少年と少女の努力
ヒューイらを使っての人海戦術が使えるのは、一週間だ。それ以上探しても見つからなかった場合、バーニーズらがカラスの入れ墨男と共にいるという可能性は低いと判断し、調査は振り出しに戻る。これは、マレットが彼女の上司のクロックと話した結果である。
子供達が遊びながらじわじわとかなりたくさんある宗教関係の建物を探る一方で、ソフィーはアンクレス商会のツテを辿ることにした。具体的には、北門近辺の宗教組織と取引のある商会に、カラスの入れ墨男の存在を聞き回っていたのだ。神を信奉していても人間であれば腹は減るし、日用品は必要だ。故に全ての商会と取引が遮断している宗教組織など有り得ない。
なお、ソフィーが子供達に混じるのを第二優先順位としたのは、彼女がボイスの顔を知らないこと、及び少々子供達に混じるには大きくなりすぎていたことが理由だ。流石に15歳ともなると目立つ。
「私達もカラス男を自分達の足で探せればはかどるんだけど、そうもいかないわね」
「この辺りに信者が隠れていたら、一発でばれますからね」
マレットとフレイは、部屋で待機しながらバーニーズが見つかった後の作戦を考えている。程度の差こそあれ、宗教組織に入ったなら洗脳されている可能性は高い。そして浄財と称してバーニーズの資産を没収していることも十分ありえる。
「貸し金分だけでも返せと迫るのはありすか?」
「没収した資産、つまり金銭ね、をもとのバーニーズの財産と貸し出し金に区分するのは難しいから......相手の出方によるけど、ちょっと難しいわ」
落としどころとしては、宗教組織の存続を認め今回の件を不問にする代わりに、バーニーズ一家の身柄奪還及び彼が本業の金物店を最低限回せるだけの財産を返却してもらう――というところか。全額返却は難しいだろう、とマレットは思っていた。
(宗教絡みで厄介なのは、洗脳の影響があったとしても自分から財産を差し出している点なのよね)
強盗に無理矢理奪われたわけではなく、自発的に提供した財産だ。その宗教に帰属するかどうかは本人の自由意志によるものというのが大前提である以上、非はどちらにあるかに明確な線引きは難しい。故に、司法の脅威をちらつかせつつ相手の譲歩を引き出す辺りが関の山、そうマレットは考えていた。
「......納得いかないす」
フレイは不満そうである。何とか一泡吹かせてやりたいとその顔に書いてある。
「仕方ないわ。そもそも私達がバーニーズを探しているのは会計府、ハイベルク伯爵家からの貸し出し金の回収の為。少々バーニーズの本業回帰に時間がかかっても、彼を取り戻して少しずつでも返済が再開されるならよしとしなくては」
言い聞かせるようなマレットの言葉に、フレイはしぶしぶ頷く。だが完全に納得したわけではない。そして、マレットもそれはよく分かっていた。
「ところでマレットさん」
「はい?」
「あの、これは聞きにくいんすけど、着替えとか寝る場所とかどうするんですか」
フレイが微妙に視線を逸らしながら、マレットに聞く。この二人はこの部屋を間借りしている共同生活者だ。もはや泊まり込みな為、こういう問題は不可避である。
「あっちの鍵のかかる部屋を私が寝室に使いますから、フレイさんはそこのソファで寝てもらえます? ごめんなさいね」
「それは問題ないんですけど」
むしろ問題があるのは、扉一枚隔てただけで未婚の男女が一つ屋根の下にいるということである。万が一、何らかの間違いが発生しないとも限らないではないか。
平然とした顔を装ってはいたが、実はこの時マレットも内心ドキドキしていた。
(これ調査の為ですし。フレイさんは紳士だからそんなこと起きないって信じてるし! でも、もし強引に迫られたら私どうしよう!?)
どうしようもこうしようもない。私と貴方はそういう関係じゃないからと冷たくあしらえばいいのだが、そういう常識的な反応が浮かんでこないあたり、マレットもいささか冷静さを欠いていると思われても仕方がない。
しかしながら二人の男女は日没後、夜の街に繰り出し無理のない範囲でひっそりと調査をした後、互いを意識しながらも手をつなぐことすらなく別々に寝たのであった。フレイが紳士的なのか、あるいは単なるヘタレなのかは判断の分かれるところだ。
ちなみにソフィーには、夜になったら二人は帰るからと嘘をついている。本当のことを言えば何を言い出すか分からない、二人がそう判断した為だった。
******
ヒューイと子供達が無邪気な顔を装いながら宗教組織の敷地に忍び込んだり、こっそりミサに参加したり。
ソフィーが地道に取り引き先への聞き込み調査を行ったり。
ジリジリする時間が過ぎて行く。期限は一週間しかない。一週間などあっという間だ。その間に見つけだせなければ、また振り出しだ。
「なあ、ヒューイ......ほんとにボイス、このあたりにいるのかなあ?」
「いるさ。フレイ兄ちゃんが俺達に頼んでまで探してるんだ。絶対にいるはずだ」
ヒューイと組になっていた男の子が、疲れたような不安そうな顔で聞いてくる。ヒューイは一拍だけ置いて力強く返答した。内心彼も不安なのだが、それを言葉にすれば本当にボイスと会えなくなる気がして言えない。
(あいつは俺に黙って消えるようなやつじゃない。悪いカラスに連れていかれたに違いないんだ)
よく晴れた日である。乾いた歩道に二人の影が浮かぶ。首をぐるりと巡らせる度に、影もまたぐるりと向きを変えた。まるで地面にボイスの影が落ちていないか探しているように見える。
「ここで諦めたら俺達、ボイスに二度と会えなくなるぞ?」
「そんなのやだよ......」
「だろ。だから皆で一生懸命探そうぜ!」
汗を拭いながらヒューイは友達に激を入れる。彼自身の不安を無理矢理闘志に変えながら。
******
「――お邪魔しました」
「役に立てなくてすまないね」
頭を下げ、ソフィーは取り引き先を辞去する。目の前で扉がゆっくりとしまり、がたんと重々しい音を立てる。
(今日で四日目。未だ当たりなし、か)
ふう、と息を吐きながら、ソフィーは通りを見た。このあたりで開かれている屋台が何軒か並び、通行人に食べ物や飲み物を売っている。
朝から歩き回りいい加減お腹の空いたソフィーには目の毒だ。思わず財布の紐を緩めた。買ったお菓子は、果物の皮を容器にして冷やした果汁を固めた物だ。この炎天下には魅力的に見えて仕方がない。
「お! お嬢ちゃん、可愛いねえ! おまけに果物一切れつけちゃうよ!」
キップのいい屋台の親父に愛想笑いで応え、ソフィーは日陰に逃げ込んだ。すぐに寒天を喉に放り込む。冷たいスルリとした感触が心地好い。
(ほんとに見つかるのかしら)
簡単に見つかるとは思っていなかったが、それでも手応えのない仕事は疲労を増加させる。ヒューイらからも今のところ良い情報は得られていないようだ。
これしきでへこたれる程ソフィーはやわではない。しかし、せめて何らかの手がかりくらいは、努力の成果として欲しかった。
5分ほど座り込んで休んだ後、ソフィーは立ち上がろうとした。だが、不意に襲ってきた立ちくらみに視界に白いものがかかり、くらっとそれが歪む。
「あ」
足がぐにゃりとするような嫌な感触。日差しにやられたせいかと考えた時には膝がかくんと折れ、ソフィーはそのまま固い石畳に倒れこんだ。
......?
(あれ? 痛くない? それにあたし、誰かに支えられてる?)
「怪我はないかい」
痛撃を覚悟して目をつぶったのに、ソフィーは自分の両肩を誰かの手が支えていることに気がついた。そして耳に飛び込んできた涼やかな声に、顔を上げる。
一瞬フレイが来てくれたのかと思ったが違う。その人物は目深に褐色のフードを被っており男か女かも分からない。ソフィーは肩を支えられ、そっと道端に座らせられた。
「あ、あのありがとうございました」
「気にしないで。間に合ってよかった」
ソフィーの礼に、淡々とした声で答えるフードの人物。中性的な声だ。フードから続く全身を覆うローブが体型を隠している。多分痩せ型というくらいだ。
「暑気あたりだろう。気持ち悪くなる前に、水をこまめに飲むといい。じゃ」
サラっとした声をソフィーにかけ、フードの人物は背を向けた。そのまま行ってしまうかとソフィーは思ったが、意外にも一歩踏み出したところで振り返った。フードの陰から覗く唇が囁くように動く。
「もし大した用が無いようなら、あまりこの辺りをうろうろしないほうがいい。魔気が濃くなっているからな」
一瞬意味が分からなかった。ソフィーが戸惑っている間に、再びフードの人物は背を向けた。瞬く間に雑踏に溶け込むように消えていく。
(誰なのかしら)
不思議に思いながらソフィーは立ち上がった。先ほどまでの目眩はもう消えている。この暑くなる時期に頭からフードをすっぽりかぶるなど不審に思われても仕方がないが、言葉や雰囲気からはむしろ上品な印象がした。
考えても仕方がない。魔気がどうこうという言葉に何やら不吉な匂いはしたものの、気分も良くなったソフィーは調査を再開した。
******
六日目。午後になって急に曇り、みるみるうちに大粒の雨が空から降り始めた。暗い空が広がる。滴る雨は銀色の線を描き、瞬く間に王都の土や建物を濡らしていく。
外に出ているソフィーやヒューイらを心配していたマレットとフレイの二人に朗報がもたらされたのは、そんな天気が急変した頃合いであった。
偶々ほぼ同時刻、二人が借りている部屋に、ずぶ濡れになったソフィーとヒューイ、ヒューイと組になった少年が走り込む。濡れネズミのような惨めな姿ではあったが、彼女らの顔は明るい。マレットは体を拭く為のタオルを渡しながら、報告を促した。
「見つけたわ。カラスの入れ墨の男」
すっかりびしょびしょになった金色の髪を拭きながら、ソフィーが言う。今日彼女が尋ねた商会で何気なく話している時に、不意にその人物のことが店主の口から出たのである。食料品を扱うその商会に週に一度顔を出し、毎回結構な量を注目してくれるお得意様の右腕、そこに大きなカラスの入れ墨があったのを主人は覚えていたのだ。
「あたしが聞くまで気にしてなかったらしいけどね。普段は手首まで覆うような服を着ているから見えなかったらしいんだけど、この前偶然袖がまくれて、その時見えたらしいの」
「そいつの名前や、その所属している宗教組織の名前も聞けたのか?」
期待に満ちた目でフレイが聞く。ソフィーは勿論、と頷いた。
「名前はシガンシア、宗教組織名は黒翼教だそうよ。何の宗教かは店主さんはよく知らないらしいけど、どうも御神体がカラスの神様らしいのね」
「黒翼教についてはこちらで後で追加調査するわ。ありがとう、ソフィーさん」
感に堪えないといった感じでマレットがソフィーの手を握る。ねだるような視線を向けられ、フレイは幾分躊躇いながらもソフィーの肩に手を置く。するといきなり抱き着かれ、倒れそうになった。
「お、おい!」
「いいじゃない、頑張ったんだから。ご褒美!」
言っていることは可愛いが、フレイの服に顔を埋め、スーハーと深呼吸している姿はかなり怪しいものがある。
「えーと、俺からもいい、かな?」
ソフィーの不審な行動に引きながらも手を挙げ、ヒューイが話し始めた。
「ボイスの姿を見たんだよ、今日」
ヒューイの言葉に色めきだつマレットとフレイ。さっと少年の周りに駆け寄る。ちなみにこの時フレイに抱き着いていたソフィーは残念ながらフレイに「もういいよな?」と引っぺがされ、くぅう~と歯噛みしていた。
「何処で?」
「親父のバーニーズは?」
「その、さっきソフィー姉ちゃんが言ってた黒翼教の建物の近く。親父さんは見なかったよ」
ヒューイの説明が始まる。彼と組を作った少年の二人でとある黒っぽい建物の近くを通った時に、先程の雨が降り始めたのだ。慌てて雨から逃れる為に、その建物の敷地をぐるりと囲む塀に隠れた時、彼らとすれ違う集団がいた。
雨が降るまでその建物の近辺の清掃作業に従事していたのだと分かったのは後からで、その時ヒューイの目は集団の中の一人に吸い寄せられていた。
大人だけでなく子供も混じったその集団、その中に探していた友人の姿を見つけたのだ。
「雨が邪魔してたし一瞬だから声もかけられなかったけど、あれは間違いなくボイスだった。それでボイス達が建物の扉を開けて入っていったからさ、門を見たんだ。何の建物何だろうって」
雨宿りに気をとられその時まで気づかなかったが、真ん中から左右に分かれるスタンダードな造りの門だった。しかしその門柱はギザギザとした装飾的なデザイン、そこに刻まれた文字は黒翼教と読めたとヒューイは話し、相棒の少年もその通りだったと同意する。
「よし、よくやったぞ、ヒューイ!」
「あったりまえだろ!」
パーン! とフレイとヒューイがいい音をさせて両手でハイタッチする。その横でマレットが相棒の少年に冷静に確認していた。
「ボイス君の様子なんだけど、変わったところはなかった? 目つきや顔色が変とか、足元がふらふらしてたとか」
「特になかったと思います。雨から逃れる為にばたばた走ってたくらいだから、元気なんじゃないかな」
マレットの質問は薬物、あるいは魔法による洗脳を危惧してのものだ。バーニーズの家の居間にあった蝋燭は遅効性の麻薬を空気に溶かす為のものでは――そう仮説をたてていたので危惧していたが、もしそうであったとしても、どうやら顔の表に出るほど効いているわけでもなさそうだ。
ほっと安堵のため息をつき、マレットはフレイと顔を見合わせた。
「間違いないわね。黒翼教が今回のバーニーズ一家夜逃げ事件の黒幕。そしてカラスの入れ墨男は、恐らく教団内でも高い地位にいる男」
「バーニーズ本人が確認出来てないですけど、今の段階で踏み込めますか?」
「家族がいるのが目撃されてるのよ、大丈夫。少なくとも、ボイス君から事情を聞くことは出来るわ」
マレットはそう言いながら頭の中で算段を立てた。相手がこちらに気づいていない今が好機だ。今日と明日を使って黒翼教に関する資料をあたること、同時に人の手配を行い、明後日には直接乗り込む。
「ここまで来たんで、俺も一緒に踏み込んでいいですかね? せっかくの機会なんで」
妙に嬉しそうにフレイが言う。ぽんぽんとお手柄のソフィーらの肩を叩きながら労うその姿は、気のいい先輩という感じだ。
「ここまで来て断れないわね。でも相手と交渉するのは私がやります。口は挟まないと約束してもらえるならだけど。いい?」
「約束しますよ。じゃそれに備えて、ちょっと伯爵家に顔出してきます。もし喧嘩沙汰になったら武装無しじゃ恐いしね」
「物騒ね。憲兵も少し増員してもらうつもりだし、そうならないように願うわ」
マレットは顔をしかめた。彼女はほとんど戦闘能力はないのだ。いざとなったら逃げるしかない。フレイもそれは分かっている。だからマレットを警護する意味でも、武装しようと決めたのである。
そのマレットとフレイの様子を見ながら、ソフィーは何だか胸騒ぎがした。もうバーニーズ一家を見つけたも同然、と浮かれてもいい状況なのだが、二日前に倒れかけたところを助けてもらった人物の言葉が急に思い出されたのだ。
あのフードの人物が告げた"魔気が濃くなっている"という言葉。何故か――今更ながらそれが胸の中で繰り返される。
(念のためフレイには言っておこうかしら)
取り越し苦労で済みますように、と祈りながら、ソフィーは窓の外を見た。雨はまだ降り続いている。雨雲と暗く濡れる建物の列、その間を縫うように歩く傘の群れが、少女の視界を占めていた。