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勇者の工房と劣化について

 旅から戻った翌日の夜、フレイは"勇者様に学ぶ簿記"に出る為に家を出た。初めての旅と戦闘が彼を成長させたのか、体が軽い。間違いなくレベルアップしているようだ。


 (明日にでも鑑定してもらおうか)


 密かに楽しみにしている。レベルの鑑定は、街のそこかしこにある鑑定所で無料で行うことが出来る。"魔物を倒して得られる経験が、戦った当人の体と魂へと影響し、それを成長させる"という理屈が働いているらしい。鑑定所にある特殊な道具を使うことにより、現在のレベルを調べることが出来るのだ。


 別にレベルを上げて強くなりたいわけではないフレイだが、今でも魔物が出没することがある以上、強いにこしたことはない。文官でも、ある程度レベルが高い方が奨励されるのである。



 それはさておき、今は簿記の勉強が優先だ。教室に着いたフレイはソフィーと目が合った。


「あ、久しぶり、フレイ!」


「おー、ソフィー。元気してたか?」


 挨拶しながら、フレイはソフィーの近くに座った。妙にソフィーが嬉しそうな顔をしているのに気がつく。


「どうしたの? ずいぶん嬉しそうな顔してさ」


「え? ううん、何でもないよ」


「ふーん、そう」


 たまたまそう見えただけだろうか。フレイは気にしないことにした。ソフィーにとっては、一週間ぶりにフレイに会うのが純粋に嬉しかっただけだ。単純至極、深い意味はない。


「今日は減価償却というのをやるらしいわよ」


「へ?」


 ソフィーの言葉に、フレイは間の抜けた反応しか出来ない。


「何で今日の講座の内容知ってるの?」


「だって、前に書いてあるじゃないの」


 ソフィーの指さした先は教室の前の黒板。そこにはチョークでハッキリと「今日の講義内容 固定資産と減価償却」と書いてある。


「ほんとだ......で、減価償却て何?」


「あたしが知るわけないじゃない。今日来たら、黒板にああやって書いてあっただけなんだから」


 フレイの質問に対し、そっけないとすら言えるソフィーの返答。一応笑顔で返しているだけましなのかもしれないが、もう少しオブラートに包んでもという気もする。


 そうこうしているうちに時計は七時を指し、マレットが入室してきた。春も後半に差し掛かってきた季節、膝丈のスカートにカーディガンという清楚な服装である。


 (むっ、大人っぽいなあ、いいなあ)


 ソフィーは密かにマレットの服装をチェックして、心の中で唸った。フレイへの気持ちを明確にしたわけではないが、とりあえず、マレットは恋のライバルになるかもしれない大人の女である。無視は出来ない。


 無論マレットはソフィーのことは全然意識していないので、これは完全にソフィーの一人相撲ではあるのだが。


「こんばんは、皆さん。それでは、今日の講義を進めたいと思います。今日はこの黒板に書いてあったように、固定資産と減価償却という二つについて進めていきたいと思います」


 講義の最初、マレットはいつもどおり頭を下げて挨拶してから皆を見渡した。前回と同じ聴講生が来ているようだ。最後までついてきてくれるよう願うばかりである。


「前回の続きからですね。ウォルファート様は勇者として魔物に占領された町を解放していく一方で、解放後の町の住人に食料や武器を支給する為、必要な資金を稼ぐことに力を入れていきました」


 この講座では残念勇者の側面が強いが、ウォルファートは普通に立派なのだ。話を続ける。


「商業都市ダッカを拠点にしていた時点で彼が達成した最も大きな功績は、暗黒魔力に心を侵されていた町の人々を救い、その張本人である魔王の部下を倒したことでしょう。その戦いの記録映像があるので、まずはそれを見てみましょうか」


 マレットは持参した鞄の中から大きな水晶球を取り出した。透明度の高い青に彩られたその水晶球に、マレットは手を当てた。そして何事か念じているようである。


 (へえ、マレット先生、あの水晶球使えるんだ)


 その様子を見ていたフレイは少々驚いた。過去に実際にあった現実を映像として記録し、それを再生する水晶球は便利な魔道具ではある。しかし使いこなすのは割と難しい。


 ブン、と蜂の羽音のような音を立てて、水晶球から光が飛び出す。マレットが教室の明かりを落とすと、その光が像を結び空中で三次元化した。


 フレイがこの映像を見るのは初めてだが、全く覚えがないわけではない。昔話で何度も聞いたことがある。

 魔剣を携えた勇者が、部下となる傭兵を従えて魔王の配下と戦う英雄叙事詩の一端だ。





 ......魔力を帯びているらしき青い鎧に身を包み、同じく魔剣をかざして指揮をとる男が勇者ウォルファートだ。その号令一下、数十人もの兵士が敵の軍勢に切り込んでいく。


 魔物の軍勢を退けた後、疲れた兵士を後に残したウォルファートは、単独で大将格である魔物と対峙していた。


 人間に化けていた魔物が正体を現し、邪悪な姿を見せる。それまで一般市民らしき平凡な外見だったのに、肌は青ざめ口から牙を覗かせた本来の姿は醜悪そのもの。魔物は漆黒のマントを纏い、憎々しげにウォルファートを睨みつけていた。


「あと少しでこの町の人間を掌中に収めていたのに......邪魔するな、勇者!」


「悪いけれど黙って見過ごすわけにはいかねえな、覚悟しろよ!」


 魔物とウォルファートの熾烈な戦いが始まる、それは時を超えて教室内に映像として空中に映し出された。ウォルファートは剣の他に魔法杖を取り出し、そこから火炎球や凍気を放出して魔物を攻撃する。


 (剣だけじゃなかったんだ)


 フレイは驚いた。通常、剣や槍を使い近接戦闘を得意とする人間は、魔法を得手としないからだ。


 映像の中で戦いは激化する。ウォルファートの魔法に対し、魔物が同じく魔法で対抗していた。やがて魔法ではけりがつかず接近戦へと移行する。手の平から黒々と輝く魔剣を召喚し、それを持って切りかかる魔物。対するウォルファートも魔剣を閃かせる。


 一進一退の攻防はしばらく続き、勝利を収めたのはウォルファートの豪快な一撃の後、止めに放った特大の火炎呪文だった。





 映像が止まる。昔話に聞いていただけで映像では初めて見る勇者の戦いぶりに、フレイもソフィーも心が弾んだ。そしてそれは他の聴講生も同じようで「おお、凄い」「さすがは勇者様だ」という感嘆の声が上がっていた。




******




「この映像で見た通り、ウォルファート様は自身の武勇だけでなく、自前の傭兵を揃えたりその装備を整えたりといったことまでしています。その為の資金を稼ぐ為には魔物を倒すだけでなく、自ら商売をして資金を得る必要があったのです」


 映像を終了させ、マレットが説明する。


「さらに彼は自分で工房を持つことにしました。武器や鎧を鍛えてより強くするためですね。鍛冶屋に頼むよりは、むしろ自分専属の鍛冶屋を持ちたかったのです」


 (やり過ぎだろ)とフレイは突っ込んだ。結果的に魔王を倒しているので文句はないが。


「この工房のような建物を、固定資産といいます。工房は20,000グランの値段でした。これを現金で買った仕訳を作ってみてください」


 マレットの質問に、フレイら聴講生はすぐに考えた。


 現金が減るのでそれを右側に、左側にくるのは工房、でいいはずだが、初めての仕訳なので自信が持てない。

 

 とりあえずフレイは


 工房 20,000 / 現金 20,000


 とした。工房が固定資産になるのだろう。


 マレットが解説する。


「仕訳は


 建物(工房) 20,000 / 現金 20,000 ですね。工房は建物として扱います。建物は資産ですが、現金や売掛金、在庫と違ってすぐに現金化することがないので固定資産といいます」


 マレットが黒板に記す。


 流動資産(すぐに現金化する可能性が高い、もしくは現金そのもの)=現金、売掛金、在庫


 固定資産(なかなか現金化しないであろう資産)=建物、土地、設備など


 フレイやソフィーにとっては少し難しいかもしれないが、ざっくり言えば、普段の商売に直接関係する資産はたいてい流動資産である。


 さらにマレットが続ける。


「こういう建物は年月が経過すると価値が落ちます。古い建物は新しい建物に比べると安いですよね。その時間の経過により価値の劣化が発生するからです。その劣化を計上するための処理を減価償却といいます」


 減価償却の計算に必要な情報は二つだ。

 まず、その建物が限界ぎりぎりまで劣化した場合の残存価値。 そして何年かかってその残存価値になるかという耐久年数だ。


 今回の工房の場合、残存価値は2,000(買値の一割)、耐久年数は10年だった。


「ウォルファート様は、工房が一年経つごとにこの減価償却を計算して計上しました。その仕訳はこうなります」


 減価償却費 1,800 / 減価償却累計額 1,800


「減価償却費は費用で、減価償却累計額は資産ですね。右側に書くので、資産のマイナスにあたりますが。1,800という数字になる根拠は次の通りです」


 建物価格 20,000 - 残存価値 2,000=減っていく価値 18,000


 減っていく価値 18,000 ÷ 耐久年数 10=一年で1,800


 フレイは大体理解出来たというレベルだが、これについてはソフィーの方が理解の実感は早かった。

 要は建物というのは一年経つごとに古くなり価値が落ちるので、(元の価格ー残存価値)÷耐久年数で一年ごとの価値の劣化を計上していけばいいのだ。


 ソフィーも商人の娘である。建物の劣化はすぐには目には見えないが、その建物の価値の低下につながるのは理解していた。それを計上するためにも、減価償却という仕訳が必要なのだろう。


 ソフィーは手をあげた。


「先生。例えば三年経過したら、この工房の価値は20,000ー1,800x3で14,600になると考えていいんですか?」


 金髪の少女の質問に、マレットは丁寧に答える。


「はい、そうです。建物 20,000から減価償却累計額 5,400を引く形になりますからね。資産の金額がそうなります」


 実のところ、マレットは驚いていた。自分が解説するより先に、言おうとしていたことをこの少女に言われていたからだ。そしてマレットはこの少女、ソフィーが一方的に自分を恋のライバル視していることを知る由も無かった。


減価償却費の計算方法は実際の商業簿記では何通りかありますが、小説の中では最も単純な直線法という計算方法を使っています。

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