愛し子 その三
その三、
アーシュを自分の部屋へ招き入れる事なんて、滅多にない。だからだろうか、アーシュは狭い僕の部屋をじっくりと物珍しそうに眺めている。
「そんなに広くもない部屋で、何の品定めだよ、アーシュ。いい加減、テーブルに落ち着いたらどう?」
「だってスバルの部屋って…なにもかもが変テコでおもしれえ~。こういうのってオタク部屋って言うんだろ?」
「別に…色んな国に行くから、地元の珍しい人形とか絵とか…諸々を飾っているだけだろ」
「ふ~ん、そうかい。でもクナーアンにはこういうポップなロリゴスフィギュアはねえからな。…へえ、パンツにもレースがついてるのか…。すげえわ」
「勝手に触るんじゃない。汚れるだろっ!」
「…おまえ、その子…山の神って言ったっけ?その子をモノにしてもこういう趣味を押し付けるのだけはやめとけよな」
「するか!それに…モノにするとか言うな。あの子は…人柱にされて、殺されるかもしれないんだから…」
「だから、おまえが保護して、ここに連れてくるんだろ?そんでかわいがってやるんだろ?…モノにするって事とどこが違う?」
「…」
そりゃ、確かにあの子はかわいいし、できるなら僕の恋人になって欲しいな…なんて…思っているけれど…
「でも…あの子が『天の王』にふさわしいかどうか…その能力があるのか…僕にはわからない…」
「まあ、いいんじゃね。見たことはないけれど、スバルのお墨付きなら俺は別に構わないぜ。もちろんその子の能力は量らせてもらうけどさ」
「…本当はさ、自信がないんだ。あの子をここに連れてくることがあの子の為になるのだろうか…。僕はあの子をちゃんと良い未来に導いてやれるのだろうか…って」
「そんなの、心配ねえよ。スバルはちゃんとしてるからな」
暖炉の上の棚にはふたつの写真立てが並んでいる。
今までに僕がただひとり愛した人だった伸弥さんと前学長だったトゥエ・イェタルの写真だ。
そのひとつをアーシュは手に取った。
「…トゥエが死んで五年か…。なんかすげえ昔のことみたいにも感じるし、ついこの間のような気もするし…」
「…うん」
「…俺とおまえとでトゥエの死を看取ったんだ。あの時トゥエは言った。『私が見守った多くの愛し子たちを信じている。だから泣かなくていいんだ』って…」
「うん…」
「おまえは泣いてたけどな」
「ボロ泣きだよ。我慢できなかったもの」
トゥエ・イェタルは僕の腕の中で死んだ。その時、残してくれた言葉は僕の未来を変えた。
…スバル、君には力がある。それは愛する者を守れる力だ。
それは君を成長させるものだ。
君もまた…私の大切な愛し子だよ。
トゥエ・イェタルは天の王学園を育っていったすべての生徒を「愛し子」と呼んだ。
たが、彼が心から必要とし、愛した者は…ひとりだけだ。
その事件は、僕が天の王学園高等部の最後の新年を迎えた18歳の真冬に起こった。
サマシティは世界の狭間と言われるが、同時に一般市民には世界情勢の報道が入りにくいシステムになっていた。
新聞、雑誌やラジオからのニュースを注意すれば手に入れることはできるが、天の王学園で暮らす生徒たちにとっての重要な興味はもっぱら、学園内のゴシップや未来や恋を語ることだった。
当然、年中引きこもっている僕にも、学園内すらままならぬのに、外のことなんか興味もなかった。
或る日、学園の集会で世界が混乱していることを知らされた。
或る日を境に、世界のあらゆる各地で魔法使い、即ちアルト同士が殺し合いをしていると言う。
それまでも地域によっては頻発していた事件ではあったらしい。しかし、ここまで大規模の殺戮は滅多な事ではなく、もはや大惨事のクーデターになりつつあった。
詳細までは知らされなかったけれど、イルト(魔力のない人間)に操られたアルトが、弱いアルトを一方的に殺戮していると言う。
確かに魔法使いであるアルトは、心を奪われたイルトに服従するという本能がある。だけど、それを悪用して人を殺させたりするなんて…とても僕には理解できなかった。
国際情報機関は強い魔力を持つサマシティのアルトたちに、強力の要請を求め、サマシティの議員たちと相談した。
「天の王」学園の学長のトゥエ・イェタルは、その事情を聴き及び、僕達高等部の生徒たちに仔細を語り、このクーデターの終結する為の助力を惜しまないと誓った。
そもそもクーデターの主犯格が、「天の王」学園の卒業生だと判明した時点で、首謀者の排除には学長であるトゥエ・イェタルが適任と誰もが判断したからだ。
確かに多くの罪なき者たちの死を招いた者への処罰は必要不可欠だが、「天の王」の卒業生に対して、学長自ら手を下すことを強いるとは、なんと残酷なものだろう…
学長、トゥエ・イェタルは、首謀者との平和交渉を申し出、その対話の為に敵地に乗り込んだが、具体的な交渉も無く、無謀にも身柄を拘束された。
彼らの統率者であるハールート・リダ・アズラエルは、トゥエの処刑を全世界の人々の前で行うと発信したのだった。
そして、その日が明日に迫っていた。
アーシュとベルが卒業旅行と言い残し、学園を去ってから早四か月を過ぎようとしていた。
僕を含めた「天の王」学園の生徒たちには、学長を救い出す良い手立てなどなかった。
誰かが助けに行くと息巻いても、それに続く者はいなかったのだ。
僕だって…
僕だってなんとかしたかった。
トゥエは伸弥さんを亡くした僕を、ずっと見守ってくれた。
ひとりぼっちでどうしようもない時は、「スバル、一緒に星を見ませんか?」と、こもりきりの部屋のドアを叩いてくれた。
僕だけじゃない。ここに居る生徒の誰もが、トゥエをどうにかして助けたいと願っている。
その時だった。
ついにアーシュが、「天の王」学園の聖堂に姿を現したのだ。
誰もが切望したその時、彼は…還ってきてくれた。
卒業生のメル、そしてベルと…14の時から姿を見せなかったルゥまでもが、そこに居た。
僕たちは歓声を上げた。
「帰ってきた!アーシュが帰ってきてくれた!これで、学長は救われる!」
学生たちは息つく間もない程に次々と、現在の世界情勢とトゥエが拘束されたことを四人に話し、それがすべて終わった後、黙ってアーシュを見守った。
誰もがアーシュの姿を救世主に重ね、そして絶対的な救いの言葉を待っていた。
アーシュが我らを率い、彼の殺戮者を虐げ、トゥエ・イェタルを救い出す為に立つのなら、全員が一堂になり、これを決する覚悟はあった。
その命令をアーシュの口から発せられる時を待っていた。
しばらく黙ったままのアーシュは、一息ついた後、誰の顔も見ずに「わかった。じゃあ、明日、また考えるからさ。今日はもう休ませてくれる?俺、超疲れててさあ~」と、あくびをしながら、緊張した僕たちの脇を通り過ぎ、自分の寄宿舎へと帰って行く。
そして他の三人もアーシュの後を追ってしまった。
残された学生たちは唯一の希望を失ったと、嘆き悲しんだ。彼らを罵る奴らも居た。
僕もみんなと同じだった。
誰もがアーシュならなんとかしてくれる…と、思い込んでいたのだ。
アーシュだって僕と同じまだ18才の学生でしかないのに…
自分の部屋に戻っても、なんだか怖くて仕方がない。
ベッドにじっともぐりこんでいたら、部屋のドアを叩く音がした。
僕は飛びあがってドアを開けた。
ルゥが立っている。
「スバル、悪いけどちょっと来てくれない?ベルの部屋にみんな集まっているんだ」
どうして僕が呼ばれるのか、わからなかったけれど、僕は黙ってコクリと頷き、ルゥの後ろをついていった。
ベルの部屋は特別室で広くて綺麗だった。
この街一番の財産家のベルだから当たり前だけど、毛足の長いふわふわの絨毯の上を歩くだけで、裸足になって寝転がりたい…と思った。
そんなことより、ベルの部屋には部屋主であるベルの他にアーシュとルゥ、リリ、そしてさっきまでアーシュ達と一緒に居たメルという卒業生が居た。
「じゃあ、とりあえずホーリーが揃ったところで、トゥエを助け出す計画なんだけど…大きな声で話すと疲れるからさ、みんな、俺の傍に寄ってくれる?」
長ソファに寝そべっていたアーシュは身体を起こすと、全員を彼の周りに集まらせた。
「トゥエの状況はジョシュアからの手紙で大方の見当はついている」
「ジョシュア?…あのジョシュアか?…どうしてジョシュアの名が出てくるんだ?」
「ジョシュアには今までも色々と働いてもらっててね。俺はまだ学生で、好きなところに行けないだろ?だからジョシュアが気になる土地に行った際、地域の様子なんかを定期的に手紙で知らせてもらう手筈になっている。ここしばらく俺が留守だったからその手紙もかなり溜まっていてさ。特に、この一週間は毎日のように電報が送られている。…トゥエの身に危険が及んでいることもわかっている。だから早くトゥエを救い出したい。ジョシュアはトゥエの拘束されている場所近くに居ると言う。だから、ジョシュアを目指してワープしてみようと思う」
「ワープ?…それってなによ」リリがわけの分からぬ顔で、アーシュを睨んでいる。
「スバルが作ってくれた魔法アイテムさ。これがめちゃくちゃ役に立ってくれてさ…。詳しいことは疲れるから今はしゃべんねえけど…。そういうことで、日暮れ前にはトゥエを助けに行くから、後は任せてくれ」
「え?任せてって…。それって、どういうことよ」リリの眉間がますます歪む。このままじゃいつ爆発してもおかしくない。僕はリリから距離を置いた。
「だからトゥエを助けに行くんだよ」
アーシュはリリの機嫌にも構わずに、テーブルに用意されたコーヒーを一気に飲み干し、ひとりでむせかえった。
「わかった。じゃあ、俺も行く」と、ベル。
「僕ももちろん連れて行ってくれるよね」と、ルゥ。
「ついでだから僕も行ってあげるよ」と、卒業生のメルが言う。よく知らない人だけど、ご親切な人もいるものだ。
僕なんか、怖くて…協力したいのはやまやまだけど、役に立ちそうもないから、みんなの無事だけを祈っていよう。
「ありがいけど、みんなはここに居て、街や学園の様子に気を配ってくれ。奴らの真の目的がなんなのかわからないし、ここの卒業生が絡んでいるのなら、尚更注意しなきゃならないだろ?トゥエを救いに行くのは俺ひとりで…そうだ、スバル。おまえ、俺と一緒に来いよな」
「はあ?」
全員の目が部屋の隅に立つ僕に注がれた。と。というか、睨みつけられた。
そりゃ、僕は一応高等魔術師の証をもらったホーリーだけどさ、別段これといった魔力が使えるわけでもなく、ここにいる誰よりも能力的に劣っているって、僕が一番わかっているさ。だからそんなに怖い目で睨まないで欲しい。僕、圧力には弱いんだから…
「…えええ!ぼ、僕…む、無理、絶対無理だから」
「もう、決めたんだよ。俺とおまえでトゥエを助け出す!異論は認めん!」
「…そんなあ…」
「うまくいきゃ、スバル、おまえ、世界のスーパースターだぜ?」
いやいやいや…
そんなもん、全然望んでない!
つうか…僕の意志は…無視かよっ!