第五幕 ソーラ・シュヴァルツの魂幹魔法
少しずつ話が動いていきます。
◆
パールの町の広場は惨憺たる有様になっていた。綺麗に敷き詰められた石畳はそのほとんどが捲れ上がって下の地面まで抉れており、所々に植えられた樹木は折れ、削れ、焼け焦げて、見るも無残な姿と化している。数少ない遊具は吹き飛ばされて既に原型を留めておらず、さらにパールの町で一番の名物だったこの広場の噴水は跡形もなく消し飛ばされていた。
この一連の破壊、そのすべての原因は、レジスタンスメンバーの二人の《混沌使い》――即ち、ガウェイン・グレイハウンドとメリエル・フォーガス、そして国防組織《聖なる守護団》の八十名が衝突した結果であった。
――いや。その戦いは、今なお続いている。
「ligo,are,avi,atum,」
呪文とともに守護団の男の一人が杖を頭上に振りかざす。するとその先から縄状の光が迸り、ガウェインの身体を縛り上げた。男が杖を引くと、光の縄はガウェインの巨体を潰さんばかりに締め上げる。
「ガウェイン大丈夫!?」
メリエルが声をかけたが、彼女に他人のことを気遣っている余裕はなかった。メリエルは既にたった一人で十人近くの守護団員を同時に相手取っており、その猛攻を捌くのに精一杯で、とてもじゃないがガウェインにかけられた《緊縛の呪文》を解呪している余裕などない。
「ぅぐっ……! ぉあああ……うおおおおおおおおッ!!」
ガウェインは腕に魔力を集中させ、思い切り両腕を広げることで己を縛る呪いの縄を引き千切った。
かなり乱暴な方法だし、それなりに魔力の消費も激しいが、メリエルやゼノヴィアのように器用な魔法を得意としないガウェインが呪いの縄から逃れようと思うなら、この方法が一番手っ取り早い。魔力の貯蔵量が常人の数倍を越えるガウェインだからこそできる荒業だ。
しかし――
(流石の俺も、もう限界が近くなってきたか……)
魔力と体力、そしてガウェインの一番の強みである気力すら尽き始めていた。そしてそれは、どうやらメリエルも同じらしい。さっきから明らかに動きのキレと魔法の冴えが落ちており、何度か危ないところをガウェインに助けられている。
ガウェインは自らを取り囲む五人の敵のうち、目の前に立つ男の攻撃を躱しながら懐に潜り込み、その顔を思い切り素手で殴りつけた。
(アイルは……無事に逃げられたのかな……)
アイルを逃がしてから、既に三十分が経過した。
しかしこれまでの三十分間で、戦況は大した変化を見せていない。
守護団の数は八十人。それらが数を頼みにして一斉に襲い掛かってくればまだ比較的容易に対処できたものの、彼らは巧みな連係でガウェインたちを追い詰めていた。
守護団たちはガウェイン担当とメリエル担当の二班に分かれている。そして、まず近距離でガウェインとメリエルの相手をするのは五人から十人。次に中距離で彼らの補佐をするための人員がそれぞれ二十人、そして残りはさらに後方で怪我人の治癒をしている。
完璧な役割分担だ――と、ガウェインは歯噛みした。
既に八十人のうち約半数を一時的に戦闘不能状態に陥れたガウェインたちだったが、しかし、知らぬ間に近距離戦闘班、中距離支援班、そして治癒班を『同じ割合だけ』倒すように誘導されていたようで、人数が減ったとはいえ彼らの連係は依然として三十分前の精度を保ったまま、一部の隙も見せてはいなかった。
人数が減ったため戦闘開始時よりは随分と戦闘が楽になってはいるものの、ガウェインたちの方も力の消耗が目立ち始めている。
「……メリエル、この結界を張ってる術者は、やっぱ見つからねえのか?」
メリエルと背中合わせに敵と睨み合ったガウェインはそう尋ねた。アイルを逃がした直後こそ死を覚悟した彼だったが、やはり僅かでも生き延びる可能性を捨ててはいないのだろう。
「うん……。たぶん広場の外から結界を維持してるんだと思う。術者の魔力が尽きるか倒すかしない限り、この結界は解けないよ」
「この規模と強度の結界を三十分以上も維持できるって、そりゃ相当な魔力量だぜ……。今戦ってる連中も倒れはしても魔力は尽きてねえみたいだし、一体どうなってんだ」
「……この守護団の人たちも何か変だよ。さっきから言葉もハンドシグナルも一切なしで戦ってるのに、こんな完璧に意思疎通ができるなんて――危ないっ!」
中距離に陣取っていた守護団員が、不意に総攻撃を仕掛けてきた。閃光、爆炎、水流、雷撃、風刃――五つの属性の《エレメンタル系》魔法による一斉攻撃は、肉片一つも残さぬとばかりに唸りを上げて二人に迫る。
「depulsum,i,n, omnis,e,……servo,are,avi,atum, scutum,i,n ,!」
目にも留まらぬ速さでメリエルの唇が動いたかと思うと、無数のサファイア色に輝く光の盾が現れ二人の周りを取り囲み、次から次へと迫り来る敵の攻撃を例外なく弾き飛ばした。
しかしまだまだ敵の攻撃は終わらない。二人の疲労を読み取り今が好機と踏んだのか、さっきまでの慎重さに慎重さを重ねた長期戦タイプの戦闘スタイルをかなぐり捨てて、コンマ一秒と途切れのない猛ラッシュで攻め立てる。
そのありとあらゆる呪詛を、攻撃魔法を、メリエルの盾は悉く無力化していた。広場の周りに結界が張られていなければ、今頃パールの町は火の海と化していたに違いない。
「悪いなメリエル……助かったぜ」
「でも、この《破群の盾》もあと五分ももたないよ……。ガウェイン、やっぱり私たち――」
〝死んじゃうのかな〟――と、メリエルはそう口にしようとした。
広場に閉じ込められそうになったあの時、ガウェインが自分より先にまずアイルを逃がしたこと――これに対しては文句はない……が、口でこそ『死ぬときは一緒だ』と言ったものの、それでも『ガウェインならきっと何とかしてくれる』と、心のどこかではそう思っていたのだ。
しかしこの絶望的な状況は――流石に覆しようがない。
「くそ……魂幹魔法さえ使えれば……!」
ガウェインは悔しげに顔を歪めた。
ガウェインの魂幹魔法は超広範囲に渡る無差別攻撃が最大の魅力だが、しかしそれ故に集団戦の連係プレイなどでは使えない。メリエルの方は使えないこともないが、しかし僅かでも集中力が途絶えれば取り返しのつかない大参事を招きかねないため、そもそも戦闘向きの魔法でさえないのだった。
混沌魔法――世界を滅ぼす魔法。本当にその通りになってしまう。
「ガウェイン――いいよ。あなたの魂幹魔法、使って」
止まない魔法の雨を《破群の盾》が防ぐ爆音の中で、メリエルが静かに呟いた。
「メリエル――だが、」
「このままジリ貧になって捕まるよりは全然マシだもん。それにあなたも言ってたでしょう? 一人でも多くの守護団たちを倒さないと、ソーラたちまで捕まっちゃうかもしれないんだよ? ただでさえアイル君はまだ子供なのに――」
――言いかけて、メリエルは突然口をつぐんだ。驚愕のあまり目を剥き、口が開く。
メリエルたちを取り囲む盾の群れ――その隙間から除く広場の景色の一番奥、青い光の結界の向こう側に、『存在してはいけない人影』を見てしまったからだ。
「……なんであの子が……どうして……!」
「どうしたメリエル――向こうに誰かいるのか?」
続いてガウェインもその方向を見、そして彼女と同じように驚愕した。
〝逃げたはずの少年が、戻ってきているではないか〟
大量の本を抱えた小柄な少年は、恐怖で今にも地面に崩れ落ちそうになりながら、か細い足でそこに立っている。頬を引き攣らせて、腕を震わせて、小さな音がしただけで逃げ出してしまいそうな、そんな怯えた表情で。
「馬鹿が……ふざけんなよあの野郎っ……!」
怒りとやり切れなさにガウェインの声は震えていた。結界の向こうで佇む彼を憤怒の形相で睨みつける。
〝お前が戻ってきたら、俺たちが死を賭してお前を逃がした意味がなくなるだろうが〟――と、そんな怒りを乗せて、ガウェインは叫んだ。
「どうして戻ってきたんだお前ェ! アイル・エアハートォオオッ!!」
◆
竦みそうになる足を気力で無理矢理地面に縫い付けながら、アイル・エアハートは広場をぐるりと取り囲む結界の前に立っていた。広場の中央に浮かぶ無数の盾の中からガウェインの怒声が聞こえたが、如何せん距離が遠すぎたため、幸い今のアイルの心をへし折るのに必要な音量には僅かに届かない。
(中でこんなに激しい戦闘が繰り広げられてるのに、全然町の皆は気付いてない……。やっぱり、この結界自体に《隠れ蓑》と似た魔法がかけられてるんだ……!)
青く輝く結界に描かれた文字を目で追いながら、アイルはそう推測した。
今頃、《多世界旅行》が可能なミンティアがアジトにいるソーラさんたちに状況を知らせている頃だろう。それから急いでソーラさんたちがここに駆け付けて来たとしても、到着には今しばらく時間がかかる。
アイルの役目はこの結界を破壊して、ソーラたちが救援に駆けつけるまでできる限りの援護をすることだ。
怖くないと言えば嘘になる。今この瞬間にだって守護団がアイルの身を狙っていて、捕まってしまえばザックスに魂を侵され一生を奴の傀儡として過ごさねばならないのだ。怖くないはずがないではないか。
しかし弱気になって、足を後ろへ動かそうとする度、彼らの姿が脳裏を過るのだ。
『あんな大馬鹿野郎の計画に巻き込まれて死ぬのなんざ真っ平ごめんだ! 俺たちは誰かに囚われ、縛られることなんてねえ! 一人ぼっちじゃ膝を抱えることしかできなくても、二人ならお互いを守れる! 三人以上なら戦える! レジスタンスは、俺たちはそういう集団なんだ!』
――そう言って自分を受け入れてくれた人の姿を。
常に快活に話しかけ、こっちの気持ちまで明るくしてしまう人の姿を。
いつも皆に気を遣い、こんな自分にも気さくに話しかけてくれる人の姿を。
理知的で冷静で、たまに厳しいところはあるが、皆のことを大切に考えている人の姿を。
そして――そして、不器用で人付き合いこそ苦手だけれど、本当は誰よりも優しい人の姿を。
(ソーラさん……)
ルビーレッドの髪の、剣を携えた彼女の姿が脳裏を過る。
何だか、ずっとあの人の事を考えてばかりだな――と、アイルは思った。
ともに過ごした時間はほんの一日だけだ。だが、誰も信頼できる人がいなかったアイルが命をかける覚悟を決めるには、たったそれだけの時間と優しさで充分だった。
(そんな人たちを……ソーラさんを、見捨てたくなんてない……。やっと、やっとできた、僕の大切な……)
心の中でそう呟きながら、結界を破壊する手掛かりになるようなものがないかどうか、必死にあたりを見回した。
そして――見つけた。
広場を取り囲む青色に輝く結界には長ったらしい呪文が延々と書かれているのだが、呪文が決壊を埋める密度が、アイルから見て右に行くに連れ段々と濃くなっているのだ。これに気付いたアイルが、物陰に身を隠しながら呪文が濃くなる方向を辿って行くと――広場のすぐ外にある林、その木の影に一人の男が座り込み、結界に杖を向けながら汗だくで呪文を唱えている。相当集中しているのか、周りに気を配るどころか結界を見つめたままほとんど瞬きすらしていなかった。
(あの人だ……。あの人が呪文で結界を維持してるんだ……)
よく見てみれば、その男は片手に紫色に輝く綺麗な宝石を乗せている。その宝石の淡い輝きは、男の身体を包み込んでいた。
(……宝石のことはよく分からないけど、結界を壊すにはあの人に呪文詠唱を止めさせればいいのかな……?)
だとすれば、あの男を攻撃して意識を飛ばせば結界は解ける――その結論に行き着いた。
そうと決まれば実行あるのみだ。アイルはなるべく気配を消して、物陰に隠れながらその男に忍び寄る。あの男に気付かれて、何らかの手段で仲間を呼ばれてはたまらない。
アイルの呪文の命中精度はあまり高くない――が、今さら『できません』では通らない――、もうやるしかないのだ。
アイルは枯葉や木の枝で音をたてないように気を付けながら、男のいる林に入る。そして大木の影で呪文を唱える男に向かって手を突き出し、狙いを定めた。
心臓が胸の中で暴れている。
緊張のあまり呼吸が乱れる。
乱れる動悸を全力で抑えつけ、命中することを天に祈りながら、アイルは男に向かって炎系魔法の基礎中の基礎である火の玉を放った。アイルの拳にも満たない大きさの火球は吸い込まれるようにして男の背中に向かって行き――
――見事、直撃した。
「ぐぁあっ! だ、誰だっ!?」
背中を焼かれる痛みに男が悲鳴を上げたその瞬間、結界全体がぐらりと揺れた――が、まだ壊すまでには届かない。
(失敗した――!?)
男の集中は途切れさせたが、まだ結界は危うくながらもその効力を保っている。ダメだ――どうやらあの結界を壊すためには完全に男の意識を奪う必要があるらしい。
そう悟ったときには既にアイルの中で何かが弾け、雄叫びを上げながら男に向かって無我夢中で駆け出していた。
「あああああああああああああああああああっ!!」
あの男も《隠れ蓑》を着ている――ということはアイルの姿も見えているのだろう。男はとっさに立ち上がろうとしたが、もたついてバランスを崩す。
運はアイルに味方した。筋肉が許す限り全速力で足を動かし、アイルはあっという間に男との距離を詰める。
「くそっ……ま、待て――」
相手の話を聞いている暇などなかった。アイルは隠れ蓑の中から七百ページを超える分厚いハードカバーの本を取り出すと、その背表紙で男の顎先を思いっ切り横から殴り飛ばした。
「うぁっ……」
余程当たり所が良かったのだろう、男は小さな呻き声を漏らすとその場にドサリと倒れ込み、ピクリとも動かなくなった。
するとその僅か数秒後、広場全体を取り囲んでいた結界は、薄くなったり点滅したり、ぐにゃりと歪んだりして――そして次の瞬間、結界はガラスが割れるような音とともに跡形もなく砕け散った。
「や、やったぁ……!」
やった。ついにやり遂げた。アイルは自分だけの力で結界を打ち壊したのだ。これであとは、ソーラたちが救援に来るだけだ。
「……あれ?」
地面でのびている結界魔法の術者を見てみると、その身体のすぐ近くに紫色の宝石が落ちている。こういう得体の知れないものにはあまり関わらない方がいいと理屈では分かっていたものの、しかしこんな時にも拘らず、アイルは好奇心を優先させてしまった。
アイルはアメジストに似た宝石を拾い上げ、しげしげと眺める。
(何だろう、これ……?)
と、そのときだった。
「今こっちの方で声が聞こえたぞ!」
「結界魔法の術者がいる方角だ! くそっ……『奴』に気を取られたばかりに――」
「捕まえろォ!」
結界魔法が解かれたことで勘付いたのだろう、守護団たちが連絡を取り合う声が聞こえた。
アイルは急いで宝石をポケットにしまい、地面に転がりながら何とかその攻撃を躱す。
(ガウェインさん、メリエルさん――お願いだから無事でいて……)
隠れ蓑の内側に隠した七冊の本を手で押さえながら、アイルは結界が壊れたことによってやっと解放された広場に乗り込んだ。
「ガウェインさん! メリエルさん!」
泣きそうになりながら二人の名を呼ぶ。
苛烈な戦いの結末か、広場は巨大な爆発が起こったあとのように荒れ果てていた。
その中央には見知った二人の魔法使い――ガウェインとメリエルが満身創痍といった様子で背中合わせに戦っており、それを四十人ほどの守護団たちが取り囲んでいる。そしてそれと同じくらいの人数の守護団が地面に倒れ伏していた。
「アイル君……まさか君があの結界を解いたの!?」
「来るなアイル! 広場にいるこいつらは自我がない――既にザックスの人形だ! その辺の守護団たちよりもよっぽど危険なんだ! 俺たちのことなんざ放っておいてさっさと逃げろ!」
「え……そんな、人形って言ったって、どう見ても――」
言いながら、アイルは広場の中央にいるガウェインたちに一歩近付いた。――すると、彼らを取り囲んでいた守護団のうちの一人の首が――
――そのまま、百八十度ぐるりと回転した。
ボキボキボキボキボキ、と首の骨が捻じ曲がる音を鳴らしながら。
そしてインクか何かで塗り潰したかのような感情の抜けた目が、アイルを捉える。――それは、完全に『心』というものが概念ごと消失してしまった人間のそれだった。
一人に続き、二人、三人、四人、五人と、守護団たちは凄まじく痛々しい音とともに、次々に首『だけ』を後ろに回してアイルを振り返る。
「う、う、あ――……。ああああああっ……!」
悪い夢でも見ているようなその光景に、これまで何度かの恐怖に打ち勝ってきたアイルの足は、今度こそ完全に竦み上ってその場から動けなくなってしまった。
これが《人形》――未だ顔すら知らぬラルフ・ザックスの魂幹魔法の犠牲者たち。
もし彼らに捕まったら、自分もこうなってしまうのか――全身から力が抜けて、アイルはその場にへたり込む。
助けを求めようにも、ガウェインとメリエルは彼らを襲う敵の相手で精一杯でアイルを助けている余裕などなく、ただ分かりきった危険を叫んで知らせることしかできていなかった。
「アイル君逃げて! 捕まっちゃうよ!」
「アイルーーーーーーーッ!」
二人の悲痛な声がアイルの耳の奥で木霊するが、それでも動けないものは動けない。
「ひっ……い、いや……嫌だ……!」
奥歯ががちがちと立てる音は、胸に怒涛のように押し寄せる恐怖をさらに増幅させた。
生気の抜けきった目をした守護団――もとい《人形》の指先から黄色い閃光が迸る。
(これが『物語』だったら……ここで誰かが助けに来てくれるんだろうな……)
あまりにも眩いその光を見つめながら、アイルの心の中では、彼の好きな童話に登場する一人の少女の姿が浮かんだ。
あの物語のタイトルは確か――
「『オルレアンの少女』――だろう」
凛と研ぎ澄まされた声が聞こえたかと思うと、アイルの目の前を銀色の影が横切り、今まさにアイルに襲い掛からんとしていた黄色い光を薙ぎ払った。
「え……?」
突如として現れた人物に、アイルは目が釘付けになった。――いや、アイルだけではない。広場の中央で戦っていたガウェインもメリエルも、そしてつい今しがたまで彼らを襲っていた人形たちまで、全員がその人物に注目していた。
滑らかなルビーレッドの髪に切れ長の凛々しい目。魔法使いらしからぬ、徹底的なまでに機能性を重視した服装に背中のマント、そして両手に構えた二振りの剣――
――ソーラ・シュヴァルツその人だった。
「……妖精からすべて事情は聞いた」
人形から視線を外さないまま、つまりアイルに背を向けたまま、ソーラは言った。
「ソーラさん……僕――」
「あとは私に任せておけ」
ソーラは両手の剣をだらりと下げたまま、構えすらせず人形の群れと睨み合う。
(ああ、そうか……)
なぜ自分がこんなにもソーラのことを気にしていたのか、アイルはやっと分かった気がした。彼女は似ていたのだ――アイルが好きな物語のうちの一冊『オルレアンの少女』という物語に登場する、主人公の女の子に。
それは『戦乱の時代、農家の子として生まれながらも神の啓示を受けて立ち上がり、敗北寸前だった自国軍を勝利に導いた、一人の少女の物語』だ。
(確か……その少女の名は――)
ソーラは高らかに唱えた。
「――――――魂幹魔法 《ジャンヌ・ダルク》!!」
◆
右手の剣で人形たちが繰り出す呪文を弾き、左手の剣で首を、胸を、胴を斬りつける。閃光も爆炎も水流も雷撃も風刃も、ソーラが繰り出す剣技の前ではすべてが無意味に等しかった。ソーラは鈍い銀色に輝く武骨な剣を自身の身体の延長のように振り回し、己に襲い掛かる敵を次から次へと薙ぎ倒す。
その姿はまさに『オルレアンの少女』の主人公、救国の英雄――敗戦がほぼ確定した絶望的な状況においてなおその武勇で戦士たちの士気を上げ、ついに国を守った、とある国の大英雄。
(凄い……)
剣舞とも言えるソーラの戦いぶりを、アイルはしばらく固唾を飲んで見守っていた。
その反応速度や身体の動きは人間の限界をとうに超越しているようにすら見えた。どんな曲芸師や軽業師であっても到底不可能な動作すら、彼女は難なくやってのける。
(あれがソーラさんの魂幹魔法……)
その動きに見惚れているうちに、ソーラはあっという間に四十人の守護団員を倒してしまった。
左右の剣を交互に切り払い、慣れた動作で腰に下げた鞘に剣を収める。
「ソーラ……何でお前がここにいるんだ?」
メリエルに肩を貸しながら、ガウェインが尋ねた。
やはり彼は自分犠牲にしてでも僕を逃がすつもりだったんだ――と、アイルは改めて確信する。
「アイルから――いや、正確には『アイルが召喚した妖精』から話を聞いた」
「なるほど、そういう方法があったんだね……。何にせよ、本当に助かったよ。ソーラが来てくれなかったら、私たち絶対今頃――」
「礼は私よりアイルに言うべきだ。救援を要請したのも結界を破壊していらぬ手間を省いたのも、アイルの手柄だ」
「そうだったね――ありがとう、アイル君」
メリエルに続いて、ガウェインは頭をがしがしと掻きながらバツの悪そうな顔で誤った。
「……アイル、さっきは怒鳴って悪かったな。お前だけは逃がしてやろうと思ったんだ……。だけど、助かったぜ」
アイルは顔を真っ赤にして首を振った。他人から好意的な感情を向けられることに、まったく慣れていないのだ。
「で、でも……だけど、元はと言えば、僕のせいなんです。だって、父さんが……」
あの新聞記事での父の話が本当だとしたら、アイルのせいでレジスタンスを今以上に厳しい状況に追い込んでしまったことになる。アイルはそのことに責任を感じていた。
「ソーラ、そっちは終わった?」
声のする方を振り向くと、広場の外から藍色の長髪を手で軽く払いながら、ゼノヴィアが颯爽と現れた。隣にはイオもおり、くせっ毛を揺らして心配そうな顔で駆け寄ってくる。
「アイルくん、ガウェイン、メリーちゃん、大丈夫?」
「ちょっとイオ、そのメリーちゃんてのお願いだからやめて……」
メリエルが疲れ果てた声で言った。
そんな二人のやり取りを流し目で見ながら、ソーラはゼノヴィアの方に向き直る。
「今片付いたところだ。それとこいつら、やはりザックスの人形だ」
ソーラは足元に転がっている守護団の一人に目を落とす。見た目こそ普通の魔法使いと変わらないが、ぼんやりと見開かれた目は無機質で、少しも生気を感じさせない。
「なるほど……。きっと、まともに戦っても勝てないと踏んだのでしょうね。まずは広場にガウェインたちを誘いこみ結界で閉じ込める。戦闘は予め広場に配置しておいたザックスの人形に任せ、守護団はその周辺を警備……」
「え? 守護団は人形の存在を知らなかったんじゃなかったの?」
メリエルは顎に手を当てて考え込むゼノヴィアに尋ねた。
「そうね。その辺も含めて、一度アジトに戻ってからじっくり考えた方がいいでしょう。広場周辺を警備していた守護団たちは私があらかた片付けておいたけれど、まだ残党がいないとは限らないし」
「え……じゃあ僕が結界を張ってた守護団員を倒したとき、周りに人がいなかったのって……」
アイルは違和感をつい口に出してしまっていた。
「相変わらず察しがいいのね。ちょうど到着した私に構って、全体的に警備が薄くなっていたのでしょうよ。あんな大事なポジションに誰も人を配置しないなんて、そんなのは無能の極みよね。まあ、私に気を取られて包囲網を薄くしてる時点で、既に警備失格だけれど」
「……………………」
確かにそれは、アイル自身が疑問に感じていたことでもあった。なるほど、アイルがあの結界を張っていた術者を見つけて倒すことまで、ゼノヴィアは織り込み済みだったわけだ。
ミンティアから連絡を受けてパールの町に到着し、そして状況を把握するまで、ゼノヴィアの頭の中でどんな計算が行われていたのかは知らないが、この人にだけは逆らうべきではない――と、アイルは悟った。
「そう落ち込むなよアイル、お前はよくやってくれたさ。もしお前が諦めていたら、俺もメリエルも人形たちに捕まって、今頃ザックスの野郎とご対面する羽目になってただろうぜ」
「うんっ。あの妖精がわたしの《神隠し》で隠したアジトにフッツ―に入ってきたときはビックラこいたもん! アイルくんのカンカン魔法って凄いんだねっ!」
イオは《魂幹魔法》と言いたかったのだろうが、舌っ足らずなのだろうか、上手く発音できずに何だか酷く騒がしい感じの単語になっていた。
「魂幹魔法っていえば……あの、ソーラさんの魔法っ! 《ジャンヌ・ダルク》って……!」
アイルは目を輝かせてソーラを見つめている。同じ『物語』を主軸とした魂幹魔法を有するソーラは、アイルにとって一気に尊敬の対象となりつつあった。
そんなアイルの心情を察し、どこか居心地の悪さを感じたのか、ソーラは慌ててアイルから顔を背ける。しかし代わりに意味深な含み笑いを浮かべるゼノヴィアと目が合って、苛立たしげに舌打ちをした。
「ああ、本当いつ見てもスゲーな。俺やメリエルの魔法もあれくらい使い勝手が良かったら、もうちょい何とかできたんだがなあ……」
面目ない、とでも言いたげにガウェインは頭を掻いた。
「ソーラの魂幹魔法に興味があるのだったら、そのうち彼女が懇切丁寧に教えてくれると思うわよ。何しろ自らアイルを訓練するって言い出したくらいだし」
「ソーラさん、本当ですか!?」
いつもは自信なさげに喋っているアイルの語気が珍しく強くなったことに、レジスタンスのメンバーは驚いているようだった。
アイルもそれに気付いたのか、頬を染めて俯いた。
「まあ何はともあれ、ひとまずアジトに帰ろっか。話さなくちゃいけないことも考えなくちゃいけないことも、山ほどあるしね」
「おし、それじゃあアジトに帰――」
――ろう、というガウェインの言葉は、しかし途中で途切れてしまった。
広場の一番奥、開け放たれた入り口の門から現れた一人の男が、レジスタンスたちに向かってリンドウ色の大火球を放ったのだ。
唸りを上げて迫り来るその火の球にいち早く気付いたガウェインは、その巨体からは考えられないスピードで皆の前に躍り出て、腕を広げてレジスタンスたちを守る盾となった。細かい魔法を得意としないガウェインの、それはとっさの判断だ。
「チッ!」
リンドウ色の火の玉がガウェインに触れるその直前、ガウェインに一瞬遅れてその危機を察知したゼノヴィアはパチンと右手の指を鳴らした。すると、まさにガウェインの鼻先数センチのところで火球が爆ぜ、四方八方に分散しては消えていく。
「ぁ危ねええー……。助かったぜゼノヴィア……」
その場にどっと尻餅をつきながら礼を言うガウェインも気に留めず、ゼノヴィアは右手を突きだしたまま火球を飛ばした張本人を睨みつける。
こっそりとゼノヴィアの視線を盗み見たアイルは、その場に凍りついた。普段仲間に向けるようなそれとはまったく違う、ゾッとするほど冷たい目をしていたのだ。
火球を飛ばした男は、広場の奥で、ただぼうっと突っ立っていた。
そしてその男の顔は、アイルもよく知っていた。
「――サルマ・ローゲル?」
聖会からの使いとして現れ、父を攻撃してアイルを捕えようとした張本人。アイルの魂幹魔法を狙うザックスの手先――
「あなた、確かサルマ・ローゲルよね? ゴマすりと任務のミスのなすり付けくらいしか取り得のない、大昔に滅びた島国の政治家みたいなあなたが、たった一人で私たち(レジスタンス)に喧嘩を吹っ掛けるだなんて――一体どういう風の吹き回しかしら」
その皮肉は、ゼノヴィアなりの『今すぐこの場を立ち去らなければ攻撃する』という明確な意思表示なのではないか――とアイルは察した。
しかしそれすら一切耳に留めず、ローゲルはただ生気の消え失せた目をこちらに向けて立ち尽くしている。
それがなぜなのか、アイルには既に想像がついていた。
「あ、あの……ゼノヴィアさん、ローゲルって、もしかして……」
「――察しがいいな少年。その通り、その男は既に《人形》だ」
そのとき。ローゲルの反対側、つまりアイルたちの後方から静かな声が聞こえた。
慌ててアイルが振り返ると、そこには華美な装飾が施された純白のマントに身を包んだ、金髪の若い男が立っていた。
年はガウェインやメリエルとちょうど同じくらい、金髪の男は鉄面皮のような無表情で、レジスタンスたちの顔を一人ひとり、品定めでもするように見回している。
「あの――だ、誰ですか……この人……?」
突然現れたもう一人の男に、アイルを除く他のレジスタンスメンバーたちは息を呑む。ガウェインやメリエルを始め、いつも明るいイオやどんなときでも余裕を崩さないゼノヴィア、さらには――ソーラまでが。
「み、皆――一体、どうし――」
「……そうか、お前はまだ顔を知らなかったな……」
並々ならぬその様子にアイルが戸惑っていると、やがてソーラが重苦しく口を開いた。
「この男こそがすべての元凶……。《混沌使い》のラルフ・ザックスだ」