消えた金物店 3
結局他の部屋もすべて点検しなくてはならず、フレイとマレットがバーニーズの店を出たのはそれから一時間後だった。めぼしい収穫もなく肩を落とすフレイに、マレットが声をかける。
「家捜しでいきなりめぼしい手がかりが見つかるなんて、中々ないわ。気を落とさないで」
「そんなもんですか?」
「そうよ。地道な聞き込み、人間関係の洗い出し。そういう調査の積み重ねが夜逃げの行く末につながるの」
マレットは溌剌としているとは言わないまでも、気を落とした様子はない。平然とした顔で、憲兵の差し出した水を飲んで喉を潤している。
フレイはあたりを見回した。あれほど多くいた人々はフレイ達の調査の間に帰ったようだ。会計府の言葉は威力を発揮したらしい。
(それにしても)
フレイは横目でマレットを見た。
(雰囲気違うよな、マレットさん)
講座で会う時の物腰柔らかな感じはどこへやら、ぴりっとした鋭さを漂わせるマレット。こちらが本性なのかもと思う。
講座では聴講生を恐がらせないように、意図的に穏やかにふるまっているのだろう。まあどちらも仮面の可能性もあるのだが。
(怒ったら角が生えたりして。なんてなー)
「どうかしました?」
くだらない考えを見抜かれたかとギクッとするフレイだが、ぎりぎりそれを顔に出すのは押し止めた。内心冷や汗をかきながら答える。
「いえ、何も。今日はいい天気だななんて」
あからさまに怪しい。いぶかしむ視線を寄越すマレットだが、いつまでもここで時間をつぶすわけにはいかない。
「とりあえず調査協力者として行動を共にしてもらうので、この書類にサインしてください」
そうフレイに言った後、テキパキと憲兵に指示を出す。
「このあたりの住人にバーニーズの評判を聞いてまわって。最近の様子、頻繁に出入りしてた人物、傍から見ていた商売の様子。なんでもいいわ」
ぱっと散る憲兵、後に残った二人。マレットはフレイを見上げた。少しフレイの方が背が高い。
「言うのを忘れていたんですけど、講座の方はこの事件が片付くまで中止です。聴講生の人には会計府から連絡しておきます」
「ああ、やっぱりそうですか。仕方ないですね」
「事件のほうが重要ですから。それにどのみちあと二回くらいですし」
マレットの言葉にフレイは目を丸くした。
「もう終わりなんですか? 勇者様の冒険ってまだまだ続くんじゃないんですか?」
「あくまで簿記の触りを教える為の講座ですからね。勇者様の冒険全部を解説していたら、初心者の領域なんか簡単に超えてしまいますから」
話しながらマレットはフレイを先導し、バーニーズ金物店から離れた。道の角まで来てから振り向く。
主のいない店舗は活気もなく、街の喧騒から隔絶されたようにひっそり佇んでいるように見えた。夜逃げという暗い背景があるのを知っているからそう見えるのだろう。個人的な感傷は二の次にして、フレイが口を開いた。
「俺らはこれから何を調べます?」
「バーニーズの親戚の有無の調査、彼の店の取引先への聞き込みね」
「......帳簿も何もないのにどうやって?」
「会計府にはね、お金を貸し出した時に彼から提出させ、なおかつ内偵が調べた調査書があるの。それを見てみるのよ」
当然ですよ、と付け加えながら、マレットは鞄の中から分厚い書類を取り出した。
(完全に俺、足手まといなんじゃね?)
軽くへこみながらフレイは頭を振った。調査は始まったばかりだ。気落ちするのは早すぎるだろう。
「こういう事件てどれくらい発見に時間かかるんですか?」
「んー」
フレイの問いを吟味するように少し考えてから、マレットは答えた。
「ばらばらね。早ければ数日だし、長ければ何ヶ月もかかるわ」
何ヶ月という言葉にフレイがギョッとすると、マレットは言葉を足した。
「あ、フレイさんはあくまで協力者だから、これ以上拘束は無理だと思ったら抜けてくださいね。調査の主体はあくまで会計府が行いますから」
「その時がきたら考えますよ」
長い勝負になるかもしれないとフレイは覚悟した。
******
調査というのは地味なものだ。
マレットがそう言った時には頭では分かっているつもりだった。けれども、実際その日一日行動を共にしてみて、フレイは体でそれを実感した。
まず親族関係者を洗おうということになり、マレットの持っている書類に記載されたバーニーズとその妻のそれぞれの親族を確認した。王都に住んでいる者だけを選び近い者から彼らの家を訪ねようとし、実際に足を運んだものの一軒目は留守、二軒目は最近は全く付き合いがないの一点ばり、三件目はそれなりに愛想よく対応してくれた。けれども、まるで有益な情報は無かった。
特に三件目の家主は相当な老人で耳が遠くなっており、僅かなやり取りだけでもひどく時間を費やした。時間の浪費だ、とフレイは思ったが、浪費かどうかというのはやってみて初めて分かるのである。
「なかなか手がかりって見つからないんですね」
三件目の聞き込みが終わって外に出る。ぽつりとフレイはマレットに話しかけた。もう時刻は夕方だ。赤くなった空からこぼれた光が斜めに差し込み、彼女の髪に彩りを添える。
「根気よく続けるしかないのよ。明日は取引先への聞き込みと憲兵の聞き込み結果の報告受領ね」
朝からずっと気の張った仕事をしていたせいだろう、マレットも疲れていた。しかし素人のフレイの前であまりそういうそぶりは見せられない。対等の立場で一緒に行動してくれているだけで十分役に立っている(主に話し相手として)のだ。負担はかけられない。
「今日はここまでにしましょう。私は帰ります、明日は会計府に来てもらえますか? 私の名前を出せば入れるようにしておきますから」
「分かりました。お疲れ様です」
軽く頭を下げてそのまま帰ろうとしてから、フレイは動きを止めた。同じく帰ろうとしたマレットが怪訝に思ったのか、こちらを振り返る。
「あの、マレットさんはどこに住んでいるんですか?」
「あっちの方角にある街区に部屋借りてますけど」
マレットが指さした方にある街区は中級階層が住む辺りだ。はからずもフレイが単純に好奇心で聞いたことで、相手の生活レベルを測ることになった。
「結構距離ありますね。お気をつけて」
若干気まずい思いをごまかすように急いで答えてから、今度こそ離れた。今日一日行動を共にした相手に興味が湧いたのだろう、それ以上の意味などないと自己分析をする一方、部屋を借りているというのは一人でだろうか、それとも誰かと共同でだろうかと、ふと考えてしまう。
「俺、何考えてんだ? 別に関係ないじゃないか」
突然湧いた思いに戸惑いながら、フレイは帰路についたのだった。
翌日から引き続き地味な調査は続いた。マレット主導の下、フレイと二人の憲兵は文字通り足を棒にして聞き込みを行った。怪しい人物の出入りはないか、最近バーニーズの様子に変わったところはないか、とにかくなんでもいいから手がかりを求めて動く。
しかしフレイは気が気でない。もしバーニーズが家族全員を連れて王都の外に逃げた場合、こうしている間にもどんどん距離を離されていると考えると、何ともいえない気持ちになる。
「闇雲に外に出ても徒労に終わるだけよ。とにかく何かしら取っ掛かりが必要なの」
そう言って、マレットはフレイを励ます。そんなじりじりした日が四日経過した時だった。
「現場百回って言うらしいしな」
この日、フレイは一人でバーニーズ金物店に足を運んだ。何かあてがあったわけではない。ただ、何か見落としていないかと考えたのだ。
店の周りは最初に見た時と変わっていない。パタパタと風に揺れる看板が物悲しい。
「ん」
少し遠くから全体を見てみようと考え、通りを挟んだ向かいから店を視界に捉えていた時、フレイは眉をひそめた。扉の閉ざされた金物店、その前にぽつねんと佇む小さな姿を見つけたのだ。
最初は単なる偶然かと思ったが、5分以上もじっとしている。小さな男の子であることを確認してから、フレイはそっとその背後から近寄り、様子を伺った。
6、7歳くらいに見える。ちょっと悲しそうに眉を下げたまま、そばかすを浮かべた男の子はじっと開かない扉を見つめていた。
「なあ、さっきからどうしたんだい、僕?」
脅かさないよう、フレイはなるべく優しい声を出してその子供に話しかけた。ビクッと体を震わせ、その男の子がフレイを振り返る。
「あ、ごめんな? びっくりさせちゃったか。お兄ちゃん、このおうちの人の友達なんだ。急にいなくなっちゃってびっくりしてんだよ」
フレイは膝を曲げて視線の高さを合わせながら話しかけた。とりあえず見た目や雰囲気は上品に見えるフレイである。これでも一応貴族のはしくれということもあり、人当たりは悪くない。
「友達」
「どした?」
男の子はぽつりと一言だけ答えた。急かさないように気をつけながら、フレイは促す。
「ボイス、俺の友達なんだ。だから寂しい」
短い言葉、ギュッと握りしめた拳。それだけでフレイはこの男の子がバーニーズ家の子供、確か二人いた、の片方の友人なのだと気がついた。
ボイスという名前がバーニーズ家の家族の中にあった事はフレイの記憶にある。友人がいきなりいなくなって戸惑っているのは、この子供の表情から容易に推察出来た。
「そっか、心配だよな。いきなり友達が姿を消したならさ。なあ、さっきも言った通り、俺はバーニーズさんの友達なんだ。いきなりこんな風にいなくなってしまって、とりあえず何とか見つけたいと思って探してるんだよ」
こんな小さい子供から有益な情報が手に入るほど世の中は甘くはないだろう。けれども、胸を痛めて心配している子供を放っておくほどフレイは冷たい男ではない。とにかく何か話しかけてやりたかった。
「お兄ちゃん、バーニーズさんを探してるの? ボイスも一緒にいたら探してくれる?」
すがるような目を向ける子供。その小さな頭を撫でながら頷いた。
「ああ、約束するよ。君の友達は俺が無事に連れて帰ってきてやる。自己紹介がまだだったな、俺はフレイ。君は?」
「ヒューイ。ありがとう、フレイ兄ちゃん」
それほど育ちが良さそうには見えないが、ヒューイと名乗った子供は笑顔を見せた。まだまだ弱気な笑顔だけれど、悲しそうな表情を張り付かせたままよりは百倍ましだ。
「おう、任せとけ。でな、ヒューイ、ちょっとボイスについて話を聞かせてくれないか? もしかしたら君が見た最近のボイスの様子から、何か彼を見つける手がかりがあるかもしれないんだ」
あまり期待しないままフレイは言った。こう話しかけながらも、ヒューイを励ます意味も兼ねて近くの屋台で果汁のジュースを買って渡してやっている。
それをためらいつつ受け取りながら、ヒューイは俯く。
「うーん、手がかりって言ってもよく分からないよ。俺とボイスは仲良かったからよく遊んでたけど、別にこの近所で遊んでただけだし」
具体的に聞かないと駄目だなと判断して、フレイは質問を少し変えた。
「じゃ例えばさ、バーニーズさんが最近変とか店によく来る人のことをボイスが話していたことないかい? どんなささいなことでもいいから」
「......そういえば、ボイス、この前ちょっと変だったかな」
「どんな風にか覚えてるかい?」
焦らせないように気をつけながら、フレイはヒューイを促した。男の子は小さな頭を巡らせている。懸命に適切な答えを探しているのだろう。
「遊んでいる時にカラスがね、俺らの近くに降りてきたことがあったんだよ。カラスなんて普通の鳥なのにさ、急にボイスの奴、ひっなんて声出して」
カラスねえ? とフレイは内心首を捻る。
「むきになってカラスに石を投げつけたんだ。もちろん当たらなくて逃げられちゃってさ。俺が何むきになってんだよって聞いたら」
「なんて答えたんだい?」
「夜にカラスがやってくるんだって言ってた。たかがカラスだろ、何怖がってるんだよって言ってやったら、首ブンブン振ってさ。あのカラスは悪魔の使いなんだって言ってた」
ヒューイの言葉にフレイは何ともいえない気持ちになる。ヒューイと同じくらいの年齢だとしたら、ボイスも5歳か6歳だ。大きなカラスに襲われでもしたら怖がっても不思議ではない。悪魔の使いとは些か大袈裟な表現なのが気になるが。
だが何となく気になる。カラスというのが何か他の者や怪しい人物を指す単語かもしれない。
「そうか、ありがとう。よく話してくれたな、ヒューイ」
「ううん。ボイス見つかるよね。また遊べるよな、俺達?」
「ああ。絶対見つかるよ。大丈夫、俺が探してやる」
自信など全くないが、フレイは笑顔でヒューイに答えてやった。空元気でもいい、とりあえずこの子供に元気を出してほしかった。
うん、と頷くヒューイの目の前に、フレイはすっと右の拳を差し出した。そこから小指だけぴっと立てる。
「約束だ、ヒューイ。俺がバーニーズさんとボイスを探し出してみせる。だから君は元気だせ、笑顔でいろ。子供が悲しそうな顔してるなよ」
「ほんとに見つけてくれるんだよね?」
フレイはヒューイの目を真剣に覗き込んで頷く。その気持ちが伝わったのだろう。ヒューイも右手の小指を出してフレイのそれに絡めた。子供の細い指から伝わる体温、僅かな震え。
「任せてくれていい。信じろ」