第四幕 敵は王国全土
◆
次の日――アイル・エアハートのレジスタンス入団が決定した記念すべき一日目の朝は、大分冷え込んでいた。
クラウゼン王国は四季の変化が非常に激しい国であり、夏は熱中症患者が波のように腕のいい魔法医の所属する病院に押し寄せたかと思えば、冬になると街中の炎系呪文を得意とする魔法使いが、総出で凍りついた滝や湖の氷を溶かし、生活用水を確保しようとするのが風物詩だ。
今の季節は春。しかし未だに朝の冷え込みは侮れず、コートを着なければ外を出歩くことすらままならない。
そんな朝、アイルとガウェイン、そしてメリエルは、アジトの大広間に集まっていた。
「どうアイル君、昨夜はぐっすり眠れた?」
「あ、メリエルさん……えっと、は、はい、よく、眠れました……」
メリエルに笑顔で話しかけられ、アイルは若干どもりながら答えた。父以外の誰かとまともに話した経験がほとんどないアイルにとってみれば、誰かと挨拶を交わすことすらとても新鮮なことなのだ。
「ぐおおおお……! 俺は全ッ然眠れなかったぜ……。ああー頭痛え~~~!」
「ガウェインは自業自得でしょ! 食料庫にある一番大きな酒瓶が七本も消えたんだよ!? しかもあなた一人分だけで!」
「イオは俺の倍近くは飲んでたぞ。ガキのくせにあの野郎、飲みたいだけ飲んだら気持ち良さそうにぐっすり寝ちまうんだからな。まったく恐ろしい奴だぜ……」
そんな二人のやり取りを、アイルは苦笑しながら見守っていた。昨夜、ガウェインは宴会が始まってから約二時間ほどで酔いが回り始めたのだが、その危険をいち早く察知したソーラの忠告によって、アイルは一足早めに就寝したのだった。
自分のために開いてくれた宴会を一番初めに抜けてしまうのは正直気が引けたアイルだったが、今はソーラの気遣いに感謝すら覚える。
「あの、ところで、こんなに朝早くに集まって、今日はどこに行くんですか……? まだ皆寝てますけど……」
一時間ほど前、メリエルに『行くところがある』と起こされたのだ。
「朝早くって言っても、もう八時半だよ? ……まあ、うちの子たちって、皆お寝坊さんが多いから……ほらガウェイン、あなたからアイルに説明してあげて」
「ああ、説明……説明な。オーケー」
メリエルに背中をばしんと叩かれ、ガウェインはアイルの方に向き直る。
「今日はな、アジトから少し離れて街へ行こうと思う」
「え――街って、でも僕たち、追われてるんじゃ……」
「まあそうなんだけどな。だが、追われてるからってアジトに引き篭ってばかりもいられないだろ? 食料や生活物資を調達しなきゃならねえし、何より、世間の情報はリスクを冒してでも手に入れる価値があるのさ」
「それに私たちを追ってるのって、守護団と聖会の役人くらいだからね。一般人には顔さえ覚えられなければ大丈夫だよ」
なるほど、とアイルは頷いた。昨晩の話によると、ラルフ・ザックスは《王国乗っ取り》の計画をなるべく内密に進行すべく、混沌魔法で聖会の役人たちの自我を奪い、少しずつ権力を伸ばしているらしい。だからこそレジスタンスのメンバーたちにあらぬ罪を着せることで、その本心は伏せながらも守護団にアイルたちを追うよう仕向けられたわけだ。
(でも、守護団に見つからずに街中を歩くことなんて、本当にできるのかな……)
そんな不安を察したのだろう、メリエルは『大丈夫だよ』と微笑みかけ、膝丈までありそうな大きなコートを手渡した。
「な、なんですかこれ……? サイズが合ってないみたいですけど……」
「いいから着てみろって。街の散策には絶対必須なコートなんだぜ、それ」
ガウェインに促されるまま、アイルはコートに袖を通す。ただでさえ華奢で小柄なアイルと大人用コートの相性は最悪で、脛まですっぽり隠れてしまった。
「あの、これやっぱり大きすぎるんですけど……って、あ、あれ?」
アイルは我が目を疑った。見れば、まるで幽霊か何かみたいに自分の身体が半透明に透けているのだ。身体を通して向こう側の景色が見えてしまうくらいに。そして同じコートに身を包んだガウェインとメリエルも、アイルと同じように半透明になっていた。
「……これ、もしかして《隠れ蓑》って奴ですか?」
アイルが聞くと、二人は驚いたように目を見開いた。
「知ってるの? 私たち、君がどんな反応するのかちょっと楽しみにしてたんだけど……」
「おいおい、これって守護団のお偉いさんにしか支給されない特殊な服だから、その筋の商人からでもおいそれとは買えねえ代物なんだぜ? お前どこでこれのこと聞いたんだ?」
《隠れ蓑》とは、着るだけで自分の姿を隠してしてしまう、魔法的処理がされた特殊な衣類のことだ。守護団の中でも首都カーティスに務める人間のごく一部にしか支給されず、さらに余程特別な任務でない限りは着用自体が許されない。ちなみに隠れ蓑を着用している者同士であれば、その姿を認識することができるという優れものだ。
「父さんが聖なる守護団のカーティス本部で働いてるんです。上層部の一人に賄賂を渡して取り入って、自分の分も作らせたと……以前、酔っ払ってたときにそんなことを言ってました」
父曰く、魔法の光を生地に込めることで光の屈折率がどうだとか、そんな長ったらしいことをだらだらと述べていたような気もするが、興味のないことに関しては割と淡泊なアイルは、その話のほとんどを聞き流してしまっていた。
「ま、親父さんのことはあとで話すとして……とりあえず行こうぜアイル! 人生は短いんだからな!」
ガウェインはやや強引に話を切り上げると、玄関の方へと歩いていく。それが彼なりの配慮なんだろうなと、アイルには何となく予想がついていた。
きっと、優しい男なのだ。ガウェインは。
「よし、じゃあ私たちも行こっか、アイル君」
メリエルの言葉に頷いてフードを頭に被ると、小さな希望と不安を胸に、アイルは前を行く男の大きな背に続いた。
◆
町へ散策に行くと言うから、そこそこ大きな都市を想像していたアイルだったが、その勝手な予想は簡単に裏切られることとなった。なんのことはない、ガウェインが言っていた『町』とはつい昨日までアイルが住んでいた町、つまり『パールの町』のことだったのである。
ある意味意外というか、ちょっと拍子抜けしながら石畳の街並みを歩いていると、メリエルが笑いながら話しかけた。ちなみにガウェインとは現在別行動中で、初め彼女はそれが不満のようだったが、今では機嫌をもどしていた。
「意外だったでしょ? 私たちのアジトって、ここの町外れの森に入口があるんだよ」
「……あの森、木材の調達にたまに人が訪れるって学園で習ったことがあるんですけど……見つかったりしないんですか?」
「ああ、そこはもう完璧。イオがいるからね」
「……イオが?」
アイルは、とんでもなくテンションが高いくせっ毛の少女を思い出した。
「実はあのアジト――洋館はね、イオの《神隠し》っていう魂幹魔法……ザックス風に言うなら混沌魔法かな……によって、別空間に隔離されてるの。だから、余程のことがない限りは見つからない」
「別空間って……そんなこともできるんですね」
「誰にでもってわけじゃないよ。あの規模の建物を丸ごと、しかも常にその状態を維持しているわけだから、あんなことができるのは世界に数人もいないと思う。……だからこその《混沌使い》、なんだけどね」
「……あのイオが……」
――イオは隠れるというか、むしろ大騒ぎして見つかる方だと思うんだけど……。
あのお転婆っぷりからは、とてもそんな様子は想像できない。
「えっと、メリエルさん……。その魂幹魔法のことで、訊きたいことがあるんですけど……」
「ん? ああ、アイル君の魂幹魔法のこと?」
「はい……」
アイルとしては、一刻も早くまたあの魔法――《幻想召喚》を使ってみたかった。ルシファーとの出会いと別れがあんな形だった以上、話したいことも話せないままだったし、そして何より、もしもまたザックスの手先が襲ってきたらと思うと気が気でない。
「大丈夫大丈夫。アジトに帰ったら、ソーラがアイル君に稽古つけてくれるって」
「え――ソーラさんが?」
「うん。初めはゼノヴィアが面倒見る予定だったんだけど、ソーラの方から申し出たんだって。そのことをゼノヴィアがからかって、昨夜はとんでもないことになったんだけど……。そっか、君はもう寝ちゃってたんだよね……」
「? メリエルさん?」
「ソーラがブチ切れたの初めて見たけど、あんなに怖かったんだ……。絶対怒らせないようにしなくちゃ……」
「?」
メリエルは顔を真っ青にしながら何かをぶつぶつと呟いているが、生憎とアイルには聞き取れなかった。
「……まあ何はともあれ、アイル君、相当彼女に気に入られてるみたいだね。珍しいよ、ソーラがあんなに他人を気に掛けるのなんて」
「へえ~……」
《不器用ながらも優しい人》というのがソーラに対する第一印象だっただけに、アイルとしてはあまり実感がない。
でもそう言われてみれば、ちょっと嬉しい気もする。いつの間にか、アイルの口元は少しだけ緩んでいた。
「ねえねえ、アイル君の好きなタイプってどんな子?」
周りから姿が見えない以上、人にぶつかるわけにはいかない。メリエルは庭で掃除をしている人の前を慎重に歩きながら、アイルに小さな声で尋ねた。
「好きなタイプ……? ええっと……」
――好きなタイプ……? 僕って一体何が好きなんだろう……?
突然出された難問に、アイルは眉根を寄せながら必死で考え始めた。
外見……外見にはあまり拘らないタイプだ。痩せていようが太っていようがどうでもいい。
内面……内面は、自分の趣味を理解してくれる人がいい。となると大多数の人間が外れて……。
アイルは真剣な眼差しをきらきらと輝かせながら言った。
「吸血鬼です」
「なんで!? なんで童話に行くの!? いないよ!? 現実にはそんな子!」
「ラミア(半人半蛇)、アラクネ(半人半蜘蛛)、アルラウネ(植物娘)、オウガ(鬼人)……」
「意外とストライクゾーン広い!? そしてそんなに広いのに全人類の女の子が誰ひとりとしてかすりもしてないのは一体どういうことかな!?」
そんな魔の抜けたやり取りを交わしながらしばらく歩いていると、パールの町の商店街が見えてきた。段々と人も増えてきたが、この隠れ蓑のおかげかアイルとメリエルに目を止める者は誰もいない。
ガウェインとは、町に着いてすぐ一度別れ、商店街で合流するという話になっていた。なんでも別件の用事があるらしい。
仕方なしに、今にも音を立てて崩れそうなオンボロ喫茶店の一番目立たない席に座っていると、しばらくしてガウェインが息を切らしながらやってきた。
「こ――こ、ここに……いた、のか……」
「ちょっとガウェイン、おっそいよ! 一体何やって――」
「……これ、これ見てみろ」
ガウェインは手に持っていた新聞を乱暴にテーブルの上に置く。アイルとメリエルは二人で顔を見合わせ、それから一緒に新聞の一面トップ記事を覗き込んだ。
そこには、こんなことが書かれていた。
~~ザ・マジックタイムズ~~
――クラウゼン王国国防組織《聖なる守護団》総団長ルスラン・フェドラフ氏は、昨日の午後六時、突如として総団長を辞任し、その座をハワード・エアハート氏に明け渡すと発表した。新総団長にしてフェドラフ氏の親友だと語るエアハート氏によれば、フェドラフ氏は、早すぎる老化のせいか、数年前から体調を崩しがちで魔法の出力や精度にも影響が出ていたらしく、表舞台での活躍を最も信頼のおけるエアハート氏に譲ったのだという。
さらに新総団長就任の記者会見において、エアハート氏はこう語った。
『私が総団長として守護団のトップに立つ上で、皆さんにお伝えしておかなければならないことがあります。それは我が息子、アイル・エアハートのことです。アイルは先日、聖会からの使者、サルマ・ローゲル氏を魔法で攻撃し、さらに彼を保護しようとした守護団員の方々にまで危害を加え、うち四名を負傷させ逃亡するという許しがたい悪行に手を染めました』
ここでエアハート氏は、筆者の『御子息の罪に対し守護団はどう対処するのか』という質問に対し、人間味を感じさせない無機質な表情で淡々と告げた。
『息子、アイルの犯した罪は国家反逆罪に値します。さらに調査を進めましたところ、アイルは、以前より聖会と守護団の一部で極秘裏に追跡していた国家反逆者たちと現在行動をともにしているとの情報も入ってきました。誠に遺憾ですが、私も国防組織の長となる地位に身を置く者として、たとえ相手が息子であろうとも、正義の裁きの手を緩めることはできません――よって、アイル・エアハートならびに、他五名の国家反逆者――即ち、ガウェイン・グレイハウンド、メリエル・フォーガス、イオ・シンツィア・ファルネル、ゼノヴィア・ラヴクラフト、そして四年前、国家反逆者特殊隠密狩猟部隊《魔犬討伐隊》六十名を殺害した、ソーラ・シュヴァルツを、クラウゼン王国全土に指名手配とすることをここに発表します』
この後、会見に参加していた記者たちから様々な質問が飛び交ったが、新総団長エアハート氏は、必要最低限以上の情報は公開できないと述べ、次のように続けた。
『反逆者たちの行方につきましては、聖会と守護団の総力を上げ、徹底的に捜査を行っていく見込みです。つきましては、かつてアイル・エアハートが在住していた町、パールを中心に捜査員を大量に派遣します。場合によっては、守護団が有する隠密行動を目的とした特殊衣類を着用しての捜査となりますことを、どうかご容赦下さい』
新総団長就任の記者会見は、波乱の幕引きとなった。前総団長のフェドラフ氏に比べ、エアハート氏はどこか人情味に欠けた、機械的な印象を受ける。しかし実の息子に対する容赦のない決断は、そんな彼だからこそ為し得たことなのかもしれない。それを思えば、今後のクラウゼン王国の平和はエアハート氏がいる限り安泰と言えるだろう――
「な……なんなの……。これ……こんなことって……!」
「…………………………」
記事を読み終えたメリエルは、喉の奥から絞り出すようにして悲痛な声を漏らす。
アイルは声にこそ出さなかったものの、強烈な目眩を覚え、あまりの気持ち悪さに胃の中の物をすべて吐き出してしまいそうになった。
「これで俺たちを狙うのは、聖会や守護団だけじゃなくなっちまった……。最早クラウゼン王国すべてが俺たちの敵なんだ……!」
ガウェインが拳を握り締めるのが目に入り、思わずアイルは俯いた。
アイルたちがこうして呑気に喫茶店で座っていられるのは、彼らが身に着けている《隠れ蓑》のおかげだ。新聞に写真つきで指名手配されてしまった今、このコートを脱げばアイルたちの姿はもろに衆目にさらされ、すぐさま守護団に通報されてしまうだろう。
無実の罪を着せられて。
ラルフ・ザックスの陰謀の生贄となって。
「ガウェインさん……メリエルさん……。僕は……僕……は……」
〝謝らないといけない〟――アイルはそんな思いに囚われ、絶望に打ちひしがれながら、やり場のない視線を新聞記事に戻した。
いくら父が富と権力への欲に溺れた非道な人間だからといっても、いくら父がアイルのことを邪魔者扱いしているといっても、まさかここまで徹底的に我が子を潰しに来るだなんて、そんなこと、アイルは考えたくもなかったのだ。
居場所を奪われ、ソーラに拾われ、また新しくやり直せると思ったのに――他ならぬ自分のせいで、新しくできた仲間をさらなる危機に追いやってしまった。
「この記事……所々虚飾が加えられてるね。四年前、ソーラは確かに魔犬討伐隊たちと戦ったけど、でもソーラは誰一人殺したりなんてしなかった……! 酷いよこんなの……」
「……これはお前の親父がやったことだ。けどなアイル、だからってお前のせいじゃねえんだぞ。そこんとこ、吐き違えんなよ」
「…………はい……」
ガウェインの武骨な手に頭を撫でられたが、その気遣いがまた申し訳なくて、アイルはさらに下を向いてしまった。
「このことを一刻も早くソーラたちに知らせないとね。その上で今後の方針も決めていかなくちゃ。行こう、この記事によれば、パールの町は特殊捜査の対象になってる。守護団の奴らがすぐそこをうろついてるかも知れないよ!」
「ああ! ……ほら、いつまで下向いてんだ! 行くぜアイル!」
思い切り背中を叩かれ、ようやく顔を前に向けたアイルは隠れ蓑のフードで顔を隠し、店の出口に向かって歩き始めた――
――その時だった。
「ここにいたぞぉおおっ!」
「全員捕まえろ! 絶対に一人も逃がすなよ!」
喫茶店の入り口から深紅のローブに身を包み、さらにその上からコートを羽織った魔法使いが怒涛のように押し寄せて、あっという間にアイルたちを壁際へと追い詰めた。
(――こいつら聖なる守護団だ……!)
あり得ないはずだ。今アイルたちは隠れ蓑を装備していて、同じ隠れ蓑を着ている人間以外には姿が見えないはずなのに――
「アイル君、伏せて!」
メリエルの叫び声が聞こえたかと思えば、次の瞬間、アイルはガウェインによって床に押し倒されていた。
「いいぞ! やれ、メリエル!」
上にのしかかっているガウェインの巨体が邪魔をして、アイルには外で何が起きているのか把握できない。しかしガウェインから指示が飛ぶや否や、喫茶店の中が強烈な音と閃光で満たされるのが分かった。
「逃げるよガウェイン、アイル君!」
「おう! 立てアイル!」
太い腕に引っ張られて無理矢理床からひっぺ返されたアイルは、そのままガウェインの手に引きずられるようにして店の裏側から商店街へと飛び出した。
街を歩く人たちとぶつかるのも気に留めず、アイルたちは一気に大通りを駆け抜ける。
「はぁっ……はぁっ……! なん……で、あいつら……僕たちのことが……、見えてるの……!? 隠れ蓑を……着て、いれば……、はぁっ……姿は見えないはずじゃ……なかったんですか!?」
「あの記事に書いてあったでしょ!? 『特殊衣類を着用しての捜査となりますことをご容赦下さい』……守護団のメンバーは隠れ蓑を着てるの! あれを着ている者同士ならお互いの姿が見える! つまり奴らには私たちが見えてるんだよ!」
「そんな……!」
メリエルは女性ながらも颯のように駆け、アイルはガウェインに手を引かれながら限界を超えた速度でひた走る。
「いたぞ! あそこだーっ!」
アイルの後方で叫び声が上がった。声の大きさから判断して、そう距離は離れてないはずだ。
「くっそ……! こうなったら俺が――」
「それはダメ! ガウェインの魂幹魔法は使い勝手が悪すぎるもん! 下手に解放なんかしたら関係ない人たちまで巻き込んじゃう!」
「じゃあどうすりゃいんだよ!?」
「町外れの……森まで、はぁっ……逃げましょう……! 森の中に、入れば……奴らを撹乱……できるはずです……!」
酸素不足で悲鳴を上げる肺からさらに空気を絞り出し、アイルは大声で怒鳴り合う二人に必死でそう告げる。
「おおー……。いいねアイル君、なんだかゼノヴィアがもう一人いるみたい!」
「よーし、そうと決まれば進路を東へ変えよう! アイル、これからもアドバイス頼むぞ!」
「十四歳の意見に頼り切らないでくださいっ!」
「ははっ! お前結構言うじゃねえか!」
必死になりすぎてつい本音が出てしまったアイルだったが、しかし赤面している暇はない。こうしている間にも、後ろから敵は着実に迫ってきているのだ。
(あれ……? なんで奴らは攻撃魔法で僕たちを足止めしてこないんだ……?)
違和感が電流となってアイルの思考を刺激した。
追いかけてくる足音の数や部隊行動の特性から想像して、恐らく敵は五人はいると考えるべきだ。飛行術が使える魔法使いがその中に一人もいないというのは非合理的だし、何より誰一人として攻撃すらしてこないというのはあまりにも不自然だ。
「アイル、もっと早く走れ! 追いつかれるぞ!」
千切れそうになる腕の痛みを堪えながら、アイルは必死で思考を巡らせる。
(捕獲する手段を行使してこないということは……捕獲する気がない? なぜ? ……いや、もしかして――『今は』捕獲する気がない、かな? そうすると……まさか)
アイルの思考が最悪の結論に行き着いた。
「広場に出たぞ! あと少しで森だ! 頑張れアイル!」
「……っ! いえ……やっぱりダメですガウェインさん! 引き返しましょう!」
「ちょっと、今さら何言ってるの!? もう森は目の前なんだよ!?」
「メリエルさん……全部読まれてるんです! きっとこれは――誘い込まれてる!」
アイルの忠告はあと一歩遅かった。
広場に足を踏み入れた途端、敷地中をぐるりと取り囲むように、広場の中と外を隔てる青色に輝く光の壁が現れる。
「チィッ! アイル!」
「うわぁっ!?」
ガウェインに尻を蹴飛ばされ、アイルは広場の敷地の外へ脱出した。
そして次の瞬間、青い光の壁に長々とした呪文が浮かび上がり、数回、壁全体が点滅する。そしてアイルに続いて敷地を出ようと突っ込んだガウェインとメリエルの身体は虚しくも光の壁に阻まれた。
「ガウェインさん! メリエルさん!」
万力の力を込めて光の壁を拳で殴りつけたが、拳が壁に触れたその瞬間に魔力の閃光が迸り、アイルの身体は思い切り後方へと吹っ飛ばされた。
広場の中と外界とが、完全に隔離されてしまったわけだ。
『これ結界魔法だよ! すっごい強力……私たちじゃ壊せない!』
『くっそ……! まんまと罠に嵌っちまったってわけだ俺たちは!』
光の壁の向こう側から、ガウェインとメリエルのくぐもった声が聞こえる。
するとその時、広場の遊具や建物の影に隠れていたのだろう守護団たちが次々と飛び出した。十人……二十人……三十人……まだ増える。ハワードの『総力を上げて徹底的に捜査を行って
いく』という言葉は真実だったわけだ。
アイルの悪寒通り、奴らはアイルたちが森へと逃げることを見越した上で罠を張り、わざとここに来るよう誘導していたのだ。
『アイル! お前はアジトに戻ってソーラたちにこのことを知らせてくれ!』
「そんな――それじゃあ二人は……!」
『相手はざっと七十人……これくらいの人数だったら魂幹魔法が使えない俺たちでも一時間は持ち堪えられる! 大丈夫だ! お前は早く行け!』
『ガウェインも闘いに参加して! 私一人じゃ無理だよ!』
魔力の火球と水流と雷撃を光の盾で一度に受け止めながら、メリエルが声を張り上げた。
「ガウェインさん……。でっ……でも――」
『いいから行けよ! テメエ俺たちを殺してえのか!? ああ!?』
ガウェインの本気の怒声に身も心も震え上がったアイルは、怯える足でよろよろと後退る。
確かにガウェインの言う通りだ。だからこそガウェインは、結界が完成する一瞬手前、アイルを広場の外に向かって蹴り出したのだ――こうすることが、誰も死なないで済む可能性のある、最善の策なのだと。
彼の想いに応えたいのなら――
「かっ……必ずっ……必ず助けに来ますっ!」
アイルはひっくり返った声で叫ぶや否や、ガウェインに背を向けて一目散に走り出した。
――彼の想いに応えたいのなら、この場は死ぬ気で逃げてソーラたちの元へ行くことだと――そう信じて。