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スタイリッシュざまぁ  作者: Aska
本編
11/22

第十一話 スタイリッシュざまぁ




 華やかなパーティー会場で、巻き起こった大舞台。一人の健気な少女の思いが奇跡を呼び起こし、すれ違っていた親子の絆を甦らせる。それにより、女王様の偽りで固められていた仮面が剥がれ落ちた。こいつらやりたい放題しているなー、と人のことを言える神経では全くない先生も、いそいそとデザートに手を付けだす。そんな舞台(表)に、漆黒を纏いし一人の女性が姿を現した。


 そこにいたのは、誰もが目を奪われる存在感を放つ人物。優雅に歩み出る女性の名は――ユーリシア・セレスフォード。またの名を、覇王様。髪と同じ黒き瞳が、真っ直ぐにカレリアを射抜く。彼女の登場によって、ざわめきが瞬く間に周囲へと広がっていった。



 ……そんな緊迫した雰囲気の中、ガーランド家では普通に家族会話が行われていた。


「本当にすまなかった。俺は君に、どう詫びればいいのか…」

「……いいのです。姉ではなく、私を選んでくれただけで嬉しかったから。それに、お父様との仲が直ってよかったって思うもの」

「ルルリア」


 優しく微笑む己の婚約者の言葉に、今までの己を少年は恥じた。彼女はこんなにも自分に尽くしてくれていたのに、それを心のどこかで物足りないと感じていた自分自身に。いったい何が不満だったんだ、と唇を噛み締めた。


 晴れることのない胸中と、後悔を滲ませる赤髪の少年。そんな息子の様子に、リリックは仕方がなさそうに笑いながら声をかけた。


「ルルリアはお前を責めていない。これ以上の謝罪は、彼女を困らせるだけだ」

「父さん、だけど…」

「だが、お前の気持ちもわかるつもりだ。このまま、ただルルリアに許されるのでは、自分が納得できないのだろう?」


 自身の心の迷いを的確に当てる父の姿に、そんなにわかりやすいだろうか、と気恥ずかしさが起きる。しかし、実際にそのことで悩んでいるのは事実。さっきの暴露以上の恥などもうない。なので息子は意を決して、父に教えを乞うた。


「えっと、どうしたらいいかな」

「……お前自身が納得できないというのなら、男なりのけじめをつけてきたらいい。間違いを犯した私に、妻はいつもお仕置きをして正してくれた。その時の痛みは、例えどれだけの長い年月が経とうと、風化することなどない」


 当時の愛する妻による折檻の記憶を呼び起こしているのか、おっさんの脳内はパッションピンクに溢れていた。だが表情はナイスミドルなため、息子は真剣な顔で父の言葉に何度も頷く。この父から、よくこんな息子ができたなー、と人類の神秘にルルリアは感心した。


 物理的な痛みと、精神的な痛みは違うものだろう。それは本人もわかっていたが、今までルルリアを傷つけてきた心の痛みを、自分が知ることはできないのだ。同じ痛みを共有することはできない。しかし、その痛みを知ろうとすることは決して間違いではないはずだ。


 愚かな己を許してくれたルルリアだが、それだって我慢してくれているだけなのかもしれない。被害者である彼女に、そんな思いをずっと抱え込ませるなんてさせたくない。そんな真実を知っている側からすると、『それただの魔王だよ』と言いたくなるようなフィルター全開の婚約者。教えてくれるような善人は、どこにもいなかった。


 故に、自分とルルリアのために、少年は決意(自爆)をしてしまった。



「……頼む、ルルリア。君の感じた痛みを少しでも知りたいんだ。だからどうか、遠慮なく……俺を叩いてくれッ!」

「そんな、あなたを叩くだなんて…」

「無茶なことを頼んでいるのはわかっている。だけど、俺はこのままただ君に許される訳にはいかない。君の痛みを少しでも知らなくちゃならないんだ。だから手加減なく、俺の頬を叩いてくれ!」


 真剣な表情で、ルルリアに己の罰を求める決断をした。これで自分の罪が許されるとは思っていないが、それでもこの痛みをきっかけにしたい。さぁ、来い! と意気込む目の前の少年に、これどうするのよ、とそうさせた原因をルルリアは睨んだ。興奮させてしまった。


 しかし、さすがに娘の機嫌を下げたくないので、父はサムズアップして、ガンガンいこうぜ! のサインを出した。容赦がない。もう本人が望んでいるし、保護者公認だからいいか。そんな感じで、ルルリアも深く考えるのをやめて、利き手をゆっくりと開閉しだした。


 この少年は十分に役割を果たしてくれた。しかし、ルルリアよりも姉を選んでいたことには変わりはないのだ。顔か、やっぱり顔なのか。と、イラッときたのも事実。それはそれ。これはこれである。


 だからルルリアも、この一発で今までの気持ちは流して、お互いに綺麗さっぱりなかったことにしようと考えた。罪悪感? 何それおいしいの?


「本当に、手加減なくでいいのですか?」

「あぁ、気が済まないのなら何発でも…」

「いえ、一発で十分です」

「……そうか。優しいな、ルルリアは」

「はい、一撃で決めますから」


 ビンタ一発で済ませてくれる婚約者の温情に涙が出そうになる相手と、言葉通り一撃で再起不能へご案内できるとやばいオーラを放つ相手。かみ合っているようで、全くかみ合っていない会話が繰り広げられた。


 ギュッと目を瞑り、衝撃に備える婚約者を前に、ルルリアは深く息を吐き、身体から力を一瞬抜く。そして脇をしっかりと締め、目標地点をロックオンした。腕の角度の調節と、手首の捻り具合、さらに周りの舞台を壊さない程度に衝撃音を殺す最大スピードをはかる。


 覇王様の登場で周りの目が彼女に向いていたため、ガーランド家の奇行に気づいた観客は誰もいなかった。覇王vs女王の修羅場の横で、ゴウォッ! と一瞬豪風のような音が鳴ったことにも。


 なので、ルルリアの清々しいまでのドSな笑顔を見られたのは、羨ましそうに眺める侯爵様。それと周りの空気を読まずに飯を食っていた所為で、運悪く一部始終を目撃してしまい、胃を抑え出した青年。



「――あれ?」


 そして、なかなか来ない衝撃に思わず目を開けてしまった、哀れな被害者だけだった。




******




 流れるような逆転劇をみせた第一幕が終わり、そして色々酷い幕間を挿み、ついに第二幕の開演が始まった。幕が上がったと同時に姿を現した女性は、本来この場にいるはずのない人物。それに驚きと疑問を浮かべていた観客たちは、次に歓喜を表し、会場全体を包み込んだ。


 そしてカレリアは、自分の言葉をかき消した女性の登場に、それを呆然と眺めてしまっていた。態勢を立て直そうと、この場から逃げ出そうとしていたところを、完璧に回り込まれていた。ものすごいアウェー感とプラスして、未だに信じられない気持ちが、現実を認識することを拒むように彼女の動きを止めた。


 そんなカレリアよりも先に復活したのは、クライスだった。彼はユーリシアに気づくとカレリアから離れ、考えるよりも早く、真っ先に駆け寄っていった。ちょっと放し飼いにしても、ちゃんと自分の下に返って来ると豪語していた、飼い主の言っていた通りの行動であった。


「ユーリシア! 本当に、君なのか……!」

「はい、クライス様。そして、申し訳ありませんでした。貴方の婚約者という身でありながら、このような大切な日に遅れてしまって」

「君が謝る必要はない。それよりも、怪我は…」

「大丈夫ですよ」


 ユーリシアの傍にたどり着くと、冷静であろうと努めているようだが、彼の忙しない様子が感じられる。無意識に手を握ったり、慌てて離して怪我を心配する言葉を紡ぐ彼にもし尻尾があったら、ぶんぶん振り回していたかもしれない。


 そんな王子様は、覇王様にぴしゃりと言われて、ちょっと尻尾がしゅんとなる。本人はおそらく無意識なのだろうが、完全に飼いならされていた。


 一方で、ご主人様、やっぱり公爵家のお姫様モードかー。と、久しぶりに聞いた主人の令嬢口調と、無自覚ワンコの触れ合いに、家来歴の長い自覚ある先輩は、相棒片手に遠い目をしながら生暖かく見ていた。



「しかし、意識不明だったのだろう。まだ横になっていた方が」

「ありがとうございます。しかし、貴方を守る……このような時に眠ってなどいられません」

「私を……守る?」

「えぇ、そうです」


 己の婚約者の言葉に、クライスは戸惑いを強く浮かべた。階段から突き落とされたかもしれないユーリシアを守るのなら理解できるが、何故ここで自分が出てくるのか。病み上がりの身体に鞭を打ってまでして、この場に現れた彼女を疑う訳ではないが、状況が理解できなかった。


 ユーリシアは、眉を寄せるクライスに続きを話すことはなかった。次に彼女が視線を向けたのは、先ほどまで自分の可愛い犬(婚約者)が戯れていた(カレリア)。彼女の脳内も割と酷い。そんな滲み出る覇王オーラの直撃に、意識を取り戻した姉の頬が思わず引きつった。


 ユーリシアは、クライスがカレリアに尻尾を振ったことに、怒りを感じることはなかった。おいしい餌があったら、思わず飛びついてしまうのは仕方がないことだろう。まだまだこちらの方が、『待て』の躾ができていなかっただけのこと。彼女の脳内は本当に酷かった。


 ルルリアによって偽りの仮面をはがされ、精神的に追い詰められたカレリアに、もはや余裕などない。ユーリシアがこの場に来たことも予想外だったが、このまま知らぬ存ぜぬを決めて、彼女の回復を祝福する言葉を投げかけるべきだろうかと考える。


 ユーリシアがカレリアに強い視線を向けるのは、きっと自分が彼女の代役に選ばれたことに嫉妬をしているか、自分の容姿に対抗意識を感じたからではないかと思った。クライスを取り合う憎き相手同士。良い感情を持たれているとは、考えづらい。


 しかし、彼女と表で直接的には会ったことがないため、初対面にも等しいはず。先ほどまでの様子を見られていたのだろうが、彼女をなんとか味方にできないかと、カレリアは悪あがきを選んだ。


「ま、まぁ、セレスフォードさん! 無事でよか――」

「そうでしょう、カレリア・エンバース。この国の皇太子を唆し、自分の妹の婚約者を寝取ろうとし、そして……私を階段から突き落とした黒幕よっ!」


 覇王様、にべもなかった。


「あっ、えっ、待ッ! ち、違いま――」

「そんなっ! お姉様が殿下の婚約者であり、公爵令嬢でもある次期王妃と名高いユーリシア・セレスフォード様を、階段から突き落して重傷を負わせた黒幕ですってッ!?」


 再び舞台に帰ってきた魔王様、絶好調だった。



 ルルリアのとても丁寧な状況説明の叫びに、会場にいた全ての人間が、急展開に愕然とした。ユーリシアを突き落した犯人は、未だに特定されていない。先ほどまで話題となっていた内容が、今度はその当事者によって再び開示された。


 ルルリア・エンバースがその犯人であると、状況証拠で糾弾したカレリアとエンバース家。逆に糾弾をした探偵役であるカレリアこそが、真の犯人だったと告げる当事者のユーリシア。どちらの言葉を信じるかなど、問うまでもなかった。カレリアに対する不信感が広がっていた会場で、女王を庇う者はいない。


「……どういうことなんだ、ユーリシア。カレリアが、君を突き落した?」


 理解が追いつかない真実に、クライスは唇を震わせる。今まで自分が見てきたカレリアが、本当の彼女ではないことを知った。それに彼は、失望はしたが、責めるつもりはなかった。彼女に幻想を抱いていたのは自分自身であり、それを自業自得とはいえ、彼女一人に罪を被らせるのは違うとわかっていたからだ。


 これまでのような関係にはもうなれないが、彼女に助けられてきたのは事実。だから仮面の剥がれたカレリアを、彼は王子の名を持ってこの場から逃がしてあげようと考えていた。事態を大きくしてしまった要因は、彼女を連れてきた自分にもある。世間からの非難は、甘んじて受けるべきだ。それが今までの彼女へのお礼であり、これからの決別のために選んだクライスの選択だった。


 そんな淡い美しい過去すら塗りつぶす、クライスの思いを根本から崩す真実が、今明かされた。彼の中にあったカレリア・エンバースは粉々に砕け散り、おぞましいまでの不気味さだけを生み出していた。


「――違います! 私は、彼女を突き落してなどいません! 第一、セレスフォードさんが学園にいた時、私は寮にいて、多くの人に目撃されているわ。そんな私がどうやって、貴女を突き落したというの!?」

「えぇ、その通り。貴女が私を直接突き落とした訳ではないわ」

「ほらっ! 公爵令嬢である貴女がそんな嘘を――」

「だから私は、『私を突き落した黒幕』と呼んだのよ、カレリア・エンバース。その美貌と家柄を使い、裏の女王として学園を支配し、多くの生徒を利用して使い潰し、絶望を振りまいてきた貴女にね」


 目の前の相手を睨みつけ、激昂を飛ばすカレリア。それとは対象的に、落ち着きを払い、冷静な態度を崩さないユーリシア。更に暴かれていく事実が、じっとりと汗をにじませる。煮えたぎる思考とは違った冷静さは、カレリアの中にもあった。……このままではまずいことも、彼女は理解していたのだ。


 今のカレリアの声は、誰の耳にも届かない。一方的にユーリシアの声だけが、響き渡る現状。そんなこの状態を、彼女はよく知っていた。幼い頃から、誰よりも知っていたのだ。姉と妹という今の立場とは逆転した状況を、自分は何度も作り上げてきたのだから。


 故に、その恐ろしさを知っている。どれだけルルリアが必死に伝えようとしても、それをあっさりと切り捨てる周りを見てきた過去を。そしてそれに、高笑いをしてきた自分自身を。そんな自分が笑い続けてきた立場に己がなるなど、考えてもいなかったのだ。


 どれだけの経験をしても、相手の気持ちを考えたことがなかったカレリアは、ルルリアの立場になって初めて恐怖心を覚えた。いや、ようやく思い出した。幼かったカレリアが、ルルリアに感じていたはずの気持ち。いつしか忘れてしまっていた現実。自分の立場が変わってしまうかもしれない。そんな可能性があったことを、カレリアは気づいたのだ。


 しかし、彼女がそれに気づくのは――あまりにも遅かった。



「……クライス様が、貴女に惹かれていたのを私は薄々気づいていました。貴女を見る彼の視線に、私も心穏やかだったかと問われれば、……肯定の言葉を自信を持って言うことはできないわ」

「ユーリシア…」


 言葉を失ったカレリアを見つめながら、ユーリシアは切なげに口を開く。そんな彼女の様子に、クライスは目を見開いた。次期王妃になる覚悟を持ち、常に前を向き続け、自分のことを引っ張ってくれていた強い女性。彼女が自分に弱さを見せることはなく、いつも己の情けない姿ばかりを見られていた。


 彼女に劣等感を抱いていたことは否定しない。皇太子という立場を自分は持っているが、表に出さない不安はいつもあった。こんな自分を、強い彼女は本当に愛してくれるのか。自分が王子でなかったら、見向きもされなかったのではないのか。そんな思いが、静かに彼の中で沈殿していた。


 その表に出せない気持ちを認めてくれたのが、カレリアだったのだ。強い彼女とは違う、弱さを持った女性。厳しく律する彼女とは逆に、カレリアはよく感情を見せてくれた。自分が守らなくてはいけない、と思ってしまったぐらいに。


 カレリアに向けていた気持ちを、優秀な彼女なら気づいていたかもしれないとわかっていた。それでも何も言われないことに、やはり自分は愛されていなかったのだろうか、と鬱々とした思いもあったのだ。


 だが、今ユーリシアが言った言葉は、そんな彼の暗い気持ちを晴れさせた。切なげに、悲しげに語る彼女の姿に。初めて見た彼女の弱さに、クライスは見惚れた。


「私は、可愛い性格じゃなかったから。彼の隣に立つ者として恥じないように、自分や周り、そしてクライス様にも厳しいことばかりを言ってしまった。そんな私が、彼に愛される訳がないって思っていたわ」


 我慢し続け、ずっと隠されてきた婚約者の思い。彼女の厳しさは、己のためを思ってでもあるとわかっていたこと。そんなことはない! と叫びたくなったクライスは気づいてしまった。


 結局自分たちは、お互いに愛されていないと思ってしまっていただけなのだ。自分を愛してくれているのか、とユーリシアに聞けなかった弱い自分と同じように、彼女も聞けなかっただけ。


 そう思い至ると同時に、彼の頬に朱が走る。幼馴染以上の感情は元々持っていたが、そこから先に踏み込む勇気がなかった。それが彼女の気持ちがわかっただけで、単純すぎるほどに意識してしまったのであった。



 不器用というか、これただのヘタレじゃね、という半眼の魔王様に、そこが愛らしいんじゃないか、と覇王様は目を細める。尻尾をぶんぶん振っていそうな、王子様の幻覚が消えない。おそらく、これから先も消えないだろう。


「だから、クライス様が望むのなら……彼女を側妃として認めようと思ったのです。私にはできないことを彼女にできるのなら、貴方を支える力になってくれるというのならと」

「……私は、そこまで君に決意をさせてしまっていたのか」

「私が、勝手にやったことです。彼女を取り立てるために何ができるだろうか、と私は彼女のことを調べました。……ですが、その行動がカレリア・エンバースの真実に、たどり着くきっかけになってしまった」


 表では淑女として通い、子爵家の令嬢として名高い、美貌の女性。しかしその裏では、多くの男をその美貌と演技で魅了し、自分の手足にしていたのだ。子爵家より低い家柄の者を取り巻きにし、時には脅し、女王の手駒としてきた。


 中には学園を退学まで追い込まれ、家を潰されそうになった者までいたのだ。ユーリシアはなんとかその家族を助けることには成功したが、カレリアの暴挙に拳を握りしめた。このような人物がこの国の側妃になれば、どうなってしまうのか。クライスを傷つけたくないがために相談することもできず、彼女は一人で戦う決意をしてしまった。


 そうして行動を開始したユーリシアだったが、学生の身分ではできることは限られていた。少しずつ証拠を集めてきたが、それをカレリア側に察知されてしまったのだろう。クライスを手に入れようとしていたカレリアにとって、更に自身の悪事を露見させようとした彼女は邪魔者以外の何ものでもない。


 そうして、ついにカレリアは計画を実行に移したのだ。



「クライス様の妃となり、この国を裏から牛耳る……そのための基盤を学園で彼女は作っていたのでしょう。だから、王子の婚約者であり、そして真実に気づいてしまった私は彼女にとって、都合の悪い人間だった。それ故に――カレリアは、私を亡き者にしようと計画をたてたのでしょうね」

「な、なんだってッ!?」

「そんな、お姉様が国家反逆罪にも等しい、そのような恐ろしい計画をッ!?」

「えっ、ちょっと…」


 いや、そこまで考えていない。というか、自分の行いを公爵令嬢である彼女に気づかれていたことも知らなかったのですが。むしろ、「なんだって!?」と逆に自分が叫びたい。本当にあることないことを言われ、更に妹に周りを煽られ、カレリアは混乱した。


 ユーリシアはカレリアの行動の推測を話しただけで、真実とは言っていない。だが、この場面で説得力のある内容を語られた周りはどう思うか。やっぱりこいつら性格悪いわぁ…、とまだ常識人寄りの青年も、諦めの境地にたどり着きそうになっていた。




「わ、私たちの娘が、そのようなことをするはずがありません!」

「これは罠だッ! カレリアをよく思わない者が、貴女にそう思わせようとしたのでしょう!」


 そんな進められていた流れを壊したのは、甲高い女性の声だった。美しい容貌は青白くなっているが、気丈に奮い立たせる。カレリアはエンバース家にとって、全てと言ってもよかった。たった一人の娘を中心に、回り続けていた家族。


 だからここで彼らが出てくるのは、予想済みだった。勝者側にしか立ったことがないカレリアは、この場を抜け出す術を知らない。このままいけば、なんやかんやで本当に反逆罪まで付け加わるだろう。そうなれば、エンバース家は終わる。


 ……それを挽回するために、エンバース家のターンが回ってきた。


「ユーリシア様、貴女が今言ったのは予想でしかありません。先ほど、自身を突き落した者はカレリアではなかったと証言もされていた。それなのに、娘がやったというのは、強引すぎるのではないでしょうか」

「そうです。証拠もなく、そのような証言だけで、こんな多くの人がいる中で、娘一人を糾弾するなんて――」

「先ほど私は、それをあなた方にやられましたが」


 そして魔王様の一言で沈められ、終了した。



「ふぅ、愚かですね。娘が可愛いのは認めましょう。しかし、それによって曇った目で周りを見ることしかできないのは、もはや害悪です。第一、――いつ私がカレリア・エンバースがやったという証拠がない、と言いましたか」

「えっ…」

「証拠がなければ、逃げられるとわかっていました。だから私は、目を覚ましてからずっと探り続けてきたのです」

「ずっと、……もっと前に、目覚めていたということか」

「貴方にお伝えすることができず、申し訳ありませんでした。しかし、彼女の油断を誘い、証拠を掴む絶好の機会だったのです。国王様にも許可をもらい、彼女の家や学園を見張らせてもらいました」


 ユーリシアは己の人脈を総動員し、今まで築き上げてきた人望を生かし、包囲網を敷いた。過去を洗い、カレリアと所縁のあった人物たちからも証言をもらう。そこには、彼女たちの家庭教師をしていた者の証言もあった。皇太子を誑かし、次期王妃とされる公爵令嬢を傷つけたとされる、カレリア・エンバースの証拠を掴むために。


「その間、ルルリアさんには辛い思いをさせてしまいました。カレリア・エンバースは、自分の取り巻きを使い、私を突き落したのは妹だと誘導させ、孤立させようとしていた。さらに、集団で襲われそうにもなったと聞いています」

「そんな、それじゃあ……あの時の、あれは。お姉様が私を…」


 それまでの恐怖を思い出したのか、ルルリアは震える肩を小さく抱きしめる。このようなか弱い少女を、集団で襲わせようとするなど考えられないような出来事だった。どれほどの恐怖を味わったのだろう、と周囲から同情が起きる。


 ユーリシアが裏から手引きをしたおかげで大事には至らなかったらしいが、心の傷は簡単には癒えないであろう。――もちろん、襲った方の。鞭を片手に無双していた友人は、とても輝いていた。



「そして、ある一人の協力者のおかげで、全ての真実が明らかにされたのです。彼女は己の罪を認め、贖罪のために自分の全てを擲ってでも動いてくれた」

「一人の、協力者…?」

「貴女が一番よく知っているでしょう、カレリア・エンバース。……何故私が、自分を突き落したのは貴女じゃないと断言できたと思いますか」


 ユーリシアの言葉に、カレリアはまさか、と茫然と口を開いた。ルルリアを嵌めるために、噂を流す役割を与えていた人物を、慌てて彼女は探す。この会場にいるはずの、自分の腹心。この一ヶ月、カレリアに付き従い、認めてくれていたはずの栗色の少女を。


「私はあの時、自分を突き落した相手を見てしまった。そして、ずっと気になっていたのです」

「待ってくれ、ユーリシア。つまり君は犯人を見ていたのか。なら何故、報告を――」

「……泣いていたんです。ごめんなさい、と何度も。もし彼女が本気で私を突き落していたのなら、私はこの世にいなかったかもしれません。すぐに目を覚ますことができたのも、そのおかげです」


 カレリアの計画通りだったのなら、自分は死んでいてもおかしくなかった。しかし公爵家で診断してもらった結果、死ぬような怪我は一切なかったのだ。その報告を聞いたクライスは安心すると同時に、こんな危険な橋をずっと一人で彼女に渡らせてきたのかと、自分の情けなさに後悔が滲んだ。


 ユーリシアはすぐに、彼女は生贄だったのだろうと気づいた。カレリアがよく使う手口だと知っていたのだ。もしその少女をユーリシアが糾弾すれば、黒幕は蜥蜴の尻尾を切るように、簡単に少女を切り落とすことだろう。


「だから、私は彼女に隠れて会いに行きました。そして聞かせてもらったのです。家族を人質に取られ、言うことを聞かなければ、エンバース家の力を使うと。彼女の妹も、平気で売り飛ばすと言われたようでした」

「……酷い」

「えぇ、確かに彼女は罪を犯した。しかし、真に裁かれなければならないのは誰なのか。私はこのような悲しい出来事を、これ以上増やしてはならないと思いました。だから私は彼女に協力を呼び掛け、そして相手も己の過ちを認め、証拠を見つけてみせると贖罪の道を選んだのです。カレリアの最も近くに行ってみせると」



『カレリア様、私は公爵令嬢を階段から突き落としてから変わったのです。あなたこそ、真に輝くに相応しいお方です。だからどうか私も、カレリア様の理想に付き従わせてください』


「……嘘、でしょ」


 カレリアの声はかすれ、その呟きは誰の耳にも届かなかった。ユーリシアが合図を出すと、公爵家の者たちが多くの資料を持って来る。公爵家、そして王家のサインが入ったその資料をクライスは手に取り読み込むと、顔を伏せて静かに首を横に振った。

 

 当事者の一人であるルルリアも、その資料の一部に目を通す。そして、あがりそうになった悲鳴を必死に抑え込んだ。自分の姉が今まで行ってきたことを、更に妹である自身を貶めようとしてきた事実の全てを、ルルリア(表)は知ってしまったのだ。


 この日、カレリア・エンバースは多くの注目を浴びる存在となった。小物な悪党ぐらいの女性が、見事に完全なる悪の親玉扱いにランクアップされたのだ。やったことは事実だけど…、とシーヴァは自分の主人の容赦のなさに今更ながら乾いた笑みが浮かんでいた。



「彼女の罪は、他ならない私が許しました。しかし、貴女を許すことはできない。今まで多くの人々を苦しめ、己の欲望のために国を揺るがそうとしたことは、決して許されることではないッ!」


 ユーリシアの恫喝は、舞台全体を震わせた。たった一人で王子を守ろうと戦い続け、傷つけられても立ち上がった女性。彼女の覚悟は、王家の信頼を得、そして多くの賛同者を作り上げたのだ。己を傷つけた者への慈悲の心と、決して許さぬ断罪の心を持つ、未来の王妃。その姿を、誰もが幻視した。


 クライスもまた、ユーリシアに惚れ直していた。弱い彼女を知ることができたが、やはり彼女は強く気高く輝いている姿が、最もよく似合う。彼女ほどこの国を、そして自分の幸せを考えてくれる人はいないだろう。


 自分にどこまでできるかわからないが、頼りないかもしれないが、彼女に支えられるだけでなく、自分も彼女を支える男になりたい。今回のことで、ユーリシアが自分を思ってくれていることを知った。そして、一人で危ないことに立ち向かってしまう危うさも知ったのだ。


 もう二度と、彼女を一人で戦わせるようなことはさせない。裏を知っていると、『完全に袋叩きにしていましたよ』とわかるのだが、それを伝えてくれる善人は、やっぱりどこにもいなかった。クライスは眩しそうにユーリシアを見つめながら、ピシッと尻尾を立てて誓ったのであった。




******




「あ…、あっ……」


 右を見ても、左を見ても、どこを見ても、自分の味方がいないことに、カレリアは歯をカチカチと鳴らす。どうしてこうなってしまったのかと、ガラガラと足元が崩れるような錯覚を起こしていた。


 何も持っていない、奪い続けてきたはずの妹が、何故あんなにも温かい場所にいるのか。好意を寄せ続けていた王子の心が、自分から完全に離れ、別の女性の下に向かってしまったのか。社会的にも、人望的にも、精神的にも、全てが地に落ちた。反論すらできない、反撃することもできない現状が、そこにはあった。


 彼らが語った内容に、カレリアにはそれは真実じゃない、とわかるものが含まれていることを理解していた。だが、多くの真実も当然含まれているのだ。それを一つ一つ否定したって、何も変わらない。己の全ては『虚偽』となり、『真実』は彼らが握ったのだから。


「お、お母様…、お父様ぁ……」

「カレリ、ア…」


 そんなカレリアに縋れるものは、もう家族しか残っていなかった。ルルリアは横目で、彼らを眺める。これほどの罪を犯した娘を、それでも彼らは受け入れた。力ない声で頼る娘を、ただ抱きしめている。栗色の瞳は、それをただ見つめていた。


 彼らはルルリアにとって、最低の父親だった。最悪の母親だった。その評価は、一生変わることはないだろう。今の状況に同情なんてしない。奪われてきたものを、奪い返してやっただけだ。後悔をするような神経なんて、自分にはない。


 だけど、そんな最低な彼らでも、――ちゃんと大事な娘の帰る場所は守ってあげたのだ。ここでカレリアを罵り、自分たちの保身を願い出ることもできた。しかし彼らはそれをせず、愛情を選んだのだ。そんな『親』としての彼らだけは、ルルリアも認めた。



「そう言えば、エンバース家は財政難だったらしいですね。長女のわがままの資金作りのために、次女を平気で売りとばしたり、……国のお金に手を付けたりとね」


 はいはい、愛情万歳。そんな美しい親子の絆を確認していたエンバース家に、覇王様はあっさりと止めを刺した。ユーリシアは思い出したように、エンバース家が隠蔽していた書類を取り出す。カレリアの証拠探しのついでに見つけておきましたよ、というぐらいの軽い感じで。彼らが横領などをしていた事実も突き止めていた。


 それにカレリアは完全に目が点になり、父親と母親の表情が引きつった。えっ、なんでその書類がそこにあるの? と見る見るうちに血の気を失っていく父と、絶望を母は浮かべた。ちょっと同情しかけていた周りも、お前らもかいッ! とガクッと肩を落としていた。


 まぁ、『親』としては認めてやるが、『人間』としては一切認めてやらないがなっ! と溜めに溜めてきたエンバース家の不祥事を、一切の葛藤なくユーリシアに魔王様は手渡していた。一家全員仲良く逝ってらっしゃい、であった。



「……エンバース家は、国家に対する多くの不利益を及ぼしている。これらの罪、いったいどのように償われるつもりですか」


 ハッ、と顔を上げたエンバース家の者たちの表情は、完全に色を無くしていた。貴族としての義務を怠り、子爵家の権威を傲慢に振るい、さらに侯爵家の子息と皇太子を誑かし、公爵令嬢を傷つけ、学園で多くの人間を貶めてきた。数えるのも恐ろしくなる。


 ユーリシア・セレスフォードの声は、一瞬だけ全ての音を止めたが、その内容を理解していくにつれ、周りはざわざわと話し出した。流れを見守っていた多くの観客たちは、断罪の時に興奮する。関係のない第三者にとって、悪が正義の前に敗れ去ることは余興の一つでしかない。一方的に非難されてもおかしくない罪人たちを前に、徐々に声があがっていったのだ。


「……死罪でも、おかしくないよな」


 その言葉を言ったのは、果たして誰だったのか。それはわからないが、その言葉は周囲へ瞬く間に伝染していった。そうかな、そうだな、そうだよな。というように、周りのボルテージは上がっていき、囃し立てるような声が増えていった。


 そして一つの大きな声がエンバース家の断罪を叫んだのを皮切りに、その空気は舞台全体を大きく揺らした。観客はもはや第三者でも、味方でもない。エンバース家の完全な敵として、牙をむいたのだ。


 その様子に、詰まらなさそうにユーリシアは鼻を鳴らし、シーヴァは感情の見えない瞳で観客たちを見つめる。リリックは気絶している息子を抱えながら、やれやれと首を横に振った。


 収まることのない熱に包まれ、カレリアたちは動くことすらもできない。口を開くことも、逃げることもできなかった。このまま、死んでしまうのか。カレリアは涙を流すが、誰も助けてくれる者なんていなかった。そんな人間がいないことを、誰よりもわかっている。そしてそれは、この舞台にいる誰もが知っていた。


 ユーリシアが、彼らを助けることはしない。彼女は未来の王妃として、これほどの罪を犯した者たちを許す訳にはいかないからだ。そして侯爵家の当主であるリリックも、罪人を助けることにメリットはない。


 カレリアの取り巻きたちも、この空気に怖気づくことしかできない。皇太子であるクライスも、ここまで事態を大きくしてしまった要因の一つは自分自身にもあるため、観客を抑えられる立場にはなかった。




「――やめてくださいッ!」


 だがそんな舞台の上で、たった一人だけこの場で彼らの助命を願い出ることができる立場の人間がいた。その人物はエンバース家と深い関わりにありながらも、彼らを断罪できる権利を十分に持っている少女。


 栗色の髪を振り乱し、言葉の矢を浴びる彼らの矢面に彼女は立った。その行動に誰もが目を見開き、興奮していた空気は少女の悲痛なまでの悲鳴によって鎮静化させていく。信じられないような目を向けるのは、観客だけではない。小さな少女の背中に守られている、父が、母が、姉が、何が起こったのかわからないように息をのんだ。


 この少女がここで出てくることを、誰も予想できなかった。それも彼らを守るように、立ち上がったことにも。今までの舞台を見てきた者たちは、それ故に言葉を無くしたのだ。この少女が、――止めに入るのかと。


 ルルリア・エンバース。カレリアの一つ年下の次女は、エンバース家で容姿が似ていないからという理由で、虐待され続けていた。自由も愛もなく、何も彼らからもらうことなく奪われ続け、そして最後には道具のように売られて捨てられたのだ。


 それでもガーランド家でようやく幸せを掴みだした少女を、またも彼らは一方的に傷つけた。彼女の愛する人を優越のために奪い、無実の罪を捏造し、全てを壊すために貶めようとした。どれほど温厚な人物でも、どれほど優しい人物でも、これほどの暴挙を許すことができるのか。


「もう、もう十分ではないですか…。彼らは、確かに許されないことをしました。私もどうしてこの場に、自分が出てきてしまったのかわかりませんっ! それでも、それでもッ……!」


 ルルリアは、エンバース家の被害者だ。彼女を責めるものは誰もいないほどに、この少女はただ婚約者を愛し、健気に頑張ってきた。罪を疑われた時も気丈に立ち続ける強さを持ち、己の思いに蓋をしてまで相手の幸せを考えていた人物。



「ルルリアさん。貴女は、……彼らを許せるのですか」

「……ユーリシア様」

「貴女は誰よりも、彼らに傷つけられてきた人です。私は彼らについて調べてきたからこそ、貴女がどれほど辛い目にあってきたのかも知っています。それでも、……彼らを許すのですか?」


 ユーリシアの問いかけは、決してルルリアを責めるものではなかった。透明で静かな波紋は、ここにいる誰もの心を掴む。純粋な疑問を浮かべるユーリシアの声音に、静寂がルルリアの答えを促した。


「……許すことは、できないかもしれません」

「……そうですか」

「ですけど、死んでしまったら本当にそれまでなのです。彼らが罪を償うことも、私が彼らを許すことができるのも、生きているからこそできることなのです」


 ルルリアの震えるような声は、胸を締め付けられるような、もの悲しさに溢れていた。


「エンバース家にとっては、私は家族ではなかったのかもしれません。しかし、私にとってはそれでも家族でした。私を産んでくれた母に、それでも育ててくれた父に、本当の私を教えてくれた姉に、心から感謝していました」


 彼女が浮かべた儚げな笑みに、誰も言葉を紡ぐことはできなかった。エンバース家の断罪を謳っていた者たちも、ルルリアの思いの深さを知ってしまった。


「だからこれが私からの、最初で最後の彼らへの感謝のプレゼントなのです。エンバース家の、……彼らの助命をどうかお願いします」


 この舞台にいた誰もが、ルルリア・エンバースという一人の少女の存在を刻み込む。強くはっきりとした意思を持って、告げられた彼女の願いは、どこまでもひたむきなものであった。




「……全く、仕方がありませんね。彼らのことは、王家に私の方からも口添えをしておきましょう」

「それじゃあっ!」

「しかし、あくまでもそれだけです。エンバース子爵家の取り潰しは避けられないことでしょう。彼らは貴族ではなくなり、使用人も全員解雇されることになる。この国にいても、彼らには居場所がない。国から追放を言い渡されるかもしれないわ」


 ユーリシアは、彼らを許したわけではない。だから自分にできるのはここまでだ、とルルリアと周りに伝える。それにルルリアは、何度も頭を下げて、感謝を告げた。


「ありがとうございます、ユーリシア様」

「……ユーリシアでいいわ。同じ学園に通う生徒同士なのですから。それに、私はどうやら色々と厳しい人間みたいだから、貴女のような人が傍にいてくれると、周りも安心してくれそうね」

「えっ。それって……」

「ふふっ、遠まわしに言い過ぎたかしら。よかったら、私のお友達になってくれませんか?」


 微笑みながら手を差し出したユーリシアに、ルルリアは驚きを浮かべる。それに迷いを示したのは一瞬で、次には嬉しそうに自らも手を差し出した。ルルリアは今回のことで表に出過ぎている。それによる弊害を減らすことも含め、ユーリシアの友人という地位をこの場で認めさせたのだ。


 二人の新たな交友関係に口を出す無粋な者は、この場にはいなかった。というより、拍手を送っておかないと空気を読めないというレベルじゃない。ここまで美しくまとまった大団円を崩したら、社交界でKYの称号を頂くことだろう。


 罪人は下される裁きを待ち、それに打ち勝った者たちは笑顔に包まれる。まるで最初から、そのように大きな流れが出来上がっていたかのように……。こうして、一つの大舞台の幕は閉じたのであった。




******




「皆様、せっかくの祝いの席を騒がしくさせてしまったこと、大変申し訳ありませんでした。この度のことは、また改めて機会を設けたいと――」


 終わりを迎えた舞台に、最後の挨拶をするユーリシアの声が響き渡る。全ての観客の視線を浴びながら、彼女は堂々とした姿を見せていた。それ故に、最後の仕上げに気づいたものは誰もいなかった。



「私は、私は……」


 カレリア・エンバースは、虚ろな瞳でユーリシア・セレスフォードを見ていた。先ほどまであそこにいたのは、自分であったのに。それなのに何故、彼女があれほどの脚光を浴び、自分は無様な姿を晒しているのか。今まで持っていた地位や人望も、隣にいた愛しい人も、何もかも失った。失ってしまった。


 自慢だった己の金の髪を掻き毟る。どうして、どうして、とそればかりが彼女の心を占めた。自分はそんなにも悪いことをしただろうか? 妹のものをもらって何が悪いのか。学園のことだって、自分がやり易いようにしただけだ。ユーリシアのことだって、こんな大事にするつもりなんてなくて、ちょっと傷つけてやろうとしただけだった。階段から突き落としたのだって、手駒が勝手にやっただけで――。


 まとまらない思考と、認められない現実が、カレリアを押しつぶそうとしていた。自らの行いを反省する、という当たり前とされる行動が彼女にはできなかった。いや、そんなものを知らなかったのだ。


 それでも、自分に向けられた多くの非難の目が、己のしてきた行動を罰しているのだとはわかっていた。自分を中心に回り続けていた、罪悪を知らなかった無邪気な世界はもうなくなってしまった。


 ユーリシアの声なんて、聴いている余裕もない。そんな自分の世界に入っていたカレリアの思考を浮上させたのは、一人の少女の声だった。



「……お姉様、お母様、お父様」


 誰よりも知っている声の主が、自分のことを呼んだ。何をしに来た、と思いながらも、先ほどまでの屈辱が全身を煮えたぎらせる。ずっと自分よりも下であった、見下し続けていた妹に――命を救われた。カレリアがルルリアに感じたのは、少なくとも感謝ではなかっただろう。あまりにも惨めで、荒れ狂う気持ちだけだった。


 ゆっくりと顔を上げると、そこには痛ましげな表情で自分たちを見つめる妹がいた。ずっと蔑んでいた妹から、こんな惨めな目で見られる自分が信じられなかった。そこまで哀れな存在に堕ちてしまったのかと、茫然と受け入れるしかなかった。


「こんな風になってしまうだなんて、こんなお姉様たちを、見ることになってしまうだなんて」


 エンバース家まで歩み寄ったルルリアは、そのまま項垂れる彼らの前で止まり、少し膝を折って目線を合わせながら、悲しそうに眉を寄せた。泣いているのか、手で顔を覆い、嗚咽を含ませたような言葉を発していた。


「あぁ…、本当に、本当に――」



 本当に――どれほど待ちわびたことだろうか。この瞬間を、この一瞬を作り出すために、作り上げてきた舞台。何もかも失い、絶望を浮かべる彼らを、地位も人望も何もかも上回った自分が見下ろす……この光景を。


 ルルリア・エンバースは、彼らを貶めるつもりはあったが、殺すつもりはなかった。彼女の目的は彼らの命ではなく、その心だったからだ。死んでしまったら本当にそれまでだ。生きているからこそ、その顔が屈辱に歪むのを見られる。その無様な姿を笑うことができる。その心にずっと消えない、己への憎しみを植え付けられる。


 そして何より、彼らの助命を頼むだけで、自分の評判はこんなにも素晴らしいものになった。彼らはしっかりと、己の踏み台という役割を果たしてくれたのだ。あの舞台で告げたとおり、ルルリアの胸中は本当に彼らへの感謝でいっぱいだった。


 さぁ、これが本当の最後だ。もう彼らの顔を見ることはないだろう。もう彼らを思うこともないだろう。観客の視線がユーリシアに集中していることを確認したルルリアは、ゆっくりと顔を覆っていた手を外した。



「――えっ」


 誰もルルリアの行動を、表情を見ていなかったため、驚きに目を見開いたのは、エンバース家の人間だけだった。ルルリアの顔には、涙の痕など一切なかったのだ。むしろそこにあった顔を、一瞬妹だと認識することがカレリアにはできなかった。


 嗚咽混じりの声は、嘲るような声音へ。涙を浮かべていた目は、暗い優越を浮かべる。そして、手で覆われて隠されていた口元には、妖艶さの中に残忍さを含んだ、誰よりも嬉しそうな笑みがあった。



「本当に、……ざまぁ」



 初めて見るルルリアの笑顔は、カレリアや両親の脳裏に深く刻み込まれていった。そして、唐突に気が付いてしまった。理由や理屈などない。ただ、これだけはわかったのだ。


「あ、ァッ……――――!」


 初めて見たはずのこの表情が。初めて聞いたはずのこの言葉が。ルルリア・エンバースという人間の本心なのだということを。健気な少女の皮を被った、ただの大魔王なだけであったことを。


 カレリアの声にならない慟哭を聞きながら、ルルリアは楽しげに笑う。自信に満ち溢れていた人間を、一瞬にして絶望の底に堕とすために、全てを整え、全てを操作し、そして最後には全てを無駄なく己のものにしてみせた。まさしく、魔王以外の何者でもなかった。


 ――こうして、ルルリア・エンバースという一人の少女の復讐は遂げられたのであった。



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