消えた金物店 2
バーニーズ金物店の前にたむろする人々の喧騒は、扉一つ隔てるとずいぶん静かになった。フレイとマレットは金物店に踏み込んだのだ。当たり前だが、夜逃げした店内には誰もいない。
キョロキョロと落ち着かない様子のフレイとは対照的にマレットは「うん」と一言頷いてから、ゆっくりと店内を見渡している。
本来品物が並んでいたはずの棚は空っぽ。がらんとした棚板をマレットは手袋をした手でさすった。埃はついてこない。ごく最近まで棚の品物がよく動いていた証拠だ。
(つまり、バーニーズの商売はそれなりに繁盛していた。けして行き詰まっていたわけじゃなかった)
マレットは不審に思う。捜査初動での先入観は危険だが、違和感はある。
マレットに手袋を着けるように言われ慌てて手袋を着けてから、フレイも恐る恐る店内を調べ始めた。
曇りガラスがはまった窓は綺麗に掃除がされている。そのまま視線を下に落とすと、掃除の行き届いた床が目に入った。
コツコツと床に靴音が響く。慎重にフレイはカウンターの方へ回った。マレットもその後ろから続いた。
「何か見つかるといいですね」
「そうね。現場調査が無駄足になるのは幸先が良くないわ」
二人はカウンターを覗き込む。カウンターの背後の壁は一部がくり抜かれており、そこだけ空白になっている。大きさは両手で抱える箱くらいだ。
「あれ、何が置いてあったんでしょう?」
「カウンターの背後なら、客に対応するための手提げ金庫がよく置いてあるものよ。それにしてはちょっと大きいから、帳簿なんかも一緒に置いてあったのかもね」
フレイに答えながら、マレットはその空白をじっと見た。わずかながら色が変わっている箇所がある。
「フレイさん、ここわかる?」
「どこですか。あ、ここ、ちょっと壁の色が変わってる? 何か置いてあったんだ」
「多分金庫。当たり前だけど、ちゃんと持ち出したみたいね」
予想通りなのでマレットはがっかりしなかった。通常店舗には大型のメインの金庫とさっと使える日常用の手提げ金庫があり、カウンターの後ろには後者が置いてあるものだ。
カウンターの中を探す。帳簿などもきちんと持ち去られている。
「断定は出来ないけど、犯罪に巻き込まれて強引に連れ出されたということはなさそうよ」
「物取りなら帳簿までは持っていかないからですか?」
フレイの質問に軽く頷き、マレットは更に店の奥へ歩く。
「強盗が入ったなら金目の物にだけ手をつけ、もっと店内を荒らすわ。どんなに慎重に行動しても少しは跡が残るもの」
うーん、とフレイは唸りつつ反論した。
「めちゃくちゃ慎重に行動して跡を残さないようにしたというのは?」
「可能性がゼロではないけど、よく様子も分からない店、明かりのない夜ということを考慮すると、一つも跡を残さないほどひっそりと行動するのは部外者には難しいと考えるべきね」
もっともなマレットの意見である。とりあえずフレイもそれに異論はなかった。もとよりバーニーズは自らの意志で夜逃げしたという前提なのだ。
部外者が侵入して強引に金目の物を奪い店主以下家族も連れ去ったということは念のため考慮してみた、という程度の存在感しかない。
さして広くない店舗である。めぼしい物も見つからないまま、奥の居住用の家屋に入った。商人の家にはよくある店舗兼住居なのだ。
フレイは台所に入った。隅の引き戸を開けると微かに食べ物の匂いがする。干し肉、チーズなどの残滓だ。だが食べ物自体はそこにはない。
「食料庫だったのか。けど、なんにもないな」
薄暗がりに目を細めながらフレイは呟いた。彼の言葉通りそこには何もない。パンのひとかけらさえ残っておらず、隅の方に酒瓶が数本並んでいるだけだ。
慎重にフレイはそれを触った。中身はまだある。
「食べ物まで全部持ってっちまったのかな? いや、でも家財道具ならまだしも食料なんて二の次なのが普通な気がするんだけど」
些か不審に感じながら、フレイは台所を出た。主のいない台所はひっそりとしており生活感がない。食器棚を見てみる。概ねこちらは手付かずで残っているようだった。特に割れたり壊れたり、物が動かされた様子はないように見える。
(まあねえ、仮に強盗が来たんだとしても食器なんか荒らさないだろうし、俺が見ても分からないか)
そのままフレイは台所を出た。マレットは隣の居間を調べると言っていたのでそちらに行く。飾り窓から陽光が差し込んでいる。小さいながらも暖かみのある部屋、その内部をマレットはかがんで丹念に調べていた。鳶色の長い髪が床に着きそうになっている。
「台所は食料が持ち去られている以外は特に異変なしです。そちらは?」
フレイの声にマレットは顔を上げる。床に漂っていた埃に小さく咳込んだ。
「これといって変わったところはないわね。強いていえばあれかしら」
マレットの指差した先をフレイは見た。床の隅に置かれた金属性の皿がある。直径10センチ程の大きさだ。その中央に白い染みのようなものが盛り上がっていた。
「あれ、なんです?」
「多分、香りつきの蝋燭が溶けた後じゃないかしらね。家族で楽しんでいたなら居間にあっても不思議じゃないけど」
そう言いながらも、何となくマレットの顔は納得していないように見える。フレイを見ながら、ゆっくりとマレットは話す。
「一般論だけど、こういう物は個人の趣味として個室でやるものなのよ。部屋が広すぎると香りも広がって薄くなってしまうから、あまり居間ではしないわね」
「ああ、そう言われればそうかな」
「まあ、変な香りはしないから私の気にしすぎなんだと思うけど。バーニーズには二人の子供がいたというのは聞いてる?」
フレイは頷く。
「家庭にはまだそんなに大きくない子供が二人いる。よく動く元気な子供が二人、ちょっとしたことで物を倒したり落ち着かない事もある。そういう状況下で、落ち着いて居間で皆で香り付き蝋燭を楽しむ......考えづらい情景よね」
「言われてみればそうですね。でも、マレットさんの考えすぎなような気もする」
「ええ、その通り。少々変な趣向をバーニーズ家が持っていたとしても、それは彼らが逃げたという事実の本質には関係ないと思うわ。ちょっと気になっただけ」
マレットの断ち切るような言葉を耳にしながら、フレイは床の上の皿を見た。蝋燭の残りカスはくすんだ白だ。
(もっと重要な手がかりがあるはずだよな)
黒髪をかきあげるフレイにマレットが聞く。
「それよりさっき食料が持ち去られていると話してくれたけど、どれくらいですか? 少しは残っている程度?」
「ほぼ全部かな」
「えっ?」
「酒瓶が何本か残ってただけで、食べられる物は無かったよ。元々少なかったのかもしれないけど」
んー、とマレットは唸った。
「夜逃げを計画的に行うつもりだったなら、食料が元から少なかったということは有り得るわ。でも突発的に夜逃げしたなら、普通は食料なんてそんなに持っていかないのよね」
「なんでですか?」
「かさ張るわりに金銭的価値が低いから。道なき道を逃亡するつもりならともかく、どこかの人里を経由するなら、そこで食べ物は調達可能だもの。夜逃げには不似合いよね」
「じゃあ、それこそ魔物が出る地域を突っ切って逃げるつもりとか?」
そう言いながらフレイは微かに違和感を覚えた。バーニーズ家には確か。
「子供がいるからそれは難しいと思うの。絶対ないとは言わないけれどね」
フレイはマレットに同意する。とはいうものの、これらの疑問は単純にたまたまバーニーズ家が食料庫にあまり食料を貯蔵する習慣が無かったならば、あっさり氷解する程度のものだ。あまり今疑問視すると視野が狭くなりかねない。
「居間を調べるのはこれくらいにして、他の部屋を調べましょう。何か手がかりがあるかもしれないから」
そう言い残してマレットは次の部屋へ移った。フレイもその後についていく。見知らぬ他人の家はどことなくよそよそしい空気を漂わせているような気がする、というと気にしすぎだろうか。
ふとフレイはマレットに質問してみた。
「マレットさん、一つだけ聞いてもいいですか?」
「何?」
斜め下から覗き込むような鳶色の視線を受けながら、フレイは口を開く。
「もしバーニーズが借金が返せなくて夜逃げしたのだとして、そういう人のことをどう思うのかなと」
「......そうね。悪人ではないのかもしれないけど、やっぱり黙ったままではいられない、というところかしら」
「事情によっては見逃してあげても、とか考えたことあります?」
「それはないわね」
即答だった。講義中にはないピリッとした空気がマレットを包む。
「確かに同情に値する借金をして、最終的に夜逃げに身を持ち崩す人もいるわ。でもね、それを見逃すのは正義ではないと思います」
一旦言葉を切ってから、またマレットは話を続ける。
「会計府が貸し出したお金は元を辿れば、シュレイオーネ王国の国民一人一人が納めた血税なの。無駄に使っていい法律はどこにもないし、貸し出したまま回収できなければ税金をドブに捨てたことになる。だから夜逃げに至る事情を理解はしても、同情はしないわ」
「そういうものですか......すいません、俺、考えが足りなかったかも」
「別に謝る必要はないわ、フレイさん」
恐縮したようなフレイを元気づけるように、マレットは微笑んだ。
「お金のやり取りを直にやるようになれば自然とわかることよ。持つ者、持たない者、踏み倒す者、逃げ出す者、追いかける者。直に見れば個々のケースに私情を挟む余地なんか、いつの間にか無くなるようになるわ」