サイドストーリー Sword & Flower
今回はあの人が出ます。
チュンチュンという小鳥のさえずりがナターシャ・ランドローの目を覚ますのはいつものことだ。雨の日は屋根に当たる雨垂れがそれに変わる。
ナターシャは花屋の店員だ。今年18歳になる彼女は、母親が営むこの王都にある花屋に勤めて二年になる。父は仕入れ担当として近くの町や村を回っていることが多いので、実質的にナターシャと母の二人で販売や花の手入れは行っている。
「今日もいい一日になりますように」
初夏の早朝の気持ちのよい空気を吸いこみながら、ナターシャは呟いた。身長170センチと女性にしては高い背とすらりと長い手足が人目をひく。さらりと背中に流れる栗毛を手早くポニーテールに結び、母と揃いのエプロンをつけるとお仕事スタイル完了だ。
「いつも通り、ダメになってしまったお花を引いちゃってね? それから新しいお花を足しましょう」
「了解、母さん」
背中から声をかけてきた母にちらりと振り向きながら、ナターシャは答える。それを見ながらナターシャの母はほう、と軽いため息をついた。
「何?」
「我が娘ながら格好いいなあ、と思って」
「ふーん、どうせ私は男より女にもてますよーだ」
軽く舌を出してから、ナターシャは仕事に取り掛かった。
花屋は人気職かもしれない。特に小さい女の子の多くは将来就きたい職業にあげる場合が多い。だが内情はなかなか過酷だ。花は綺麗でも茎には刺があるし、葉っぱで手を切ることも日常茶飯事。水を入れ替えたり草についた虫を退治したりで、手もあれがちになる。
だが、そんな苦労を身を持って知りつつも、ナターシャはこの仕事が好きだ。丹念に痛んだ花を見分け、それを引き抜く彼女の動きには淀みがない。
「ああ、この薔薇はもうダメか。あっちの百合ももったいないけど、捨ててしまおう」
花は夢を売る商売だ。だから痛んだ花は躊躇なく捨て綺麗な商品に入れ替える作業は、絶対に必要だ。これはナターシャが母に最初に教わったことである。
残念ながら廃棄対象になった花に軽く黙礼し、ナターシャはそれを種類ごとにより分けた。どの花が何本かカウントし、それに仕入れ単価をかける。
(今日の廃棄在庫は50グランか)
簡単な計算を終えてから、ナターシャはそれを帳簿につけた。
在庫廃棄損(その他原価) 50 / 在庫(資産) 50
家族で営む小さな花屋だ。簡単な仕訳くらいはナターシャも切れる。
除虫剤をまき、必要な水をやり、客の方を向くように花をディスプレイする。準備万端、もう開店の時間である。
******
「ねえ見て見て。今日もナターシャお姉様格好いいわ」
「ほんとね。あんな綺麗な方が花の香りに包まれているなんて絵になりすぎて怖いくらい」
「一度くらいダンスにエスコートしてもらいたいわ。ええ、もちろんナターシャお姉様に男装していただいて!」
キャーという黄色い悲鳴が、狭い道路を挟んで店の向かいの辺りから聴こえる。昼も終わり午後の日も暖かいこの時間、近くの学校が終わった頃だなと思った途端にこれである。
「またあの子達きてるのか。毎日毎日よく飽きないな」
「そりゃあ私の娘だもの。そこらの男よりはよっぽどもてるわよ」
「ねえ、母さん。私、もう少し女らしく生まれたかったよ!」
ナターシャはため息をついて視線を落とした。ぺったんこでこそない。ないが、エプロンを持ち上げる胸のふくらみは控えめな物であった。それがすらりとした体型と相まってより中性的な魅力を引き立てている、というのがナターシャを見た人の一般的な感想である。
もちろん彼女自身はこの評価に微妙な顔をして「少しくらい背が縮んでもいいから、もう少し出るところが出てほしかった」というのだが。
そんな中性的な美貌とスレンダーなスタイルを持った若い女が花屋で働いている場所は、幸か不幸か女子校の近くである。当然ながら女生徒達の好奇と関心、憧れが交じった視線を集めるのに時間はかからなかった。
(あれで隠れているつもりなのか......)
もう慣れたものの、ナターシャは呆れながら視線を女の子達に飛ばした。彼女から見るとばればれなのだが、いつもナターシャの姿を見に、あの三人娘はやって来る。今日は屋台の陰を利用して隠れているつもりらしい。
あまりに邪魔なら営業妨害で追い払おうと思いつつも、むしろ店の宣伝に一役買ってくれていること、時折少ない小遣いから花を買ってくれていることから、ナターシャは苦笑しつつも邪険に出来ず適当にあしらっている。
「キャア! ナターシャ様がこちらを見たわ!」
「あっ、ずるい! あの麗しい瞳を独占しないで!」
「はあ、わたし死んでもいい......」
止めろ! 確かに少女の夢想フィルタを破るほど私は無粋ではないが、店の前で死なれたら営業妨害だ!
そんな声なき声を心に響かせながら、ナターシャは時折訪れる客に愛想よく営業スマイルを振り撒く。少女の死より店の売上を心配する冷たい女だ――などと言わないでほしい。
心の中では男言葉、店頭で接客する時は女言葉と器用に使いわけているナターシャ。そんな気苦労がひっそりと目元に陰を作るのも、また少女達にしてみればさらに色気を増す要因だそうだ。だがそれはあくまでクールな優男な色気らしいと初めて知った時、人知れずナターシャは涙した。
そんな彼女だが、趣味はぬいぐるみ集めという可愛いところもある。ただし周りの誰もその女の子らしいところを理解してくれず「ナターシャ様はカッコイイ、ただひたすらにクール美しい」と言うのが、密かに悩みの種だった。
******
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしていまーす」
爽やかな笑みで、花束を買っていった客をナターシャは送り出した。もうじき店終いという時間帯、客は少ない。
「もし、そこのお嬢さん。こちらの花を貰いたいんだが」
「はい、ただいま」
一人の客からかかった声が、ナターシャの声のトーンを僅かに変えた。注意深く聞かないと分からないレベルだが微かに低く、鋭い声となる。そのまま客の近くへそっと近づくと、客の手から彼女は何か受け取った。
黒い帽子を目深に被った男の客だ。数々飾られた花をバックに、静かに立っている。余計その帽子の黒が浮かびあがり、異様な印象を与える。
(詳細はその依頼用紙を。報酬はいつも通りに)
(分かった。最近多いな)
「どういったお花をお探しですか? 今はちょうど薔薇がピークですよ」
「そうだな。妻へのお土産なんだ。赤とピンクの薔薇を10本ほど頂きたい」
「はい、かしこまりました!」
常人には聞こえない小声で密かに情報交換する一方、男とナターシャは普通の会話もする。冒険者ギルドが表沙汰に出来ない案件を掴んできた時、こうしてこの男は使者としてナターシャに依頼に来るのだ。
ナターシャは彼の名前も素性もよくは知らない。だが、依頼のついでに毎回花を妻宛てに買っていくという憎い面もあるということだけは知っていた。
(今夜は忙しくなるな)
男が帰ると、ちょうど店終いの時間となった。差し込む夕日に茶色い目を細めながら、ナターシャは今夜のぬいぐるみ遊びを諦めた。
******
その夜。
すっかり世間の市民が寝静まった時刻になると、ナターシャはそっと窓を開けた。闇夜に溶け込むように被ったフードが、彼女の長身を包みこんでいる。
「なるべくさっさと片付けようか」
ぽつりと呟き、ナターシャは窓から跳んだ。隣の家の屋根へと軽々と着地すると、音もなく走り出す。まるで疾風のような速さなのに足音一つたてずに走ってゆく。
10分ほど王都の外側、つまり周囲を包む城壁側へと走ると、辺りの様子がすっかり変わっていた。地面は石畳から土へと変わり、白いもやがフワッと浮かんでいる。ねじくれた木の向こうに何か見えそうだというのは気のせいだろうか。
「共同墓地か。依頼の内容が正しければこの辺りなんだが」
カツカツと靴音を鳴らしながら、ナターシャは墓地を行く。軽く目を閉じ、周囲に自分の魔力を飛ばし気配を探る。
イメージするのは糸だ。魔力を細く限界までよじり伸ばし、自分を中心とした蜘蛛の糸を敵の気配を感じるための偵察隊として、闇の中に伸ばしていく。
「いた」
数分後、ナターシャはそれを発見した。彼女の魔力の糸に触れたのは邪悪な気配。この世にあらざる物たるそれは、墓地の奥でうごめいている。
それに向かってナターシャは走った。
「屍鬼か。しかしまあ、こうも巨大化しているとは」
ふうん、と鼻で笑いながら、ナターシャは目の前の敵を眺めた。墓地の土を掘り返し現れたのは、身長四メートルはありそうな人型の魔物だ。
屍鬼。人の死体をベースに死霊がとりつき生き物を襲う魔物である。時折強力な死霊がとりつき巨大化した個体が現れることはあるが、四メートル級ともなるとレベル30の冒険者が銀の武器を持ってようやく太刀打ちできる強さであろう。
どう考えても、一介の花屋の娘が相手ができるわけがない。
だがナターシャは意にかさない。フードを被ったままの彼女はゆるりと右手をかざした。その手に握られるのは、冷たく輝く銀色の細剣だ。美しい、けれどもまるで破壊力はなさそうなその剣が――巨大な屍鬼に向けてゆっくり動く。
ずしゃり、と重く湿った音を立てて、屍鬼が動いた。
虚ろな闇を抱えた目が蠢く。今宵の獲物を前にニタリと笑ったように見えたのも束の間。
「聖剣技 氷柱閃」
瞬き程の間に全ては終わっていた。死霊が操る屍鬼の反射神経はけして鈍くはない。だが何が起きたのかさえ、魔物は気づかなかっただろう。
腐りかけた死体の足元、すね、膝がまず凍る。その凍結化があっという間に上半身に及ぶ。青白い雪化粧に覆われていく巨体が夜に映え、最後に頭部が透明度の高い氷に包まれた時、体重を支えきれなくなった魔物の足が砕けちった。闇に響くガラスが砕け散るような音が連続し、不思議と耳に心地よい。
「おっと」
ナターシャはひらりと避けた。その拍子に、はらりとフードが彼女の頭から外れる。
夜目にも鮮やかな銀の髪、そしてその前髪から覗く銀の瞳。昼間の栗毛に茶色の目のナターシャは、どこにもいない。溢れんばかりの白い魔力を全身から放射するような花屋など、誰が信じるだろうか。
「全く、この前の魔獣の方がまだ手応えがあったよ」
じゃあな、と地に落ちた白い破片となった魔物に声をかけ、銀髪銀眼の彼女は夜に溶けた。
******
「ふぁああ~」
翌日。
客のいない隙に、ナターシャは大きなあくびを一つした。大した時間がかからなかったとはいえ、やはり夜中の特別依頼をこなすのは睡眠時間を削る。お肌に悪いじゃないかと愚痴りながら、ナターシャは首をこきこきと鳴らした。そんな姿も彼女の信者からすると格好いいそうだ。
「あのー、花がほしいんですけど」
「はい、喜んで!」
ふらりと入ってきた若い男に返事をしてから、ナターシャは一瞬だけ動きを止めた。僅かに茶がかった黒髪に青い目のこの男に見覚えがあったのだ。
「花なんてあんまり買わないんで、よく分からないんだけどね」
少し困ったような顔で男は店の中を見た。間違いない、あの王都北門で助けてやった男だ。今の栗毛のナターシャを見ても分からないのは当然だろう。雰囲気が違い過ぎる。
「どういった用途でお求めでいらっしゃいますか? 恋人への贈り物? それともご両親へ?」
「ん? ああ、下宿先のね、従姉妹夫妻が結婚記念日なんだよ。それで日頃お世話になっているから、花束でも送ろうと」
なかなか見上げた男だと思いながら、ナターシャはくすりと笑う。つられて男も微笑した。
「かしこまりました。それであればこちらでアレンジいたしましょう。白い百合を中心にカスミソウをパートナーにした花束などいかがでしょうか? よろしければ記念日当日にお届けいたしますよ」
「じゃあそれでお願いします、すいません」
提案をあっさり受け入れた男へ、ナターシャは伝票を差し出した。男は配達先と自分の名前をさらさらと書いていく。
「かしこまりました、明後日ハイベルク伯爵家にお届けにあがります。お買い上げまことにありがとうございます、デューター様」
「どうも」
ひょっこり頭を下げた男――フレイがナターシャの顔を見た。多少興味めいた感情が浮かんでいる。
「あのー、どっかで会いましたか?」
「いいえ、初めてですわ。それともナンパでいらっしゃいますか?」
勘が鋭いのかとナターシャは一瞬肝を冷やしたが、それをおくびにも出さず切り返した。フレイはとんでもない、と首を横に振って否定する。
「勘違いだったみたいです。じゃ、お花よろしく」
そう言って店を出るフレイ。見送りながら、ナターシャはホッと一息ついた。
(世の中狭いものだな。偶然助けた人間が客としてくるとは)
ナターシャ・ランドロー。花屋店員にしてレベル57を誇るとびっきり腕の立つ魔物狩人の18の夏のひとこまであった。
******
ソフィーのワンポイントレッスン
・在庫が駄目になったりもう売れる見込みがない場合は、思い切って捨ててしまうのも必要なの。売れる商品を入れるスペースを作らないといけないからね。
・在庫廃棄損はその他原価になるのよ。売上原価ではないけど、その仲間ね。
・在庫が余らないように注意しつつ、どうしても無駄な在庫が残った場合は廃棄! こうすることで売れ筋の商品の回転を早く出来るの。
・あたしも本編出たかったなあ(涙)
ナターシャ、ちょい役の癖に主役を食えるスペックホルダー。