第四幕 敵は王国全土 (2)
◆
「――アイル君は無事に逃げられた?」
守護団の一人が放った爆炎を空中に描いた魔法陣の盾で素早く弾き飛ばしながら、メリエルは即座に反撃をしかける。会話をするのも、敵の攻撃をかいくぐった一瞬のタイミングを掴むしかない。
二人は背中合わせになってにじり寄る敵と睨み合う。
「……悪いなメリエル。本当はお前も逃がしてやりたかったんだが……間に合わなかった……」
「何言ってるの、私だけ生き残ってても仕方がないでしょ? ――『死ぬときは』、一緒だよ」
「……ああ」
ガウェインは悲痛な面持ちで頷いた。
彼がアイルを逃がしたのは一瞬の判断だった。あの少年がガウェインの一番近くにいたからというのも理由の一つだが、彼の家庭事情や経歴、そして何よりあの歳にしてザックスの陰謀に巻き込まれるという悲運について同情していたのだ。
「メリエル、お前の魂幹魔法は使えないのか?」
「使えないことはないと思うけど、下手に扱うと……」
「俺まで殺しかねないってか。お互いに強力すぎる魔法ってのも考えもんだよなあ。使い勝手が悪すぎるぜ」
ガウェインにしては珍しく、皮肉げに笑った。
(アイル、頼むから俺たちのことなんか見捨てて逃げてくれよ……。お前はどうせ、アジトには戻れないんだからさ……)
そう、ガウェインはあのとき『アジトに戻ってソーラたちにこのことを知らせろ』と言ったが、実際にはアイルがアジトに戻ることなどできはしない。
レジスタンスのアジトはイオの魂幹魔法によって別空間に隠されている。本当なら、今日の帰りにアジトへの入り方を教える予定だったのだ。――今となっては後の祭りだが。
それを分かっていながらガウェインはアイルを逃がした。人の感情の動きには滅法鈍いガウェインだが、きっとメリエルでも自分と同じことをするだろうという確信はあった。
――つまり、ガウェインとメリエルはここで死ぬつもりなのだ。仲間を守って。
「だが俺たちはただじゃ死なねえ! 守護団らを一人でも多く叩き潰して、二度とレジスタンスに歯向かう気が起きねえようにしてやる!」
「うん――行くよ、ガウェイン」
そんな言葉を交わすと同時に、守護団たちの一斉攻撃が、四方八方から二人に襲い掛かった。
◆
アイルがガウェインたちの本心にようやく気が付いたのは、あの広場から大分離れ、商店街に戻ってきた頃だった。
あの時はガウェインの怒声に怯んで逃げるようにその場をあとにしたアイルだったが、冷静になってよく考えてみると、自分はアジトへの戻り方を知らない。イオの魂幹魔法によって別空間に隔離されているアジトへの入り方は、町から戻るときに教えてもらう予定だったのだ。
隠れ蓑のフードをしっかりと被ったまま、アイルは路地をひた走る。どこに向かっているのかなど自分でも分からない。それでも今は走るしかないのだ。
(きっと二人とも分かってたんだ……。なのに僕を逃がすためにわざと嘘を吐いて……!)
自分の無力さ加減に反吐が出る。
大体ガウェインは『一時間は持ち堪えられる』と言っていたが、そもそもアジトから町に来るとき、少なく見積もっても四十分は歩いていた。それは、たとえアジトへ戻る方法が分かったとしても、どんなに急いだところでタイムリミットまでには間に合わないということ。
つまり二人は、自分の身を犠牲にしてアイルを守護団の手から逃がしたのだ。
(くっそぉ……! どうすれば……どうすればいいんだよ……!)
アジトに帰っている時間はない。
《転送・飛行郵便局》に行けば指定した住所へ手紙を高速で飛ばしてもらうことも可能だが、その肝心のアジトの住所が分からない――そもそも王国全土にアイルたちが指名手配されている今、そう簡単にアジトの住所を晒せるわけがない。
まさに八方塞がり、どうしようもない状態だ。
(こんなとき、もし色んな世界を行き来できる『レーフェンシルトの妖精』がいてくれたら――)
アイルは半泣きになりながら、お気に入りの童話に出てくる妖精の事を思い出した。
その妖精は、魔界と天界と人間界、三つの世界を自由自在に行き来する手紙の配達屋だ。もしあの妖精がいてくれたなら、たとえイオの魔法であってもあっという間に別空間の境界線を潜り抜け、ソーラたちに助けを求めることができたかもしれない――
薄暗い路地を抜け、商店街を挟んで広場とはちょうど反対の道に出たとき、アイルは今となっては懐かしい建物を見かけた。
(……パール図書館だ……)
樹齢何千年とも言われる大木の巨大な幹をくり抜いて造られた、町一番の図書館だ。かつては毎日のように通ったアイルの大好きな場所だったが、しかし今は立ち寄っている時間はない。
「…………いや……待てよ」
そのとき、アイルの中で何かが閃いた。少年の脳内でこれまでに得た情報とそれに対しての感想が高速で組み立てられていく。
ソーラたちに救援を求めるにはアジトまでの連絡手段が必要だ。しかしイオの魂幹魔法でそれは叶わない――童話の『レーフェンシルトの妖精』でもない限り。
逆に言えば、《『レーフェンシルトの妖精』だったら連絡が取れる》のだ。
そしてアイルの魂幹魔法は《幻想召喚》――つまり。
「レーフェンシルトの妖精を召喚すればいいんだ!!」
叫ぶや否や、アイルは猛ダッシュでパール図書館に駆け込んだ。鼻孔をくすぐる樹木の香りすら気に留めず、アイルは館内を駆け抜ける。隠れ蓑で守護団員以外にはアイルの姿は見えていなかったが、しかし全力疾走の風圧は図書館で読書に勤しむ人々の髪を揺らした。
図書館の本棚の配置は完璧に頭の中にインプットされてある。ジャンル別にカテゴライズされているのだ。
入り口から右手に進んで、手前から順番に――『基礎学術書』、『魔法学術書』、『政治』、『経済』、『歴史』、『錬金術』、『占星術』、『魔導具』、『薬草図鑑』、そして一番奥の棚――
(……あった! 『童話』のコーナー!)
図書館の一番奥に小さく設けられた『童話』の本棚。アイルの他にこのコーナーへ来る人はほとんどいない。それは今の状況においては帰って好都合だ。この国の人々は『物語』を読むのは幼少期までという暗黙の了解が強く根付いており、魔法学園に入学する年齢になってもまだ童話を読んでいようものならそれだけでイジメの対象となりかねない。そのため、必然的に図書館が有する本の冊数も少なくなってしまうのだ。
アイルは手を伸ばすのももどかしく、軽く手を振って呪文を唱え、一番上の棚からハードカバーの分厚い本を取り寄せた。
タイトルはもちろん『レーフェンシルトの妖精』だ。
革表紙の本を指でなぞる。心臓は激しく高鳴っていた。
(頼むよ……お願いだ。お願いだから僕を助けて!)
本の表紙で宙を飛ぶ妖精を指差し目を閉じる。以前ルシファーを召喚したときはどうやったのか、アイルは完全に忘れてしまっていた。しかし魂幹魔法が学園で習うような理屈で発動するものではないことは、アイルにも薄々見当がついている。
重要なのは理論ではなく――心の強さだ。
「魂幹魔法《幻想召喚》! 助けてくれ……『多世界旅行の妖精』!」
詠唱を終えると、本はアイルの手から独りでに離れて宙に浮かんだ。固唾を飲んで見守っていると、なんと本は宙に浮かんだまま、眩い金色に輝き始めた。すると本が勝手に開き、酸化して黄ばんだページの文字が宙に描かれていく。
(凄い……。キャラクターによって登場の仕方が違うんだ!)
アイルの頬が緊張から解き放たれて緩んだのも束の間、その文字は金色に光り輝きながら小さな人の姿を象っていき――そして、三回激しく点滅すると、なんとその中から女の子の妖精が現れた。
『――やっと私を召喚してくれたね。初めまして――じゃないか。私たち、ずっと昔からの知り合いだもんね――お話の登場人物と、読み手としてさ』
アイルの手の平大の小さな身体、背中には四枚の羽根がついており、装飾のついたエメラルド色のワンピースを着ている。表紙のイラストに描かれている通りだった。
喜びのあまりアイルの目に涙が浮かぶ。もっと別の形で会えていれば――そう思うと余計に涙が溢れてきて、慌てて服の袖で目を拭った。
「君に会えて、すっごく、すっごく嬉しいよ、ミンティア……。でもごめん、いきなりだけど、僕、君に頼みたいことがあるんだ」
ミンティアは四枚の羽根で羽ばたきながらアイルの額を指で小突いき、悪戯っぽく笑った。
『男の子がそう簡単に泣かないの。事情は全部分かってるよ。お友達を、助けるんでしょう?』
アイルは強く頷く。
「レジスタンスのアジトに行って、ソーラさんたちに状況を伝えて欲しいんだ……。そう簡単には入れないところにあるんだけど、大丈夫かな?」
『任せて。私に行けない世界なんてないよ。こうして君の世界にも来れたしね』
と、ミンティアはウインクした。
『君はどうするの?』
「僕は……僕は、広場に戻るよ。あの結界を壊さないと、ソーラさんたちが来てもガウェインさんとメリエルさんを助けられない」
『そんなことできるの?』
心配そうにミンティアが訪ねた。
確かにあの結界魔法は相当強力なものだ。そうでなければとっくにガウェインとメリエルが破壊していただろう。つい先日まで一介の生徒に過ぎなかったアイルがそれを破ることは――
「できるよ。僕には物語がいる」
アイルは図書館の『童話』コーナーにある本棚を指差した。ミンティアは『そうだね』と微笑むと、アイルから少し距離をとる。
『じゃあ、こっちのことは任せて。アイル、頑張ってね――私たちがついてるから!』
ミンティアの身体が、召喚した時と同じ金色の光に包まれた。
妖精族のミンティアは、異なる世界を自由に行き来することができるのだ。
金色に輝くミンティアは、アイルの身体の周りをぐるぐる回ると、図書館の天井付近まで上昇してから激しく点滅する。
その光の強さにアイルは思わず目を瞑り――再び開けた時には、既にミンティアは消えていた。
「おい何だ今の光は?」
「図書館内での魔法の使用は禁止でしょう? 何かあったのかしら――」
職員が集まってくる前に、アイルは童話コーナーにある本をタイトルも確認せずに掻き集め、七冊ほど隠れ蓑の中にしまってから猛ダッシュで図書館の外へと飛び出した。
(あとはミンティアがソーラさんたちを呼んできてくれる……! それまでの間、僕は僕にできることをしなくちゃ……!)
物陰から通りを見回し、守護団員がうろついてないことを確認したアイルは、図書館から拝借してきた七冊の分厚い童話を抱え全力疾走で広場の方角へと駆けて行った。
◆
怒りと苛立ち、そして焦りが複雑に入り混じった行き場のない感情を持て余し、ソーラ・シュヴァルツは読みかけの本をいささか乱暴に閉じることでそれを処理しようとした。しかしそんな幼稚な真似をしたことをすぐに恥じ、ソーラは八つ当たりの対象にしてしまったことを謝るかのように本の表紙を撫でる。
タイトルは『オルレアンの少女』――ソーラが特に気に入っている一冊だ。これを読めば少しは焦りも収まるかと思ったのだが、結果は何も変わらなかった。むしろ余計に苛立ちと焦りが増した気さえする。
そんな感情の原因は他でもない。
「……ゼノヴィア、アイルたちはまだ帰って来ないのか?」
「帰りは十三時過ぎになるって、さっきから言っているでしょう? 今はまだ十一時三十分……まだ当分帰って来ないわよ。同じことを何度も言わせないで頂戴」
ゼノヴィアはうんざりしたように言った。
その感情の原因は他でもない、アイルたちの帰還を待ち侘びてのことだ。
ゼノヴィアによれば、ガウェインとメリエルは今朝アイルを連れてパールの町へ向かったらしい。情報収集と生活物資の調達、それからイオの魂幹魔法によって隠された空間にあるアジトへの出入りの仕方を教えるのだそうだ。
「ほらほらソーラちゃん、イライラしちゃダメだよっ! リラックスリラックス!」
「チッ……」
「ちょっ! 舌打ち!? ソーラちゃん酷いよっ!」
別にその舌打ちはイオに対して向けたものではなかったのだが、タイミングが悪かったせいで勘違いさせてしまったらしい。そのことを訂正しようとしたときには、既にイオはスキップしながら部屋を出て行ってしまっていた。
その姿にすっかり謝る気を削がれてしまったソーラは、ゼノヴィアに向き直る。
「……町に行くならそうと、なぜ私に声をかけなかった? 今日はアイルの魂幹魔法の訓練をすると言ったはずだ」
「悪かったわね。昨夜は誰かさんがアジト内の備品に八つ当たりするほど憤慨していたから、こちらとしては気を遣ったつもりなのだけれど」
かなり嫌味の利いた返しだったが、言葉ほどゼノヴィアが昨夜のことを引きずっているわけではないことも、またその物言いに悪気がないこともソーラは承知の上だった。ゼノヴィアはただソーラをからかっているだけだ。しかし今日に限って、なぜかそれが無性に癪に障る。
「随分と苛ついてるみたいだけれど――そんなにあの子のことが心配なの?」
「……心配、か……」
本の表紙に書かれた『オルレアンの少女』というタイトル文字を指でなぞりながら、ソーラは呟いた。
アイルのことが心配なのか――いや、あの少年にはガウェインとメリエルがついている。あの二人の実力はソーラ自身もよく分かっている。数十人の守護団たちが完璧な連携で戦略的・連続的に攻撃を仕掛けない限り、彼らを倒すことなど到底不可能だ。今までザックスに追われながらも必死に生き延びてきたレジスタンスメンバーの自力はだてではない。
しかしアイルは――
「あいつは弱い……。魂幹魔法だってまだ一度しか使ったことがないだろう。これから先、ずっと私たちが守ってやれるわけじゃないんだ。心配するのは当然のことだ」
「魔犬討伐隊を一撃で追い払った、紅の鱗を持つ竜……だったわよね」
ゼノヴィアが目を細めた。
「彼の魔法が本当にあなたの予測通り《物語系》に分類される魔法だとしたら、相当厳しく扱い方を叩きこまないとダメよ。現実と幻想を混同してしまったりしたら、それこそ取り返しのつかない事態になるわ。《物語系》は、混沌使い(わたしたち)の中でも特にその力が未知数なのだから」
「……分かってるさ。だから同じ系統の魔法を持つ私が教えるんだ」
『オルレアンの少女』――ソーラはその本に目を落とした。
戦乱の時代、農家の子として生まれながらも神の啓示を受けて立ち上がり、敗北寸前だった自国軍を勝利に導いた、一人の少女の物語。
ソーラがまだ幼い頃から今まで、何千回となく読み返し憧れ続けてきた、どこかの国の英雄譚。
物語の結末はとても悲しいものだったが、その少女への憧憬は、ソーラの魂幹魔法としてその身に強く影響を与えている。そしてそれは、きっとアイルも同じなのだ――と、そう思うと、ソーラは自分の頬が知らぬ間に緩んでいくのを感じた――
――そのときだった。
「ソーラちゃん! ゼノヴィアちゃん! 大変だよっ!」
廊下の奥から、イオが血相を変えてドタバタと足音を立てながら走ってきた。
「……イオ、埃が舞うからあまり暴れないでといつも言っているでしょう?」
ゼノヴィアが呆れたように言ったが、相当興奮しているのだろう、イオの耳には全く届いていないようだった。
「そんなに騒いで――いや……それはいつものことだが――どうしたんだ。話してみろ」
ソーラが促すと、イオは自分の服の胸元を引っ張った――すると、手の平サイズの小さな小さな人間が、イオの服の中から飛び出した。
『あの――私、妖精族のミンティアっていいます。私のご主人様――アイル・エアハートからの伝言を預かってきました!』
「な――何だこれは……。こんなことが……」
「今はそんなことを言っている場合ではないみたいよ。いいわ、続けて頂戴」
驚愕するソーラとイオを手で制し、ゼノヴィアは冷静に続きを促した。
ミンティアと名乗った妖精は、こくりと頷くと口を開いた。
『ガウェインさんとメリエルさんが敵に襲われてるんです! 助けてください!』