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フレイ、マレットと勉強する 1

http://7537.mitemin.net/i80296/


クッキーをかじるフレイのイラストをライティーモンスターさんにいただきました。ありがとうございます。いいですね、特に髪型がこんな感じかも。

 "再来週でしたよね、フレイさんの簿記二級試験"


「ええ。もうほとんど対策済みなんで大丈夫なんですけど、あとはおさらいですかね」


 耳元に通信石を当てて、フレイはマレットの声に答えた。初秋と呼んでよい季節になり、夜も過ごしやすい。開け放した窓の外からは、虫の声が聴こえてくる。


 "それならよかったです。でも今週末は、フレイさんは試験勉強ですよね"


「あ、ま、まあそうですね」


 少しマレットの声が沈む。それに答えるフレイの声も、歩調を合わせる。確かに試験前なので、デートしている暇は無いといえば無い。フレイ自身としては、過去問中心に試験勉強はきっちり仕上げているので自信はあるのだが、それでも最後の詰めを誤りたくは無かった。


 (ん? マレットさんに教えてもらえばよくね?)


 ピコンと何かがフレイの頭の中で閃いた。そうなのだ、デートといっても遊ぶだけではなく、簿記二級試験の勉強を見てもらってもいいはずだ。大義名分はバッチリだとフレイは自画自賛した。


「マレットさん、嫌じゃ無かったらなんですけど、週末に試験勉強見てもらってもいいですか?」


 "私は構わないですけど、場所が無いような?"


 ガクンとフレイの頭が落ちた。忘れていた。書物とペンを広げてというと、普通の飲食店では無理だ。ハイベルク家に来てもらうにはブライアンとリーズガルデの承諾を取らねばならない。マレットにしても、伯爵家の敷居を跨ぐのはちょっと気が重いだろう。


 (こりゃ大人しく勉強しろってことかな)


 そうフレイが諦めかけた時だった。


 "フレイさんが嫌じゃなければ、私の部屋で勉強しますか?"


 思いもよらないマレットの提案である。


「え、行ってもいいんですか? お邪魔してもいいならもちろん!」


 "で、でも自分で言い出しておいてなんですけど、部屋広くないですよ。いいんですか?"


「構わないです。じゃ勉強道具持ってお邪魔しますから、住所教えて下さい」



 さくさくと話はまとまり、結局フレイがマレットの家に直接赴くことになった。付き合い始めてから外でしか会っていないため、何気に今回が初めてのお家デートである。


 (なんかちょっと憧れるよなー。女の人の一人暮らしの部屋なんて初めてだもんな)


 バーニーズ事件の時を除けば、フレイは貴族のお屋敷でしか寝泊まりしたことがない。それを考えれば、浮わつくのも無理は無かった。だが、それが口に出ると時には災いを招くことを、フレイはすぐ知ることになる。


「あれだね、勉強見てもらいながらさ、顔が近づいていい雰囲気になって、マレットさんが"もう駄目ですよ、フレイさん。ちゃんと集中しないと"とか赤い顔しながら怒ったりとか?」


「頭の中をピンク色にして、貴方は何言ってるのかしらね!?」


 ハッ、とフレイが背後からの声に気づいた時には、既に遅かった。ピシャリ! といい音が炸裂する。彼の脳天に垂直に振り下ろされた扇子の一撃が、まともにヒットしたのだ。


 痛撃に頭を抑えながら振り向く。フレイの目に映ったのは、腰に手を当てて仁王立ちする赤毛の美女が一人。右手に愛用の扇子を持ち、就寝前なのかナイトガウンを羽織っている。


「っ、痛いんですけど、リーズ姉!?」


「従姉のお休みのノックにも気づかないあんたが悪いんでしょ。どうしたのかしらと思って部屋に入ったら、気持ち悪い声がしたから、思わず手が反応したのよ」


「だからっていきなり叩かなくても......」


 涙目になったフレイの顎をくい、と持ち上げたのは、リーズガルデの扇子だ。細められた緑色の目が、びびるフレイの顔を撫でる。


「で? 週末は彼女のお家でお勉強? ふーん、いいわねえ、一体何をお勉強してくるのかしら。あー、そうか、ベッドの上の個人授業? 楽しみだわあー」


 聞かれた妄想が妄想だけに、フレイも反論出来ない。リーズガルデの教育という名の辛辣な説教から解放された後、「居候は悲しいなあ」と歎きつつ、その夜はしみじみと枕を涙で濡らして床についたのであった。



******



 その週末、フレイは教えられた住所を頼りに、迷わずにマレットの部屋に着いた。ハイベルク家から歩くと距離があるので、屋敷にある近距離お出かけ用の軽装馬車を使わせてもらった。御者には先に帰ってもらう。帰りは王都内を走る公共の乗り合い馬車を使う、と言っておいた。


 (ここだよな。へー、中流階級の住宅って、こんな感じなんだなあ)


 周囲の様子を観察しながら、フレイは一軒の二階建ての建物を見た。この辺りは、閑静さと長閑さが程よく解け合った住宅街だ。その区画に似つかわしく、そのレンガ色の壁面が特徴的な建物も、豪華ではないが小綺麗な感じだ。マレットが言うには、何部屋かの賃貸用の部屋が連なり、居住者はそれを借りて住んでいるらしい。


 その建物の外付けの階段を上りながら、教えられた通りに一番奥の部屋を目指す。柔らかい繊維で編み込まれた薄い絨毯が敷かれた廊下は、靴音を適度に和らげてくれる。


 目指す部屋に着き、フレイは扉の横の呼び鈴を鳴らした。チリンと澄んだ音が鳴り、ほどなく薄く開いた扉の隙間から、マレットが顔を出す。


「あ、フレイさん。どうぞ中へ。迷いませんでしたか?」


「教えられた通りに来たので。すいません、お邪魔します」


 フレイが扉を閉めて部屋に入った時、再びチリンと鈴が鳴った。「こちらです」とマレットの案内に従い短い廊下を行くと、こじんまりとした居間らしき部屋に出た。


 二人座れるのが精々のソファ、その前に置かれた強化クリスタル製のテーブル。テーブルを挟んで置かれた丈の高い本棚。少しゆとりを持ってスペースが取られた部屋の反対側に、食卓と椅子のセットだ。食堂とスペースを共有しているのだろう。


 (あ、そっか。これであとは、寝室や水まわりのスペースがあっておしまいか)


 見渡す程もない部屋だ。田舎の自分の実家やハイベルクの家と比較するのは間違っている。そう分かっていても、やはり貴族って恵まれてるなあ、とつくづく思う。


「やっぱり狭いから驚きました?」


 くすくすと笑いながら、マレットがフレイにソファに座るよう促す。その様子を見ると、別に嫌みではないらしい。


「いや、大体建物の外観から分かってたんで。でも、やっぱり改めて中入ってみると、部屋借りるのって大変なんだと思いました」


「そうですね。でもこの部屋でも、平均よりはちょっと広めなんですよ。私のささやかな贅沢としてここに」


 答えながら、マレットは廊下の一部を指差した。


「小さな書斎作ってますから。寝室の一部を削って」


「へー、読書用ですか?」


「ほとんどそうです。居間のソファだと寛ぎ過ぎちゃうので、きちんとした本は書斎で読みます」


 いろいろと考えるものだ、とフレイは頷き、途中でハッと気がついた。"寝室"の存在には自分で当然気づいていたが、マレットの口から聞くと、何だか居心地が悪いということが。


 (おおお落ち着け、俺! 今日は勉強に来たのであって、そんな不埒なことを期待したわけじゃない!)


 (ねー、何格好つけてんの? 付き合ってるなら別に普通だよねー? 家に上げてくれるってそういうことじゃん?)


 一瞬、フレイの頭の中で理性と感情が交錯する。何とか理性が勝利したフレイだが、感情の言い分も間違ってはいないのも事実だった。




 フレイも若い健康な男子である。異性に対する欲求も当然ながらあり、もっと触れたいと思う自分を否定するほどフレイは堅物ではない。

 だが、そんな彼を戒めている物がある。それは、あの王都中央公園でのマレットの悲痛な告白だった。


 "――私、馬鹿な女なんです"


 普通の恋愛経験が無いことが深々とマレットの心に刺し傷を作っていることくらい、フレイでも分かる。

 だから安易に触れるとまずいよな、と彼は自戒していた。付き合い始めて一ヶ月以上経過しても、まだ肉体的な接触は手をつなぐ程度で止まっていたのはそういう事だ。


 "なあ、俺、考え過ぎか?"


 "そんなこと知らねえよ。でもいつまでもお手々つないでじゃ、それって恋人とは言えないんじゃん?"


 自問の中で言い捨てるように答えた感情は、それで解け去った。代わりに、どうしたもんかなという答えの出ない疑問だけが、もやもやと残った。



******



 基本的に簿記二級試験の対策はほぼ出来ているフレイなので、食卓を借りて勉強する彼を傍目で見ながら、マレットは読書である。

 肩の凝らない美術書を本棚から取り、フレイと自分にお茶を出した後はソファに座って読書タイムだ。


 (私が口出しするまでもないのかな?)


 早くも過去問と思われるテキストを取りだし、勉強に集中しているフレイを見ると、真剣ながらも余裕を感じる目で問題に取り組んでいる。出来る対策は全部やっているという言葉に嘘は無いようだ。


 (最初と全然違いますね、フレイさん。あの頃は理解は早かったけど、まだ全然知識が追いついていなかったから)


 "勇者様に学ぶ簿記"の初回で初めてフレイと会った時を思い出す。ほぼ半年近く前になるのかと懐かしさを感じながら、再び美術書に視線を落とした。


 (誰か男の人を部屋にあげる日がくるなんて、あの頃の自分じゃ考えられなかったな)


 初秋の日差しが差し込む部屋、違うことをしながらも気配でお互いを感じる二人。一つの幸せの形かも、とマレットが思いながら、お茶のお代わりをいれようとした時だった。


「間接法での営業キャッシュフローの計算方法って、これで合ってるんですよね」


「あ、今見ますね。そうですね、正解ですよ」


 過去問の一つを解いていたフレイが手元の計算用紙に書いた式を、マレットは確認した。


 営業キャッシュフロー=純利益+その期の減価償却費+貸し倒れ引き当て金繰入でベースを固めて、そこに流動資産の増加はマイナス、減少はプラスする、流動負債の増加はプラス、減少はマイナスと書きこまれていた。厳密にはもう少しつけ加える要素はあるが、二級試験を解くだけならこれで十分だ。


「計算式は覚えているし問題も解けるんですけど、なんでそうなるのかがイマイチ分からないんです。教えてもらってもいいですか?」


 きまり悪そうに頼むフレイに、マレットは微笑んでこう返す。


「はい。じゃあお茶を飲みながらやりましょうか」

今回少し短めです。前後半に分けます。

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