愛し子 その五
5、
「そろそろ時間だね。行こうか、スバル」
「…うん」
ルゥに促され、僕は部屋を出て、彼と一緒に聖堂へ向かった。
自然と人を和ませる特技と言ってもいいのだろうか…ルゥの素直な柔らかい笑顔を見せられると、へそを曲げそうになってもついに懐柔されてしまう。
すでに聖堂の中には、ベルの部屋に集まっていた者と数人の先生方が集まっていた。
聖堂の中心に描かれた魔方陣は淡く金色の光に輝き、その中心に立ったアーシュは、周りの連中に囲まれ、緊張した面差しも無く明るく語り合っている。
「よお、逃げずに来たな、スバル。えらいぞ」
軽く片手を上げたアーシュが、僕を笑う。
「…」
逃げれなくさせたのはおまえだろうが…。
厭味ったらしいアーシュの言葉にも、見透かされていることもムカついたけれど、本当は自分の情けなさに一番腹が立つんだ。
「こっちへ来いよ。スバル」
魔方陣の中心に立つアーシュは、あけすけに僕に手を差し出す。周りにいた者が、僕の為に道を開けた。
僕はゆっくりとアーシュに近づき、その手をそっと掴む。
「ああ、スバルには言ってなかったけれど、これから向かうところは結構寒い場所らしいから、このマフラーを貸してやるよ」
自分の首からマフラーを外し、アーシュは赤いマフラーを僕の首に巻いた。
まだ温かいアーシュの温もりが肌に伝わる。
「…君は?…寒くない?」
「俺は大丈夫だよ。魔王だからさ。寒さなんかどうってことないさ」
「よく言うわよ。めっぽう寒がりなくせに。ほら、これ着なさいよ」
リリは手に持っていたコートをアーシュに差し出した。
アーシュは素直にリリから受け取り、それを着た。
黒いマントが翻り、魔方陣の光がその稜線を輝かせた。
…なんか、どっかで見た格好だったような…
「なんだよ、コレ。ああっ!確か…去年学園祭で演じた時のコスチュームじゃん!」
「あ、そうだ。アーシュが吸血鬼の…」
「ああ…思い出したくもない、リリの作った最悪の劇…」
「なによ。最高の出来だったじゃない!観客にもすごくウケてたし」
「どこがだよ~…『私の血を吸う前に、頼む。一度だけおまえを犯らせくれ!』って。…サイテーだ…」
「同意…」
「あんたら馬鹿?ここが一番盛り上がるところじゃない。叶わぬ恋を叶えるために、命を懸けて遂げようとする男心…ステキじゃない。女しか仲間にしない吸血鬼を犯したい男のサガが、ありありと描かれていて…」
「…ねーよ」
正直、リリの腐女子ぶりはオタクの僕でも引く。
見かけは西洋人形のようにかわいいリリが、あそこまで腐ったところ見せられるのも…なんというか…もったいない。しかも彼女は性の対象として、女しか興味ないときているから、彼女に気のある男の子も怖くてラブレターさえ出せない有様。
でも、アーシュに渡したマントは寒がりのアーシュには必要だろうし、何よりとても似合っている。彼女の選択は間違っていない。
だからみんなはリリが腐女子であろうと、信頼しているのだ。
「じゃあ、行くよ、スバル。俺の腕を離すなよ」
「うん」
僕はアーシュの腕をしっかりと掴んだ。アーシュは片手に携帯魔方陣を持ち、真上に投げた。
小さな丸い鏡のような魔方陣はクルクルと回り、そこから輝く円柱の光が僕らを包んだ。
目の前にいるたくさんの…友人が手を振っている。
次第にボケていくそれが白く消えてしまうと、僕は不安で泣きそうになり、掴んでいたアーシュの腕を思い切り引き寄せた。
「痛っ…。おい、スバル。あんまり力いれるなよ」
「ご、ごめん。でも、僕…不安で…。トゥエを助けに行くったって、危険なところなんだろ?…僕なんかが一緒に行っても、役に立てないよ?」
「それは俺が決めることだよ。言っておくが、俺にできないことはない。魔王だからな」
「…」
「だから、スバルに危険が及ぶことはないし、俺はスバルに来て欲しかった」
「ベルやルゥよりも、君に対して親身にならないから、楽なんだろ?…ルゥにそう聞いた」
「ああ、セキレイの言葉にも一理ある。けど、今回はスバルが必要だ。おまえがただのひきこもりのオタク魔法使いじゃないって、俺はあいつらに証明させたいのさ。その絶好のチャンスだからおまえを選んだ。スーパースターも夢じゃないぜ。あとは…まあ、スバルの度胸次第だな」
「度胸かあ…」
「ああ、期待しているんだから、がんばれよ」
「…うん」
アーシュの冗談にしてもスーパースターなんかを望んでいない。
だけど…
なんか変な気持ちになった。
期待してる…なんて、さ。
僕のことをアーシュがこんなにも考えてくれていることも驚きだ…
なんだか…少しだけ怖くなくなったし、わくわくしてる。
伸弥さんと過ごした時のような、胸の高鳴りを感じている。
頭の上の円盤は円柱の光で僕らを包み、まるで横に滑るみたいに霧のようなまっ白な空間を水平移動している。
「どれくらいかかるの?」
「う~ん…十分ほどかな。場所はわかってるけど、なにしろワープで行くのは初めてだしな」
「アーシュ、よく見たら、君、眼鏡掛けてないんだね」
「今頃気づいたのか?まあ、勝負師としては、今回の敵には、度胸と愛嬌と見目麗しさで勝負!稀に見る美貌の魔王が恐怖に陥れるってことで…そんな感じにしてみたんだよ。どう?イケてる?」
「…」
マジで言ってるのかどうかわからないけどさ…。
僕にはあんまりわかんないんだけれど。
「アーシュは神さまになったの?」
「セキレイが言ったのか?」
「うん、クナーアンって星の…」
「まあ、そうだけど…。なんにしろ、俺の人生は一回きりだってことだから、神さまでも魔王でも楽しんで生きようって決めている。スバルも楽しめよ」
「え?」
「死んだ恋人のことを忘れても罪じゃないし、忘れなくても楽しんだり、恋をしたりするのは、おまえを思うあの世の住む人への敬意になるんだぜ?覚えておけよ、スバル」
「…」
同い年のアーシュから諭される自分は、惨め以外の何ものにもないのだけれど、それに反論などしようもない。
一歩を踏み出す勇気がないのは、僕の愚かさだ…。
そして、そんな僕の背中を押してくれるアーシュを有難いと思ったり、嫉妬したり…。
人と交わることがこんなに忙しいなんて…変だな。
めんどくさいけれど、何故だか少しだけ嬉しかったり…。
そして、僕とアーシュは見知らぬ土地へ着いた。
陽が暮れた辺りは暗くて、どこに居るのか見当がつかなかったが、ボオーッと霧笛が聞こえた。それは昔、港近くに住んでいた頃に聞いた懐かしい響きだった。
「海が近いんだね。潮の匂いがする。それに霧笛も…暗くてよく見えないけれど、港があるはずだよ」
「そうなのか?なんかわかんねえなあ~。俺は海なんか見たことないしな~。もっとも、クナーアンの海では海竜とよく遊んだけどね」
「海の竜…?すごいけど…そっちの方が想像つかないよ」
見知らぬ世界を知るアーシュの話に興味をそそられたけれど、誰かがアーシュの名を呼びながら近づいてきたから、それ以上、海竜の話はできなかった。
「うわ~!ジョシュアだ!ひさしぶり!」
上背のある黒いくせっ毛のひょろりとした見目の良い男が街燈に照らし出され、アーシュはそいつにの首に腕を回しながら飛びついた。
「アーシュ…。すげえな、おまえ。ホントに来やがった!」
「ジョシュア、元気そうで何よりだ!会いたかったよっ!」
「嘘でも嬉しいぜ、アーシュ…」
ふたりは僕の目の前で、恋人のような口づけをした。
ルゥもベルも…イールって恋人もいるっていうのにさあ…アーシュの奴。そんなエロっぽい顔しちゃってさ。
…なんだか…すげえ頭にくるっ!
そう思ってその「ジョシュア」って奴を思いきり睨みつけてやったら、そいつはアーシュを抱きしめたままニタリと笑い、どうだ、いいだろ?と、でも言うみたいに僕に向かってウィンクしやがった。
言っておくけど、アーシュは僕の同級生なんだから、君よりもずっと一緒に居たんだからね!
…などと、嫉妬でふくれてしまう自分の貧しさに、また自己嫌悪に陥るのだ。