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亀裂

 午前の講義が終わり、昼休みとなった。私塾の塾生達が一時緊張をほぐすことが出来る、貴重な時間である。フレイ・デューターはうーん、と伸びをしてから、他の塾生と今日の昼ご飯について話をしているところだ。


「フレイ、今日どうすんの?」


「外に食べに行くよ。おまえらどーする?」


「あっ、フレイ君が行くなら一緒に行くー」


「まあいいけどさ、お前、俺が彼女持ちって知ってるよね?」


 苦笑しながら、フレイは一人の女子に答える。そうなのだ、何故かマレットと付き合い始めたことが明らかになっても、フレイは人気者だった。特に女の子から。

 彼女らに言わせると"カッコイイ人にまとわりついて何が悪いのか"ということだそうだが、よく分からない。


「知ってるよ。でもどうせご飯食べるなら、目の保養もしたいしねー」


 ウヒヒヒという不気味な笑い声をあげる彼女だが、見た目は普通である。中身が残念だ、とフレイは思ったが、それを口に出すほど阿呆ではない。


「おー、そういえばさあ、フレイとフレイの彼女さん、この前見たぞ。先週末かな」


 教室を出ながら一人の男子塾生が発した言葉に、わっと全員が色めき立つ。秋も深まりつつある今日この頃、気候は涼しくなってきている。けれども、この集団のテンションだけは高い。


 (この前マレットさんを屋敷に呼んだ帰りか! あの時、帰りは馬車使わずに俺が送っていったからな)


 うわあ、と額を抑えるフレイを余所に、盛り上がる全員。


「何、美人だった!?」


「いいなあいいなあ、年上っていうのはあたしも聞いてたけど、実物見たかったー!」


「まあお前ら落ち着け。多分フレイより六歳くらい上かな、落ち着いた感じの美人だったぞ。秋の夜、王都の石畳を仲睦まじく歩く二人に俺の胸は燃えた、いや、萌えたといって過言ではない......」


「――最悪だ」


 顔を抑えながら呻くフレイ。こんなことなら馬車を使うべきだった。しかも何故かマレットの年齢まで、見ただけで正確に当てている。その観察力は別に生かしてほしいと、切実に思う。


「「まあでも仲良さそうだからいいよね!」」


 嫌味なくらい息の揃っている。友人達のその一糸乱れぬ冷やかしに「そうだね」とボソッとフレイが答えた。その時である。


 ピリリリ、と柔らかい音が、彼の履く麻のパンツの右ポケットから鳴る。通信石に誰か(現状マレットしかいないが)がかけてきたサインだ。


「悪い、先に行ってて。すぐ追いつくから」


 早く来いよという友人達を先に行かせ、フレイは道端に寄った。通信石を耳元に当て、軽く水晶部分に触れる。


「はい、フレイです。どうしたんすか?」


 おかしいな、とフレイは思った。いつも二人が話すのは夜である。昼間は勉強やら仕事もあるし、それぞれの人間関係もあるので、一度も通信石で話したことはない。


 "すいません、昼間に。でも、どうしてもフレイさんに話さなくてはならないことがあって......"


 ちょっと切羽詰まったようなマレットの声だった。その響きに嫌な物を感じる。

 本来落ち着いている彼女が、わざわざ昼間にかけてきて、しかもこんな声で話しているのだ。あまりいい予感はしない。


「何か、あったんですか」


 "はい。直接会って話したいので、急なんですけど、今夜時間ありますか?"


「ありますけど、どうしたんですか。そんなに慌てて」


 "ええと、ごめんなさい。私もさっき上司に言われたばかりで、気が動転していて。とにかく夜に"


 仕事絡みかと考えながら、フレイは待ち合わせの場所と時間をこっちから提案して通信を終えた。通信石は役割を終え、その黒い光沢を放つ姿を彼の手の平でさらしている。


「やな予感て妙に当たるんだよな」


 当たらないでくれよ、と呟きながら、先に行った友人達の後をフレイは追った。とにもかくにも、まずは腹ごしらえからである。



******



 その日の夕方、フレイとマレットは、互いの家のちょうど中間地点辺りにある店で顔を合わせた。飲み物、食べ物を適当に注文してから、二人は改めて向き合った。


 フレイの目から見ても、マレットの表情は冴えない。ただ暗いというというよりはむしろ、どうしていいのか分からず困惑しているように見える。


「ごめんなさい、いきなり呼び出して」


「いや、別にそれはいいんですが。一体何が?」


 困惑しているのはフレイも同じだ。大抵の場合、明晰な話し方をするマレットが、これほど煮え切らない態度を取るのは初めてである。


 (無理に聞き出すのもな――いや)


 飲み物のエールが運ばれてきたものの、マレットは手をつけない。その姿にフレイの心が揺れる。どのみち手をこまねいていても進まない。


「仕事で何かあったんですよね? 上司に言われたって言ってましたから」


 フレイが優しく聞くと、観念したようにマレットは口を開いた。勇気を与えてくれるポーションを飲むように、エールを一口飲んでから。


「今日、上司のクロック所長に呼ばれました。年明けから南部のパドアールに一年間転勤してくれと、その場で言われたんです」


「......はい?」


 危うくフレイは、エールを取り落としそうになった。慌ててそれは回避したが、予想しない言葉に動揺が隠せない。


「て、転勤なんですか。それはいいこと、なんですか?」


「何とも言えません。今の主任から業務長へと昇格して部下がつくので、職歴としてはプラスではありますけど......」


 その割にマレットの声は沈んでいた。無理もない。彼女自身予想していなかったのだ。


 脳裏にクロック所長の言葉が甦る。


 "マレット君、今回の辞令は、パドアール地方の業務強化及び、違う視点からの会計視点を身につける為の人事異動だ。これは必ず君のプラスになる。中央で働く会計府の人間の中でも優秀な人材を引き上げる為の異動なので、前向きに考えてくれよ"


 クロックが嘘を言っているわけでは無いのは分かる。最近中央で勤務する府の職員が地方業務を理解せず、見下した意見を持つようになった、というのは、しばしば会議でも言われる事である。この人事異動はそうした事態の緩和も狙いだ、とクロックは正直に事情を話してくれた。むしろ、親身にマレットのことを考えてくれている、とは言える。


 "君に恋人が出来たのは小耳に挟んでいる。非常に心苦しいが、他に適任がいないんだよ。必要とあれば、私もお付き合いしている相手に頭を下げる覚悟だ。頼む!"


 上司にここまで言われて嫌とは言えない。自分が何とか人生を立て直す支えとなった会計府には、彼女なりに愛着がある。クロックにも相当世話になっていた。


 だが......


「で、どうするんですか」


 マレットの独白のような事情説明を聞いて、フレイがゆっくりと動いた。いつもと違う面白くなさそうな顔だった。ゆらゆらと店の天井で揺れる明かりが、彼の前髪の影を顔に落とす。


「迷ってます。受けるか受けないか」


 転勤の話は強制ではない。家族の事情などもあり、どうしても無理な異動がある場合などを考慮して拒絶する権利が、職員にはある。だが、純粋に職歴と待遇の面を見れば、間違いなくこのパドアールへの転勤は魅力的だった。


 恐らく地方勤務で業績を上げた職員しか、中央に一年後戻った時に将来の上級職に昇格する権利は無いようになるのだろう。それに目先の話に限定しても、業務長に昇格すれば給与が上がる。加えて地方勤務手当も加味されるとくれば、さほど贅沢はしないマレットでもぐらりと来ても無理は無かった。


 クロックが頭を下げてまで頼んでいる以上、部下として応えたくもある。


 だが。それでも。


「フレイさんと離れたくは......ありません。せっかくお付き合い出来る人が出来たのに、一年間とはいえ離れるのはやはり」


「そうですか」


 絞り出すようなマレットの声を、フレイは腕組みして聞く。その瞼は固く閉ざされ、青い眼光は見えなかった。


 うっすらとその目を開けながら、フレイはマレットに話しかける。


「何というか複雑ですね」


 けして怖い声ではない。だが低く沈んだようなその声は微かに震え、水面を滑る波紋のように広がる。


「行ってほしくはないんです。だけど、やっぱり今後のマレットさんの職歴とか、そんな簡単に組織の命令に抗えないってこと考えたら行くしかないわけで。まあ、それは納得してはいるんです。たかだか一年間だから」


 確かにフレイが言うように、一年という期限が救いではある。まだまし、という程度であるが。


 (なのに、なんで俺はこんなに面白くない)


 自問する。

 分かっているくせにと自答する。

 嘲笑まじりに。


「ごめんなさい。怒ってますよね」


「別に謝ってほしいわけじゃないです。俺がこんな顔してるのは」


 切った言葉。優しくしなければ、と自分に言いきかせようとしてはいる。だが、イライラが微細な電流のように、こめかみの辺りに張り付くようだ。


「どんどん突き放されていくなって」


 抽象的な表現だった。けれど、マレットはそれだけで言いたいことが分かったらしい。心の中で賛辞を送る。


 (そうだな、この人は......賢い)


「これから勤め先決めようかって段階の俺から見たら、今回のマレットさんの転勤の話なんて雲の上の話なんですよね。それ自体は凄く祝福したいです、一年会えないことをどう考えるかは別として」


 胸の中で渦を巻いていた感情は、どろどろとした濁流だ。それは名付けるとしたら何という? 嫉妬、焦り、それとも突き放されるような寂しさか。


「けど、俺もプライドってやつがちょっとはあって。分かってます、単なる八つ当たりなのは。だけど俺は......俺はいつになったら、あなたの背中に手が届くんですか」


「あ......そんなこと」


 軋らせるようにフレイが絞り出した声の響き、それに対する適切な返答がマレットには――見つからない。


 もしフレイが不真面目なら、マレットの転勤話を自分の立場と関連づけはしなかっただろう。一年会えないことをどう考えるかだけだ。


 (何故、私は気づかなかったの?)


 マレットは自分の迂闊さを呪った。完全に他人の気持ちを推察するなど不可能ではあるが、これについては気づかなければならなかったはずだ。


 不機嫌な沈黙が二人の間に落ちる。


 お互いがお互いを嫌いなわけではない。それでも、いや、だからこそ、並び立てないという認識は、一年間会えなくなるという事実よりも重く立ち塞がる。


「すいません、今日は帰ります。もうちょっと落ち着いてから、この件は話しましょう」


 先に席を立ったフレイが伝票を手に背を向ける。近くて遠いその背中にマレットは何も言えず、無様に立ちすくんでいた。




******



 (全く何やってるんだよ、俺は)


 マレットから転勤の話を聞いて二日後の夜、フレイは私塾での請負業務を終えてから、王都をほっつき歩いていた。


 みっともない、とは自覚している。だが、どうしても心の中のさざ波を消せないまま、この二日間が過ぎていった。夜、習慣となっている通信石による会話はしたものの、一向にその内容は冴えなかった。それがまた二人の関係をぎこちなくしている。


 それまでが順調過ぎたからといえばそれまでなのだが、交際を始めてから初めてぶち当たる難題であった。フレイもマレットも未だ解決策を見いだせずにいる。


 (時間の経過がこのイライラを収めてくれるかもしれないが......いや、それにしてもさっさと仕事決めるべきか?)


 深まりゆく秋の夜、フレイはひんやりした空気を引き裂くような速足で歩く。その頭の中には、何件か今日もらってきた経理関係の仕事候補があった。主に王都に店を開く商会での案件が中心だったが、中には都市同士をつなぐ行商隊に帯同する会計職もあり、それぞれ興味を惹かれる。


 すぐに応募はしていない。だが貧乏とはいえ、フレイは子爵家の血を引いている。彼を雇う事で商会に箔をつけたいと考える雇い主もいるだろう。その家柄だけでもそれなりに価値や魅力があるのだ。面接や試験はあるものの、どこかに入りこめる程度ならさほど難しくはない、とエルグレイからは聞いた。


 塾長自身からも、フレイの為に推薦状は書いてくれると言っている。加えて後見人はハイベルク伯爵家だ。他から見れば羨むばかりのバックアップ付きである。それらのアドバンテージを全否定するほど、フレイも頭は固くない。


 (けど、それは開始点に過ぎねえし。どれだけ足掻けば、俺はマレットさんに追い付けるんだよ)


 最初はただ尊敬出来た。それだけで良かった。付き合い始めてからは、そこに愛情が加わった。だけど、一人の男としてのプライドもまたあった。


 負けられない。追いつきたい。

 好きな人だからこそ、認められたい。


 別にマレットがフレイを認めていないわけではないのは分かる。だが、それは可能性込みの話であり、現時点では知識、経験、社会的な地位(家柄抜きなら)で、フレイよりマレットの方が上回っていた。余談ながら収入という点では、二人はさほど差はない。貴族には国から手当が出る為だ。




 一人で歩く。一人で考える。一人で悩む。そのサイクルがぐるぐる続いた。


 結局のところ、立場が立場だから仕方ないと諦めるしかないのか。そう思いながらも、一年離れることを考えると胸が痛い。


 もっと話したい。

 もっと触れたい。


 その気持ちは、自分がキャリア的に突き放される不安とは別に、平行に走る。マレットと一緒にいたかった。


 (通信石は王都限定だから使えないし、多分転勤と共に返さなくちゃいけないだろうな。手紙しかないのか)


 そう考えると寂寥感が心を覆う。街灯に照らし出された自分の影が石畳に踊る様は、孤独なステップを刻んでいるようだ。


「――あいつにでも話してみるか」


 一人で考えることに疲れたフレイの脳裏に浮かんだのは、最近会っていない金髪の少女の姿だ。自分とマレットをよく知るソフィーならば、あるいは良い助言をくれるかもしれない。

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