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何かになりたい

「結局わからずじまいかあ」


 その夜、フレイはベッドに潜り込んでから独りごちた。最後の問題の傷薬を資産とするか費用とするかではソフィーとは意見が分かれた。最終的にフレイは費用、ソフィーは資産として仕訳を作ったのである。


 別に仲が悪くなった訳でもなく、「どっちかは合ってるだろう」という緩い見解の下、答えを分けたのだが、あれだけ二人で頭を抱えたにもかかわらず答えが分からなかった。それについては、何となくもやもやする。


 二人とも簿記初心者なので、当たり前といえば当たり前。仕方ないことではある。しかし、納得いかないものはいかないのである。まだまだフレイも若いということなのだろう。


 横になる、考える。意外に簿記は自分の性に合っているのではないか、とフレイは思った。お金のやりとりを目で見て分かる形にするのは、地味だが大切なことだというのは講義の最初で感じた。それに今日の問題のように見解が分かれるようなことがあれば、想像力と知識をフル回転させることも必要だ。


 マレットが勤務する会計府は、各府の予算管理や国王領の会計を担当しているらしい。その為には簿記の知識が不可欠なのだろう。自分が簿記を生業とするかどうかは現時点では不明だが、しばらくは腰を据えて勉強してみようか。フレイはそう考えながら床についた。



******



 ......自分は期待されない存在なのだと意識したのは、いつだっただろうか。


 妙にふわふわした感覚に包まれつつ、フレイはぼんやりとそんなことを思った。何故唐突にそんなことを思ったのかは分からないが、ふらふらしている自分にどこか負い目があるからだろう。そう推測して、またふわふわと思考の海を漂う。


 フレイの実家、デューター子爵家はあまり格も高くない家だ。王都からも遠く離れた北の辺境の地にお情けで領地をもらい、そこで細々と製糸や食品加工などの産業を行っている。


 貴族とは名ばかりの零細貴族だ。


 別に両親は不仲というわけでもなく、そこそこに仲が良かった。フレイも上の二人の兄とは普通に仲よくしてもらった。住んでいた屋敷には少ないながらも使用人もいたし、領地に住まう平民達からは親しみやすい子爵家の子息として仲良くしてもらった。


 幸せだったのかもしれない。


 だが、退屈であった。


 戦乱も収まった今日、戦で手柄を立てて家格をあげることなど期待出来ない。かといって、勉学に秀でることで王都や地方の府に勤務してそこで業績をあげようのも中々に難しい。上に行くにはコネが必要だし、そもそも死ぬほど頑張っても、与える余計な領地が国にはない。その為、得られる報酬はたかがしれている。


 それでも長男なら、家を継ぐことで体面を保てるだろう。貧乏貴族の領地とはいえそれなりにやることは多く、やり甲斐はあるはずだ。


 だが、三男のフレイにはその権利が無かった。今も思い出すのは、親戚筋がうちに訪れた時の事だ。父と話す時に傍らにいたフレイに注いだ、その同情とも侮蔑ともとれる視線が記憶に刻みついている。


「将来が心配ならば、うちが何とか口を利いてあげても」

 

「どこぞに婿養子に出されてはいかがですか、デューター子爵。早い方が何かと良いのでは」


 悪気は無かったのだろう。だが成長するにつれ、周囲の環境や事情を理解していったフレイには、その言葉はあまりに痛かった。


 家も継げない。身を立てる機会がとてつもなく限られているという事実。当面、実家から最低限の生活保障はしてくれるとはいえ、それで一生ぬくぬくと生きていくのか。いかにフレイがのんびり屋でも、それは耐え難い。


 (従姉妹のリーズガルデのところで下宿させてくれ)


 王都に行けば何か変わるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて、フレイは両親に願い生まれてからずっと住んでいた屋敷を出てきたのだ。


 ここが嫌いじゃない。

 だけど、ここでこのまま終わりたくはない。

 俺は、俺は何かになりたい。


 王都へ向かう乗り合い馬車の中、流れてゆく景色を見ながら、漠然とした不安と期待を胸に旅立ったあの日。まだその何かが何なのかわからずに。無為に日々を過ごしてきた。けれども、もしかしたら、自分の今後の指針になるものに出会えたのかもしれない。



 ゆらゆらと揺らぐ水面に浮かぶ木の葉でも、水流次第ではどこかへと流れ着く......


「俺は自分で流れていきたいんだよ」


 夢か現か分からないぼんやりした薄闇の中、フレイの言葉はどこへとも知れずに漂っていった。



******



「......」


 フレイは目を覚ました。窓の外は暗い。微かに鳥の声が聞こえてくるから、夜明けが近いのかもしれない。


 遠くない昔のことを思いだし、わずかにフレイの気は重くなった。今の自分に少なくとも満足はしていないこと、それを自覚した代償だった。


 (焦るな、自分)


 目を閉じる。開く。手をギュッと握り、開く。一生は長い。焦る必要はない。自分が本気で興味を持てるものを見つける為だ。こういう時間も時には必要なのだ、と考える。


 とりあえず簿記は勉強する価値がありそうだが、あの無料講座だけでは暇だ。なんせ三日に一回しかないのだ。宿題が出ても大した量ではない。


 (もっと勉強してみる機会を作るべきかなあ?)


 落ち着くために、水を枕元の水差しから一杯注ぎ、ゆっくり飲み干す。おそらく、あの無料講座は他に本業がある人間が簿記に慣れる為にある講座だ。 本気で学ぶつもりなら、あの量と頻度では少な過ぎるだろう。


 かといって、どこか適当な私塾を探そうにもツテがないので分からない。書物を買ってきて独学では効率が悪いだろう。


「誰かに聞いてみるか」


 それが一番手っ取り早いだろう。そして、現状フレイが簿記について聞けそうな人間というと一人しかいなかった。




 もう一度浅い眠りについてから起きた。日課の素振りを終えて朝食をとっていると、向かいの席のリーズガルデに声をかけられた。ちなみに、彼女の夫のハイベルク伯爵は既に出勤している。最近忙しいらしいとは聞いていたが、事実らしい。


「ねえ、フレイ。あなた、今夜はちゃんと予定空けてるわよね?」


「ん。確かお友達の家でパーティーがあると聞いた覚えが」


 何とも気のない返事である。

 リーズガルデとしては、別にやる気をみなぎらせろとは言わないが、年頃の男がこうも淡々としていると少々不安であった。


「そうよ。うちと気のおけないお付き合いをしているグーセン男爵家のお屋敷に伺うの。あちらのお家のお友達も呼ぶとおっしゃっていたから、可愛いお嬢さんもいらっしゃるわ。ちゃんとダンスに誘いなさいよ?」


 この時代、独身の男女をパーティーに呼ぶのは人数合わせという目的以外に、無理のない出会いの機会を提供しようという主催者の親心がある。そういった場では、男性側がある程度積極的に女性を誘うのがマナーである。


 一応フレイもそういうことは一通り習っている。リーズガルデもそれは知っているのだが、茫洋とした感のある従兄弟に念は押しておきたかった。


「あー、うん。大丈夫、俺も実家でそういうのはやってきたから」

 

「率直に言っちゃうけど、別に恋仲にならなくてもいいから友人作りにはきちんと精出しなさいよ。人間関係は広げておいて損はないんだから」


 リーズガルデの言うことも一理あるのは承知している。フレイは素直に頷いた。簿記の件を聞ける友人が、もしかしたらできる可能性もあるのだ。少々従姉が期待している理由とは別の方向で、フレイはやる気にはなっていた。


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