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人件費をコントロール

 休憩時間の終わりを告げるベルが鳴る。フレイも他の聴講生もさっさと教室に戻った。先に戻っていたらしいソフィーがフレイに一つ飲み物を渡す。


「おごりじゃないからね?」


「悪い、後で払うわ」


 そんなたわいもないやりとりにふと日常を感じている内に、今日の講義後半が始まった。



「さて、次は給与についてお話しますね。事業をやる上で必要な三要素とよく言われることがあります。則ち人、物、金です」


 よく通るマレットの声が響く。


「人というのは事業主も含みますが、それに仕える従業員も指します。従業員を雇って働いてもらう、もちろん無料ではないので給与を払います」


 今回は概念としては簡単なの、でいきなりウォルファートの行動から説明していく。マレットが再び水晶球を動かすと、今度は広場のような場所に立つウォルファートと彼に向かい合う形で立つ傭兵風の男が映し出された。


「軍勢強化の為に、ウォルファート様は傭兵を何人か雇うことにしました。週給2,000グランで三人雇ったケースで仕訳を考えます」


 仕訳だけなら簡単だ。


 最初の一週間が経過したところで


 人件費(費用) 6,000 / 未払い給与(負債) 6,000


 そして三日後に現金で支給されるので


 未払い給与(負債) 6,000 / 現金(資産) 6,000


 となる。


 実際フレイもこれは一瞬で理解した。これで話は終わりなら拍子抜けである。しかしそこまで緩くもない。


 マレットが微笑を浮かべた。前の方の席に座っている聴講生の何人かは、ポーッとしたような顔になっていた。美人は強い。


「これは簿記そのものじゃないので脇道になるんですけど......なんで傭兵をわざわざ雇うんでしょうね?」


「はい?」


 他人に聞こえない程度の小さな呟きを、フレイは漏らした。いや、そんなの軍勢強化の為だろう。今さっきマレットさん自身が言ったじゃないかと思う。


 しかし、そんな当たり前のことをわざわざマレットが聞くはずもない。何か裏があるはずだ。


 少し映像が展開した。荒くれ者揃いの傭兵達と少し距離を置いて別の兵士達がいる。揃いの武器や防具をつけているので、正規兵なのだろう。何人かは騎士のようだ。もっと気品のある高価そうな武装をしていた。


 ピンときたらしく、ソフィーが声を上げた。


「今映っているのは正規の兵士の人ですか? 正規軍があるのに傭兵を雇う意味は何だというのが、マレット先生の質問の意図と考えてよろしいでしょうか?」


「そうですね。人を増やしたいなら正規兵を雇えばいいのです。何故わざわざ組織だった作戦に向かない傭兵を雇う必要があるのか、ということです」


 そう言われてみればそうだ。勿論正規兵のなり手が足りないからとか理由はあるのだろうが、これは簿記の授業である。何かお金絡みの理由があると考えるべきだろう。


 (傭兵と正規兵の違いなあ。装備? 強さ?)


 装備が理由か、とフレイは考えた。傭兵は基本的に自分達の装備は自分達で買っている。それに対し、正規兵には雇い主が装備を買い与えて使わせる。騎士にもなれば自分で好みの装備を買う者もいるが、基本的には上から装備は与えられるのだ。


 (傭兵雇えば装備を買ってやらなくて済む分、安く済むのか? いや、違うな。傭兵雇う金にはそういう武装の金額分があらかじめ含まれるらしいから、トータルで比較したらあんまり変わらないだろう)


 自己完結してしまったフレイ。ソフィー含め他の聴講生もよく分かっていないようである。集団戦の場面なら組織だって動ける正規兵の方が良いのは自明の利だ。ならば何故質に劣る傭兵を雇うのか?


「これを見てもらっていいですか?」


 マレットはそう言うと映像を早回しにした。何倍もの速度になった映像が動く。凄まじくチョコマカとした動きで正規兵も傭兵も動き、出陣しそこで戦い、生き残った者だけが帰陣する。そして戦いが終わると契約を終えた傭兵達は軍から離脱していく。一方、正規兵達はそのまま街や城の防備に回った。


「これが答えですね。今ご覧になったように、戦いがある時しか軍という物は役に立ちません。しかし何にも起きない平常時でも軍を揃えていればどうなるか。それを維持する為の出費、つまり維持費は発生します。それを抑える為に、大きな戦いがあると予測できる時だけ傭兵を雇うのです」


 マレットは説明しながら黒板に向かった。


 同等の実力を持った正規兵と傭兵がいるとする。正規兵の週給は1,500グラン、傭兵は週給2,000グランだ。傭兵の方が自前で武装を揃える必要があるだけ、少し高い。


 大きな戦いがあるのは半年に一ヶ月だけだ。その時には二人兵士が必要だが、平常時には一人でいい。


「もしずっと二人の正規兵を雇っていれば、この半年で計上しなくてはならない人件費はこうなりますよね」


 チョークが動いた、2 人 x 1,500グラン x 24週間で72,000グランが必要な経費となる。


「でも正規兵だけずっと一人、戦いの時に兵力を二人分にするために一ヶ月だけ傭兵を雇ったらこうなります」


 正規兵に払う給与は1 人 x 1,500グラン x 24週間=36,000グラン。

 傭兵に払う給与は1 人 x 2,000グラン x 4週間=8,000グラン。

 合計で44,000グランだ。


 72,000 vs 44,000。圧倒的に後者の方が安く済んでいる。


 (必要な時に必要な分の労働力だけ雇った方が得ってことか)


 フレイは納得しつつあった。そしてマレットの説明が続く。


「日常的な防備の為には一人で十分なのです。しかし大きな戦いにはそれでは足りない。かといって常に二人雇うのは金銭的には負担が大き過ぎる。ならば週給自体は高くても、必要な時だけ雇って契約終了と共に去ってくれる傭兵をピンポイントで雇う方が得になります」


 勿論、コストの問題だけでなく軍としての強さも考慮しなければならないのだが、簡略化の為に金銭面だけに焦点を絞ればマレットの言う通りだ。


 そしてさらに映像は続く。机に座りそこに広げた大きな紙を前に唸るのは我等が勇者ウォルファートだ。


 "最低限こっちの砦とあっちの城塞に備えなくてはならない兵士の数を合わせて400人に抑えるとして......奴らが攻めてきたらすぐに雇える傭兵のあては150人か。これで足りるか?"


 ガシガシと髪をかきながら、いささか充血した目を紙に走らせている。その切羽詰まりながら苦闘する姿は、英雄叙事詩に描かれる華麗な勇者の姿とは似ても似つかない。


 "駄目か。400だと突発的に攻めてきたら防ぎきれないな。だが今の利益からはこれ以上の正規兵は雇う余裕が無いしな"


 ちっと舌打ちしながら、ウォルファートは席を立った。すたすた歩いて窓の外を眺める。その視線の先には恐らく彼が守ろうとしている街が広がっているのだろう。


 単なる過去の記録とはいえ、苦闘する勇者の姿に聴講生達は静まり返っている。そしてウォルファートの独白が続いていった。


 "故郷を出て四年、未だアウズーラの手に落ちた国土の四割しか解放出来ていない。。俺は勇者たる資格があるのか。こうしている間にも魔王軍に蹂躙されている人がいるというのに!"


 たかぶる感情を抑えきれないように、ガツンと拳を窓枠に叩きつける勇者。その拳の間から血が流れているのが分かる。


 (――どれだけ悩んでたんだ)


 フレイは思う。このウォルファートだけではなく、彼に従い戦ってきた人達の苦労の上に今の平和な日常があるということを。彼等の苦闘に比べれば、やりたいことを進路に決められる自分はどれだけ恵まれているかわからない。


 拳を打ちつけたことで冷静になったのか、ウォルファートはもう一度座り直した。何やらぶつぶつと唸りながら羽根ペンを走らせる。


 "俺が先頭に立って魔物討伐でもするか。魔物を倒して得られるグランとドロップアイテムを換金して、それを有望事業に投資して収益源にすれば――゛


 マレットの声がしんとした教室に響く。


「ウォルファート様と彼の同士数人で大魔王アウズーラを倒すだけなら、こんなに時間はかからなかったでしょう。ですが当時の状況はそれを許さなかった。国家が事実上機能せず、難民が溢れ、魔王軍に膝を屈した人々達の心が折れた状況でしたから。このままでは例え大魔王が倒れても恒久的な平和は訪れないと、彼は考えたのです」


 だから時間がかかっても、ウォルファートは自分が中心となり町や村の再編、復興に地道に取り組んだ。人々が魔物の脅威に対抗し、自分達の生活を維持出来るようになるために。


 心が折れた人々を助ける為に、彼は努力し続けたのだ。それこそ身を粉にして、知恵を絞り、剣を振るってである。


 ゆっくりと映像がフェードアウトしていく。紙に覆い被さるような体勢で何か考えている勇者の姿が消えていった。


「さて、ここで記録映像は終わりみたいですね」


 マレットが水晶球に触れようとした時である。消えかけていた勇者の映像が再び鮮明な物になった。ガバッと椅子から立ち上がり、叫び声を上げる。


 "やってられるか、こんな辛気くさい仕事ばかりいいい!!"


 ハーハーと息を切らし、ウォルファートが荒々しく部屋を出ていく。側近らしき男を捕まえ指示を出す。


 "おい、馬を出せ! いつもの店だ!"


 "しかしウォルファート様、もう遅いですよ。明日になさっては?"


 "バカ、おまえは何にも分かってない、何にも分かってないな。こんな夜更けだからこそ行くんだ! 俺は息抜きしなければ生きていけん!"


 (二回言った! 大事なことだから二回言いました!)


 フレイが心の中で突っ込んだのは言うまでもない。


 走り出さんばかりのウォルファートの剣幕に押され、側近の者が一目散に退散する。フレイらは思わぬ展開に固唾を呑んでこれを見ていた。


 次に映像が切り替わった時、ウォルファートは確かに飲んでいた。ただしそこらの酒場ではない。ピンク色の淫靡な照明の下、薄衣をまとった美女数人を傍らに侍らせてである。


「おっと、これは」


「ヤダー、不潔」


 フレイが目を丸くする一方で、ソフィーは顔をしかめる。ませているようでもまだ15歳である。こういう店には抵抗があるようだ。


 "あ~、もうね、魔王を倒すとかね、街を守るとかね、どうでもいい! どうでもいいよ! 毎日毎日疲れた!"


 ベロンベロンに酔った勇者が隣に座る美女の太股を撫でながら、にやけた、だがどこか捨て鉢な顔でのたまった。女達はこの上客を逃すまいと極上の笑みを浮かべて迫る。


 "ねえ、勇者様? いつも私達の為に頑張って下さってありがとう。今日はゆっくりされるんでしょ? サービスするわ"


 "お! 気が利くねえ、よーし、ボトルもう一本いれちゃおっか、アハハハハハ!"


 "そんな一本だけなんておっしゃらず、もっと タ・ク・サ・ン"


 映像にも関わらずウォルファートの耳元へと囁かれる魅力的な美女の呟きに、教室内がそわそわし始めた。


 「これ、このまま進めちゃっていいのかなあ。。ま、いいか」とマレットが平然と映像を止めずに見ているのが意外だ。


 (うわ、明かり暗くなってる! 何、えええ、もっと過激になるのかー!?)


 フレイが興味半分焦り半分になりながら見る中、ますますウォルファートと美女達の距離が近づく。膝の上に乗りながら勇者のたくましい首に腕を絡める女もいれば、抜目なくその肘に自分の胸を押し付ける女もいる。


 (破廉恥よ、破廉恥だわ!)

 (しっ、黙ってみてろ、今いいとこなんだから!)

 (どーせフレイもああいうお店いってるんでしょ? スケベ!)

 (俺は行ってねーよ!)


 小声でくだらない言い合いをするフレイとソフィー。そして勇者の唇が開いた。


 "よーし、今日はもう朝まで楽しむぞ! 皆、いい子だな! 俺が必ず魔王を倒して平和をもたらしてやるから安心しろ、飲め飲めー!"


 キャーと美女達の嬌声が響いた。ウォルファートはそのど真ん中でげらげら笑いながら、まだ酒を飲んでいる。



「仕事は一生懸命する一方で勇者様も人の子だってことです。弾ける時は思い切り弾けて遊んでいたようですし、見たように女の子も大好きだったみたいですよ」


 澄ました顔でマレットが締めくくる。いい気になったウォルファートが女達の腰に手を回して、頬にキスされたりしている映像もあったが全く平静なままである。やはり大人の余裕だからだろうか。


 (さすがマレット先生、びくともしないぜ)


 妙なところでその評価を上方修正するフレイであった。



******



 マレット先生の今日のワンポイントレッスン


・正規兵の人件費のように売上に関係なくいつも一定の金額がかかる費用を、固定費といいます。固定費を必要最低限に抑えることが無駄な費用の削減に繋がります。


・一時的にしか必要でないものは、傭兵と契約するようにレンタルしましょう。単価は高くても、長い目で見ると無駄な支出を抑えられます。


・例えば趣味で馬に乗りたいから馬が欲しい、という場合、馬を飼うと餌代や厩舎の維持費などが固定費として常に必要になってきます。乗馬は月に何回やりますか? 一回? なら一年で十二回しか乗りませんね。


・それなら、その趣味で乗る時だけ馬を借りて乗馬を楽しみましょう。その方がとても安くつきます。


・自分が本当に欲しい物だけ揃え、たまにしか必要としない物は借りたり臨時契約で賄うのが賢いお金の使い方です。


・ちなみに私、男の人がああいうお店に行くのは仕方ないことだと思っています。そういう生き物ですから(ため息)あ、でもフレイさんが行ってたらやだな......

27話目にして初台詞の勇者。おめでとうというべきなのか、ようやくというべきなのか。

ちなみに女の子に結構入れ込んで貢いだりもしていますが、事業関連のお金には手をつけず自分の給与から出しています。そういうモラルはあります。

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