そして事件は終幕へ
そのあとの展開は忙しかった。
名前も告げないままにその銀髪の人物、本人の言葉を信じるなら女の子らしいが、は姿を消してしまった。そして、フレイとシガンシアだった物の死体だけが路地に残された。
残るのも怖い。だが、かといって放っておくわけにもいかない。結局、フレイは路地の入り口あたりで膝を抱えて朝を待った。幸い魔獣は二度と動くこともなく、朝陽が差し込む頃に恐る恐る覗いて見ると、その死体は収縮しシガンシアの人間体に戻っていた。
どうも魔力切れでこうなったらしい、と結論づけ、フレイは寝不足と疲労で痛む頭を抱えて最寄りの憲兵が勤務する屯所まで歩いた。誰もいないのを確認して「そこの路地に身なりのいい人物が死んでいます」とメモに書き残しておく。
フレイ自身が顔を出せば、間違いなく根掘り葉掘り聞かれるだろう。それが面倒だったので、敢えてメモしか残さなかった。
頭の片隅には、あの銀髪フードの人物の姿が残っていたが、なにぶん恐怖でがたがた震えていた。そのせいか顔形がぼやけている。多分フレイより少し背が低く、痩せ型だという程度にしか記憶にない。
ハイベルク伯爵家に何とかたどり着いた時点で、フレイは限界を迎えた。彼は玄関先で昏倒し、驚いたブライアンとリーズガルデにすぐさまベッドに連れていかれた。
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フレイが戻ってから五日後の夕方。ようやく起き上がることが出来るようになった後、彼は長い説明を終えようとしていた。
「......というのは俺が起きてから聞いた話で、正直屯所を出てからはほとんど覚えてないんだよね」
ベッドに身を起こしたフレイを、椅子に座った二人の女性がいたわるような、それでいて少し怒ったような表情で見ている。その顔を見ながら(なんか悪いこと言ったかな?)と首を傾げつつ、フレイはサイドボードの水差しから一口だけ水を飲んだ。
「大体何が起きたのかは分かりました。分かりましたけどね」
額に片手をつきながら「はあ~」とため息をついているのはマレットだ。もう会計府の通常勤務に戻ったのか、いつも見る膝丈までのスカート姿である。
「バッカじゃないの!? なんでそんな危なそうな奴が教団にいるって分かったなら、すぐに他の人に知らせるとかしないのよ!」
ベッドを挟んで反対側からフレイに怒ったのはソフィーだ。もう信じられない、と呟きながらフレイの顔を睨む。
(は......はは、やっぱ怒られるのか俺)
苦笑しながら、フレイは内心リーズガルデを恨んだ。
彼が目を覚ましたのを確認した従姉は「そうだわ。マレットさんにお見舞いに来てもらいましょう! あんなボロボロになって戻ってこなきゃいけなかったんだしね、どーせあんたが一人で突っ走って格好つけようとしたのよね!?」と鋭い勘を働かせ、会計府に連絡したのだ。
バーニーズを元の金物屋に戻して通常業務を再開させつつ、返済計画の再計算を行うなど、この時マレットは忙しかった。フレイのことは二の次というより、フレイが何にも言わなかったせいもある。バーニーズを黒翼教から引き離した時点で、彼との共同調査は終了したという理解でいたのである。
屯所に勤務していた憲兵から上がった報告も彼等が勤務する官憲組織にまず上がり、かつ、フレイがメモしか残していかなかった為に初動捜査の確定が遅れた。
シガンシアがマレットらの調査対象となっていたことが分かり、そこから彼女に連絡が行ったのはようやく本日の正午。驚くマレットにリーズガルデが使わした使者がフレイの容態を伝えたのがその二時間後だ。立て続けに情報が寄せられてきたので、マレットは概ね正確に事態を推測出来たのだ。
つまり、フレイがシガンシアの死に一枚噛んでいる、と。
勿論フレイの容態も心配ではあった。事実確認も兼ねてすぐにお見舞いに行くことにし、ちょうどいいのでソフィーも誘うことにしたのである。マレット一人で行かなかったのは、一人では気後れしたのと抜け駆けと思われるのは嫌だなと思った為だった。
誘ってくれたことに感謝しつつ、ソフィーは(マレットさんてフェアプレイ精神の持ち主なんだ)とちょっと嬉しくなったのだが、誘った方は知る由もない。
そして今に至るという訳だ。最初こそ、二人は貴族階級に属する伯爵家の屋敷に招待を受けたということで緊張していた。けれども、リーズガルデの屈託の無い「まあまあ、うちのフレイがお世話になっています。ほら、入って入って。あの馬鹿、起きたばかりでボーッとしてるのよ」という容赦ない言葉が、そんな緊張も吹き飛んでいた。
「誰に相談するっつーんだ。あいつは魔物らしいってだけで、正体もはっきり分からなかったんだぜ。訴えても相手にされる訳ないだろ。だったら俺が一人で何とかするしかないって考えたんだよ」
「かもしれないけど、マレットさんなり私なりに相談して善後策は取れたんじゃないの。そんな一人で突っ走ってもしものことがあったらどーすんのよ、あたしを未亡人にする気!?」
「あ、ごめんなさい。お二人がもうご夫婦だったなんて私知らなくて。どうしましょう、お祝いの言葉も送ってないのに......」
「マレットさん、ぼけなくていいから! 付き合ってもいないから、この子とは!」
「じゃあ、お付き合いから始めましょうよ」
「っ、話がそれたが、俺にも言い分があるんだよ」
超強引に話題を引き戻し、フレイが心なしか赤い顔でこほん、と咳をしてから話を切り出した。
「もし然るべきところに持ち込んだとしてだ。黒翼教を実力行使で逮捕しようとしたらあの一帯戦場だぞ。なんせ教徒が百人いるからな、半分が戦力になるっていっても五十人だ。中隊クラスの出兵は必要になったはずだ」
意外に冷静なフレイの判断に、マレットとソフィーは口を閉じて言い分を聞くことにした。
「そうなると王都への被害も甚大だ。無関係な人間も巻き込むことになる、だからそれは避けたかったんだよ」
「まあ、一理はあるわ。でもね、だからといってフレイさん一人で抱え込むことは無かったのよね」
言い切ったフレイに、マレットが穏やかに声をかける。若干声に寂寥が含まれていたようにフレイには聞こえた。
「それとも、私達そんなに信用無かった? 頼りなかったのかな?」
「――傷つけたくなかったんです」
一拍置いてフレイが答える。その顔は俯いたまま、シーツに注がれていた。
「あいつがヤバい相手なのは分かった。だから、マレットさん、ソフィー、ヒューイ、リーズ姉、ブライアン兄さん達を。俺の大事な人達に危害が及ぶ可能性を排除したかった。それも出来るだけ早く」
直接シガンシアと接触し、そのプレッシャーを指輪を通した感じたフレイだからこそ、切羽詰まってしまった感はある。もっとも、あんな本性があると知っていたら話は別だ。さすがに単独行動は止めていただろう。
「......ありがとう。でも次からは止めてくださいね」
「もう、仕方ないな。ごめんね、フレイ。あたしからもありがとう」
二人の感謝の言葉がフレイの耳に届く。「分かってくれたらいいんだよ」と言い捨てるようにしてシーツに潜りこんだフレイの耳は真っ赤だ。
「ところで一つ気になるのよね、フレイの話で」
ソフィーの言葉に、フレイはちょっとだけ顔を出した。
「フードの奴だろ?」
「そ。多分あたしが会った人と同一人物よね。フードしか共通点ないけど、偶然にしてはタイミング良すぎるし」
「でもフレイさんの話を聞く限り、中級以上の悪魔か、もしくはそれに匹敵する魔獣を楽勝で倒せるなんてレベル50以上でないと出来ないわよ。そんな人が王都にいたら絶対知られているはずだけど」
マレットが首を傾げた。レベル10が一人前の目安、レベル20がそこそこ手練、30で一流というのがこの世界の常識だ。レベル50以上など逸材も逸材である。その名を世間に轟かせていなくてはおかしい強さだ。
だが銀髪ポニーテールの銀眼の戦士など、全く噂にもなっていない。不可思議なことだった。
「もしかして全部夢だったとか?」
「今考えるだけ無駄みたいだし、止めときましょうか」
ソフィーに答えながら、マレットはちらりと気になっていた。フレイから聞いたその人物の最後の言葉が、いやに耳に残っていたのだ。
(偉大な祖父を持つって言ってたらしいですけど。偉大な祖父って誰のことなのかしら?)
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後日、三人はバーニーズ家を訪ねた。「えらい迷惑をかけてすんまへん! お金はきっちり返すさかい、勘弁しておくなはれ!」と平身低頭で謝るバーニーズをなだめるのにまず一苦労。ようやく話を聞くと、シガンシアが彼に話しかけてきた時の様子は、概ねマレットとフレイが推測した通りだったらしい。
借金があることを話すと、シガンシアから「精神安定に効く」と香を炊く為の蝋燭を奨められたそうだ。巧妙なことに、事前に何らかの薬草のエキスを含んだ上でその香りを嗅ぐように言われていたらしい。これにより会話の最中に与えられている暗示が効くような仕組みになっていた。これらは、黒翼教を調査した官憲がマレットに流してくれた情報である。
「今にして思えば早く店を大きくしよう、借金返さなあかんという焦りに付け込まれたんでしょうなあ。お恥ずかしい限りでっせ、ほんまに」
バーニーズはそう言うと、深々と頭を下げた。借金返済はきっちり今後していくということで言質もとった。時間はかかるかもしれないが、差し当たりは大丈夫であろう。
「ねえ、フレイ。あそこ見て!」
バーニーズ家から帰る途中、急にソフィーが声を張り上げた。最近ぐっと強さを増している初夏の陽射しの下、街路の脇の広場で子供達が遊んでいる。適度に木が植わり木陰もあるその広場は、格好の遊び場なのだ。
「あれ、ヒューイ達か?」
目を細めたフレイの顔に笑みが浮かんだ。間違いない、調査に協力してくれたヒューイとその友人達である。その中には先程別れたバーニーズによく似た顔の男の子もいた。恐らくあれが下の息子のボイスであろう。
「あ! フレイにいちゃーん!」
「マレットねえちゃんもソフィーねえちゃんもいる!」
「こっちで遊ぼうよ~!」
子供は目ざとい。三人は遊びの邪魔にならないように黙って行き過ぎようとしていたのに、見つけた途端に大声で呼びかけてきた。大きく手を振る子供達を邪険には出来ず、フレイが答える。
「おー! ちょっとだけなら一緒に遊んでやるよ、そっち行くから待ってろよ!」
言うなり駆け出していくフレイ。ゆっくり歩いていくマレットとソフィーとはどんどん距離が開いていく。自然、女二人が並ぶ形になった。
「フレイさんて子供好きなのかしらね。いい笑顔してるわ、ほんと」
やれやれ、と言わんばかりに笑うマレットに、ちらりと意味ありげにソフィーが視線を飛ばす。
「今マレットさん、きっとこの人と一緒になったら子供が生まれても面倒見のいい父親になるわ、そうよ絶対この人優良物件あたしあの笑顔にfall in love! と思ったでしょ思ってるに違いないいや思わなくては!」
「ね、ねえ、ソフィーさん、ちょっと落ち着いて、ね?」
まくし立てるような早口になるソフィーを、必死にマレットはなだめる。ソフィーは本来美少女なので、真顔でこういう真似をすると妙に迫力があるのだ。
一転、その大きな紫色の瞳を揺らし、マレットの鳶色の目を見る。二人の視線が合った。
「じゃ、どう思ってるんですか? 正直なところ教えてください」
口元は笑っているが目は真剣だ。いい加減な返事は出来ないなと判断して、マレットは「うーん」と唸った後、数秒考えて慎重に答えた。
「魅力的な人、でしょうか。こう、子供っぽいかと思えば頭も切れるし優しいところもあるし。顔も結構格好いいですしね」
「じゃ好きなんですか?」
ソフィーの追撃の質問、かわしきれずにマレットの視線が宙に泳ぐ。
何と答えるのが適当か。今の感情を適切に示すには、自分の持っているボキャブラリーは余りに貧弱だ。いや、それ以前に自分があの青年をどう思っているか。それすら定かではない。
「......好きになるかもしれない、って言ったら?」
「――いいですよ。その方がやり甲斐ありますから」
意味ありげに微笑をたゆたわせたマレットに、ソフィーが心持ち口元を好戦的に吊り上げた。二人の前方で、フレイは子供達と早くも追いかけっこをしている。
色んな意味で熱い夏になりそうであった。
シリアスさんはどこ行った?さあ、次回から待望の講座復帰編ですよ!