マレット、交渉する
「ただいまー」
「おう、おかえり。もう事件は解決したのかい?」
「あら、フレイ。一人で帰ってきたの?」
久しぶりにハイベルク伯爵家に戻り、フレイはブライアンとリーズガルデに出迎えられた。前者にはまだと言いながら、後者には首を捻る。
「ねえ、リーズ姉。意味が分からないんだけどさ?」
「あら、貴方、女性とずっと一つ屋根の下にいたんでしょ。当然熱い夜を過ごして、二人でうちに挨拶に来ると私楽しみに......」
「誤解も甚だしいよ、リーズ姉......」
目をキラキラさせながらリーズガルデは話すが、その暴走を止める。バーニーズの夜逃げの調査の為しばらく泊まり込むと言った時にマレットの存在まで話したこと、それが従姉妹の妄想に火をつけたらしい。
だがフレイの言葉にどうやら見当違いと分かったらしく、「あら、残念」と呟き、リーズガルデは露骨にがっくりと肩を落とした。その妻に代わり、ブライアンがフレイの労をねぎらう。
「とにかく久しぶりなんだ、今日はこっちに泊まるんだろ。ゆっくり休みたまえよ」
「ありがと、兄さん」
従姉の夫のことを、フレイは兄と呼んでいる。正確には間違いなのだが、面倒なのでそれで押し通していた。
そのブライアンの言うように早く休みたいところであったが、その前に聞いておきたいことがあった。
「兄さん、こんな遅くに悪いんだけどさ。聞きたいことがあるんだ」
「ん? なんだ?」
「二日後、例の金物屋がいる場所に踏み込むんだけど、その時に危険があったら知らせてくれるような便利な品があったら貸してくれないかな」
フレイのお願いに対し、ブライアンは「む」と一言唸った。
「危険があるかもしれないんだな?」
「可能性がゼロではない、というレベルだけどね」
「分かった。そういう品に心当たりはある。明日渡すよ。あともし危険があった場合に備えて、一つ切り札をつけてやるよ」
蜂蜜色の髪をクシャとかきあげつつ、ブライアンがにやりと笑う。
「切り札? それ、安全に使えるの?」
「それはフレイ次第だ。しかし、いざという時の備えがあるのとないのでは心理的に余裕が違うだろう。お守りと思って持っていけ」
そう言うとブライアンはくるりときびすを返し、フレイについてくるよう促した。向かう先は庭の物置のようだ。例のバスタードソード+5とレザーアーマー+4以外にはめぼしい品は物置にはなかったはずだが、ブライアンは何をしようというのだろうか。
「持っていくっていってもこの前借りた剣と鎧以外、物置にはなかったと思うんだけど」
「まあ、見てみれば分かるさ」
ブライアンが何のことを指しているのか分からない。しかし、とりあえずフレイは信じることにした。この従姉の夫なら、自分に都合の悪いことはしないだろう。
******
二日後の朝。10人ほどの憲兵と共に、マレットとフレイは一直線に黒翼教の教会目指して歩いていた。憲兵達は標準装備の短槍と小盾で武装しており、これだけいるとかなり物々しい。
当然ながらソフィーとヒューイはいない。危険がないとも限らないからだ。
「こんなに数必要なんですか?」
「念のため、よ。過剰反応して、全教徒挙げて暴挙に出るなんてことはないと思うけどね」
マレットは答えながら、フレイに片目をつぶった。機嫌のいい時の彼女の癖らしい。ちなみにフレイもバスタードソード+5とレザーアーマー+4で武装しているが、目立たないようにマントで体を覆っている。
(なあ、マレットさんの隣にいる奴、誰だ?)
(ハイベルク伯爵家の隠し子らしーぜ。凄い剣の使い手でマレットさんが今回の捕物の為にわざわざ借りてきたってよ)
(マジかよ! 言われてみれば、あのちらちら覗く剣や鎧、すごい業物みたいだな)
周囲を歩く憲兵が自分の方をちらちら見ながら囁き、それがフレイの耳に届く。なんという誤解だろうか。どうやら自分の同行を許可させる為に、マレットが話を膨らませたらしい。
「ねえ、マレットさん......どんだけ話盛ったの?」
「護衛の為となると、腕に覚えがないと同行許可が下りないのよ......」
はっきりとは答えず明後日の方を見るマレットに、フレイは突っ込む気をなくした。この分では、一人で一個連隊に匹敵するとでも言われたのかもしれない。
そんなフレイの気まずさを余所に、一行は目的地に到着した。装飾的な二本の柱は黒く塗られ、門扉の両脇にそびえ立つ。正面の大きな木製の扉が一行の前に立ち塞がる。
「さてと。ここからは私の腕の見せどころね」
憲兵の一人が扉をノックするのを見ながら、マレットは呟いた。
******
抜き打ち調査という形を取り訪問してきたマレットらの訪問に、黒翼教の対応は素早かった。取り次ぎの者がいったん内部へ引っ込み程なく戻ってくると、一行は中に案内された。
完全包囲される危険を考慮した結果、四人の憲兵を教会の外に置いた上でマレットらは中に入る。調べによると勢力を増してきたのはここ一年、教徒数は100人ほどという黒翼教の噂は悪くない。この北門周辺地域の慈善活動にも力を入れており、教会の対応も丁寧だ。
(あまり頭ごなしには言えないわね)
今回のバーニーズの件を黒翼教と交渉する役目は、マレットが一手に担うことになっている。左手に丁寧に整備された庭を見ながら、綺麗に磨かれた石畳を歩く。彼女を先頭にして、一行はある一部屋の前で止まった。
「教団の代表者であるシガンシア様がお会いになられます。話をされる方だけ、このお部屋に入室可能ですので」
案内してきた男が頭を下げた。打ち合わせ通り、マレットだけが入室する。フレイや他の憲兵六人はここで待機ということになった。
「この度はお忙しい中お時間さいていただき、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ。会計府の方にご足労いただいたのです。当然のことですよ」
マレットの挨拶に朗らかに笑みを返す男。その右手の甲に黒々としたカラスの入れ墨がある。嫌でも目立つ印象的な入れ墨であった。全体的に白っぽいローブを纏った長身の男だ。まさにカラスのような漆黒の髪は長く、ストレートに背中まで流されている。その髪と同色の目からは、感情は読み取れない。
男はシガンシアと名乗った。事前の調査通り、この黒翼教の代表者らしい。マレットも自分の名を名乗り、早速話を切り出す。
「常日頃、黒翼教の評判は耳に挟んでいますよ。"闇を踏み台に翼を広げ神の身元へ"でしたね。シガンシア殿の教えに感動し入信した人も多い――とお聞きしています」
「それほどでもありません。我々は人々の迷いを解くヒントを与えるだけです。入信をきっかけに迷いを晴らすのは、信者一人一人の努力ですよ」
お互い笑みを浮かべながらの会話である。だが、マレットはシガンシアの目が笑っていないことに気づいていた。そして自分の目も笑っていないであろうことも。
マレットの訪問の目的が何かシガンシアはまだ知らない。警戒しているのだ。探らせる前に一気に切り込むか、とマレットは決めた。
「実はですね、人を探しているのです。それでシガンシア殿のご協力をお願いしたいと思いまして、こうして伺った次第なのです」
「――ほう、人探しですか」
一瞬だけだが、シガンシアの返答に間が空いた。
「ええ。会計府からお金を貸し出している貸し出し先の一人が、先日夜逃げしましてね。その行方を追っています」
シガンシアの反応は無い。マレットは言葉を続けた。
「その貸し出し先の家族の一人がこの黒翼教の教徒と一緒にいるところを、先日発見しました。名はバーニーズ、金物屋です。家族ぐるみでこちらに入信したと考えています。単刀直入に言います、身柄を会計府にお渡ししていただけませんか」
「バーニーズという信者がうちにいるかどうかは調べれば分かることですので、それはどうぞお好きに。ただし、彼が俗世に戻るかどうかは分かりませんよ」
「彼ということはバーニーズが男性だと知っているのですね? 私はバーニーズが男性か女性かは言いませんでしたから」
マレットの指摘にシガンシアが顔をしかめる。失策である。もうバーニーズが黒翼教の信者であり、しかも自分がそれを把握していると認めたようなものだ。これ以上はしらは切れない。
「とぼけても無駄なようですな。おっしゃるとおり、つい先日バーニーズは一家総出でこちらに入信して身を寄せました。しかし、借金があったなどは初めて聞きましたよ」
「彼の家を捜索したところ、主な持ち物は全て無くなっていました。あれは教団へ寄付されたのですね?」
「隠しても無駄のようですから、正直に申し上げましょう。俗世の欲を捨てる為に教団に納めさせています。強制ではありませんが」
あっさりとシガンシアが認める。それをマレットは冷めた目で見ていた。どこまで教団に納めさせたバーニーズの財産を引き出せるかを考える。最低限当座の生活資金程度は奪い返さねば、バーニーズの生活自体が成り立たない。やはりそれが現実的な妥協点だろう。
「私ども会計府、及びとある伯爵家からバーニーズには運転資金を貸し出しています。彼がこのままこちらに身を寄せていてはその返済も滞るばかり。シガンシア殿、バーニーズと彼の一家の身柄を、こちらに預けていただけませんか」
「事情は分かりますが、身を寄せる信者を放り出すほど黒翼教は薄情ではありませんな。彼と話をするのはご自由です、しかし教団から離れるのは、彼が自分から承諾した場合だけです」
「バーニーズから黒翼教に納められた金銭に貸し出し金が含まれているのは明らかです。もしバーニーズをこちらに渡していただけなければ、こちらの教団が債務を肩代わりするものとして返済を迫りますよ?」
マレットが語調を強めると、シガンシアは目を細めた。
「俗世の金銭にまつわる規則など、神の司る教団には無意味です」
意外に強情だ。恐らくバーニーズを黒翼教に勧誘した理由の一つに、貸し出し金によりある程度財産を持っているという事実を掴んでいたからというのがあるのだろう。マレットは推測を更に進める。言い方を変えれば、最初からバーニーズの財産をもぎ取るつもりだったのだ。当然返す気などない。
「俗世に迷いを残した人間を救う為の宗教法人、それが俗世の責任を放棄する。ずいぶん都合のいい方便ね?」
「強制捜査でもされますか。それなら、こちらにも覚悟がありますよ」
口調を変えたマレットとシガンシアが睨み合う。互いに譲る気配はない。
「俗世に存在する以上、その束縛を受けるのは当然のことですわ。水も食糧もないのであれば、カラスも餓え死するようにね」
「......」
ぎり、とシガンシアはマレットの言葉に奥歯を噛んだ。明言こそ避けたものの、マレットは黒翼教と取引のある業者に圧力をかけて取引をやめさせると言ったのだ。王都の商会をまとめる責任がある会計府ならば、それは不可能ではない。
その半面、もろに黒翼教全体から反感を買うようなことになり反会計府運動でも起こされれば面倒だ。マレットとシガンシアの駆け引きである。
「なるほど、若くして会計府の役人だけある。度胸もおありだ」
そう言って、シガンシアは深々と椅子に腰掛けた。その目が細められる。
「バーニーズ一家に私からいったん俗世に戻るよう伝えましょう。彼から受けた浄財の三割もお返しします」
「五割ね」
間髪入れずマレットが詰める。
「三割五分で。これで十分では」
「四割」
ぎりぎり譲歩という響きをマレットは声に込めた。数秒の静寂の後、シガンシアがため息をつく。
「よろしい、それで結構です。ただし、彼が通いで教会に来るのは信仰の自由ですからね」
もとよりそこまで止める気はない。マレットとしてはまずまずの条件だった。もっとも短い間とはいえ、本業の金物屋を中止していたバーニーズをやる気にさせ、返済計画を再編するという面倒な業務が残ってはいたが。
******
細かい諸条件を詰め、マレットがシガンシアとの会見を終えたのはその一時間後だった。張り詰めた精神がほぐれるのを感じながら、部屋を出て待機しているフレイ達の待つ部屋へ向かう。
シガンシアと黒翼教の信徒二人が付き添いでついてくる。恐らく教会内で妙な真似をしないように見張る為だろう。結構長身のシガンシアが横に立つと圧迫感がある。
(正直、バーニーズみたいな形で入信させられている人がもっといるのか調べたいけど、さすがに会見府の手には余るわね)
このあとマレットが出来るのは、報告書にそういった注意を促すように記す程度だ。横目で見る。長い黒髪をなびかせた黒翼教の代表者は澄ました顔を装い、表情を読ませない。
廊下の外れにある部屋の扉をノックし開くと、ばっとフレイや憲兵らが立ち上がった。どの顔も心配そうになっているが、マレットが指でOKと伝えると、ホッとしたように表情が緩む。
「バーニーズはこの教会から出られるんですか?」
「ええ、問題はまだあるけど、とりあえずはね」
フレイに答えるマレットの声には疲労が滲んでいる。神経を使った交渉だったのだ。
だから、その時フレイの視線が変化したことに、不覚にもマレットは気がつくことが出来なかった。
******
マレットを待つ間、フレイは左手中指にはめている指輪を右手で隠していた。二日前、ソフィーが謎の人物から魔気が増えていると言われたと聞かされたことを踏まえ、ブライアンから借りたのがこの指輪だ。
細い金で出来たこの指輪は、ブライアンの説明によると人では無い者の気配――例えば魔気を餌とする妖獣と呼ばれるケダモノや人とは異なる世界に住む悪魔の気配を感じると持ち主に教えてくれる。
その指輪がこの待機部屋に陣取ってから、仄かに熱くなっていた。びっくりして、フレイは周囲の憲兵から隠すように右手を被せる。その隙間から見ると、時折警告を発するように指輪がキラキラと光っている。
(マジかよ。ソフィーから聞いた時は万が一の為と思ってたけど、ヤバい奴がいるってことだよな?)
だが、どこからその異常が迫っているのか分からない。じりじりとマレットを待つ時間が続く。会見はいつ終わるのだろうか。
もし、マレットにこの気配の主が危害を加えたらと思うと、気が気でない。思わず背中のバスタードソード+5に手が伸びそうになる。
そうしてずいぶん長い時間待った後、待機部屋の扉が開いた。入ってきたマレットは疲れは見えるものの怪我はなさそうで安心したが、それもつかの間。
「バーニーズはこの教会から出られるんですか?」
フレイは自分の声がいつも通りであることを願った。自分の目がどうしても、マレットの隣にいる黒翼教の代表者らしき長身の男に向く。
夜の闇のような色の長髪が流れ、その陰から男の目がフレイを捉えた。視線がぶつかり合ったその瞬間、警戒するように左手の指輪がぎりぎりと中指に食い込む。
(コイツか)
警戒レベルを最大レベルに引き上げながら、フレイは記憶を掘り返した。確かシガンシアという名前だったはずだ。見た目は普通の人間だが、指輪の反応を信じるならこいつは人であるはずがない。否、こんな異常な気配を発する者が人であってはならない。
(バーニーズを取り返しただけじゃあ、終わりにはなりそうもないぜ)
フレイのこめかみをツツッと冷や汗が一滴伝う。数歩の距離に立つ男の目に、鬼火にも似た不吉な揺らめきが見えた気がした。