愛し子 その一
「山の神」の、スバル視点でのお話です。
愛し子
「ねえ、スバル。ちょっとばかり君にニッポンの情報部に行ってもらいたいんだけどさ。ついでにゆっくり色んな土地を回ってこいよ。ニッポンって温泉とかたくさんあるんだろ?…いいなあ、俺も行ってみてえなあ~」
と、ソファに寝転んだアーシュが嫌味ったらしく言う。
その命令にすぐに返事をしなかったのは天邪鬼の僕の悪い癖だけど、故郷への旅に期待に胸が弾まないわけがない。
それをアーシュに見透かされるのが悔しくて、僕は仕方なさ気にニッポンでの仕事を承諾したのだ。
ニッポンに来るのは久しぶりだった。
遠い昔…十歳になるひと夏を、僕は深い山間にある村の小さな祖母の家で過ごした。
その夏に出会った最愛な人との思い出は、僕の一番大切な…とっておきの宝物のように輝き、今でも心の糧になり続けている。
その夏に過ごした粗末な祖母の家は、今はない。
三年前に、祖母は亡くなった。
畑仕事の最中に倒れた祖母は、意識が戻らぬまま、一週間後に眠るように逝ったという。
たったひとりで生活をしていた祖母は、その真面目さ故か、村人達に丁寧に見送られ、お墓に葬られた。
小さな石に刻まれた祖母の墓に手を合わせ、僕は十二年ぶりの故郷を懐かしんだ。
祖母の墓参りを済ませ、村の様子を伺いながら、仁科家のお墓に足を運んだ。
この村の地主である仁科の家は、十二年前に火事で焼けた後、立派に新築され、その墓は家の傍の高台にあった。
僕は仁科家の使用人に案内され、伸弥さんの墓に花を手向け、手を合わせた。
…なんだか不思議な気がした。
伸弥さんのお骨はここに安置されているはずなのに、伸弥さんの墓に彼の思念は少しも感じられなかった。
ふたりが出会った河原を歩いても、神社の境内を覗いても伸弥さんの気配は感じない。
「…伸弥さん、何か変だね。ここは伸弥さんと僕が過ごしたはずの村なのに、少しも伸弥さんを感じたりしないんだ。そりゃ、ばあちゃんへの懐かしさ…はあるけどね。でも…やっぱり、伸弥さんはもうここに未練はないんだね。変だね…なんだか少しホッとしている。だって…伸弥さんは僕だけのものであって欲しいんだもの。…なんてさ。勝手すぎるかなあ」
僕の独り言に、伸弥さんは隣で笑って頷いてくれている。それも僕の勝手な思い込みだろうけれど…
「さあ、お墓参りも済んだし、アーシュへの土産話を探しに、どっか良い温泉にでも行ってみようかな~。その前に…」
僕は子供の時からお世話になっていた此花咲耶さんを尋ねるため、トウキョウへ足を運んだ。
咲耶さんはニッポン情報部の管理責任者のひとりに昇進している。
情報部は世界各地に支部を置き、魔力を持った人間が、その土地に住むアルト、即ち魔法使いを管理するセクションだ。
その情報部と繋がっている唯一独立した機関が、現在の僕が居るサマシティの「天の王」となる。
「あら、スバルくん。久しぶりね」
「咲耶さん、こんにちは。今回は僕が仕事を請け負うことになりました。よろしくお願いします」
「こちらこそ~。スバルくん、会うたびにイケメンになってさ~。あっという間に大人になっちゃったのねえ~、つうか…老けた?」
「酷いなあ~。22ともなれば、誰だって老けますよ」
「でもお宅のボスは…怖いぐらい超美少年のままだよね~」
「あれは…まあ、特別ですから。あはは」
「まあ、魔王だしね、あはは」
あの高慢ちきなアーシュの顔が、お互いの頭に同時に浮かび、乾いた笑いが響いた。
なんというか…アーシュに対して感じる想いは、人それぞれだ。
尊敬や畏怖はもちろんだが、どちらにしても慣れない者は、とても神経をすり減らすと言う。その気持ちがわからないわけではない。
「ところで、今回の仕事というのは…」
と、咲耶さんは話を変える為に、机に地図を広げた。
「山の神」に出会ったのは、別段偶然ではなかった。
この地方では古代からの伝説により、幼い子供が「山の神」として奉られ、成長期が近づくと次の「山の神」に入れ替わると言う。その謎を解くために僕はこの山に来たわけだ。
目的は「山の神」が、僕らの役に立つ能力を持っているかどうかを見極める為だった。
四年前の「聖光革命」と呼ばれた大規模なクーデターにより、魔法使いの数は極端に減少してしまった。その上、未だにアルト狩りと称した「虐殺」は後を絶たない。
僕たちは能力を持った魔法使いを保護する為に、各地を旅している。
その対象は圧倒的に子供に向けられているのが実情だった。
アルト狩りによって、親を亡くした子供たちの行方不明が多かった所為もあった。
幸いなことに島国であるニッポンは、世情に疎く、アルト狩りからは逃れていたから、実害は少なかったが、だからこそ、表に出てこない魔法使いの存在も多いと聞く。
その「山の神」に出会う為に、どうすればよいかと思案しながら、野宿をしていた夜、彼は僕の前に突然現れた。
まだ幼い、見た目には少女のように可憐で巫女の姿をした少年。それが「山の神」だった。
間もなく十歳になるという彼は、文字も、世の中の事もなにも知らない、教えられていない無知な子供だった。
十と言えば、僕がこのニッポンへ来て、伸弥さんと出会った頃だ。
こんなにも幼かったのか…と、小さな「山の神」を抱き上げ、星の名前を教えながら、何度も胸が締め付けられてしまったんだ。
伸弥さんもこんな気持ちで、僕を見守ってくれていたのかもしれない。
生きることに自信もなく歪んだ心で生きていたあの頃の僕と比べて、目の前の少年の潔さと生命力はどうだろう…
全くもって純粋で無垢な魂を持ち、そして「山の神」としての責務を果たす為に生きようとするその強さに、僕の心は揺さぶられた。
友達も、何一つ教えてくれる大人もいないひとりぼっちの幼い少年が、これ程の美しい精神を持つことができる。
羨ましくも憧れてしまう。
彼の能力は未知数だったが、できるのならばここからすぐにでも「天の王」へ連れ去ってしまいたかった。
どう考えたって、こんな山里の掟なんか、ロクなもんじゃない。
「山の神」と一年後の再会を約束して別れ、一旦情報部に戻り、咲耶さんに相談したところ、案の定、「山の神」は伝説通り、「人身御供」として始末されるのではないか…と、いう結論に至った。
すぐにでもあの少年を保護したかったが、きっと責任感の強いあの子は最後まで「山の神」の役目を果たすと言うだろう。
あの子が僕の手を掴む、その時まで待つしかない。
一連の事態を報告する為にサマシティに戻った僕を、アーシュは待ちかねたように部屋に向かい入れた。
「やあ、スバル。待っていたよ。収穫はあったかい?」
「うん、それがさ…」
と、僕はニッポンで出会った「山の神」のことを話した。
「…へえ~、そんなにかわいいのか。つうか、おまえって…ショタコンだったのか?」
「え?」
「おまえさ、昔はフリフリのピンクの服なんか着て、ロリコスに凝ってたから、ロリコンとばかり思ってたけどな」
「うるせえよ。僕はロリでもショタでもない。敢えていうなら…」
「なら?」
「かわいいは無敵だ!と、言う答えを導き出したのだよ。これは哲学だとは思わないか?アーシュ」
「…知らねえよ」
不貞腐れたようにそっぽを向くアーシュの態度に、何か間違ったことを言ったのだろうか…と、僕は頭を捻るばかりだ。