだろう。幸せなことだろう。


 しかしそれは言い換えれば、ずっと目標にし続けてきた柱が、唐突になくなってしまうこととも同意だった。真っ直ぐなまでの一途さは、それだけ危うい危険性があることなのだ。たった一本の柱だからこそ、頑張っている間に折れることは早々ない。それが折れてしまったら、その人物は全てを失ってしまうからだ。


 そしてその現象は、たった一つしかない柱を完遂してしまった時も同様だった。



「しかし、本当にあれでよかったのか? 十分過ぎるほどに復讐はできたと思うが、……あいつらはルゥのことをずっと恨み続けると思うぞ。今までのことに罪悪感も、お前への謝罪もなく」

「別にどうでもいいわ。私は彼らに罪の意識を感じてほしかった訳でも、謝罪をしてほしかった訳でもない。謝られたって、私の今までが変わる訳でもない。必要ないわ」


 最後に見た彼らの目は、絶望とそして自分への憎しみに溢れていた。今までのことを反省して、頭を垂れる彼らを考えたことはあったが、きっと虚しいだけだと思ってしまったのだ。


 許しを請う相手を、許さずに贖罪をさせ続ける。それは確かに面白そうだろう。優越感を得られるだろう。だけど、そんなものはいつか終わりを迎えてしまう。受けた傷というのは、無意識の内に風化していってしまうものだ。断罪を言っていた周りだって、そろそろ許してあげたらと声をあげてくるだろう。


 それでいつか許してあげて、これからを仲良く一緒に笑っていきましょう? 冗談でしょう、と思った。ルルリアはもうとっくに彼らを見限っているのだ。自分のこれからの人生に、もう関わりなんて欲しくないほどに。彼らに興味なんて一切なかった。


 それなら、謝罪も贖罪もいらない。ずっと自分が彼らを恨み続けていたように、同じ苦しみを永遠に味わい続けてほしい。届かない復讐相手に絶望し続け、人生がめちゃくちゃになればいい。忘れたくても忘れられない、そんな風に相手だけが自分を思い続けるなんて、そっちの方が楽で素敵だ。


「……だから私が今後の彼らに望むことなんて、一つだけよ。私は彼らにやったことを、やってきたことを一切後悔なんてしない。だから彼らも、私に今までやってきたことを、やったことを後悔するな。それだけよ」

「……性格悪いなぁ」

「あら、私らしいでしょう?」


 最後にカレリアがやらかしてくれたおかげで、国外に追放してもルルリアに被害がいかないように公爵家や王家が守ってくれることとなった。クライス殿下が謝罪の意味も込めて、ルルリアにそう告げたのだ。彼らの手はこれから先、ずっとルルリアに届くことはできなくなった。


 ルルリアの楽しそうな笑みに、呆れながらもシーヴァは納得した。そして、彼女が本当にエンバース家に対して、もう興味も関心もなくなったことを確認する。ルルリアは、過去に囚われてはいない。そこは少し、安心した。


 ならば、自分がするべきことは一つだけだ。過去を切り捨てる手伝いは必要ないのなら、未来に向かって目標を立てられるように踏ん切りをちゃんとつけさせる。


 ご主人様の大切な友人のために頑張る俺、やっぱり健気だなー。と、健気とは程遠いような思考回路の青年は、肩を小さく竦めた。




「ルゥはさ、これからどうするかとかは決めているのか」

「えっ? ……そんなの、これから考えるわよ」

「そうだろうけどさ。……よーし、わかった。せっかくだから、君の先生としてちょっと先人の知恵を教えてやろう」

「いきなり何よ」


 突然のシーヴァの飄々とした態度に、ルルリアはきょとんと目を瞬かせた。まぁ、聞いてみろ、と青年は相変わらず読み取り辛い笑みを浮かべながら、続きを口にした。


「これはまぁ、ある人の体験談なんだがな。むかーしむかしあるところに、とても立派な家柄のお家がありました。しかしそこに住んでいた当主の男は、表はいい人ぶって、裏では酷いことをする悪役の典型みたいなやつでした。女も好き勝手やっていたから、表で認知されていない子どももいるかもしれないな」

「……それで?」

「そんな男のところに、政略結婚で嫁いだ女性がやってきました。その人は男の本性に気づきなんとかしようとしたが、どうすることもできずに泣いてばかりいました。そんな時、自分にその男との間に子どもができたことを知ります。そして産まれたのは、なんと可愛らしい女の子でした」


 その少女は、母を愛し、父を憎み続けた。子どもの自分では母を守ることも、父の本性を周りに伝えることもできず、何もできない己に悔しさを滲ませ続けた。産まれたのが女児であったことに父は落胆し、蔑み、ストレスの捌け口のようにされたのだ。


 そしてついに、その母は身体を壊し、残される娘を心配しながらもこの世を去った。少女にとって、絶対的な味方が消え、周りは父の人形ばかりの敵だらけとなった。そして最悪は、さらにその少女に降り注ぐ。


「何と今度は、母が死んで数ヶ月も経たない内に、別の女が母のいた場所に現れた。表向きには、色んな理由をつけてな。その女性をその父親は愛し、そして娘が邪魔になってきた。その女も、自分の子どもをその家の跡継ぎにしたくて、その少女を疎ましく思っていた。……この後は、だいたいわかるだろう?」

「えぇ、そうね…」


 まるで物語のように語っているが、現実にあったことだと考えれば、身震いを起こすものだろう。そしてなんとなく、その少女が誰なのかが薄々気が付いてくる。もしそうなら、シーヴァがこれを話すことに、彼女は許可を出しているということだ。何故、こんな話を今話すのかはわからないが、相槌をうっておいた。


 一方でシーヴァは、自分の主とのやり取りを思い出す。今回の舞台のために、彼女はエンバース家を調べていた。そのため一方的にではあるが、ルルリアの過去を知ってしまったのだ。だが、それでは不公平だろう? と妙なところで律義な性格の主の言葉に、青年は小さく笑った。


 その少女の幼少期は、本当に悲惨なものだっただろう。父に蔑まれ、新しい母から疎まれ、時には命を狙われたかもしれない。大好きな母を奪い、大きな力を振りかざす男を、少女は見続けていた。


「そんな境遇で過ごしていた少女はついに――見事なまでにキレました」

「うん、よく我慢した方だと思うわ」

「色々端折るが、少女はそりゃあもう遠慮容赦なく行動した。自分の目的をやり遂げるために、あらゆるところから味方づくりをしたんだ。父に恨みを持つ人間を片っ端から仲間にしてな。もともと能力はあったんだろうけど、すごかったよ」


 まるでそれを近くでずっと見て来たような言い方に、ルルリアは黒髪の青年を見つめる。己の友人と同じ髪と瞳を持つ、年齢不詳の男。前に一度なんとなく聞いたことがあったが、彼は自分の主に恋愛感情は一切ないと腹を抱えながら話していた。


 こんなにも捻くれた自由人を、いったいどうやって仲間にしたのかは、ずっと気になってはいた。自分の友人は、王子にすら見せていない本性を、この青年には当たり前のように見せている。恩があるから従っている、という青年との間には、それ以上の何かがあるのは確実だとは考えていた。


 彼女は自分の愛称は一つしかないと言っていた。その愛称を口にするのは、自分ともう一人だけ。彼女が彼を信頼しているように思えたのは、彼が彼女を裏切るように思えなかったのは、そういう何かが見えたからなのかもしれない。


「ちょっと話が脱線しすぎたな。まぁ、最後は見事に少女は目的を果たしてみせた。家を没落させることなく、世間からも全てを隠し、その男を椅子から蹴り落としたんだ。母親なんて、今ではその少女の顔色を伺いながらビクビクして過ごしているらしい」

「えーと、おめでとう?」

「あぁ、そうだな。その少女も大喜びしたさ。ずっと願い続けてきた、目標にし続けてきたことを、成し遂げられたんだからな」


 ここまで聞けば、この青年の話が今のルルリアによく似ていることがわかる。経緯も結果も違うが、ずっと目標にし続けてきたことを成し遂げてみせたのだ。そしてその少女がルルリアの想像通りの人なら、少女は過去を乗り越え、眩しいぐらいの新たな野望を持って未来を歩いている。


 彼女が強い訳だ、とルルリアは心の中で納得した。そして目標のために考えないようにしてきた不安が、少し小さくなったように感じる。そっか、ちゃんとここから歩くことができるんだ。自分もあんな風に、未来に向かってまた突き進める可能性があるのだ。


 ずっと歪んだ笑みしか浮かべられなかった少女に、今初めて純粋な笑みが浮かんだ。



「そん時の少女は、新たな自分として歩くためにあることをして……今までの自分から完全に踏ん切りをつけたんだ。経験談を聞いた限りでは、かなり効果はあると思うぞ」

「……何をしたの?」


 ルルリアは、自分ではもう吹っ切れていると思っている。今までの分を取り戻せるように、幸せになろうという気持ちだってある。自分の評価も、家柄も、友人関係も、何もかも手にしている。それでも、言い知れぬ不安は確かにあったのだ。


「ふふふ、気になるだろう。その方法はな、目的に向かっている間は無理でも、終わった後ならちゃんとできるだろうっていう、とっておきの――ッ痛てェッ! ここで蹴るかッ!?」

「さっさと言いなさい」

「俺、先生で年上なんだが……、まぁ、うん。――泣けばいいんだよ」

「はっ?」


 シーヴァの言葉を、一瞬理解できなかった。



「泣くんだよ、思いっきり心からな。別に悲しくなくてもいい。嬉し泣きでもいい。今までの愚痴を言いながらでもいい。とにかく過去なんて糞くらえッ! っていうぐらいに泣いてやるんだ」


 泣く。そんな行為で本当に踏ん切りをつけられるのか、と半信半疑だったが、ルルリアは気づく。自分が思いっきり泣いたのは、果たしていつだっただろうかと。


 嘘泣きなら、何回もしたことがある。だけど心から涙を流したのは、もうずっと遠い記憶の中だ。思い出すのは、全て一人ぼっちの部屋。冷たい食事を一人で食べた、六歳の頃の涙。そして――誰も自分を心配してくれない、必要とされていないのだと理解した七歳のあの時。それ以降、彼女が流した涙に意味などなかった。


 六歳の頃は、ただ辛くて悲しくて泣いた。だけど、どうして七歳のあの時は泣いてしまったのだろう。もう両親に何も期待していなかったはずなのに。姉を貶めると決めたはずなのに。信じるものなど、何もなかったはずなのに。それでも、確かにあの時、ルルリアは心から泣いた。


「……泣いてすっきりするって、完全に子どもじゃない」

「かもなー、確かにかっこはつかない。だけど、……今ぐらいかっこつけなくてもいいだろ。お前、頑張っていたし。俺から見たら、ルゥもユーリも子どもと変わらないさ」


 あっ、待て。今のセリフはご主人様には絶対に言うなよ! と勝手に自爆しているシーヴァを見て、呆れながらも笑ってしまった。そしてふと気がつくと、だんだんぼやけかけてきた視界に、さらに噴きだしてしまう。


「わざわざそんなことを言うために、シィは付き添ってくれたの?」

「ん? 主人からの命令もあるし、ルゥが目標をなくしてしまったことで自暴自棄になって、大魔王降臨で災厄を振りまかれても困るからな。覇王様VS魔王様なんて、俺の胃を殺しにくるような事態になったら、俺は本気で病院のお世話に――って、だからなんで蹴るんだよッ!?」

「あなた、絶対女にモテないわね」


 実際ルルリアが心配だからとか言われたら、気持ち悪いと一蹴していただろうが。実にシーヴァらしい、保身一番の行動だった。



「もういいわ。……とりあえず、ちょっと背中貸しなさい」

「……はいはい、わかりましたよ。魔王陛下のお心のまま――グホォッ!!」

「さっきから聞いていたら、誰が魔王様よ。人を人外みたいに言わないでくれる」


 やっぱりこいつ、空気が読めないわー、と思いながら、ルルリアはその背中に身体をゆっくりと倒す。……すっきりできたら、まずは先生やその息子さんに手紙でも書いてみよう、とルルリアは静かに目を伏せた。


 すでに裏では、『魔王様』でシーヴァや下僕含めてほぼ全員に定着していることを、彼女だけが知らなかった。




******




「ユーリ、どうしたらいいのかしら……」

「う、うむ。そうだな……」


 そして大舞台から数日経った、あくる日の優雅な午後の時。二人の女性が、木陰の一角で仲良さげに話をしていた。彼女たちのテーブルの上には、紅茶やお菓子といった色とりどりの品が用意され、ティータイムを楽しんでいるように見えるだろう。


 しかし、その女性二人の本性を知っている給仕役(シーヴァ)にとっては、巡りめくる陰謀策謀織りなすカオスの会議場と同等なので、一切気が抜けなかった。準備段階で胃薬、本番でも胃薬、反省会でも胃薬。『身体は胃薬で出来ている』を地でいく青年だが、今回は珍しい光景が広がっていた。


 狼狽える魔王様と、難しい顔で悩む覇王様という非常に稀な場面に、シーヴァはこんな二人が見られる日が来るとは、とちょっと感動していた。



「……確かに、私が原因なのはわかるわ。弁解もできないぐらいに。だけど、今まで一切そんな片鱗なんてなかったのよ。それがこんなことになるだなんて…」

「う、うむ…」


 覇王様、さっきからそれしか言っていない。本気でどうするべきか戸惑うユーリシアと、疲れたように頭を抱えるルルリア。天変地異の前触れか、と失礼なことを堂々と考えるシーヴァ。本当に珍しく平和だった。


 ルルリアはあれから、表も裏も元気に過ごしていた。名前も正式に『ルルリア・ガーランド』を名乗るようになり、社交界にもユーリシアの友人として顔を見せるようになったのだ。


 まだ新しい目標を立てることはできていないが、じっくり探していこうとポジティブには考えている。これから何をしよう、と想像を膨らませることに苦痛は感じない。なら、ゆっくりでいっか。と、ルルリアは微笑んだ。


 そんな勝者の余裕に溢れていたルルリアに、まさかの問題が浮上する。その問題はある意味で、というか完全に彼女の自業自得であり、自分の目的のために好き勝手やってきた彼女への、当然の報いだったのかもしれなかった。


「まさか…、覚醒するだなんて……」

「う、うむ。私もあそこまで突き抜けてしまった者を、諦めさせる案はすぐには…」

「血筋って怖いよな…」


 ぼそっと言ったシーヴァの言葉に、まさにその通りだとルルリアは項垂れた。エンバース家が性悪の血筋だったのなら、ガーランド家は変態の血筋である。はっきり言おう。彼女は血の恐ろしさを見くびっていた。


「だって彼、普通の男の子だったじゃない。片鱗なんて、どこにもなかったじゃないの。それが、ビンタ一発でって」

「お前、あの殺人拳をビンタなんて、よく可愛らしく言えるな」


 ぶっ飛ばされた。相変わらず、一言多いやつだ。と、ご主人様は呆れた。



 あの日、ルルリアがざまぁを決めた日から数日後のこと。彼女はリリックとその息子の下を訪れた。内容は婚約破棄の件と、それから養子縁組のことを話すつもりであった。ドSスマイルを見られてから、どこかよそよそしい婚約者に、ルルリアはもともとの関係に戻そうと思ったのだ。


 浮気の件で罪悪感もあるだろうし、何より顔を腫れあがらせるビンタをぶちかます女の婚約者など、彼もごめんだろう。そう思い、ルルリアはリリックに婚約破棄を伝えに行ったのだ。周りには傷心中だと思わせ、賛成意見を増やせるように誘導してきた。あとは、当主の決定だけ。


 そんな流れを作っていたルルリアに待ったをかけたのは、まさかの人物だった。それがルルリアが悩む人物、というより婚約の当人であった。伝えに行ったルルリアに、「婚約破棄なんてしないッ!」と今までのよそよそしさはどうしたのか、と言いたくなるぐらいの強い意志をみせたのだ。

 

 お互いのためだとか、実は傷心中でとか、いくら理由をつけても、嫌だの一点張り。別に罪悪感や、責任は必要ない、と割とバッサリ切っても折れない。訳が分からず、ルルリアは直接彼に事情を聞いたのだ。そして、後悔した。



『昔から俺は、ルルリアと一緒にいて、何か物足りないような気持ちをずっと持っていたんだ』

『それでしたら、やはり――』

『だけど、それがなんとなくわかったんだ。この物足りなさがなんだったのかがっ! 君の、君のあの時の笑顔が、どうしても俺は忘れられないんだァッーー!』


 屋敷に響き渡った声。ルルリアの頬が盛大に引きつった。リリックは息子の覚醒の予兆に、クワッと目を見開いた。


『この気持ちがなんなのか、わからなかったんだけど……すごくドキドキしたんだ。病気なのかと思ったんだけど、収まらなくて。ルルリアを見ていると、あの笑顔で笑ってほしいとか、もう一回叩いてほしいとか……。俺、おかしいのかなって思っていたんだ』


 よそよそしかった原因発覚。覚醒段階前期。


『そんな風に戸惑っていたら、婚約破棄の話になって。そう思ったら、すごく嫌な気持ちになったんだ。それで気づいたんだ。俺は……ルルリアが好きなんだって。そして、あの笑顔が好きだ。君からもらった痛みが好きだ。そう、自覚ができたんだ』


 婚約破棄で気持ち発覚。覚醒段階後期。


『そ、それはきっと錯覚――』

『息子よ、今日は父と一緒に風呂に入らないか。親子として、男として、大事な話をしよう。ルルリアよ、後で私をお仕置きしてくれていいから、今の話はもう少し待っていてくれ』


 当主説得失敗。むしろ覚醒促しフラグが乱立した。そして一晩を経て、覚醒終了。ちなみにおっさんは、今現在も放置されている。


 結論から言ってしまうと、蛙の子はやっぱり蛙だった。以上。



「えっと、私としては浮気したのは事実なんだし、ちょっと痛い目にあわせちゃってもいいよね? ぐらいの感じだったんだけど…」

「周囲の非難の目にも負けず、婚約破棄を断固拒否したんだってな。……そんなにしつこいなら、遠慮せず本性を見せて、手に負えないところをわからせれば――」

「とっくに、見せたわ」

「…………」

「見せたのに、さらに喜んでしまって…」


 ユーリシアはこめかみに手を当てる。ルルリアは過去の自分の軽率な行動が、一人の純粋な少年を完全覚醒させてしまったことを知る。ガーランド家の婚約は、両者が必要ないと判断したら白紙に戻すようになっていた。つまり、ルルリアと婚約者の彼が合意した上で取り消せるのだ。


 傷心を理由に周りを煽ろうかと思ったが、彼の思いは固く、逆に彼の決意を応援する者まで現れそうだったため取りやめた。なにその執念。


「もういっそ、結婚したらどうだ。根本の原因はルゥだし、考えたけどこれ、誰も不幸にならないよな」

「侯爵家の次期当主であり、性癖のおかげで浮気の心配もなく、君を一途に思っている。そしてルゥが本性で接しても、まったく問題のない男。……これだけ揃うと、完璧な優良物件だな」

「……お父様の高笑いが聞こえるわ」


 もしガーランド家で養子になった場合、リリックにはとある懸念があった。それは万が一、ルルリアが結婚することになった場合、その相手の家によっては嫁いでしまう可能性があったことである。


 しかしこのまま自分の息子とゴールインすれば、娘はずっと家にいるじゃん、とホクホク顔だった。『煩悩』という言葉は、このおっさんのためにあるのだろう。そういった思惑があるから、二人の婚約が未だに解消されていないのだ。


 そしてルルリアが、自分の息子を本気で拒絶していないこともわかっていたからだ。彼女自身もこのことに気づき、頭を悩ませる原因となった。確かにルルリアは、彼に対して嫌悪はない。浮気の件は、あの殺人拳(ビンタ)で流したため、もう気にしていないのだ。切り替えの早さを、こんな場面で発揮しなくても……と自分の性格に頭痛がした。


 そして彼女自身は気づいていないが、ルルリアは自分に向けられる素直な好意を、本気で拒絶することができない。愛情をもらおうと努力をし、それが叶わなかった過去がある彼女には、本気で向けられているとわかる愛情を、理由もなく振り払う行為ができなかったのだ。



「一般的な感じの、普通の恋愛ができるとは自分でも思っていなかったけど、これって、いいの……?」

「う、うむ、そうだな。ルゥの気持ちの問題ではないかな。性癖から始まる恋と言うのも、……たぶんきっと、おそらく、あると……信じようか」


 ここまで完璧に目が泳いでいる主人を見たのは、初めてのシーヴァであった。そして心の中で、魔王様と覇王様をここまで戦慄させた婚約者くんすげぇー、と拍手を送った。



 ――こうして、ルルリアが『親子丼ドM乗せ』を経験することになってしまうのかは彼女にもわからないが、それでも自分が勝ち取った未来をポジティブに歩いていくのであった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] めでたいっ! 一応婚約解消の道もちゃんと用意してたけど、どうするのかなー、 解消したらいつか嫁に行くことになるだろうし、ストレス解消出来ない猫被り人生になるのでは?と勝手に心配していました…
[良い点] よかったですね!(ほがらかなえがお) お父様嬉しいだろうなぁ…自分の悩みや苦しみや苦悩を息子がわかってくれたんだものね…!!そりゃもう絶対的離さないわけだわこりゃ(笑)。 たぶんこうなるん…
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