白蓮
―――
「水蜜」
咲夜は神子に振り替えることなく進み、水蜜の横に並ぶ。
「直ぐにでも早苗を救出に向かいたい。行くわよ」
「行くわよって。何をそんなに急いでいるんだ。幻想郷には場所を変えながら後三日はいるんだよ? じっくり期を待った方が」
「それだと間に合わないかもしれない。今霊夢が船員を引き付けてくれてる。その隙をつきたいの」
なんだか急展開すぎて頭がついていかないけど、船員が船内に戻っていくのにはそういう理由があったのか。
「もつのか?」
私は博麗霊夢を知らない。どう引き付けているのかわからないが。私たちが早苗を救出している間に人が来ちゃもともこもない。
水蜜の心配は、しかし咲夜にはわからないものだった。なんせ霊夢は今もきっと、薄ら笑いをしながら戦っているだろう。
「大丈夫よ。霊夢は人間相手には負けない。あの一輪ってやつが人間で有る限り、霊夢には勝てないわ」
一輪の名前を聞いて、水蜜は戦いた。一輪の強さを知っている水蜜は不安で仕方なかった。
「ほんとに平気なのか? 一輪は人間だが、戦闘力は一個師団体を凌ぐんだぞ」
それを聞いて咲夜はクスクスと笑った。水蜜はそれを見て眉を寄せる。
「ああごめん。でも平気よ。霊夢の強さは、物差しでは計れないわ」
それだけ言って、困惑する水蜜を置いて先に船内に戻ろうとする。水蜜は浮かない顔のまま、咲夜に付いていった。
―――
一輪は船内でも最強とうたわれる逸材だ。雲山とゆう雲を操り、岩をも砕く拳を繰り出し、白兵戦においては敵無しとさえ言わせたほどだ。しかし。
霊夢の後ろ回し蹴りをなんとかガードする。雲を薄くしているとはいえその防御力は並大抵のものではなく、事実霊夢の攻撃はいまのところ全て受け止められている。だが押しているのは霊夢だ。
何者なんだ本当に。私がかつてここまで追い込まれたのは、聖と闘った時以来だぞ。スピード、パワー、テクニックがさっきまでとは断然に違う。このままではいずれ。
霊夢は右正拳突きから左フック、右回し蹴りから後ろ回し蹴り、その後も様々な連撃を放ち、それを受け一輪は壁際に追い込まれた。
まずい!
思ったのも束の間、すぐに霊夢の強打を顔面に見舞う。壁が陥没し強力なノックバックが一輪の頭を襲う。
「もう一発!」
霊夢が大きく振りかぶり拳を入れようとした瞬間。ただならぬ殺気を感じた霊夢は、攻撃の手を止め入り口を凝視する。
一輪も意識を朦朧とさせながらも霊夢の様子を感じとり、入り口を見る。そこにいたのは。
「……聖?」
長い栗色に毛先が紫がかっている癖の強い髪に白のワンピースに黒のコートのような上着、胸の前でいくつも交差した布紐で止めている。そして膝下まである黒いブーツを履いた女性が立っていた。
ナズーリンは一輪の霊夢の視線の方向見ると、目を丸くした。
そんな。なんで? なんで聖が? お前はまだ。
「ひじ―――」
「私たちの船にどうやら賊が忍び込んだようですね。誰ですかねぇ? ねぇ、霊夢さん?」
霊夢は自分の名前が呼ばれたことに驚き顔を歪めた。
ナズーリンの言葉を遮った聖の一言は、その場にいる船員全員を注目させた。船員は各々に、驚いたり戸惑ったり、喜んだりしている。周囲がざわつく。
聖お前は……お前はまだ牢獄じゃなかったのか! いつ出てきたんだ? まさか偽者? いやしかしあの気配、この懐かしい感じ、あれは聖だ。
周りを押し退け、とゆうよりは周りが勝手に退けて開けたら道を聖は歩き一輪と霊夢の方に歩いていく。その途中にいるナズーリンの前で止まると、いまだに緊張し強ばる体のナズーリンの肩に、ポンと手を置いた。
「ナズーリン……この場の扇動を任せましたよ」
「あっ……」
思考は一瞬だった。聖が何を考え、何を伝えたくて、何を促しているのか。
「……きけぇぇぇぇぇ!」
この場全体に響き轟く声に、視線の全てがナズーリンに向けられる。
「この船に企業の犬が紛れ込んだ!! 奴等は仲間と偽り我々を騙し今この瞬間に、東風谷早苗を狙っている! 首謀者はここいる、今日しがた加入した霊夢と恐らく甲板にいる咲夜。そして、村紗水蜜!!」
うっそ。たったあれだけのやり取りでそこまでわかるの? こりゃあ不味いかも。
霊夢は苦笑いしながらナズーリンを見る。
ナズーリンも全てをわかっている訳ではない。憶測でしかない事実が山程ある。しかしそれでも構わない。
聖が疑ったのは霊夢。そして以前捕まった東風谷早苗と同じ時期に入った村紗水蜜早苗と交流が深かったようだ。そして霊夢と一緒に入った咲夜。怪しいのこの三人。
「やつらはこの騒ぎに乗じて早苗を救出するつもりだ!」
証拠なんてない。もしかしたら間違いかもしれないが、しかしそれでいい。聖が賊と言ったのだ、確実に霊夢に言ったのだ。それだけで信じるには充分だ!
「このままでは悪を世に放つことになる! それは阻止するんだ! 我々は一重に平等! 我々を差別し疎む存在を排除する!!」
ナズーリンの檄に感化された船員たちが、拳と奇声を上げ士気が上がる。この場にいる全員が、ナズーリンの味方に、扇動されたのだ。
「この場は任せて貴様らは企業の犬を探せ!」
オオオォォォォォ!! とゆう怒号と共に船員たちは部屋を出る。ナズーリンは肩で息をして船員を見送り、聖に向き直る。
「なんでここにいるかは後で聞くよ。でも……他の船員たちに言わなくても、せめて私たちには教えて欲しかった」
それだけ言ってナズーリンは走って部屋を出る。聖は悲しそうに俯くが、すぐ毅然とした態度をとる。
「……一輪。あなたはナズーリンに付きなさい」
「しかし」
「大丈夫ですよ。この方と二人にしてください」
「……はい」
一輪は壁を使ってなんとか起き上がり、体を引き摺りながらナズーリンについていく。
「……さて霊夢さん。やっと二人ですね」
「別にあんたと二人きりになりたくなかったわ」
「またまた。動かずに待っていた癖に」
動かなかったってゆうか、あんたの前で迂闊に動けなかったってゆうだけだよ。
聖は周りに話しながらも霊夢に圧力をかけていた。霊夢が少しでも動くと殺せるように気を張っていた。だから霊夢は動けなかった。
「私と話したいって言ってたけど、どうゆうことかしら? それになんで私の名前知ってんの?」
「些細なことです。昔会ったことがあるんですよ? あなたは覚えてないと思いますが」
「記憶力には自信がある方だけど……いつの話しよ?」
聖はクスクスと笑いながら霊夢を見る。まるで親戚のお姉さんのように、優しい目付きをしている。
「あなたが四歳の時ですよ?」
四歳? 四歳っていえば確か……。
「今でも思い出します。弟を失った私を慰めてくれたあなたを」
「…………」
霊夢の頭の中にある光景が浮かんできた。うだるような夏の日。蝉の声がまるで回りに乱反射するように鳴り響き、炎天下の地面は陽炎のようにユラユラと揺らめいている。その中で声を殺して、博麗神社の賽銭箱の後ろで泣いている少女が一人。
「……あのお姉ちゃん?」
その言葉を聞いて聖がニッコリと笑う。
「私は……あのお姉ちゃんに。泣いてたから私が持っていた―――」
「金平糖をくれたんですよね?」
自分の言葉を遮るよう言った聖の言葉に、霊夢は驚愕した。
そうだ、あの日私は。
あの日は一人で境内を散歩していた時だった。片手に金平糖の袋を携えた私は、歩きながら食べるとゆう行儀の悪いことをしていた。
母親がなくなって早一年。悲しさはまったくと言ってゆうほどなくなっていた。確かに死んだ当初は毎日のように泣いていたが、お節介で胡散臭い人のお陰で母親を過去にすることができた。
それからはただただ暇な毎日を過ごしていた。一人の時間は多くなってやることがなくプラプラと神社周辺を散策する日々が続いていた。
その日もそれだった。もの珍しさがなくなった境内を見渡しつつ神社の近くまで歩くと、少女の泣くような声が聞こえた。
誰だろう?
気になって近づくと賽銭箱の後ろから声が聞こえた。どうしたのかと覗いて見ると、紫陽花色に紫陽花模様の着物に鼈甲のような帯、栗色の毛先が紫がかっている癖の強い髪を一つに結っている少女が、体育座りに膝に顔を埋めて泣いていた。年は自分より七つは上だろうと思ったが、その姿は自分と同じくらい小さかった。
私は声をかけずにただじーって見つめていると、視線に気づいた少女が顔を上げて私を見る。目は赤く瞼は涙で腫れぼったくなっていた。
「あなたは?」
私が訪ねると少女は声をしゃくらせながら答えた。
「……ひじり」
涙混じりに震えていたその声は、柔らかく私の耳に注がれた。だが私はこの時、その少女の名前を聞き間違えたのだ。
「いしり? ん~。じゃあしーちゃん」
そのころ子供たちの間で綽名が流行りであったのもあり、私は間違えて聞いてしまったいしりから文字って、しーちゃんと名付けた。
「これ食べる?」
私が手に持っていた金平糖を一粒袋から出し、しーちゃんに見えるように掌に乗せて見せた。しーちゃんは一度目を丸くすると、無邪気に笑う私を見てニッコリと笑ってそれを受け取った。
「ありがとう。あなたの名前は?」
目尻の涙を拭いながら、しーちゃんは私に尋ねてくるので、私は笑いながら。
「霊夢! 博麗霊夢!」
そう答えた。




