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最終講義前夜

「最近頑張ってるわね、フレイ」


「え、そう?」


 "勇者様に学ぶ簿記"の最終講義を明日に迎えた日の夜。リーズガルデとフレイは夕食を共にしていた。今晩はブライアンが遅いので二人で晩餐だ。メインは夏を感じさせる冷製トマトソースのポークジンジャーというなかなか変わった献立だったが、白ワインに意外にもよく合う風味だった。フレイに不満があるはずもない。


「私塾にも行き始めたし、ようやくやりたいことが決まったみたいで見ていて安心だわ」


「そりゃまあ、いつまでも甘えてられないからさ。講座も明日で終わりだし」


 肉を綺麗に切り分けながら、フレイはリーズガルデに答えた。なんにせよ、従姉が機嫌がいいのはいいことだ。普段は伯爵夫人らしく淑女らしい振る舞いのリーズガルデだが、機嫌を損ねるととんでもなく恐い。


 ふと、フレイは思いついたことを口にする。


「リーズ姉って今年22歳だよね。ブライアン(にい)と何歳差?」


「彼が26歳だから四歳差よ。何、なんで今頃聞くのよ?」


 答えながら、リーズガルデは素早く考えを巡らせた。男女の年齢差を聞くなんて、大体理由は一つに決まっている。


「好きな人が出来て、自分とちょっと年齢の差がある。図星?」


 更に言いながら思考する。リーズガルデの頭の回転は速い。この前見舞いに来ていた二人の女性のうち、年長の方かと推測する。敢えて口には出さずにフレイを見ると、観念したように年下の従兄弟は口を開いた。


「かなわねえな、リーズ姉には。そうだよ、その通りです」


「この前お見舞いにきてた内の鳶色の髪の人でしょ?」


「なんで分かるわけ」


 あっさり認めたフレイに向かって、リーズガルデは勝ち誇ったように笑顔を浮かべた。その鮮やかな赤毛のせいか、大輪の花のような明るさが広がる。


「あなた年上好きそうじゃない、それに普段の生活から接点あるの、あの人と一緒にいた金髪の可愛い子くらいだろうなあ、って考えたら普通これくらい分かるわよ」


「お見事な推理で」


 フレイは観念した。確かにこの程度の推理はそう難しくはない。もうばれているならと自分から口を開く。


「リーズ姉は六歳差って問題あると思うかい?」


「女性が年上なのね。あまり聞かないわねえ」


 リーズガルデが言う通り、シュレイオーネ王国でよくあるカップルは同い年か男性が女性より数歳上のケースだ。ただ、恋愛に例外はつきものであり、女性の方が年上の場合もそう珍しくもない。それでも多くの場合、やはり三歳差以内が多いのも事実。


「まあそうだよな。俺は気にしてないんだけど」


「あなたが気にしてないなら、それは問題ないわね。むしろ向こうが問題視するかもね」


 淡々と意見を述べるリーズガルデに対しフレイは頷いた。結構真剣な顔である。


「身分の差ってやっぱり邪魔?」


「無い方が楽よ。あの方、マレットさんだったわね、の身分は貴族じゃないわけね」


「上級平民らしい」


 これはフレイがバーニーズの件でマレットと行動を共にしていた時に雑談で分かったことだ。


「ふーん。問題ゼロじゃないけどあの方、会計府の役人でしょ。国の中枢機関に勤めているなら社会的な評価はプラスされる、だからあなたとなら見劣りしないくらいにはなるはず、というのが私の見方」


「幸か不幸か、デューター家はしがない地方子爵家だしなあ」


 フレイは苦笑した。確かに貴族の中でも下位と言い切っていいデューター家のしかも三男の自分となら、マレットが釣り合わないことはない。出来れば周囲の雑音は少ないにこしたことはなく、少し安心する。


 デザートに取り掛かりながら、リーズガルデとフレイは顔を見合わせる。口を開いたのは前者の方だ。


「端的に言うと私はあの人は嫌いではないし、特に反対する理由はないわね。もしあなたとあの人がお互い好意を感じているなら、応援してもいいわ」


 リーズガルデの本心としては全力でフレイを応援したいところだが、フレイも貴族の端くれである以上、他の貴族との付き合いがある。はっきり言えば縁談が持ち込まれてくることもあり、案件によってはフォローしきれないのも事実だ。

 自由恋愛推奨派ではあるが、ハイベルク伯爵家がフレイの後見人となっている以上、これが現時点でリーズガルデがフレイに言える最大限の約束であった。


「いい、とりあえずそれだけ言ってもらえるなら十分だ。ありがとう、リーズ姉」


「かわいい従兄弟の恋だもの、出来れば成就してほしいわね。で、あなた勝算はあるの?」


「五分五分と自分では見積もってるけど」


 シャーベットの最後の一口をすくいながら渋い顔をするフレイ。本当に分からないのだ。未婚で恋人が不在なのは言葉の端から分かってはいるが、だからといって自分のような男がタイプかまでは知らない。


 (多分嫌われてはいないだろうと思うけど)


 簿記を通じての講師と生徒という関係のまま終わるかもしれない。講座が終わった後、それを踏み越えられるかは本当に微妙だな、とフレイは考えていた。


「ま、頑張りなさいな。恋愛なんてどこかで思い切らないと結果は出ないのよ」


 悩める従兄弟の背中を優しく押して、リーズガルデもシャーベットを食べ終えた。


 (ちょっと陰があるっぽいけど性格は優しそうだし美人だし、何よりしっかりしてそうだし、フレイにはちょうどいいかもね)


 マレットの顔を思いだしながら、リーズガルデは評価を定める。もしフレイとお付き合いすることになれば、女同士よい友達になれるかもしれないと淡い期待を抱いて、(先走り過ぎね)と自分にダメ出しすることも忘れなかった。



******



「リーズ姉にお願いがあります」


 食事後、居間に移りお茶を楽しんでいる時であった。フレイは神妙な顔で向かいの席に座るリーズガルデに頭を下げた。空っぽになったフレイの茶碗を認め、傍らに控えていたメイドがすかさずお茶のお代わりを注ぐ。


「何かしら?」


「恥を忍んで聞くけど、初めて二人で出かけるのにぴったりの場所って王都にある?」


「......あ、そうか。あなた、王都に引っ越してまだ四ヶ月くらいか」


 一瞬そんなことも知らないのかと思ったリーズガルデだが、よくよく考えるとフレイが知らないのも無理はない。地方育ちのフレイである。一通りの遊びは貴族らしく知ってはいても、女性を誘うスポットは土地勘がないとどうしようもない。


「マレットさんを誘うのよね、そうねえ」


 リーズガルデはメイドを下がらせた。頭を下げて退室するメイドが妙にうきうきした顔だったのは、やはり女性なら恋の話は大好きだからだろう。後でメイド達の間で「若様に恋のお相手が」と盛り上がるに違いないが、それくらいは笑って済ませてあげることにしよう。


「場所というよりは格好の口実ならあるわ」


「聞かせてもらえるかな」


 食いついてきた従兄弟の顔は真剣だ。こんなフレイの顔は初めて見るわね、と思いながらリーズガルデは答える。


「二週間後に、王都で毎年開かれる夏の神舞祭があるの。一年のお祭りの中でもかなり大規模なお祭りでね、大司祭様のお話の後は騎士隊を先頭としたパレードもあるのよ」


「つまり、それに誘うのが手っ取り早いと」


「そうよ。お祭りだから自然に気分も浮き立つし、初めてなので一緒に回ってくれたら嬉しいというのは、いい口実になるでしょ?」


 ふ、と自信ありげに微笑するリーズガルデの背後に後光がさして見える。感謝するしかない。初デートとしての適切さに加えて誘う口実まで考えてくれているのだ。この策を用いねば罰があたるだろう。


「もう俺、リーズ姉に頭上がらないわ。できた従姉を持って幸せだよ!」


「頑張るのよ、成功を祈ってるわ!」


 テーブル越しに固く手を握り互いに頷く二人の視線は、戦友のそれにも等しい熱量をもって交わされた。恋というものが総力戦であることをフレイが痛感した瞬間だった。



******



「それなりにいいかも――とは思っているわけね」


「ええ」


 一軒の酒場で肩を並べる女二人。いわゆる居酒屋ではなく黒檀の重厚な一枚板がそのままカウンターとなっており、その向こうで店主が黙々と酒の準備をする、そのような店だ。天井から吊り下げられた懐古的(クラシック)なランタンが、店の空気を柔らかな陰影に包んでいた。


「あなたがこういう話を持ち掛けるのって久しぶりじゃない、マレット?」


 左側に座った女が口を開いた。くすんだブロンドはうなじのあたりで揃えられており、溌剌とした印象を与える。前髪の下から覗く青い目が右隣に座った親友を映す。


「そうかもね。全くそういう話が王都に戻ってから無かったわけじゃないけど......ごめんね、ティリア。あなたも忙しいのに」


 マレットは女友達のティリアに答えた。幼い頃からの友人であるティリアは王都守護隊の一員だ。正式な騎士ではないが、守護隊はそれに準ずる組織であり一般兵よりも階級は高い。つまり、それなりに忙しい。


 ぽつぽつと年に数回は会って女二人酒を酌み交わし、たわいもないことを話す。マレットとティリアはそういう仲であった。


「いやいや、旧友と親交を深める酒に勝る仕事なんてそうそうないよ。遠慮無用」


 ティリアはにやりと笑い、グラスを持ち上げた。マレットもそれに同じ動作で応える。チリン、と甲高い澄んだ音が響き、二人ともグラスの中の酒を口に運ぶ。


 マレットがティリアを誘ったのだ。ティリアも無論自分から話題を提供するものの自然とマレットから話を振る形になった。

 やや顔を赤らめながら、それでも可能な限り論理的にマレットが話したのは、彼女が現在担当している簿記講座の生徒のことだった。いいかもしれない、と好意らしきものを感じているとは言いつつマレットは年齢差や身分差を気にしている。それをティリアが、"そこまで気にするほどじゃない"となだめたところである。


 ティリアも長い付き合いだ。マレットの良いところも悪いところも良く知っている。


 可能な限り同性の目から客観的に評価したところ、マレットはかなり美人である。ぱっと人目をひく華やかさには欠けるものの、整った目鼻立ちに加え、唇がセクシーだなとティリアは思っていた。均整のとれた体は程よく出るところと引っ込んだところのバランスがとれている。


 何より彼女の一番の魅力は、隠しきれない知的な雰囲気だろう。内面の思慮深さが佇まいに表れている。どちらかといえば武闘派のティリアには単純に羨ましい。


 (自信を持てばいいのにというのは簡単だけど......やっぱりあのことが尾を引いているのかな)


 長い鳶色の髪を後ろにやりながら酒を一口含むマレットを、ティリアは気遣わしげに見た。理知的な瞳の奥に隠しきれない不安が揺れているのが分かる。


「私、フレイさんと今後どうなるかは分からないけど。もし好きになってもらえたとして、それでいいのかな」


「まだ昔のこと引きずってるなら気にしないことね、としか言いようがないわね」


 ぽつりと呟くように問うマレットに、なるべくきつくならないようにティリアは答えた。彼女は知っている。マレットが王都に戻ってきた理由を、である。


 (再会した時はほんとボロボロだったわ、この子)


 マレットが本気で好きになってしまった相手は、既婚の雇い主で絶対に敵わぬ恋だったのだ。何故もっと早く気づかなかったとティリアは怒りたくもなったが、同時に恋がしばしば理性を裏切るということも承知していた。だからただ黙ってマレットを慰めたことは、未だに覚えている。


 シュレイオーネ王国において、不倫はそこまで重罪ではない。あくまで当時者同士の関係であり、それで傷つく人間がいなければ黙認される。


 マレットの話を聞く限り、雇い主の伯爵とその正妻である伯爵夫人の間は悪い貴族の見本みたいなもので、互いに愛人の存在を黙認するような関係だったようだ。だからマレットの存在によって夫婦仲が崩壊したということもなく、それはマレットも理解しているようではあった。


「――自分でも浅はかだったと思うわ。初めて本気で好きになった人が既婚者だったなんてね」


 ぽつりとマレットが呟く。頭では分かっている。仕方なかった、若気の至りだ、誰も傷ついてはいないということは。


 だが、それは確かに自分の歴史の中での汚点である。次の恋に踏み出す時に、必ず心の奥からごぼりと沸き上がる苦い思い出でには違いない。

 "真っ当に表沙汰に出来ない関係"しか恋の経験になりえなかった自分が普通の恋愛が出来るのか。その疑念はしばしばマレットを捉えて離さなかった。


「だからといって、その貴族の三男坊と釣り合わないなんてことはないわ。失敗や欠点は誰にでもあるものよ」


 分かっているでしょうけど、と付け加えティリアは更に一口酒を含む。嫌に苦く感じるのは気のせいだと思いたかった。


「恐いのよね、私。自分自身も、このことをフレイさんに話してどうなるのかも」


 自分の言葉が重く背中にのしかかる。それに耐え切れずマレットは最後の一口をグラスから飲み干した。あれから三年経過しているのにいまだ進歩がないと自嘲しながら飲む酒が喉に広がり、軽くむせそうになる。


 (考えても、いくら反省しても、こればかりは正しい答えがあるようには思えないわ)


 アルコールの回り始めた頭と心を抱えながら、過去を悔やむ女は軽く目許を抑える。その隣でティリアは「今日はとことんまで付き合ってもいいよ」と優しく声をかけるのであった。

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