導師
「ねぇねぇ。これどうやって壊したらいいの? バコンてしたらいいのかな~?」
ケタケタと笑いながら、こいしは牢屋の鉄柵をツンツンつついている。
「な~んか変な呪術かかってるみたいだね~。呪符は貼って……あったね真下だ。灯台下暗し」
その幼さの残る行動に、目の前にいるのが危険因子だと忘れてしまう。見れば見るほど、とても危険な存在だと思えない。どこにでもいる、ただの子供だ。
「剥がしてい~いこれ?」
「いや! 待て! それは霊力を吸収―――」
早苗の静止を聞かずに呪符を剥がそうとすると、こいしの手に反応するように呪符がスパークした。目を潰さんばかりの閃光が早苗を襲うが、目を閉じているこいしには関係のない話しだ。
「ふ~ん。なかなか強力な呪符なんだね~。でも剥がせない訳じゃ」
こいしが呪符の端を剥がし、そのまま引き剥がそうとした瞬間。こいしの後ろから、斬りかかろうとしている人影を早苗は捉えた。
「古明地屋!」
こいしは早苗に言われるより速くその場から飛び退くと、剣閃と風を切るような音が鳴る。
「まったくなんだよ~。もうちょいだったのに~」
可愛らしく頬を膨らませるこいしに、斬りかかった者、豊聡耳神子は冷徹な目付きで見下す。
「貴様。いったい何者だ? なぜ私の呪符が効かない?」
「う~ん……な~んででしょ?」
怒りを露にする神子に、煽るように首を傾げるこいし。だがそれが、神子の怒りをさらに助長させる。
神子は空中を袈裟に切り裂くと、空間に黄昏色で楕円形の光の閃が生まれ、目映いばかりに煌めくと部屋を被う程の閃光がこいしに向けて放たれた。
「ぐっ! 古明地屋!」
檻の中いる早苗は余波による突風で、腕で顔を被う。光が収まり辺りは戦塵に包まれる。
「!!」
煙が晴れると、そこには薔薇と茨の壁が部屋の天井まで伸びていた。
「開幕射撃なんて穏やかじゃないね~。死にたいの?」
茨はこいしの袖に収まっていき、放たれた殺気は神子だけでなく、早苗も反応するほど強かった。
だが、変なのだ。殺気はあるのに、殺意がまるで感じられない。
早苗が思ったことを、神子も同様に思っていた。
神子の能力は、聞くに特化した強力な力だ。遠くの音を聞き、大勢の声を理解し、一言一句間違わず覚えることができる。幅広いその能力中に、特殊な力がある。
それは、人の欲望を聞く能力。
簡単に言ってしまえば、今相手がどうゆう感情状態で、何を欲しているのかわかる。そうゆう能力だ。
欲望とは千差万別で、人によって当たり前に違う。それが普通で変わりようのない事実だ。だが。
「お前は……本当に生きた人間か?」
こいしには欲望と呼べるモノは欠片も存在しない。最初からないようなのだ。
意思が貧困とかではない。意思そのものが抜け落ちているのだ。考えを許さない、思うことを有さない。人間を拒否した人間。
それが古明地こいしとゆう存在だ。
「生きてるよ~? 一様」
神子の問いにたいしてそれだけ返す。こいしは後ろで手を組んで神子の次を待つように待っている。
「悲しいやつだな」
神子は剣を構え直し、切っ先をこいしに向けた状態で肩に担ぐ。
「なら、何も感じずに殺すのが優しさか」
剣の刃が黄昏色に染まり、今まさに突進をしようとしたその時。
「ねぇ? 隙だらけだよ?」
いつの間にか間を詰め、神子の左の頬に右手を置いて下から覗き込むように見上げる。
予想外のことに動揺した神子は咄嗟にバックステップで距離を開けようとするが、それより速くこいしの手が伸び、神子の左目を抉った。
「がっ―――――あああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
鮮血が神子の目から溢れ、飛び散る血がこいしの顔や服を赤く、紅く染めていく。
よろよろと左手で目を押さえながら後ずさる神子に、こいしはケタケタ笑う。
「駄目だよ~。それじゃあ私を殺せないよ?」
こいしは神子の抉った目を指先でコロコロさせる。そして力任せにそれを潰した。ブチッ! とゆう嫌らしい音と共にこいしの手から鮮血が垂れる。
「貴様! 貴様ぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
神子は押さえていた手を外し剣を両手で持ち、力任せに斬りかかる。霞むほどの速度で振るわれた剣を、こいしは握って受け止めた。こいしの手からは血が流れる。
「だからね~。それじゃあ殺せないよ? 殺すんならさぁ~」
一瞬だった。神子の背中から巨大な蒼い薔薇が咲き、神子は口から大量の血を吐き出す。
「これくらい綺麗にやらないと」
こいしが腕を神子の腹から引き抜くと同時に、蒼い薔薇は弾けて花弁が舞う。血で染まる指を舌鼓し、満面の笑みで神子を見下ろす。
神子は大量の血の海に身を沈め、呼吸もままならずもはや意識を保っているのでやっとだ。手を下さずとも死ぬだろう。
「あ~楽しかった。やったぱり闘いはいいよね~」
その言葉に早苗は目を見開く。
これを……この殺しあいを……お前は闘いと呼ぶのか。
感覚の違いがありすぎる。命のやりとりに喜びを感じ、殺すことを当たり前に考える。異常だ。異常過ぎる。
いままで何人もの犯罪者を見てきたが、こいつは次元が違う。
純粋な恐怖心と、気持ちの悪さに思わず身震いをする。もしこの牢屋がなかったら、早苗は既にこいしから逃げているだろう。例え味方だと言われたって足を止めることはない。それほどにこいしとの関わりは拒絶したくなるのだ。
「さってと~」
血塗れの体など気にも止めず、こいしは勢いよく振り返り檻の呪符に手を伸ばした。
術者が消えた今、この呪符の効力は一切ない。だからこいしが剥がさずとも早苗が外に出ることは可能なのだが。
呪符に触れた瞬間。また目映いほどのスパークが起こる。
「なっ!」
馬鹿な。神子は死んだんじゃ?
早苗は視界の端に俯せに寝ている神子を見る。すると、神子の体が黄昏色の霊力に包まれていくのがわかった。
こいしも異変を察知し、手を引っ込めて振り返る。
神子はまるで天井に引っ張られるように起き上がると、腹に空いていた生々しい風穴が、黄昏色の霊力に包まれ、それが晴れると見事に傷一つなく塞がっていた。
傷が塞がると同時に目に意志が戻り、こいしを睨み付ける。霊力が収まると口許の血を腕で拭い、剣を構え直す。
「あまり……導師の力を侮るなよ?」
「へぇ~。自己修復能力ね~。初めて見たよ」
自己修復か。私も初めて見るな。自己修復には二通りあると聞くが、豊聡耳は呪術を使う。なら恐らく。
早苗のゆう二通りとは、霊力を使った傷の修復と、身代わりを使った傷の移しだ。
一つ目のほうは言うまでもあるまい。単に自分で自分を治しているのだ。だが二つ目はそれではない。身代わりに傷を移すということは、身代わりがいるだけ無制限に傷を治せるとゆうことになる。たがこれには欠点があり、死を伴う攻撃にのみ移すことが可能なのだ。そしてこれは、呪術的蘇生方法だ。
現に神子の左目の傷は、回復せず生々しく残っている。
「ここまで虚仮(こけ)にされたのは初めてだ。怒りでどうにかなりそうだよ」
そう言う割りには、神子は先程よりは取り乱してはいなかった。むしろ酷く落ち着いているように見える。
しかし空気が違う。刺すような、研ぎ澄まされた殺意がこいしに向けられている。当の本人はまったく気にしてはいないみたいだが。
「だから例えこの船が墜ちようが、私は今貴様を殺すために剣を振るおう」
大上段に構えた剣に霊力が纏い、光の礫が神子の回りを漂うように飛び交う。
「終いだ」
まさに振り下ろそうしたその時。
「みっこちゃーん」
神子の後ろから誰かが抱きついて来た。神子は突然のことに対応しきれず、「ふぐっ」と声を漏らして押し倒される。
押し倒してきたのはウェーブのかかったボブの青い髪に、髪の一部を頭頂部で∞の形に結い、結い目に鑿(のみ)を挿している。水色の袖の膨らんだ半袖ワンピースに黒いベルト、そして半透明の羽衣を羽織っている女性で、その姿は天女を彷彿のさせるものだった。
「駄目よ~その攻撃は。船もろとも木っ端微塵になっちゃうわ」
「そのつもりでしようとしていたんだが、なぜ止めた?」
神子の問いに女性はこいしに似たようなニッコリとした笑みを浮かべると、神子を抱き起こし立ち上がる。
「それだと色々と困ることがあるでしょ? それにまだあれの情報解析がすんでないわ」
「今まで何をやっていたんだ?」
「情報解析」
綺麗にあしらわれているのがわかる。神子は溜め息を吐き左目を指差す。女性は覗き混むように左目を見て、掌で目を包むように隠す。すると淡い光が掌の中で起こる。
「完全修復は無理ね。止血だけするわ」
「それで構わん」
応急手当をすませた神子はこいしを睨む。
「貴様。名前はなんだ?」
「古明地こいし」
「覚えておこう。私は豊聡耳神子だ。いずれ貴様に借りを返しに来る。それまで待っていろ」
そう言って。神子は部屋を出ていく。女性も後を付いていくが、扉の所で振り返る。
「その呪符、もう効力ないから開きますよ? 早苗さん」
あまりに色々なことが一遍に起きて唖然としていた早苗は、その言葉で我に帰っり、牢屋の柵を押し開ける。
本当に呪符による効果がなくなっていて、早苗は驚きのあまり女性を見る。
女性はそれを見届けてから、投げキッスを早苗に向けてして扉を閉めた。
「……誰なんだ? あいつ」
台風が過ぎたような静けさに包まれた部屋に早苗の声が響く。
こいしは暇をもて余したように伸びをすると、可愛らしいあくびをするのだった。




