好きに決まってる
私は絵が好きだ。描くのも好きだし、見るのも好きだ。しかし、中学生の時は入っていた美術部に、高校では入らなかった。何故か? 自信がなかったからだ。
高校に入り、最初に見学にいったのは美術部だった。意気揚々と飛び込んだそこで、作品のレベルの高さに気後れした。自分にはここまでのことはできないと思った。だから入らなかった。それだけのことだ。
絵は、今も描く。でも人に見つからないようにこっそりと。人がいるところで描くとオタクだとかなんだとかいわれて気分が悪い。私がオタクだろうとそうじゃなかろうと、彼らに迷惑をかけただろうか。何で美術部に入らなかったの、と聞かれるのもいやだった。絵が下手だからだよ、なんて言える訳がない。私の無駄なプライドが趣味の邪魔をしていた。ああ、なんて煩わしい。
かりかりと鉛筆の音だけが教室に響く。私しかいないこの部屋はすっかり薄暗くなっていたが、特に気にすることはなかった。机の上の紙は、そこにかかれた線は、点は、すべて見えている。問題ない。特に、何を描こうと決めていた訳ではないが、自然と昔からよく描いていた人物像になる。目の前にはいないけれど、想像のなかで笑顔を見せている人。
完成に近付こうかというその時、教室の扉ががらりと音を立てて開いた。目は向けなかった。だけど、意識は完全にそちらを向いてしまって、ほんの一瞬手が止まった。扉を開けたのは男のようだった。ずかずかと遠慮も慎みもない足音が教室を横切る。椅子を引く音、机の中を漁る音、そのあとに少し音が途切れた。
「なぁ」
「……なに?」
呼び掛けに答えて顔をあげる。話し掛けてきたのはクラスメートの男子だ。話したことはあまりない。
「帰んねーの」
「そろそろ帰るよ」
ふぅん、と気のない返事。少しの沈黙。完全に止まった手の上で鉛筆をもて余しながら、視線だけは紙に戻す。なぁ、とまた声をかけられた。今度は答えずに顔だけあげると、鞄を手にした彼がじっと私を見ていた。
「何で美術部はいんねーの」
またそれか、と思った。みんな同じことを聞く。だけど、接点はなかったはずの彼が聞いてきたのが不思議だった。だから、気まぐれで素直に答えた。
私じゃ無理だと思ったから。
あんなすごい絵に追い付ける気がしなかったから。
私は絵が下手だから。
淡々と話す私に何を思ったのか、彼は私に近付いてきて、紙を覗き込んだ。上手いじゃん。呟くような言葉が聞こえた。でもダメだな。次は私に投げ掛けるような声だった。意味が解らなくて、見上げた彼は既にこちらを見ていなくて、扉に視線を移している。
「……ダメって?」
「俺の友達がさ、美術部なんだよ。で、誰か良いやついたら勧誘するように言われてんのな」
俺サッカー部なのに。不平を漏らしはするものの、話してくれる気はあるらしい。彼は見上げたままだった私と描きかけの絵に交互に視線をやって、もう一度だめだ、と呟いた。
「お前は自分より絵のうまいやつがいるのが、嫌だっただけだろ」
だから、ダメだ。
心臓がざわめいた。心の奥底で私が呟く。
気づかれた。
「絵はうまいけど、自尊心も高い感じ。そーいうやつってあんまり紹介したくないし、なんかこー……今後の成長に期待できない、とかそんな感じで」
好きにしゃべった彼は流石に気まずく思ったのか、目をさ迷わせていた。思わず、溜め息が口をつく。重苦しいそれにびくりと目の前の肩が震えた。
不思議と、怒りとか悔しさとかそういうものは感じなかった。ただ、自分の恥ずかしい心の中を丸裸にされたようで、苦々しい気持ちはあった。
「そうだね、私もそう思う」
辛うじてそれだけ返す。動揺して震えてなかっただろうか、暢気にもそんな事を考えながら、私は口を閉ざした。クラスメートが狼狽えているのを見て申し訳ないと思う気持ちはあれど、フォローすることはできなかった。あれこれ考えるように唸り声を挙げていた彼は、悩み悩み口を開いた。
「あー、あのな、でもな、それでも、絵を描いてるのはホントに好きなんだなって思うぞ。お前は絵が好きなんだなって」
それだけ言った彼は、じゃ、そういうことで、と慌ただしく教室を出ていった。ぴしゃりと扉が閉められる。くるりと振り返って、私は扉を見ながらひとつ、呟いた。
高校時代の若く青臭い感傷、のようなものがテーマでした。誰だって負けたくないとは思うものです。それが結果として自分の向上に繋がることもあります。でも、それから逃げたり、言い訳したり、そういうことは自分のためにならないと思います。偉そうに言う権利はありませんが、馬鹿みたいに素直になったほうが楽なことのほうが多いように思います。
あとがきまでお読みくださり、ありがとうございました。誤字脱字等には十分注意していますが、何かおかしな点がございましたらお知らせください。