固定資産台帳
マレットの説明は続く。
「こうした建物は購入後この減価償却を計上するために、建物ごとに番号をふって固定資産台帳というリストに記録していきます。建物、減価償却累計額という勘定科目は一つしかないですが、その内訳を固定資産台帳で記録しているわけですね」
こんな風に、と言いながら、マレットは黒板にチョークを走らせた。
建物 合計で100,000グラン
減価償却累計額 合計でマイナス30,000グラン
固定資産台帳内訳
#1 工房その1
建物 35,000
減価償却累計額 マイナス8,000
#2 工房その2
建物 45,000
減価償却累計額 マイナス10,000
#3 住居その1
建物 20,000
減価償却累計額 マイナス 12,000
マレットが三つの建物と減価償却累計額をそれぞれ合計する。建物がトータルで100,000に、減価償却累計額がトータルでマイナス30,000となった。
これを見ていたフレイは(はー)と感心した。なるほど、個別に管理しない限り、どの建物がどういう状態かが分からない。その為、こうやって固定資産台帳に個別に計上しているのだ。
(上手く出来ているなあ)と思いながら、手を挙げる。
「そこには書いてないですが、月ごとの減価償却費の計算をするための情報も固定資産台帳に書いているのですか?」
「そうですね。減価償却費の計算は各建物ごとに行い仕訳を作るので、必然そうなります」
フレイは勘がいい、とマレットは嬉しく思いながら頷いた。良い生徒である。
(そういえば前回会った時からちょっと雰囲気が変わった気がしますけど、何かあったのかしら?)とちらりと考えるも、今は授業の方が先だ。
「ウォルファート様の話に戻りましょうか。彼は先ほどの工房を二年間使用した後、別の商人に売却しました。売却金額は20,000グラン。この時の仕訳は分かりますか?」
マレットの問いに誰も答えられない。それはそうだろう。今まで教えていないのだから。時には無理な質問に対して頭を捻ってもらうことも必要なのだ。
フレイもソフィーも分からない。ただ、フレイは何となく変だなとは思っていた。
(最初に20,000グランで買ってそこから二年間経過したなら、ぼろくなってるわけだよなあ? 減価償却も二年やるわけだし。なのに何で元値で売れるんだろ)
変だなーとは思いつつも、具体的な仕訳は分からないため、マレットの説明を待つ。
全員から答えが無いのを確認してから、マレットが説明を始めた。
「これは難しいです。まず、二年間分の減価償却を行います。計算根拠は先ほどと同じなので、一年あたりの減価償却費は1,800ですね。二年分で3,600となります」
仕訳にすると
減価償却費 3,600 / 減価償却累計額 3,600
二年間使用したことにより、工房の価値はこれだけ落ちたことになる。
「つまり、この時点でこの工房は固定資産台帳に建物 20,000、減価償却累計額マイナス3,600と記載されることになり、トータルの資産価は16,400となります。ここは大事なので、覚えておいてください」
ここにきてようやく、フレイとソフィーは何かに気がついたような顔になった。つまり、16,400の資産を売って20,000の現金を得たのだから差額が発生する。それをどうやって計上するかだ。
一方、マレットは淡々と説明を続ける。
「そもそもこの二年間使用した工房が20,000グランで売却できた理由は、勇者様が使ったので箔がついたからなんですね。で、どうそれを仕訳で表すかというと」
現金 20,000、減価償却累計額 3,600 / 建物 20,000、売却益 3,600
となる。
得た現金が左側にくる。そもそも左側に計上していた資産科目である建物が無くなったので、それを右側に。そして資産のマイナス勘定であり、もとは右側に計上されていた減価償却累計額は売却によりこれもなくなるので左側に。
この時点で仕訳の左側と右側の合計を比較すると、左側の方が3,600大きい。つまり右側に更に3,600何か計上しなくてはならないのだ。
「この場合はそれが売却益になります。普通、売上や利益は右側に、売上原価や費用は左側に計上するので、右側に計上するのはこの場合、売却から生じる利益である売却益でいいのです」
マレットの説明を平たく理解するなら、この時点で16,400の価値しかない工房を20,000で売ったのだから、その差額が利益となるのだ。あとは仕訳の中でそれを間違えずに計上出来るかである。
******
一旦講義をここで中断し、休憩に入った。目もとを揉むフレイにソフィーが話しかける。
「ねえ、フレイ。少し日焼けしたみたいだけど何かしてたの?」
「ん? ああ、ちょっと冒険者のまね事」
「......ずいぶん酔狂ね。従姉妹のお家に住んでるのに、なんでそんな危険なことしてるのよ」
「実際に勇者の気分で行動してみたら、この簿記の仕組みが体に染み付くかなーと思ってさ。マレット先生に勧められた」
笑いながら答えるフレイ。本人はマレットが冗談で言ったのを分かっていない。そしてソフィーはそんなフレイを(無茶しないでー!)と密かに思っていた。
「それ、誰かとパーティー組んで?」
「いや、ソロ。俺一人」
「は? 嘘でしょ!」
「だってさー、相手見つけるのめんどくさかったし。それにうちにあった装備なら、滅多なことないと思ってたしさ」
フレイの言葉にソフィーは眉をひそめる。通常は大体三人から五人くらいでパーティーを組んで、魔物と戦うものである。いくら装備が凄いといっても、一人では取れる行動に限界がある。
「一応聞くけど、魔法で強化された装備だったの? どれくらい?」
「剣が+5。鎧が+4。ちょっとしたもんだろ?」
フレイの返答にソフィーは絶句した。滅多なことではお目にかからないレベルの装備である。こういうことを聞くと、フレイが居候している従姉妹の家が伯爵家であることを実感する。
「ちょっとしたもんて話じゃないわよ。銘品じゃないの」
ソフィーがため息混じりに返答した時、ちょうど休憩時間が終わった。マレットが入室してきたので、フレイもソフィーも席へ戻る。
教壇の前には講師用の教卓がある。そこについたマレットが全体を見渡しながら話し始めた。
「今日のこの講義までで、仕訳の基礎ともいうべき段階までは伝えてきたつもりです。今日の残りの時間は、おさらいに使いますね」
そう言ってから、マレットは黒板に書き始めた。
増えた、あるいはプラスの時に左側に発生する勘定科目――
資産 (現金、在庫、売掛金、建物など)
売上原価
費用 (支払利息、宿泊費、薬代、減価償却費など)
損失
増えた、あるいはプラスの時に右側に発生する勘定科目――
負債 (買掛金、借入金など)
資本
売上
利益 (受取利益、売却益など)
このうち、トータルで計算出来る勘定科目は売上、売上原価、費用、損失、利益の五つ。
マレットは言葉を続けた。
「最終的にはどの仕訳もこの原則に当てはまるんです。例えば買掛金が減額になった場合を考えてみましょうか。もともと1,000グランの買掛金を期日より早く支払ったので、割引が効きました。50グラン割り引かれて950グランの支払いで済んだ場合を考えます」
一拍置いてマレットが続ける。
「負債である買掛金を支払いで減らすので、これを左側に。そして資産である現金を支払いの為使うので、これを右側に」
負債 1,000 / 現金 950とマレットは黒板に書いた。
「右側が50少ないから、これでは釣り合わないですよね。なので、ここに何か書かなくてはならないわけです」
そしてマレットが右側に足したのは利益だった。
負債 1,000 / 現金 950 、利益 50
早期に支払うことによる割引利益が発生したので原則通り、右側に記入したのだ。
フレイは感心した。つまり、全ての仕訳はこの原則に従いどの勘定科目が右側にくるか、左側にくるかが決まるのだろう。これを最初に教えてくれれば理解は速かったかもしれない。しかし全くのど素人が覚えるには、具体例から入った方がやはりよかったかもしれず、今更それは問うまい。
その日の残り時間はマレットが出していく練習問題を解いていくために使われた。基本的にはこの日までに覚えたことを使いながら、この右側/左側の原則に沿って、どんな仕訳でも作れるということらしい。あとは正しい知識があるかどうかだけだ。