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フレイ、マレットと勉強する 2

 ほどなくお湯が沸き、マレットがお茶のお代わりをいれる。ティーポットの中で、茶葉が湯の蒸気にさらされた。その芳香がフレイの鼻をくすぐる。


「ん、もういいですね」


 ほどなく、マレットが茶を二人のカップに注ぐ。カップを手に取りながら、彼女の方から話し始めた。


「まず基本から行きましょう。キャッシュフロー、つまり、現金収支とは何かは押さえていますか」


「一定の会計期間における現金の増減を示す数字、またはその数字を表す財務諸表ですね」


 フレイの返事に、マレットは頷いた。


「そうですね。キャッシュフローを作成するには直接法と間接法がありますが、通常は間接法の方がメジャーです」


「直接法の場合、その会計期間の間に現金が使われる仕訳を全部拾ってこなければならない。その為、現実的ではないからですよね」


 フレイもこれは分かる。直接法を使うと、一日二日ならともかく、一年もの会計期間に記録された仕訳全てをあたる必要がある。これはしんどい。必然、もう一つの間接法が主流となっていた。


「はい。損益計算書を作り上げて、その最終的な純利益、または純損失をスタート地点として作成します。利益が計上される商会が現金も増えるというのは、感覚的に分かると思います」


「売上や費用の支払いの計上を、売掛金や買掛金を使わずに全部現金取引なら自然そうなりますからね。ただ実際は......」


「売掛金や買掛金が売上や費用の計上に使われるので、それを考慮する必要がありますね。あとは減価償却や貸し倒れ引き当て金の繰入など直接現金にはなりませんが、費用計上されるために純利益の減少になるものがあります。現金の収支を出す時には、これらを戻してあげる必要があるわけです」


 極端な話、


 前期 売掛金500 買掛金 0 資本金 500の商会があったとしよう。

 

 この一年で

 

 売上 1,000、費用 0になり最終的な貸借対照表が現金 1,000、売掛金 500、買掛金 0、資本金1,500になったとする。


 このケースで間接法でキャッシュフローを計算すると、


 純利益 1,000(売上1,000-費用0)

 減価償却費と貸し倒れ引き当て金繰入はないので無視。

 売掛金の増減は0、買掛金の増減も0なので営業キャッシュフローは純利益の1,000がストレートに使われるわけだ。


「これって、この会計期間の売上計上は全部


 現金 1,000 / 売上 1,000


 で行われたと考えるべきですか?」


「むしろ、


 売掛金 1,000 / 売上 1,000、

 現金 1,000 / 売掛金 1,000


 が行われたと考えるべきですね。

 回収された売掛金の500は前の期からの分、残り500は今期の分で」


 なるほど、と考えながらフレイは少し数字をいじる。


「もし


 売掛金 1,000 / 売上 1,000

 現金 800 / 売掛金 800


 だと今期の貸借対照表は


 現金 800、売掛金 700 、買掛金 0、資本金 1,500になりますね。あ、そうか」


 自分で気づいたので、フレイはもう一度間接法により営業キャッシュフローを計算してみた。


 純利益は1,000だ。

 減価償却費も貸し倒れ引き当て金繰入も0だから無視する。

 売掛金(=流動資産)は200増加している、ということは裏を返せば現金回収が200減った事を意味するので、マイナス200を。買掛金(=流動負債)は増減0なので無視である。


 1,000-200=800


 これが、間接法による営業キャッシュフローの数字だ。そして、今期の仕訳から計上された現金の増加分に等しくなる。


「買掛金の増減をプラマイ逆転させなくていいのは、もし買掛金が増えていた場合、それは支払いをそれだけ遅らせて現金をキープするからですかね? 減っていたら支払うわけだから、現金減少になる、と」


 参考 支払いの仕訳は


 買掛金 100 / 現金 100

 (100は仮の数字)


「そうです。もう理解されているようなので大丈夫かな、と思います。キャッシュフローには、あとは投資キャッシュフローと財務キャッシュフローがあります。けれども、それらは簿記二級試験には出ないでしょうし、直接法と間接法で計算の方法が同じなので、ここまでにしましょう」


 フレイの確認に答えながら、マレットは嬉しく思っていた。志を同じくする人と話が出来る、それが楽しいのだ。ましてや、それが互いに好意を感じている相手なら尚更である。


 (せっかくだし、もう少し突っ込んだ話をしましょうか)


 話し続けて渇いた喉を茶で潤す。彼女の趣味で今日はフレーバーティーにしていた。貴族のフレイの口に合うのかと不安だったが、気にはしていないようだ。


「キャッシュフローと損益計算書、一定期間内の現金収支と利益算出を表記するこの二つはよく似ていますが、何故両方必要か分かりますか?」


 問われたフレイは少し考える。視線を落としてカップを見つつ、思った事を答えた。


「利益の動きと現金の動きが必ずしも一致はしないから、ですよね。多分、現金が無いと商会が破産するから、キャッシュフローも必要なんでしょうけど」


「そうですね。大体感覚的にはそれで合っているんです。もう少し正解に言えば、損益計算書に計上される利益や費用というのは短期的なものから、減価償却費や貸し倒れ引き当て金繰入のように目には見えないけど将来的に必要になる長期的なもの、それら両方を含んでいます」


 一旦マレットは説明を止めた。ついつい講義口調になる悪い癖が出ると思いながらも、フレイは気にしていないようだ。


「キャッシュフローは、あくまで現在のお金の流れだけを見ています。その違いがありますね。ただし、だからといってどちらが優れているかという問題ではありません」


「というと?」


「フレイさんが言ったように、いくら利益が出ていても手元の現金が無ければ商会は破産です。極端な話、土地の含み益だけ膨らんでも、日々の支払いはカバー出来ず現金不足に陥ります。いくら損益計算書上で利益が出ていても、それでおしまいです」


「ああ、だからキャッシュフローが必要なんですね。言い換えれば今が無ければ将来はないからですか」


「上手い言い方ですね。キャッシュフローで手元の現金の動きを睨みながら、損益計算書で短期的及び長期的両方の損益を確認して経営方針を決める。それがあるべき姿だと思いますよ」


 マレットの説明はフレイにとっては分かりやすい。テキストに記載されたこと以上に、自分なりにかみ砕いてフレイに伝えてくれるからだ。この人は頭いいなあ、と改めて思わざるを得ない。


 (知識があるのは勿論なんだけど、その伝え方が上手いよな。相手のレベルを見て表現を変えているのが凄い)


 自分はいい人とお付き合い出来ているなあ、としみじみフレイは嬉しくなる。


 そして切りのいいところで勉強も終わり、フレイはテキストを片付けることにした。まだ夕方にもなっていない。手持ちぶさただな、と思いながら、ポットを片付けるマレットを見る。


 秋口の気候に合わせ、薄手のシャツに膝丈くらいのスカートというごく普通の格好である。それでも女性らしい身体の曲線が隠しきれる物でもなく、どうしてもフレイは意識してしまう。


 距離を縮めたいと思う一方で、それに対しためらいがあった。何のことはない、マレットに対する遠慮が理由ではない。むしろ自分自身の気持ちの問題じゃないかと、フレイは自嘲してしまう。


「フレイさん、どうかしたんですか?」


「は? いえ、何も」


 ほんの少し窓の外に意識を向けていたら、いつの間にかマレットが側に来ていた。予想外の接近にフレイは少し驚く。

 顔を上げた。彼女の鳶色の目と視線が合った。とくん、と鳴った心臓の音と共に、自然に腕がマレットの身体を引き寄せていた。


 立ち上がりながら抱き寄せた彼女の身体が、自分の腕の中に収まる。自然とマレットの髪に顔を埋めるような形になっていた。マレットはフレイの肩に口をつけるような格好だ。


「あ、あの......フレイさん?」


 マレットの戸惑いと恥じらいが混じった声が、耳元をくすぐる。それがますますフレイの欲を刺激して、少しだけ強く抱き締めた。


 自分の唇に感じるサラサラとした髪。


 まわした手の平に伝わる細い背中と腰の感触。

 

 そして服越しに伝わる胸の柔らかさ。


 (これ以上はまずい)


 いきなり走り出した自分の気持ちを何とか押さえつけながら、フレイはとにかく何か話そうとした。身体目当てだと思われたくない自尊心、そして自分自身驚いている急な行動に対する気まずさの間で言葉が揺れる。


「触れたかった、んです。マレットさんにもっと近くで」


 マレットに嫌がる様子が無いのが救いだ。それに背中を押されてフレイは更に言葉を紡ぐ。


「ごめんなさい、実は今日部屋に上げてくれるって知った時からそう思ってました。でも、俺、本気でマレットさんのこと傷つけたくなくて。触れたいとは思うけど、嫌ならすぐに離れますから」


 マレットも鈍い方ではない。フレイの言葉の裏の本当に言いたいことを察して、胸が詰まった。


 (昔のこと、気にしてくれてたんですね。優しいな、フレイさんは)


 自分に触れたいと男としては当然の欲求があっても、それを自分の過去に配慮し我慢して丁寧に接しようとしてくれる。その気遣いがフレイがこめた腕の力から伝わる。


「分かってます。大丈夫です、フレイさん――私、あなたにこうされても嫌じゃないですから」


 フレイの耳というより心臓にそのまま伝えるように、マレットは囁いた。ホッとしたようなため息が聞こえてくる。


「私、あなたが必要なんです。こんなに私と自然と接してくれるあなたが好きだし、側にいてほしいんです。だから、普通になら大丈夫ですから」


 さすがに触れてもいいと直接言うのは恥ずかしく、語尾を濁したマレットである。だがフレイの示した反応は彼女を驚かせた。


 (え? どうしたの?)


 自分の首筋にポタリ、と熱い液体が落ちてきた。それが髪を通してフレイの目から落ちた涙だと気づき、マレットは動揺する。


「ど、どうかしたんですか? 私、何か悪いこと言いました!?」


「......違う、そうじゃなくて」


 言葉を絞りだすようにして、フレイは答えた。また何滴かの涙が、彼の青い目から転がり落ちる。


「俺、あんまり誰かに必要とされたこと無かったんで。だからマレットさんの言葉が、嬉しくて」






 家も継げない。立身出世の機会も限られる。

 

 そもそもが地方の貧乏子爵の三男である。

 

 覚えているのは他の貴族の「うちが何か口を聞いてあげても」「彼さえ良ければ養子にどうですか?」という慰めと優しさをまぶした見下した言葉だけ。


 ――俺は俺自身で流れて行きたいんだよ――


 その思いだけを胸に、王都に来て半年が経過した。そしてまだ、フレイは自立の途上にある自分を歯痒く思っていた。


 別にリーズガルデやブライアンがフレイに冷たいわけではなく、むしろかなり親切な方ではある。それは分かっている。それでもフレイは自分が居候の立場というのは自覚していた。たまに情けなくなることもあったのだ。


 (俺がいなくても誰も困りはしないよな)


 時折寂寥めいた感情に支配される日常。





「そんなこと言わないでください。少なくとも、誰が何と言っても私は――フレイさんがいないと嫌です」


 マレットの言葉がフレイの胸に染みる。少し彼女を抱きしめていた腕を緩め、正面から向き合った。




 ほんの少し屈む貴方(かれ)と、ほんの少し爪先立ちの貴女(かのじょ)


 将来(あす)に迷う男と過去(きのう)の傷を癒し切れない女は、現在(いま)を求めて唇を重ね合う。

 

 秋の日差しが差し込む部屋の中、寄り添う二人の姿が浮かび上がる。それはほんの少しの切なさ混じりの、優しく暖かい幸せの欠片だった。

実際の簿記2級試験では投資キャッシュフローも財務キャッシュフローも出ます、注意。

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