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フレイ、利益と費用を学ぶ

 フレイの朝は早い。いつも規則正しく決まった時間に起きてくる。手のかからない青年である。


 生来の黒い髪の寝癖を直して顔を洗ってから屋敷の庭に出る。庭の片隅、物置小屋に立てかけられた木刀を拾い構える。背筋がぴんと伸びており美しい。


 本物の剣はほとんど触ったことはないが、この毎朝の木刀による素振りは欠かしていない。何故やっているかと問われれば「習慣だから?」といつもの眠そうな顔で答えるだろう。


 ヒュン! と空を切り裂く斬撃が縦、斜め、横に走る。いつものフレイの日課、幼少の頃からの鍛練だ。おかげさまで素人なりにそこそこ振れる。かといって剣の道にはまるで興味を示そうとしない点が、彼らしいといえばらしい。


 (今日は簿記講座の二回目の日、と)


 木刀を振るいながらフレイは唐突に思い出した。僅かに剣閃がずれる。それを次の素振りで修正しながら今日は何を習うのだろう、と考えた。


 (この前は王様から武器と剣を貰ったところ、つまり勇者の旅立ちの時点で終わった)


 終わったも何もなく、始まりでしかないと突っ込まれそうだが、講座の初回なので仕方ない。


 しかし、わざわざ危険な冒険に赴き魔王を倒すという使命を背負わせたのだ。その勇者に僅か200グランのお金と100グラン相当の安物の剣一振りしか与えないのは、どう考えてもおかしい。

 フレイが今振るっているこの古ぼけた木刀でも10グランくらいはする。100グランの鉄の剣など、実剣としては最低レベルの代物だ。


「勇者も楽じゃなかったってことかね」


 最後の一振りを終え、フレイは木刀をしまった。講座の始まる夕方まで暇なので何をしようかと考えながら彼は屋敷へ戻った。




******



 夕刻。三日前と同じ場所へと足を運んだフレイはさっさと席に着いた。用紙によれば、今日はいよいよウォルファートが冒険に旅立つ辺りに入るらしい。少し楽しみである。


 ウォルファートも最初から強かったわけではない。ちょっと腕に自信がある程度の平民が何故か勇者に選ばれ少しずつ強くなっていくという過程があり、最終的に魔王を倒す程の強さを身につける。凡人と何が違ったかといえば、剣にせよ呪文にせよその鍛えあげられる限界値(マックス)が桁違いだった点だ。


 最初から極端に強ければ、魔王の元へ直行→瞬殺で冒険も何もあったものではない。そういう点では成り上がり型勇者で良かったとフレイは思うのであった。



 七時になった。三日前と同じく時間きっかりにマレットが扉を開ける。今日は白いブラウスに膝丈までの黒いスカートという学生のような服装だ。年齢不詳である。


「こんばんは、皆さん。今日が第二回目の講義になります。今日はいよいよウォルファート様の冒険が始まるので楽しみにしてくださいね」


 グッと右拳を固めながら話すマレット。講師というよりは生徒に物語を話す前の教師といった赴きがあるのは気のせいだろうか。しかしフレイはおとなしく聞くことにした。


「城を出たウォルファート様は、まずは魔物を倒すことにしました。目的はレベルアップとお金を稼ぐ為です」


 レベルアップとは文字通りレベルを上げることだ。シュレイオーネのみならずこの大陸の住人は皆、その強さに応じてレベルを認定される。最弱がレベル1、最高が100だ。魔物を倒し実戦経験を積むことで強くなり、更に上のレベルに相応しいと認められるようになる。つまり、レベルアップを目指すというのはより強くなるというのと同義である。


 では、魔物を倒せばお金が手に入るというのはどういうことか? ある程度人間の脅威となりうる種の動物や植物を魔物と一くくりに呼んでいるのだが、何故か魔物は人間の使う金銭を好む傾向がある。旅人を襲って入手したり、どこかの洞窟に隠されていた宝物を拾ったりして、魔物はその身に金銭を身につけようとする。


 そして強い魔物ほど、自分の権威を示すためかより大量の金銭を保有したがるのだ。つまり腕に覚えがある者にとっては、魔物を倒せばその魔物が持っている金銭が手に入るわけである。


 駆け出し勇者のウォルファートが腕を磨く為と資金を稼ぐ為に魔物を倒そうとするのは、半ば必然であったといっていい。


 マレットが説明を続ける。何やら紙で出来た人形のようなものを机に置いた。丸っこい文字で"勇者"と書いてある。そしてもう一つ、角のついた小さな人型の人形をその隣に置いた。


「ウォルファート様はゴブリンと戦うことになりました。えいっ!」


 どうやら角が生えた奴は小鬼(ゴブリン)だったらしい。特に戦闘経験のない大人でも棒きれかナイフがあれば勝てる程度の強さしかない。正直雑魚である。そしてゴブリンは一撃で倒されてしまったらしく、ぽてんと角が生えた人形は倒れた。


「こうしてウォルファート様は初陣を飾りました。ゴブリンは5グラン持っていたので、これを手に入れました」


 少なっ! フレイは心の中で突っ込んだ。1グランがどの程度の価値があるかというと屋台の串焼きや菓子が一つ買える価値しかない。いい大人が一日生活しようと思えば三食一泊で70グランは最低必要だ。


 ゴブリンが雑魚とはいえ、命懸けの戦いの報酬にしては入手できる金銭が安すぎる。フレイは勇者に同情した。


 だが今は過去の勇者の冒険を論評しているわけではない。あくまで簿記の授業である。


 マレットが黒板にチョークで仕訳を書いた。丸っこい文字でこう書かれている。



 資産 5(お金) / 利益 5


「お金を5グラン手に入れたので、その分資産が増えます。資産は増えたら左側に記入する、ここまではいいですね?」


 マレットの言葉に皆頷いた。それは前回やったからだ。


「では右側には何を記入するかというと、資産が返済の義務なく増えた場合には利益という項目を使います。資本も返済の義務はないので使えると思うかもしれませんが、あれは王様から貰った時しか使いませんから無視です」


 フレイは仕訳と説明をノートに書き留めた。

 少し考える。お金=資産は目に見えるものだ。これはわかる。だが右側に記入した利益は目には見えない。つまり、利益というのは資産が増えたことを表すことなのだろうか?


 質問してみるとしよう。

 

「すいません、利益というのは目には見えないのですか?」


 臆せず質問したフレイに、マレットは嬉しそうな顔を向けた。


「そうです、利益は直接は目に見えません。資産が増えた、あるいは負債が減った時にこの利益という勘定科目を使います。なので利益は多ければ多いほどいいのです」


 なるほど。


「そして利益は基本的に右側に置かれます。資産の増加=利益の増加、右側、と覚えてくださいね」


「はい、分かりました」


 基本的に左にくる資産とはペアになる、そのため右にくると考えておけばいいだろう。フレイは少し賢くなった気がした。単純な男である。



******



 マレットの説明が続く。鳶色の髪と同じ色の目が生き生きとしている。人に物を教えるのは好きらしい。こうして見ると中々美人だ。


「さて、30匹ほどゴブリンを倒したウォルファート様は街に帰ってきました。もうくたくたに疲れていた彼は食事をしてから寝ることにしました」


 さすがは駆け出しとはいえ、勇者である。ゴブリン30匹を一日で倒すなど安物の剣しか装備がない割には、ずいぶん頑張ったと言える。


 マレットが黒板に仕訳を書いた。


 費用 50 (宿泊費) / 資産 50 (お金)


「一泊50グランの宿に泊まったのです。資産であるお金が減ったので、右側にそれを記入します。左側には費用と書きます」


 また新たな勘定科目が出てきたとフレイは思った。だがさっきゴブリンを倒した時は資産の増加に対して利益を使った。今回は資産が減った。つまり。


「資産の減少や負債の増加を費用という勘定科目で表します。基本的に費用は左側に現れる科目です。これが多いと大変です。なぜなら費用が多いということは資産がそれだけ減るか、または負債が増えることを示す、つまり簡単にいえば手元からお金が無くなることを指すからです」


 大問題である。


「さて、では冒険初日の損益計算をしてみましょう。損益計算とはある一定期間中の売上、売上原価、利益、費用だけを集計してその期間内で儲かったかどうかを計算することです」


「マレット先生」


 教室の一角から声がした。フレイがそちらを見ると、きらきらした金髪が飛び込んできた。女の子だ。肩まで届くストレートのブロンドが眩しい。


「あの、損益計算には資産や負債、資本は使わないんですか?」


「使わないです。といいますのは損益計算ははたして儲かったのか、損したかだけを計算するからです。今は少し難しいかもしれませんが、そういうものだとだけ覚えておいてください」


 マレットはてきぱきと説明しながら黒板に書いていく。


 売上=0

 売上原価=0

 利益=150

 費用=50


「売上と利益をプラス、売上原価と費用をマイナスとして計算します。利益の150はゴブリン一匹が5グラン持っていて30匹倒したからですね」


 どのゴブリンも5グラン均一だったらしい。ドロップアイテムも無かったのかとフレイは勇者に同情したくなった。


 それはさておき、ここまでくれば分かる。利益のプラス150、費用のマイナス50で合計プラス100。儲けの方が出費より多いのだ。つまり、今日一日で勇者は自らの活動で......


「100儲けが出たから、最初に貰った200グランと合わせて300グラン持ってい る」


 ぽそ、と呟いた言葉が聞こえたらしい。マレットがフレイの方を向いて「正解です」と微笑んだ。


「損益計算をすることにより、その期間内での資産や負債の増減が分かります。プラスに振れたなら資産の増加か負債の減少、マイナスに振れたなら資産の減少か負債の増加ですね」


 うーん、わかったようなわからないような......とフレイは心のなかで唸った。現時点で資産=お金などがあるかどうかだけ分かればいいんじゃね? と思ったのだ。


「すいません、損益計算をする意味がいまひとつ理解出来ないです」


 フレイの素直な問いにマレットは丁寧に答える。


「自分の手持ちの資産や負債の増減の理由が分かるようになります。例えば、一日経過して50グラン増えたとしましょうか。利益が50で費用0でもこうなりますし、利益150で費用が100でもこうなりますね」


「そうですね......」


 フレイはマレットの言葉をもう一度考えた。そうだ、両方とも結果は同じだ。でも何かが違うような気がする。違うのは思うに過程あるいは中身か?


「損益計算は結果だけじゃなく過程を知る為にある? 利益50で費用0ならゴブリン10匹倒して宿には泊まっていないんですよね。利益150で費用100ならゴブリン30匹倒して宿に二泊している。最終的にプラス50という儲けを出していても中身が大きく異なる」


「そうですね! 損益計算をして記録しておくと、その期間に何をしていたかが分かります。資産、負債、資本だけ見ていてはそれが分からないんですよ」


 フレイの答えにマレットは合格点をくれたようだ。他の受講生がオオッとどよめく。さっき質問していた金髪の女の子も感心したようにこちらを見ているのが分かり、フレイは少し鼻が高かった。


RPGでよくありますよね。世界を救うはずの勇者にわずかの手切れ金と武器を与えて放り出す王様。

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