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スタイリッシュざまぁ  作者: Aska
本編
10/22

第十話 導かれし役者たち




「突き落した……? 彼女が、ユーリシアを?」

「クライス様…。ずっと、黙っていて申し訳ありません。それもこのような場で、……でも私、どうしてもこの子の姉として、我慢できなくてっ」


 口元を抑えながら、カレリアは潤ませた瞳で語りかける。断腸の思いで話す彼女の様子と、その語られた内容に、このパーティーに参加している全ての人間が戸惑いをみせた。クライスもどういうことなのか、と問いかけたい思いを静かに堪えながら、カレリアが落ち着くのを待った。


 いつも自分の前を歩くように、強い女性だった己の婚約者。ユーリシアの大事を聞いたとき、クライスの頭は一瞬真っ白になり、彼女に限ってとなかなか信じられなかった。それでも、自分の目の前からいなくなった黒髪の女性の存在が、真実を告げている。


 公爵家に連絡をとっても、国王様には知らせていたが、自分に詳しく話すことはなかった。学生の身分である王子の手を煩わせたくない、と国王に公爵家から達しがあったらしい。ユーリシアが意識不明であるため、これが事故なのか、故意なのかはわかっていない。


 ただその現場を発見した教員からは、ユーリシアの傍に彼女のものとは違う私物が落ちていたらしいとだけ教わった。その品も公爵家によって回収されている。それ以上は、口止めされているため聞けなかった。だがその調査をしている、とは話していた。


「そんな、私は彼女を突き落してなどいません! いったいなんの証拠があって、そのようなことを…」

「それではどうしてあの日、寮を抜けて、放課後の学園にいたのですか」

「それは、ですから誰かからの呼び出しの手紙が入っていたと説明を」


 カレリアの問いに、ルルリアは不安げに答える。あのユーリシア・セレスフォードが、階段から足を踏み外す、という失態を起こすとは学園にいる誰もが思えなかった。それ故に、これは故意なのではないか、と考える者は多かった。


 その日は学園の仕事で遅くなったユーリシアと、数人の生徒、そしてルルリアが学園の寮にいなかった。いなかった生徒たちは当然事情を聴かれたが、その中でもルルリアの答えは異様なものであった。


 気づいたら机の中に入れられていた手紙。学園の仕事の用事で頼みたいことがある、と学園にいる教員の名で書かれたもの。ルルリアは放課後に、その指定された教室に向かったのだが、結局誰も姿を現さなかった。そうありのままを説明したが、それは言い換えれば誰もルルリアのアリバイを証明できる者がいなかった。


 何よりも、彼女を手紙で用事のために呼びだしたはずの教師は、そのような手紙は書いていないと否定したのだ。ルルリアはその手紙を提出したが、結局誰が書いたのかはわからなかった。



「……確かにその手紙を私自身が書いたんじゃないか、と学園でそのような根も葉もない噂が流れているとは聞いていました。しかし、それだけで私が彼女を突き落しただなんて」


 冷静に振る舞いながら、周りを諭そうとルルリアは言葉を紡ぐ。その手紙がいったい誰の手によって、用意されたものなのかをとっくに知っているが、表側のルルリアは知らないため不安そうにしながらも、理を唱える。今大事なことは、真実だけを言うことなのだから。


 第一、他にもアリバイがない者は何人もいる。生徒だけでなく、教員や事務員だって容疑者に入るのだから。ルルリアの話した理由がたまたま異質であったため、学園の好奇の的になっただけだと話した。


「私も、それだけならルルリアがそんなことをするはずがないって思えたわ。だけど――、あなたはセレスフォードさんを憎んでいたでしょう?」

「憎む? 何故私が、彼女を憎む必要が」

「詳しくは……今ここでは言えないわ。でも、彼女とあなたの大切な人が一緒にいたことに頭がいっぱいになって、彼女に嫉妬してしまっていた。私は姉だから、あなたのその変化に薄々気がついてしまったの」


 カレリアは寂しげにクライスを見つめながら、そっと目を逸らした。おぉ、ここで女の嫉妬を取り出してくるのか、とルルリアは思った。そしてすごい姉理屈である。本当にそんな慧眼があったら、こんなことにはなっていなかったと思うが。


 しかも、王子の前でユーリシアとルルリアの婚約者が一緒にいたと直接言わなくても、王子にはユーリシアが誰かと一緒にいたのかと思う。その本人たちは、意識不明と状況をよくわかっていない婚約者であるため、真実はわからないままだ。余念がないな、お姉様。


 実際は、ただ廊下で会う頻度が高かっただけ。姉の誘導で、彼をユーリシアが通るルートに行かせればいいのだ。仲睦まじく歩くって、飛躍しすぎだろ噂。王子の婚約者が、そんな堂々と浮気をするわけがあるか。しかも婚約者にルルリアが問いただせばすぐにばれる噂である。しかし、ここで恋する乙女なら『怖くて聞けない』って選択肢を選ぶらしい。と、我が友人は白々しく言っていた。


 わけがわからない。さっさと聞けよ。吐かせろよ。だいたい公爵家で王子の婚約者であるユーリシアに、侯爵家と仲睦ましくするメリットがなさ過ぎて、即行で選択肢から外す。それに自分の婚約者が、公爵家のお姫様に手を出せるほどの気概があったら拍手を送っている。そんな思考回路なので、つくづく自分は恋愛とは無縁そうだとルルリアは感じた。



「ルルリア、私も女だから少しわかる。自分の大切な人を奪われたくないと、そう思う心は決して間違っていない。それでも、人として踏み越えてはいけない境界があるわ」

「いえ、全く嫉妬した覚えがありませんが」

「醜い自分を周りに見せたくないのね。でも、そうやって真実を隠してどうなるの。そんな妹を、私はこれ以上見ていたくないわっ……!」


 少しめんどくさくなって、思わずちょっと素が出てしまったが、姉の平常運転に流された。妹を堕とすのに、全力である。どう答えても、ルルリアを悪党にしたいようだ。傍から見たら、嫉妬で狂った醜い事実を隠す妹を、姉として気持ちに寄り添って諭そうとする構図だろうか。


 カレリアは、ルルリアを納得させるつもりが欠片もない。だから彼女の狙いは、周りを煽ることで味方にして、事実を捻じ曲げようとすることなのだろう。ここで婚約者にそのような事実はなかったと証言してもらっても、その当時のルルリアは噂を聞いて、誤解したまま嫉妬してしまっていたとかなんとか言いそうだ。


 両親からの視線がアレなのは変わらないが、周りからはひそひそとした話し声が聞こえる。おそらく姉の取り巻きたちが頑張っているのだろう。ルルリア一人が否定をしても、王子の信頼が厚い姉とさらに学園にいた複数が肯定をすれば、どちらの方に天秤が傾くかなど、子どもでもわかる。彼女が昔からよく使っていた手だな、とそれを幼少期より受けてきたルルリアは知っていた。


 クライス王子や婚約者の視線も痛いが、何もまだ言ってこないのは決定的な証拠がないからだろう。当然だ、やっていないものに証拠なんてない。状況証拠だけで動くような人たちではない。ただ、周りからの疑わしげな目だけが感じられた。


 そんな場所に、――新たな第三者が足を踏み入れた。



「エンバースさん、このことはまだ何もわかっていないことです。公爵家からの調査もありますから、あまり大きなことには」

「あっ、先生…」


 学園の教員にして、ユーリシア・セレスフォードを見つけた第一発見者。そのこともあり、黒髪の若い青年は公爵家から色々事情聴取をされ、さらに口止めをされたらしい。丁寧で物腰が柔らかく、しかしどこか頼りなさそうな、教師としてはどこにでもいるような人物である。


 カレリアも情報を手に入れようと何度か接触したのだが、あまり時間もなかったため、味方に引き込むことはできなかった。よく薬を飲んだり、抱きしめたりしているので、病弱なのかもしれないということしか、わからない教員だった。


 今回この場に出てきたのは、公爵家からの差し金なのかもしれないと考える。だが、カレリアにとってはチャンスでもあった。彼はその現場を実際に見た人物なのだ。つまり、カレリアが作り上げた――ルルリアが行ったという証拠の品を目撃している。


 王子からさり気なく聞いた、ユーリシアの私物とは違うものがあったという話。それは間違いなく、ルルリアの指輪だ。ここには現場の目撃者がいるため、その指輪の特徴を告げれば、記憶を呼び起こし、ルルリアへとたどり着く。


「クライス様から聞いたの。セレスフォードさんの近くに彼女の私物とは違うものがあったって。その私物は、彼女を突き落した時に、相手が気づかずに落としたんじゃないかと」


 カレリアは確認のためにシーヴァに視線を向けると、彼は困り顔になりながらもうなずいた。王子やそれなりの貴族には告げていた事実であるため、否定はしなかった。


「私もまだルルリアを信じたい思いが確かにあるわ。その私物が、真偽の証拠になるかもしれない。だから、貴方にお聞きしたいのです。あの時、現場に落ちていた物が何かを」

「そ、それは……」

「すまない、私からも頼めないか」


 ルルリアへの疑いの種は植え付けた。それをさらに芽吹かせるために、カレリアはシーヴァへ問いかけた。口ごもる教師に、クライスからの援護も入る。公爵家から口止めはされているだろうが、相手は王子。しかも、犯人がわかるかもしれない瞬間であるため、周りも期待した。


「真偽も何も、私は本当にそのようなことは…」

「……ねぇ、ルルリア。指輪はどうしたの?」

「……指輪がどうしたというのですか」

「学園に入学した当初、あなたに見せてもらった指輪があったはずよね。ずっと大切そうにしていたもの。でも最近見かけなくなったわ。あれは、今どこにあるの?」

「あれは、気づいたらなくなってしまっていて。捜索届を出しているところ……まさか」


 もちろん、知っている。カレリアはそっとほくそ笑む。カレリアからの突然の質問に、ルルリアは不思議そうな顔をしたが、すぐに姉の言いたいことに気づく。例の男爵令嬢が、ちゃんと指輪を現場に置いてきたと話していた。その時に監視をしていたカレリアの下僕も、それを証言している。


 ユーリシアの傍に落ちていた、ルルリア・エンバースの指輪。さらに今まで蒔いた種と組み合わせればどうなるか。貴族とは面目を保つ必要がある。証拠が少なく立証は難しくても、このまま公爵家の姫が傷つけられた事実だけが残るのはよろしくない。犯人を見つけてみせ、面目を保たなくてはならない。しかし犯人が見つからなかった場合、そんな世間への生贄に相応しい人物が他にいるだろうか。


「ねぇ、先生。正直にお答えください。その現場に落ちていた私物というのはもしかして、……青く輝く綺麗な指輪だったのではなくて?」


 静寂が場を包み込む。溢れそうになる笑みを抑えながら、カレリアは確信を持って問いかけた。




「いえ、違いましたよ」

「――えっ」


 姉の表情筋が、初めて固まった。


「落ちていたのは、指輪ではありませんでした」

「えっ、嘘」

「え、あの…、嘘と言われましても。青い指輪なんて、どこにも落ちていませんでした。公爵家の関係者とも確認をしましたが、それは間違いなく」

「そ、そんなわけッ……!」

「……カレリア?」


 もっとよく見たのか、と出かかった激情を慌てて抑え込む。隣にいるクライスを思い出したからだ。しかし納得がいかない、というようにカレリアの目は、強く目の前の教員を睨んでしまった。


 ここで決定的な瞬間を迎えるはずだったのに。疑惑でしかない種を複数植え付け、そこに証拠となりえる品を出す。たとえ決定的なものがなくても、大衆の心理はルルリアへ疑念を生み出す。そのための段階を踏むために演技をし、両親に偽りを伝え、動いてもらった。


 それらが、こんなことで台無しになってしまった。この空気では、結局疑惑は疑惑でしかないと思われてしまう。どういうことだ、と混乱しながらも、思うのはそんな自分の舞台を壊すきっかけになった青年。完全に八つ当たりである。彼女の憎々しげな目に気づいたのは、それを受けた彼だけだろう。


 そんなカレリアの視線を受けた教師は、周りから見える角度を調節し、同じようにカレリアのみに一瞬見えるように――嗤ってみせた。その後すぐに、彼の顔は困ったような表情になったが、一瞬だけ見えた表情にカレリアは呆然と目を見開いた。



「すぐに俺に構っている暇なんてなくなるよ、……女王様」


 周りはカレリアに注目していたため、調節して出された青年の声を拾ったのは、カレリアと近くにいたルルリアだけだろう。


 五年間の付き合いで、ある程度相手の心理を感じ取れる。余計なことを言うな、と横目で見た少女に、ちょっとぐらいストレスを発散させろやッ、と何故か切実な感じで目で訴えられた。とりあえず、後で覇王様にチクッておこうと思った。



「……それにしても、落ちていた物が指輪じゃなかったことに随分驚かれていましたね。妹を信じていると言っていたのに、妹の指輪だと疑っていなかったみたいに」

「何を言って…」

「いえ、ただ貴女の先ほどの話といい……まるで自分の妹を犯人にしたいようだと感じてしまったので」

「ひ、ひどいッ! 私の気持ちを疑うというの!?」

「すみません。少しそのように感じてしまっただけでして…」

「落ち着くんだ、カレリア。貴方も言い方には気を付けてくれ」


 クライスからの誡める言葉に、シーヴァは慌てて頭を下げる。申し訳なさそうに話しているが、先ほどの青年の顔を見てしまったカレリアには白々しい言葉にしか聞こえなかった。しかし、ここでこの教師を糾弾するわけにはいかない。学園に戻ったら…、と考えながら、今は王子の心情が大切だと考えた。


「申し訳ありません、クライス様。思わず、大きな声を…。その、クライス様は、私のことを信じてくれますよね? 私の気持ちを」


 カレリアは潤ませた瞳を上目遣いに見せ、己の容姿を最大限に使う。感情が高ぶってしまったように、そっと彼の服を掴み、寄り添うように身体を傾ける。それに肩を揺らす王子の反応と、周りの見惚れるような視線を受けながら、ここまでかとカレリアは内心舌打ちをした。これ以上の舞台は、自分の首を絞めかねない。


 今回のパーティーで、ルルリアを完全に貶めることはできなかった。しかし、これほどの観衆の前で、ある程度の疑惑の種を植え付けることはできたのだ。それに男爵家の娘にも話を聞かないといけない。故に、これ以上の舞台を続けるのは危険だと判断した。


 だからカレリアは、今回の舞台を降り、次の舞台の用意をしようと思考を巡らせる。……しかし、カレリアは知らなかった。



「……お姉様、クライス殿下と随分仲がよろしいのですね。私、今までお姉様が王子様と親しかったなんて知りませんでした」


 次の舞台などもうない。勝手に舞台から降りることなど許さない、とルルリアは真っ直ぐにカレリアに告げた。その声は先ほどまでの弱弱しいものではない。静かでありながら、どこか響き渡るような声。


 そう、カレリアは知らなかった。大魔王からは逃げられないことを。



 歩み出るルルリアと代わるように、シーヴァは後ろに下がる。そしてすぐさま、安全地帯の確保に急いだ。突然の妹からの話に、虚を突かれたカレリアは思考がまとまらずに呆けてしまった。ここで彼女が出てくるとは、思っていなかったのだ。エンバース家や周りも、予想外の人物の切り口に動きを止めた。


 そんな呆然とする姉の代わりに口を開いたのは、クライスだった。自分に関係がある話でもあったため、ルルリアに、そして周りにいる貴族たちに伝えることも含めて話し出した。


「私は二年ほど前から、学園で彼女に色々と世話になっていた。困った時、よく相談などにのってもらっていたんだ」

「そうなのですか。……それは、姉とはそれ以上の関係はないと言うことでしょうか」

「どういう意味かな」

「今回お姉様が一緒にいるのは、ユーリシア様が来られない代わりだと聞かされています。私が気になるのは、お姉様と恋愛的な意味で愛し合ってはいないのか、と聞きたいのです」


 ルルリアの言葉に、この会場にいた誰もがざわめき、次第に口を閉じていく。彼女が発した質問は、ここにいる誰もが気になった問いかけであったからだ。しかし、あまりにも不躾な問いであるため、誰もが二の足を踏んでいた。そんな内容を、一切の躊躇なく彼女は言ってのけた。


「……それを、君に答える必要があるのかい」

「そ、そうよ! 私の妹だからって、そこまで口を出すつもり。失礼よッ!」

「私が、彼女の妹だから聞いたのではありません。失礼なこととも、重々わかっております。それでも、どうしてもッ……!」


 今まで姉や親からどれだけ糾弾されても、揺るがなかったルルリアの双眸が初めて揺らいだ。泣き出しそうな、押し込もうとしても押し込みきれないような感情が溢れ出る。気丈に立っていた少女の悲痛なまでの声に、興味本位で聞いたわけではないとわかる真剣さを感じさせた。


 姉のターンは先ほど終わった。ならばここから先は、――己のターンである。


 そして、ルルリアは叫んだ。カレリアが無力な少女だと思っていた妹の張り上げた声が、全ての人の耳に入っていった。




「だって……、だってッ! お姉様は、私の婚約者が好きだって言っていたから! 彼に抱きしめられていたからっ! だから、彼がお姉様が好きなら、二人の幸せのためなら、私は大人しく身を引こうと思っていたのにっ……! もし殿下とお姉様がずっと前から本気だったと言うのなら、私の婚約者との逢瀬はなんだったというのですか! 彼への愛は、嘘だったというのですかッ!?」

「――ッ」

「……えっ」


 まだ余裕を保っていたカレリアの相貌が、完全に崩れた。そして、クライスを含め、全ての人間に衝撃が走る。正直全く周りについて行けていなかったルルリアの婚約者は、いきなり舞台の上にあげられて、当事者の仲間入りを果たした。こちらも完全に固まっていた。


 ガーランド侯爵家の子息が学園に入ったのは、今年のことである。それまでカレリアと彼が会う機会はなかった。もしルルリアの言葉が正しいのなら、ほんの数ヶ月前からの関係ということになる。クライスにしてみれば、淡い気持ちを抱いていた相手であり、相手も同じように自分を思ってくれていると考えていたのだ。


 確かにカレリアとは婚約者でも、恋人でもない。それでも他の男に愛を囁く女性に、これから先も同じ気持ちを抱けるのか。しかもその相手が、実の妹の婚約者である。あまりの突然の衝撃に、否定することも忘れてクライスは混乱した。


「な、何を言って――」

「私はお姉様の妹ですよ。お姉様の魅力を誰よりも知っていました。昔から、色んな男の人を虜にしてきたお姉様を見てきたから。だから、初めて婚約者である彼をあなたと会わせた時から、本当はずっと怖かった!」

「昔から…、色んな男……」

「違ッ、誤解で、クライ――」

「それで彼の様子を見ていて、気づいてしまった。お姉様に向ける彼の気持ちに。そして、一ヶ月前に二人が抱き合っているところを、私は見てしまったっ!」


 慌てて復活したカレリアだが、妹の勢いは止まることなど知らない、というようにさらに畳みかけていく。ノリノリだなー、と安全地帯で夜食を食べる青年。薬を飲む時は空腹だと荒れる可能性があるため、今の内にしっかり食べておかないといけない。花よりも胃だった。


「い、一ヶ月前……そんな最近に?」

「し、信じないで。私は無実で――」

「好き合っている二人にとって、私は邪魔者だってわかったわ。でも、二人は私を傷つけない様にって、隠れて愛し合おうって会話をしていた。お互いに表の夫と妻を騙しながら作って、裏で愛し合うってッ……!」


 王子は完全に沈黙した。


「クライス様! 私はあなたをちゃんと愛し――」

「私は、そこまでお姉様が彼を愛しているのなら、彼も幸せになれるというのなら、身を引こうと思ったのです。それなのに、お姉様は王子様と結ばれようというのですかッ!?」

「せめて最後まで、言わせなさいよッ!」


 姉のことを話しているはずなのに、的確に王子の心を粉砕していく娘の様子に、家に帰ったら言葉責めをしてもらおう、と今晩のおかずを決めるようなノリで今まで見守っていたおっさんは決意した。



 そんな台風というか嵐というか、とんでもない内容のマシンガンが放たれて沈黙してしまった会場で、姉の声はよく響いた。気づいてから急いで口元を抑えるが、もう手遅れだろう。カレリアの中にあった余裕は、もうなくなっていた。


 ルルリアがあの現場を見ていたのは、すでに確定だった。まさか見られていて、しかもそれをずっと隠していたなんて、思ってもいなかった。学園での暴露だったら、まだ平静を保てられたかもしれない。しかし、ここは公の場である。


 それでもなんとか解決の糸口を探したカレリアは、青を通り越して白になりかけている妹の婚約者に目を移す。冷静に考えれば、ルルリアの言った内容には先ほどのカレリアと同じく決定的な証拠がない。妹の苦し紛れの虚言だと、周りに思わせなくてはならない。


 そのためには、カレリアと婚約者の彼が揃って否定を口にする必要があった。



「……ほ、本当なのか、カレリア。君が、そこにいる彼と愛し合っていたと」

「あり得ません、妹のでたらめですわ! だって、そんな証拠がどこにあると言うのですか。私は彼と、一切そのような事実はありませんでした」


 カレリアのはっきりとした口調に、クライスは小さく息を吐く。一方で、赤髪の少年の目は信じられない様に彼女を見つめた。


「彼はルルリアの……妹の婚約者なのよ。確かに、彼には妹のことをよろしくね、ってお話をしたことはあったわ。だからもしかしたら、その時の様子を見ていた妹が勘違いを起こしちゃったのよ」

「私は学園で起きたことも含め、一切の嘘をついていません」

「姉を貶めようとするなんて、何を考えているの? ……ねぇ、そうよね。貴方も大切な婚約者に、こんな酷い誤解をされるなんて心外でしょう?」


 カレリアの視線は、ルルリアからその後ろにいた人物へと移る。小さく息をのむ彼に、彼女はゆったりと歩み出る。ルルリアはその様子を、無言で見つめた。



 自分がルルリアに対して行ってしまった不義を、その彼女が知っていた。ルルリアの話は勘違いでもなんでもなく、彼女は事実に一切の嘘をついていない。それを誰よりも知っている二人の内の一人が、当たり前のように正しい方を糾弾している。


 カレリアが王子と親しかったことなんて、彼は知らなかった。二年も前から、彼女には好きな人がいたことも知らなかった。今だって、自分に愛などないとはっきりと告げ、そのまま別の男に愛を囁くのだ。今までの彼女はなんだったのか、今の彼女はなんなのか。全てがわからなくなった。


「ほら、貴方もちゃんと否定して」


 それでも、決断を迫られているのはわかった。己の不義を皇太子の前で、そして多くの人々の前で認めるのか。そんな事実などなかった、とルルリアが虚言をしたと貶めるのか。答えない、という選択肢がこの場にないことだけは理解していた。


 少年の迷いを感じ取ったカレリアは、妖艶に微笑んでみせる。浮気がばれてしまうことがまずいのは、彼も同じ。それなら自分のために、妹を犠牲にすればいいのだ。その選択を選ばせるために、己の美貌で安心させようと笑い、さらに語りかけようとした。


 ルルリアは、それでも動かなかった。姉の思惑も、彼の葛藤も理解しながら、傍観を選んだ。というより、自分の出る幕ではまだない、とわかっていたからだ。



「……私は、今まで多くの女性を悲しませてきた」


 カレリアが言葉を紡ぐ前に、荘厳な低い声が会場に突如響き渡った。誰もがその声に驚き、視線を向ける。赤髪の少年もそれにつられ、目を向けた先にいたのは、自分が誰よりも知っている人物であったことに気づく。そんな多くの視線を受けながら、壮年の男はしっかりとした足取りで前に歩きだした。


 リリック・ガーランド侯爵閣下。妻を亡くしてからは、こういった催しは代理を立てる様になっていた……狂ってしまった人物として有名だった者。今渦中にいる少年の父親であり、ルルリアの後見人。


「そして、同時に息子のお前も苦しめてきた」

「……父さん」

「妻を忘れることができなかった私は、多くの不貞を行ってきた。そんな私の姿に、お前も失望してきたことだろう。こんな父を持ったことで、苦しんだことがあっただろう。周りから、後ろ指をさされることだってあったはずだ」


 リリックからの言葉に、息子は否定を返すことができなかった。母が生きていた頃は幼かったが、幸せだったのは覚えている。そして、それが突然崩れてしまった日も。……優しかった父が変わり、目を背けるようになった記憶も。


「私は多くの女性を、そして家族を悲しませてきた最低の男だ。そんな男の息子などと、お前が思いたくない気持ちもわかる。私はようやく自分が間違っていたことに気づいたが、今更父親面できる人間でもない」

「それは……」

「だが、そんな私だが、お前にこれだけは言えることがある。これだけは、お前に伝えることができる」


 息子の近くまで来ると、リリックは歩みを止めた。少年は改めてその姿を見て、あんなにもずっと遠くに感じていた父親を認識した。いつも見上げていたはずの背は、いつの間にか同じか、少しこちらが高いぐらいに変わっていた。


「私が最低な男なのは、間違いない。お前がその最低な男の息子であることも、間違いはない。だが、お前は私ではない」


 数年ぶりにまともに見たその顔は、確かに父だった。



「だからお前は私と同じように、……自分のために、自分の身勝手のために、平気で人を傷つけるような男にならないでくれ」


 自分のために、自分勝手な理由のために、多くの人間に迷惑を、傷を残してきた人間だからこその言葉。そしてそれは、そんな男の息子としてずっと傍で見てきた少年には、痛いほど理解できてしまった。


「……俺は」


 働いていなかった思考が、彼の中で回りだす。自分がするべきことを、自分がこの場で一番にしなければならないことを。傷つくのは己の名誉、だがそれは違う。この場で一番傷ついているのは、自分が傷つけようとしているのは誰だ。


 それに気づいた時、彼の選択は決まった。



「……俺が、間違っていた。ごめん、ルルリア。俺は、すごく君を傷つけることをした」

「あっ……」


 唇を噛み締めながら、少年はカレリアのことを告白した。彼女とのやり取りを、彼女に目を向けてしまった自分自身を、ルルリアを隠れ蓑にしようとしたことを、カレリアとの全てを彼はルルリアへ伝え、何度も頭を下げた。


 彼の話を聞いていた周りは、ただ愕然と眺めていた。この少年の話は、ルルリアの真実を証明してみせたのだ。己の不義を大衆の前で詫びる彼の覚悟を、疑う者は誰もいなかった。


 だからこそ、その視線はそのまま金色を纏う女性へと向けられる。事実を隠すだけではなく、真実を捻じ曲げようとしていたことに気づいたのだ。この場にいる全員が、カレリア・エンバースという女性に不信感を募らせた。



 自分に視線が集中しているというのに、冷や汗が背に流れる。喉がカラカラに渇き、いつものような高揚感など全く感じない。妹の婚約者の少年に、自分を裏切ったといくら罵ったとしても、この現状は変わらない。


 違う、とカレリアは首を横に振る。自分はこのような視線を向けられる人間ではない。羨望や憧れや畏怖といった、そんな視線を受けるのが当たり前の人間のはずなのだ。それなのに、いつの間にか変わってしまった。


 両親ですら、何が起こったのかわからないというように呆然としている。クライス王子は、震える様にカレリアの手を離した。ルルリアを非難していたはずの大衆は、どこにもいなくなった。


 それでも……それでも、まだきっと大丈夫だと、カレリア・エンバースは声を張り上げた。今までだって上手くいってきたのだから、これからだって、という思いを込めて。


「ご、ごめんなさい…。私も彼とのことはどうすればいいのかわからなかったの。彼の気持ちを大切にしたくて、でも妹の気持ちも大切で。もうこれしか方法がないって考えてしまって。本当にごめんなさい。こんなことになってしまうだなんて、思ってもいなかったの。……だけど、私は――」


「見苦しいですよ、カレリア・エンバース」


 言い募ろうとしたカレリアの声は、たった一声でかき消されてしまった。何故、ここであの声が聞こえてくる。注目を集める自分の声と同じように、どこか人を惹きつけ、釘付けにするような声。澄んだ水辺を連想させるような、美しく気高い女の声が。


 誰もが声の方へ振り向き、息を飲む音が聞こえる。カレリアも、ゆっくりと振り返った先に見てしまった。黒を宿す髪と瞳。洗練された佇まいと、凛としたその雰囲気は、多くの人間を傅かせるだろう。


 そしてついに、この舞台にもう一人の役者が揃う。



「ユーリシア・セレスフォード…」


 覇王様があらわれた。カレリアはにげようとしたが、しかし完璧なまでにまわりこまれてしまったのであった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] で、出たー!!! 覇王様、満を持してのご登場!! 今、完全にスポットライト、切り替わりました。私の心の中で。 ド変態パパの渾身の演技(真実だと思うけど)にも心が別の意味で震えます。 王子、…
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