表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/66

勇者、店を出す

「お上手ですわね、楽しめました」


「こちらこそ。ありがとうございます」


 ダンスを終えたフレイとマレットは、互いの手に触れ軽く一礼した。マレットの言葉は世辞ではない。講座で見た時の茫洋とした印象とは異なり、相手は綺麗に踊りエスコートしてくれた。ダンスのパートナーとしては申し分ない。


 三曲目を踊るのをキャンセルして、二人は壁際に移動する。その時、マレットはまだ相手の名前を知らないことを思い出した。ダンスの時だけの相手ならば、聞かなくても失礼には当たらない。だが今後も講座で顔を合わせることを考えると、多少長い付き合いになるかもしれない。


「改めて自己紹介致しません? マレット・ウォルタースです。いつも講座に来ていただきありがとうございます」


「フレイ・デューターです」


 ぺこりと頭を下げ、二人は談話用に据えられた椅子に向かいあって座った。リラックス出来るように低めに高さが取られた椅子、その前のガラスの卓を挟む格好だ。


「あの講座の講師の方とパーティーで会うとは思っていませんでした。ちょっと意外です」


「そうですか? 講座では地味な服装ばかりしているからかしら」


「いえ、そんなことは。それにそのドレスとても似合っています」


 マレットが微笑みながら返した言葉に、フレイは生真面目に返答した。まさにとってつけたような褒め言葉だが、実際アイボリーホワイトのドレスの淡色はマレットの濃い鳶色の髪を引き立てている。


 礼を言い、マレットが近くを通った召し使いにお茶を頼む。さっとティーセットと茶菓子が提供された。二人の間に仄かに紅茶の香りが漂う。


 フレイが口を開く。


「グーセン男爵とお知り合いなのですか?」


「直接ではありませんよ。私が勤務している会計府の上司が友人でして、そこから私も誘われたんです。人数合わせかしら?」


 小さな笑みを唇に浮かべ、マレットが返事をする。実際、役所である府に勤務していると業務的な制約もあり、下っ端のマレットにまでパーティーの誘いがかかることは多くない。今回は上司が気を使ってくれたのだ。


「僕も似たようなものです。従姉妹に誘われて」


「従姉妹? 失礼ながらどちらかお聞きしてもよろしいですか?」


「ハイベルク伯爵夫人が僕の従姉妹なんです」


 あら、とマレットは口に手を当てた。ハイベルク伯爵といえば総督府に勤務している貴族だ。王都全体の庶務的なことを担当している総督府と資金管理を担当する会計府、その仕事上の繋がりは深い。


「仕事でハイベルク伯爵とご一緒する機会はあります。そうですか、伯爵のご親戚でしたのね」


 ええ、と曖昧に頷きながら、フレイはそろそろ聞きたいことを聞いても大丈夫だろうと判断した。マレットは概ね柔らかい態度でこちらに接してくれている。こちらが失礼な態度を取らなければ大丈夫だろう。


「あの、お聞きしたいことがあります。簿記の勉強を深めたいのですが、どうすればいいか教えてもらえませんか」


「いいですよ、と言いたいところですけど......理由を教えていただいても?」


 フレイのやや唐突とも思える質問に、マレットは探りを入れた。彼の表情を見る限り冗談でもないらしい。


 お茶を飲みつつ、フレイは簡単に説明を始めた。自分が今どういう立場かから始まり"勇者様に学ぶ簿記"以外でも簿記を覚えたいという意向まで、ざっくりと説明する。その間、マレットはじっと黙って聞いていた。


「なるほど」と呟きながら、マレットは二人のティーカップに二杯目の紅茶を注ぐ。白磁のカップに触れると、程よい熱が伝わった。


 他に談笑しているパーティーの参加者からすると、奇妙な会話である。普通は狩猟やダンス、あるいは互いの趣味や王都で流行っている服装など、柔らかい話題がこういうパーティーでは話されるものだが、それとはかけはなれている。


 若い男女二人で話しているのに、艶めいたことも全くない。フレイの人生相談ぽい趣きすらする。


「簿記を学ぶ為の良い私塾を探していらっしゃる――というわけですよね。ただそれだけではなさそうな感じもしますが」


 フレイの質問自体ははっきりいって単純だ。要は簿記に興味が沸いた、良い私塾は無いかである。ただ、フレイが自分の現在位置や心境を話すのを聞いているうちに、マレットはもう少しフレイの人生にとって具体的に役立つ情報が必要だろう、と判断した。


 髪飾りを直し間を取りながら、マレットはフレイを改めて見た。聡明さはありそうだが、それをどう表現していいのか分からない迷いが顔にある。(それが若さよね)と声に出さないまま、フレイに向き合った。


「簿記は役に立つ学問ですし、会計を志すものとして興味を持っていただいて嬉しく思いますわ。ただ、フレイさんは簿記を学んでから、ずっとそれを生業にして生きていくおつもりでしょうか?」


「というと?」


「ずっと学究の徒であるなら勉強だけに専念できますが、大抵の人はそうではありません。簿記を学んだ後にどういう仕事をしたいのか。それを考えることも重要だと思います」


 うっ、とフレイは言葉に詰まった。確かにマレットは正しい。何をするかという目標があるからこそ、実際の学問を学ぶ意味があるのだ。実利的な言い方をするならば、職を得る為に知識が役に立つから学府や私塾が流行るのである。


「ちょっとそこまではまだ考えてはいないです......」


「あ、うなだれなくてもいいんですよ! フレイさんみたいに貴族の若い男性で簿記や会計に興味を持つ人はなかなかいないので、簿記の一定の知識を身につければ将来有望だと思います」


「そ、そうですかね」


 ハハハと力の無い笑いを浮かべ、マレットのフォローを受けるフレイ。立場は一見気楽な貴族の三男坊だが、この男は根が真面目なのだ。親のすねかじりを続けていては外聞が悪いと思う程度の常識もある。


「ええ。とりあえず私が良いと思う私塾については、次の講座の時に紙に書いて持っていきます。あと、簿記を学んだ人がどんな職に就いているかは、また改めて話しましょう」


「そうしていただけると助かります」


「いえいえ」


 フレイが頭を下げたので、マレットも恐縮して頭を下げた。彼女は上級平民に過ぎない。地方貴族の三男とはいえども、フレイに頭を下げてまでお礼を言われるのはかなり心苦しい。





 こうしてグーセン男爵家のパーティーの夜は更けていった。帰宅した後、フレイがハイベルク伯爵夫妻にあの鳶色の髪の美人は誰かと詰め寄られ辟易したり、明朝出勤したマレットが上司に「なかなか良い男性じゃないか」とフレイと話しこんでいたのを冷やかされたことなどは、お互い知る由も無かった。



******



 パーティーが終わってから初めての"勇者様に学ぶ簿記"の講座の日。

 フレイはいそいそと出かけていった。席に着くと既にソフィーがいたので挨拶する。


「よっ、元気かい?」


「うん。こんばんは、フレイ」


 ソフィーと一人分の席を空けてフレイは着席した。隣に座らねばならないほど講座の出席者が多い訳ではない。


「この前、マレット先生と会ったよ」


「え? どこで? 街でばったり?」


「違う、うちの従姉妹のお供で行ったパーティーで」


 フレイの言葉に「いいなあー」と声をあげるソフィー。


「あたしも貴族様のお屋敷でやるパーティーとか行ってみたいなあ。羨ましいわ」


「言うほど大したもんじゃないけどな。今度行く機会あったらソフィーも行ってもいいかどうか、リーズ姉に聞いてみるわ」


「ほんと? 楽しみにしてるね!」


 ソフィーも年頃の女の子である。華やかな世界に人並みの興味はあった。


「あ、そうだ。これあげる」


「ん? 何これ」


 フレイはソフィーから渡された物を手の平に納めた。可愛らしいラッピングがされた小さな紙袋だ。受け取った時の感触で、何か軽い物が入っているのが分かる。


「お家でクッキー焼いたからおすそ分けよ。か、勘違いしないでよ! べっ、別にフレイの為に焼いたんじゃないんだから!」


「あ、そう。貰っとくわ、ありがと」


 急に顔を赤らめてまで主張するソフィーを軽くいなし、フレイは有り難くクッキーの袋をしまった。何であれ物を頂くのは嬉しい。



 そうこうしている内にマレットがやってきた。今日は当たり前だが、ドレスではなく普段着だ。


「こんばんは、皆さん。それでは、まず最初に前回の宿題の答え合わせからやりましょう」


 そう言ってマレットは黒板に向かう。一問目から正答の仕訳をさっさと書きこんでいく。問題は全部で六問、そしてフレイとソフィーで見解が分かれたのは、最後の六問目だ。


 その問題の六問目の答えは


 資産 40(傷薬) / 資産 40(お金)


 だった。


 (傷薬は資産が正解か)

 (やった! あたし合ってた!)


 渋い顔のフレイと対照的なソフィー。この問題の解説をマレットが行う。


「この問題は、お金を出して買った傷薬が資産なのか費用なのか見分けるのが難しいですね。基本的に後でお金に換えることのできる物を買ったら、つまり換金性のある物を買ったら資産になります。そうでないものは費用扱いです」


 コホン、と咳払いしてマレットは説明を続けた。


「傷薬は保有しておいて使わなければ後で売ることが出来ますから、換金性があります。そのため資産として考えます。この問題は今の皆さんでは難しいと思います。ですから間違えても気にしないでください」


 ポイントはお金に換えることが出来るかだったらしい。つまり無駄な物を買ってそれに換金性が無ければ


 費用 xx / 資産 xx (お金)


 になるということだ。


 フレイはこれを心に留めた。


 そして今日の講義が始まる。マレットが語る勇者ウォルファートの冒険も少しずつ進んでいき、それに合わせて授業が進む。


「魔物を倒し資金を貯め、同時にレベルをあげていったウォルファート様は足を延ばし商業都市ダッカへとやってきました。この都市で、ウォルファート様は今後の資金を大きく増やす為にある決断をします」


 何だかウォルファートが勇者というより商人ぽくなってきた。しかし、実際に魔王軍を倒す為の軍勢を組織する為に結構な資金を提供したとの記録もある。だからこそ、簿記の授業には最適な題材とも言える。


「ダッカで店を出して商売をするために、組合からお金を借りました。これには勇者としての信用が物を言いました。ちなみに何の店かというと雑貨屋さんです」


 勇者の割には庶民的というかチープだな、とフレイは思った。


「その店で買い付けた商品以外でも、冒険者が手に入れた魔物が落としたドロップアイテムを直接買い付けたりなどもしていました。積極的ですね」


 そういうのは故買屋と言うんじゃないかとフレイは思ったが、いらぬ突っ込みは講義を遅らせるだけなので止めた。空気の読める男だ。


「勇者としての信用もあり組合からは3,000グラン借りることが出来ました。その仕訳はこうです」


 カカッと小さな音を立てて、マレットが黒板に仕訳を書く。


 資産 3,000 (お金) / 負債 3,000 (借入金)



 初めて見るタイプの仕訳なので、フレイは慎重に考えた。(お金を借りるってことはいつか返さなきゃいけない、けどまずは手元にお金が増えるから資産としてお金が増加。だから左側に記入、と。反対の右側はお金が増えた理由だよな)


 ふっとフレイの脳裏にマレットの注意が浮かぶ。そうだ、確か。


 (これは組合からの借入金だから、返さなくてはいけないものだ。だから利益じゃなくて、負債が右側に入るってことだな)


 納得いったフレイはノートに同じ仕訳を記入した。何回かやれば借入金をした時はこう仕訳を作るとパターンで覚えられそうな気もする。


 隣の方を見る。ソフィーは半分分かって半分分からないような顔だ。密かに勝ったと思ったフレイは大人気ない。


「さて、お金を借りた以上、すぐにこれで商売を始めたいのが普通です。ウォルファート様はまず売る為の商品を購入します。購入の段階では在庫と呼ぶので注意しましょう」


 何だか難しくなってきたな、と思いながらフレイはマレットの説明を聞く。注意散漫になれば分からなくなりそうだ。


 今回はまず仕訳が先に書かれた。


 在庫 500 / 買掛金 500


「!?」


 無音の衝撃が聴講生の間を走り抜けた。今までは資産、負債、利益などの勘定項目で仕訳が作られていたのだが、それが無くなったのだ。


「一つ一つ資産、負債など書いていくと時間がかかるので、今後は省略しますね。在庫は資産で、買掛金は負債です」


「先生、買掛金て何ですか?」


 質問したのはソフィーだ。フレイが聞きたい内容でもあったので、内心で感謝する。


「買掛金というのは後でお金を払います、という約束みたいなものです。借入金との違いは、借入金は在庫の購入など日常的なことの為には使われず、また一定期間ごとに借入金は利息がつくのに対して、買掛金は利息がつかない点ですね」


 つまり、現時点で手持ちの現金がなくても買掛金を使って買うことが出来るのだ。


 マレットは、更に利息という言葉の意味を補足する。分かっている聴講生もいるようだが、あくまでここは初心者用の無料講座だ。


「利息とは、借りたり貸したりしたお金それ自体の金額以外に、時間の経過と共に発生する支払い金額や受け取り金額です。これがいい例だと思います」


 マレットが黒板に書いたのはさっきウォルファートが組合から借りた3,000グランの借入金の条件だ。


 借入金元本 3,000グラン

 返済期限 一年以内

 利息 一年で5%


 フレイは必死で脳をフル回転させてついていこうと試みる。

 そうだ、確かに借金をした人間が利息がかさんで結局支払いきれない、という話をよく聞く。では利息とは、どのように発生するのだろう?


「借入してから一年経過しました。お金を返さなくてはならないウォルファート様は組合にお金を返済しました。返済金額はもともと借りていた3,000グラン、もともと借りていた分は元本といいます、と一年経過したことによる支払い利息です。利息の金額は元本×利率×期間なので3,000 x 5% x 一年ですね」


 黒板に利息の計算式が書かれ、支払い利息が計算される。150グラン。これが元本3,000に加算して支払う支払い利息の金額だ。


 まず元本3,000に利率の5%をかける。そして借りてから返済まで経過した期間を調べる。今回はジャスト一年なので利率5%が丸々適用された。もし借りていた期間が半年なら利率はその分減るので2.5%、支払い利息は75グランとなる。

 9ヶ月借りていたなら5% x 9/12で3.75%となり支払い利息は112グランだ。ちなみに小数点以下は切り捨てである。


「えーと、つまり借金は早く返さないと利息がドンドン膨らむから不利ってことですか?」


 いきなり講義内容が高度になった気がして不安になったが、フレイはとりあえず分かるところを押さえることにした。


「そうです、フレイさん。支払いの時の仕訳はこれから書きますが、もし自分が商売をする為に借入金をしていたなら、早く返済出来るように気をつけることが大事です」


 マレットの返答にフムフムと頷くフレイ。だが、隣の方でソフィーが目を見開いていたことには気がついていない。


 (何でマレット先生はフレイのこと名前で呼んでるのよ?)


 さっき言っていたパーティーでお互い名乗りあった為か。納得するまでにかかった時間は短かったが、何となく二人の距離が近くなった気がしてソフィーは面白くなかった。

この辺りから仕訳の内容をきちんと解説できるかどうか難しくなってきます。頑張れ、作者!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ