時にはその手に武器を持ち 3
(こいつ強い!)
謎の女と何合か切り結び、フレイは相手の力量が自分より明らかに上と認めた。いくら装備が強力といっても、フレイは所詮レベル7に過ぎない。ちょっと相手が腕が立つなら、技術的には捻られてしまうレベルなのだ。現に、両手から伸びた爪を武器に切りかかってくる女は余裕の表情だった。
押されながらも、奇妙な女だと思った。長い黒髪をたなびかせ漆黒のドレスに身を包む姿は、一風変わった夜会にでもいそうな美少女と言ってもおかしくない。だが、両手の爪をまるで黒い十本のレイピアのように伸ばし切りかかってくる姿は、その連想を容易に裏切る。
「はっ、大した腕じゃないわね!」
少し鼻にかかった声がその細い喉からほとばしり、同時に素早い爪の一撃がフレイの左肩を襲う。避ける暇もない、プツリという音と共に、黒い革鎧越しに肩を刺された。
「ぐっ!」
「へえ、いい防具。今の一撃で貫けないなんて」
女の言う通り、レザーアーマーに+4の魔力付与が無ければ、肩を貫通されていただろう。鎧さまさまだ。
(ディルを助けたはいいが、このままじゃヤバい! こいつまだ全然本気出してねえし!)
背後に重傷を負ったディルを守るように戦わざるを得ない。その条件が元々不利なのだ。加えて相手の方が圧倒的に強いとなれば、さしものフレイも絶望したくなる。事実、一撃、また一撃と浅くはあるが、確実に手足を切り裂かれていく。ダメージは着実にフレイの体に蓄積されていった。
血のように紅い瞳を輝かせる女に、根源的な恐怖感が募る。追い詰められた、と思った瞬間、冷静さが消えた。
「くそっ!」
焦りからか、思わず剣が大振りになる。当たれば必殺の一撃だったが、こんな大雑把な一撃が当たるほど温い相手ではない。それはフレイ自身が戦う内に、よく分かっていたはずであった。
(くっ、何やってんだ俺は!?)
女があっさりとその斬撃を頭を振ってかわし、カウンターで右手の五爪を振るおうとしたその瞬間。
女の姿が消えた。パッと跳躍したその瞬間、さっきまで女のいた空間を銀色の剣閃が高速で薙ぎ払う。
「外しちまったかよっと!」
いつの間にその場に駆け付けていたのか。忍び寄っていたロイドの不意打ちだった。短剣使いの彼は真正面から切り合うのは不得意だ。故にチャンスを狙っての不意打ちに賭けていたのだが、女の反射神経はそのロイドの思惑を超えていた。
(二人まとめて始末してやる!)
ドレスにもかかわらず、女は軽やかに森の草地に着地した。その技量ならば、二人でも相手どることは可能であろう。だが向き直った彼女の視界に入ったのは、二人ではなく三人の男だ。
「冒険者に回復の時間を与えるってのは、愚策だよなあ」
「ディルさん、大丈夫なんすか!?」
まだ足取りはふらついていたが、戦斧をきっちり構えてディルが立ち上がる。フレイが心配するが、ディルはフン、と笑い飛ばした。空になった回復薬のボトルをぽい、と放り投げる。全く心配は無さそうであった。
「あのまま黙って倒れていればいいものを......しつこい」
忌ま忌ましそうに女が呟いた。ギリ、とその歯が軋み、目から血光とみまごうような毒々しい光が漏れる。
ビク、とフレイの背が震えた。およそ二年前、王都で経験した恐怖と同じ種類の恐怖が喉をひりひりさせる。
(こいつのこのプレッシャー、本性現したあの時のシガンシアに似てる!)
あの暴力の化身のような魔物の姿が、目の前の女に重なった。黒いドレス姿と鋭い十本の爪のアンマッチが甚だしいが、醸し出す殺気は本物だ。
こいつが何者なのか、ダイアーウルフを誘導し自分達を攻撃してきたのはこいつなのか。それを聞きたい気もするが、そんな好奇心は命取りだ。
思うよりも先に動け。
迷うよりも先に切れ。
でなければ、確実に死ぬ!
「三人がかりならいい勝負だろうよ!」
ディルが気合いと共に突進する。さながら鋼の塊のような重厚さがあった。
「おう! いくぞ、フレイ!」
ロイドが両手に短剣を閃かせ、ディルの援護に走った。バンダナの陰から鋭い視線が覗く。
考えるのは後から出来る。今はとにかくこの謎の女を倒さなければ先がない。フレイの脳裏に、マレットの顔が一瞬だけ浮かんだ。
もし自分がここで死ぬようなことがあれば、マレットはどう思うのか。
考えたこともなく、考えたくもない仮定が、フレイの感情を抑圧し。
そして、それは一気に爆発した。
(俺は......マレットさんを一人になんかしない!)
自惚れかもしれない。傲慢かもしれない。だが、確かに彼女と心で繋がっているのは自分だけだという確信があるし、恐らくマレットも同じように思ってくれているだろう。
「だから」
地面を蹴った。相手の左側に回り込むように走る。
「やってやるさ」
フレイは全員の位置を把握した。目まぐるしく攻守を入れ替えているが、ディルとロイドの奮戦のおかげで、女はフレイに対して注意散漫になっている。当たり前だ、さっきまで全く自分に歯が立たなかった相手よりも、眼前のベテラン二人に集中するのは。
だが、それこそがフレイにとっては好機。自分の切り札を使うならば、相手が自分を警戒していない時だ。
「久しぶりに行くぜ。能力解放......超加速!」
魔剣(バスタードソード+5)が青白い光を放ち、同時にフレイの動きが一変した。
******
ディルの右腕を、そしてロイドの左足を、女の爪が切り裂く。レベル20台半ばの冒険者二人をまとめて相手にしているにもかかわらず、明らかに女が押していた。
「こいつ!」
「くそったれ!」
ディルが右腕を引く。ロイドは痛む左足を庇うように、構えをスイッチする。自分の怪我をなるべく劣勢につながらないようにする技術は、彼らがそれなりに経験を積んだ冒険者の証である。しかし、それも女から見れば、小癪な小細工に過ぎなかった。
「なかなか粘るわね。でもそれもこれで」
止めを刺そうかと女が二人に迫りかけた時だった。自分の右側、そちらから凄まじい勢いで――何かが切りかかってくる。反射的に右手の爪を唸らせる。それと同時に隙が出来ないように、ディルとロイドの二人から距離を取った。滑らかな身のこなしは動物的でさえあった。
突然ギィン! と硬い音が響いた。女の長い黒い爪が一本切り落とされ、そのまま砕けた音だった。
パラパラと宙に砕け散る破片の中、刃を降り下ろした男――フレイは、敵の姿をしっかりと認識する。
「さっきまでとは違うってところ、見せてやるよ!」
思わぬ加勢だ。しかし数が問題では無い。超加速の勢いをそのまま攻撃力にプラスしたフレイの斬撃の威力に、思わず女が狼狽する。
(まさか、さっきまで防戦一方だったこいつが!?)
理由は分からないが、とにかく今は戦うターゲットを変更せざるを得ない。幸いなことに爪は残り九本もある。まだまだ戦えるだろう。
冷静さを一瞬で取り戻し、女がその紅い目をフレイに向けた。
(まだか、これじゃまだこいつを倒せないのか!?)
スピードを一時的に引き上げた状態で、フレイは剣を振るう。確かに、フレイの身のこなしも剣速も段違いに引き上がっている。それでも右手でフレイを相手にし、左手でディルとロイドをあしらう女には通用していない。
剣が、戦斧が、短剣が息もつく暇もない連撃を繰り出す。だが、それがことごとくかわされ、受け流されていく。
「私にここまで戦わせるとは大したものだな、人間!」
まるで疾風のように舞い、フレイの突きをいなす女。その動きは超加速状態のフレイを、僅かだが上回っていた。
「しゃべくってんじゃねえよ!」
ディルが怒号を戦斧に乗せ、強烈な一撃を女に振るった。タイミング的にかわせないこの一撃を、驚くべきことに女は力で防御する。細いドレス姿からは想像出来ない膂力にディルは顔をしかめたが、この一撃は無駄では無かった。
大柄なディルが体重を乗せた戦斧である。その一撃は大型生物の体すら揺るがせる。防ぎこそしたものの、体の芯に響く攻撃が女の軽い体を押し込む。
それはほんの僅かな時間ではあったが、女の体が硬直状態に陥ったのをフレイは見逃さなかった。そして同時に、自分の超加速が限界を迎えようとしていることも把握していた。
(賭けだ。どうせここで勝てないとやられる)
迷いは一瞬、やったこともないが、本当にここが正念場。体への反動? 知るか。本当に追い込まれてからでは多分、遅い。
「やってやるぜ......超加速二重発動!」
このバスタードソード+5には秘められた能力が三つあると、フレイはブライアンから聞いていた。未だに一つしか使えないフレイには、これくらいしか思いつかない。
則ち、同じ種類の能力解放の二重発動。その結果どうなるかは分からない。体への反動が、取り返しのつかない結果になるかもしれない。
それでもフレイは使用に踏み切った。荒ぶる魔剣がもたらす恩恵により、フレイの速度は爆発的に引き上がり。
神速と呼ばれる領域へと一歩踏み込んだ。
「これで決めてやるっ!」
「なにっ!?」
ついに女の表情が恐怖に歪む。フレイの賭けが、遂にその鉄壁の防御を崩し始める。
九本の爪による防御も間に合わない。まるで暴風のような怒涛の斬撃、それがまさに紙一重でかわしかける女の身を、僅かずつ削っていく。
血が舞う、森の空気が撹拌される、そしてその時が止まったような空間を、フレイは神経が焼き切れそうな痛みをこらえながら最後の力を振り絞り、剣を振るった。
「がっ......!!」
最後の一撃を見舞ったまま、フレイは勢い止まらずそのまま駆け抜け、手近な木の幹にぶつかるようにして止まった。手応えはあった。大小合わせて十を超える傷をつけたはずだ。最後の肩口を狙った一撃も刃の先ではあるが、確かに抉ったはずである。
「く、くそっ!! 人間ごときに、この私がっ......!」
だが、かなりの手傷を負ったにもかかわらず、女は倒れない。荒い息をこぼし、ドレス姿を血に染めながらも、彼女は木を蹴り頭上へと退避する。
危険とされる能力解放の二重使用で体を酷使したフレイはもとより、ディルにもロイドにも高い木の枝から見下ろす女を追う術はない。女の方も手傷がかなり酷いためか、これ以上戦闘続行の意志はないらしい。憎々しげに三人を枝の上から見下ろすだけだ。
見下ろす者と見上げる者の視線が交錯する。女の紅い目はこの期に及んでも、まだ睥睨するような傲慢さと自信を含んでいる。それに気がつき、フレイはゾッとした。
「......名を聞いておこうか、そこの黒髪」
女の問いは大きな声ではない。にもかかわらず、よくその声は通る。視線はフレイを向いていた。
美声だなと場違いに思いながら、フレイは何とか返事をした。疲労のせいか億劫でたまらない。
「フレイだ。お前は?」
答えを期待したわけではなかった。恐らくこの女は魔族の血を引いている。人間の問いに対して、きちんと返事をする義理も無ければ、人間と同じ礼儀作法もあるわけがない。
だが、その予想は裏切られた。ピイイッと一度大きな指笛を鳴らすと、女は傷ついた左肩を押さえながらフレイを見た。艶やかな黒髪が風になびき、強さと美しさを兼ね添えた女の顔が暗い笑みを浮かべる。
「"黒狼姫"、そう呼ばれている」
それ以上はお断りと言わんばかりに、黒狼姫と名乗った女はクルリと背を向けた。ところどころが破れた黒いドレスから白い肌が覗く。白黒の対照をフレイの視界に焼き付けたのも束の間、黒狼姫はその体をふわりと宙に泳がせ撤退していた。
枝が僅かにしなり、一枚だけ木の葉を散らす。それしか女の痕跡は無く、まるで幻のような印象すら残った。
******
同じ頃、空き地でダイアーウルフ達の集団と戦っていたスフィロス達も、ようやく終戦を迎えていた。何か高い笛のような音がなると、ダイアーウルフ達が急に戦意を無くして退却していったのだ。知能が高いとはいえ、所詮は狼の魔物がこうも見事な引き際を見せるとはにわかに考えがたかったが、現実はしばしば常識を超える。
「助かったんですか、私達?」
ソフィーは、難しい顔をしているスフィロスに話しかけた。慣れないクロスボウの使用で疲労しているし、指がじくじくと痛む。もう少し戦いが続けば、危なかっただろう。右手の人差し指だけではなく、中指もところどころ引き金で擦られ血が滲む。
「恐らく、な。だが我々だけが助かっても意味はない。これほど組織的に襲ってくるダイアーウルフなど初耳だ」
肩で息をしつつ、スフィロスが答えた。苦みばしったその顔は生き残ったことを喜ぶよりも、この先の苦難を憂いているかのようだった。
「しかしソフィー君、本当によくやったぞ。感謝する」
「え、いえ、私じゃなく、この連射式クロスボウが凄かっただけですよ」
思わぬスフィロスの感謝の言葉により、慌てるソフィー。しかしスフィロスの誉め言葉は穏やかで、ソフィーのそんな照れた気持ちにも優しい。
「戦果が重要なんじゃない。勇気を出して敵から逃げずに立ち向かった事が重要だ。ほとんど素人の君がよくやったよ」
そうやってソフィーをねぎらいながら、スフィロスはパーティーの被害を確認する。怪我人は何人かいるが死者は無く、リーダーとしてその事実に安堵した。ほどなく、木立の中で戦っていたらしいフレイ、ディル、ロイドの三人も戻ってきた。ふらふらしつつも、彼らもスフィロス達に合流する。これで全員揃ったことになる。
「ちょっと、フレイ! 凄いボロボロなんだけど大丈夫!?」
ソフィーの声がフレイの耳に届いた瞬間、緊張の糸がプツン、と切れた。ドサリと音を立てて、フレイは倒れこんだ。度を越した超加速の反動でびくびくと手足の筋肉は痙攣し、内出血でも起こしているのか青く鬱血している。それを見たディルとロイドが「大丈夫か?」と手を貸してくれたが、正直つらい。
(結局、何だったんだあの女)
疲労と痛みにこらえ切れず、フレイは静かに目を閉じた。沈んでいく意識の中、紅い瞳の輝きが浮かび上がる。それが不吉に揺らめいた瞬間、そのままフレイは気を失った。
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結局、今回の定期巡回では大きな事件はこれだけだった。王都に戻ってから、スフィロスは冒険者ギルドにこの件を報告した。その頃にはフレイを始め全ての怪我人が回復しており、巡回に出た時と同じメンバーが無事に帰ってきたことはまずは喜ばしい。
だが結局のところ、"黒狼姫"と名乗るダイアーウルフを操る女の正体は不明であり、今後どうなるのかも分からない。単独で動いているのか、集団に属しているのか。人間に対し積極的に攻勢に出るのか、それとも今回のようなことはたまたまか。
それを今後の不安材料と見た冒険者ギルドは、手を打つことにした。公式には腕に自信のある冒険者に当該案件について調査依頼を出す一方、非公式には魔物狩士のナターシャ・ランドローに同様の依頼を出したのである。
しかしながら、それはまた後日の話であり、黒狼姫とナターシャの死闘も、この時点では誰も想像していなかった。
今回のサイドストーリーはこれでお終いです。