フレイ、パーティーに参加する
「まあ。ぴしっとした服着ればあなたもそこそこ見れるじゃない」
「俺をなんだと思ってたんだよ、リーズ姉......」
「顔はいいのに、ぽやんとしていてもったいない従兄弟よ、文句あるの?」
「いえ、ないです」
パーティーに向かう馬車の中である。フレイはリーズガルデにやり込められて黙りこんだ。どうせ口では勝てないのだ。シャツに結んだ紐タイを指でいじる姿がいじましい。夜会用の黒いジャケットと同色のパンツが良く似合っている。
その口達者な年上の従姉は、鮮やかな赤いイウ゛ニングドレスに身を包んでいる。春の夜は冷えるのでその上に薄手のコートを羽織ってはいるが、かなり露出度が激しいドレスだ。「旦那はそれ見て心配じゃないの?」と出かける前にフレイは聞いたが「こんなの大したことないわよ」とリーズガルデは意に介さなかった。
女性の夜会用の服は見せることで魅せる、と分かってはいた。けれども、都会と田舎は美の基準や意識が異なるらしい。
その旦那ことハイベルク伯爵は、直接会場であるグーセン男爵家に向かう予定だ。仕事熱心な旦那を持つとこういうパーティーの時は直接現地待ち合わせなので、パーティーの最初から二人で会場へ入場というのは時には難しいこともあるという。
(仕事熱心な貴族というのも中々大変)とフレイは思ったが、そこは黙っておいた。働いていない自分がどうこう言う、それはおこがましいだろう。
「グーセン男爵のご夫妻は難しい人?」
馬車の窓枠に頬杖をついてフレイは聞いた。いつもはさらさらと額に垂らした前髪も、今日は横に流してぱらりと自然に額に垂らしている。"若様は素材はいいんですからね。きちっとすればほんとに似合いますわ"とは、ハイベルク伯爵家のメイドからの褒め言葉だ。
「いえ、朗らかな方よ。最初の挨拶だけきちんとすれば、後は特に気にすることないわ」
「そっか。今日来る人の中に会計府の人っているかな?」
フレイの問いに、リーズガルデは首を傾げた。
「どうかしらね、来客についてはうちは聞いていないから」
何故? と目だけでリーズガルデは聞いた。フレイも別に隠す気はないのであっさり答える。
「簿記のことで相談、いや、ちょっと聞きたいことがあってね。会計府の人なら何か知っているかと思って」
「ずいぶんやる気じゃない、いい傾向ね。そうねえ、会計府の人がいないとしても、王都の各府に勤務している人は何人かはいらっしゃると思うわ。まずその方達に聞いて、会計府の方を紹介していただけばいいんじゃないかしら」
「出来れば直接がいいんだけどな......まあ、贅沢言える身分じゃないわな、サンキュ」
リーズガルデに礼を言いフレイは口を閉じた。パーティーで知り合いになれるかもしれない女子よりも簿記のことの方が、少なくとも今は彼の中では比重が重い。
そんな心中をリーズガルデは何となく察する。本来こうしたパーティーは出会いの良い機会だし、気に入った相手がいれば主催者側がアシストも出来るので都合もいい。
デューター子爵家からフレイの結婚まで面倒みてくれとは言われていないが、リーズガルデとしては従兄弟にそれなりに幸せになってほしいと思う程度の情はあった。
(でも本人は女よりは勉強に傾きつつあるようね)
それもまた男子の道よね、と心の中で苦笑する。二人を乗せた馬車は、王都を軽快に走ってゆく。夜の空気は春の気配を含み、どこか暖かい。
******
目的地のグーセン男爵の屋敷は、王都の中央に近い位置にある。宵闇の中、篝火に照らされた玄関先へと馬車が滑り込む。
五段階に分かれるシュレイオーネ王国の貴族の爵位は上から順に公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵となっている。それから考えれば最下位の男爵の一人に過ぎないグーセン男爵家だが、割と良い立地に屋敷を構えていた。当主が抜け目ないからだろうか、と馬車を降りながらフレイは考えた。
「お召し物をこちらへ。お預かりいたします」
「ありがとう」
馬車を降りる。召し使いがすぐに走り寄り、リーズガルデのコートを預かってくれた。こういった職に就いているのは、大抵平民階級の者だ。従える貴族とそれに仕える上級平民や平民という図はシュレイオーネに限らず、この大陸でおなじみである。
「それじゃあ、まずはご当主に挨拶に行くわよ。まだパーティーの始まりまでは間があるけれど、既にいらっしゃっているはずだし」
「はーい、お供します。そういや、ブライアンさんは?」
リーズガルデに答えながら、フレイはちらちらと屋敷の内部を見渡した。豪奢な装飾を柱や壁に施した玄関には、何人か既に客の姿が見える。しかし、その中にハイベルク伯爵の当主であるブライアンの姿はない。
「お仕事が忙しいのかしらね。もう、今日くらいは早く来てほしいって言っておいたのに!」
「遅ればせながら参上しました、姫」
いきなり背後からかけられた陽気な声に、二人は振り返った。 フレイより頭一つ高い位置、にこやかな笑みを浮かべた男の顔がある。蜂蜜色の柔らかい癖毛にグレーの瞳をしたこの色男が、リーズガルデの夫であり現ハイベルク伯爵家当主のブライアン・ハイベルクであった。
「あら、もう着いていたの? ごめんなさい、あなた」
「お疲れ様です」
リーズガルデとフレイの言葉に「いやいや」と頷き、ブライアンは優しく妻の肩を抱いた。二人が並ぶと美男美女で絵的に良いな、とフレイは考える。
「ほぼ定時きっかりであがったさ。少し早く着いたから、他の来客の方々にご挨拶をしていたのだよ。美しい妻が側にいないから残念がられたけどね」
「まあ、人前でのろけないでよ」
サラッと言うブライアンに釘を刺しつつ、満更でもなさそうなリーズガルデ。子供こそまだいないが二人の仲は良い。
「さあ、三人揃ったからグーセン男爵にご挨拶に伺おう。なんといっても、今日はフレイの花嫁探しがかかっているんだからね」
「え、そうなの?」
フレイがぽかんと口を開ける。いつの間にそんな話になっていたのか。
「いやいや、冗談だよ。王都で暮らすならまた呼ばれることはあるだろうし、顔つなぎはしっかりしておいた方がいいけどね」
快活に笑いながら妻をエスコートするブライアン。良かったと胸を撫で下ろし、フレイもまたその二人の後についていった。
(やっぱり王都のパーティーは華やかだな)
一通り目についた参加者に挨拶をした後、フレイは飲み物片手に談笑の輪に加わった。実家にいた時でも時折はこうしたパーティーはあったが、参加者の数も料理の豪華さも全然違う。そもそも各貴族の領土が離れていたので、夜会一つ開くのも結構大変だったのだ。
むしろアットホームな懇親会が多かった。ささやかな晩餐会、その後に居間で大人は酒を片手に語らい、子供達は屋敷の庭や廊下で遊ぶ訳だ。
「では、フレイさんは今は遊学中の身ですか?」
「ええ、まあそうですね」
投げかけられた問いに答える。格好よくいえばそうだろう。実態はふらふらしているだけなのだが。
「もうどこかの学府か私塾に通ってらっしゃるのかな」
「いえ、まだです。何を主体に学ぶのか決めかねていて」
さすがに無料講座に通っているだけで簿記を主にとは言いづらい。会計府に知り合いがいないか探りを入れたかったが、何となく口を挟みづらい。目的が果たせないまま、時間だけが過ぎてゆく。
(あー、見通しが甘かったかー?)
内心頭を抱えながら、談笑の合間に料理をつまむ。よくある立食パーティー形式だが、素材も調理もいいのか美味である。何匹目かの海老のフリットをつまみ終わった時、パーティー会場の壇上にグーセン男爵が上がった。
「ご歓談が盛り上がったところで、そろそろダンスのお時間と致しましょう。さあ、皆さん。お相手のお手をとって、前にお進みください」
貫禄ある口髭を揺らしつつ、男爵自身が率先するように夫人の手を取る。それに釣られるように、男性がそれぞれのパートナーを見つけようと女性に声をかけ始めた。フレイはこれといって意中の女性はいない。しかし、せっかくの機会である。談笑していたグループの中の一人にダンスを申し込む。
「光栄ですわ、エレガントな殿方にダンスに誘っていただけて」
「不作法かもしれませんが、一曲ご一緒させてください」
わずかに頬を赤く染めた同年輩の令嬢の手をとり、ホールに出る。さほど間を置かずに、楽団が華やかな合奏を開始する。音楽と共に各カップルがステップを踏み始めた。
久しぶりだから上手く踊れるかと危惧していたが、幸いトリッキーなところのない円舞曲だ。フレイは危なげなく令嬢をリードし、その細い腰に手をまわす。反対の手を白い優雅な相手の指先に添えて鮮やかに踊っているうちに、気分はすっと晴れてきた。
「お上手ですのね」
「恐縮です」
見た目だけならなかなかであるフレイ。黒髪に青い目という組み合わせが落ち着きを演出するらしく、女子には好評だ。今日に限っては、頑張って目も眠そうにはしていない。
軽やかにステップ、ターンは優しく。ダンスが進み曲も終盤に近づく中、フレイの視界に見覚えのある色が飛び込んできた。
暗い茶色、鳶色と呼ばれる色に染まった髪の女性の姿。一瞬視界の端に映った。目で追う。その女のアイボリーホワイトのドレス姿が、パートナーの男性と共にくるりと回る。
(あれはー)
円舞曲が終わった。フレイはダンスの相手の令嬢に一礼しながら、横目でさきほどの鳶色の髪の女性の姿を探す。相手の顔が見えた。
「ありがとうございました、フレイさん。よろしければ、もう一度踊っていただけますか?」
「こちらこそありがとうございます、ですが後でよろしいですか。知人を見つけたもので」
あら、と少し残念そうな令嬢に一礼して、フレイはその場を離れた。そのまま同じようにパートナーと離れた鳶色の髪の女性へと歩み寄る。二曲目の開始は間もなくだ。新たな相手と組もうとする者達でホールはざわめき、フレイの姿もそこに紛れた。
「よろしければ一曲いかがですか、マレット先生」
「え?」
横から呼びかけられた。反射的にお辞儀を返し、驚いて顔を上げた。この場で自分を先生と呼ぶ人間と会うとは、予想していなかったのだ。
(あら? 勇者様に学ぶ簿記に参加している方よね)
何度か質問をしてきた若い男性の顔と、目の前のにっこり手をさしのべてきている男の顔が重なる。名前は聞いていないので覚えていない、だが確かに見覚えがある。
何か含みがあるのかしら、と考えながらもダンスの誘いを断る程のネガティブな感情はない。にっこりと笑いながら、マレットはフレイの手を取った。
「誘っていただきありがとうございます、一曲エスコートしていただけますか?」
この地味な小説をお気に入り登録してもらえるだけで作者冥利につきます。ありがとうございます。