第三幕 運命に抗う者たち
◆
アイルはよく、童話『イヴァン・ベーメルと魔界の冒険』の夢を見る。
『イヴァン・ベーメルと魔界の冒険』といえば、国全体が《物語》の類を軽視する傾向にあるクラウゼン王国国民ですら、誰しも一度はその名を聞いたことがあるほどに有名なお伽話である。
何事にも弱気でネガティヴだった少年・イヴァンが、ある日偶然にも魔界への扉を開けてしまい、魔界に閉じ込められ、魔物たちの力を借りて元いた世界に戻ろうと旅をする物語だ。
旅の道中で登場する、個性豊かな魔物や怪魔、幻獣たち。イヴァンはそんな彼らに助けられてばかりだが、魔界全土を支配しようとする魔神を知恵と機転で奈落の谷に封じ込め、魔物たちとの別れを惜しみながらも現実世界へと帰っていく――
アイルは夢の中で、イヴァンの代わりに童話の主人公の役を担っていた。イヴァンの代わりに魔物たちと力を合わせ、魔神を倒す――しかし物語も終盤に近づき、現実世界へと帰らなければいけない段階になって、アイルは魔物たちと約束をするのだ。
『安心して。君はこっちに来ることはできないかもしれないけれど――いつの日か、きっと魔物たちが君を迎えに行くから』
数多の魔物たちの中から一人の要請が進み出て、アイルにそう告げた。そのすぐ隣に目をやると、とびきり仲良しだった相棒、ドラゴンのルシファーも仏頂面で頷く。
『本当に……? 約束だよ! いつかきっと現実に来てね……』
そしてアイルの身体は白い光に包まれ、現実世界へと帰還する。
そう、帰還だ。毎晩のようにアイルが見る夢は、それがどんな楽しい内容であれ、必ずこの場面で終わってしまうのだ。
目覚めとともに。
◆
「…………んっ……、……ぅん」
夢の終わりとともに、アイルの意識はゆっくりと覚醒した。重い瞼を半ば強引に開けてみると、やや古びた洋館の一室が目に映る。
部屋にあるのは色が落ち始めた絨毯に衣装タンスとテーブル、それに難しそうな書物がぎっしりと詰め込まれた本棚と暖炉、そしてこのベッドの近くにある安楽椅子くらいのものだ。季節柄か、それともこの部屋は長い間使われていなかったからなのか、暖炉は冷え切っていた。
掃除が行き届いているのだろう、全体的に古びてはいるが塵や埃はほとんど落ちていない。
ざっと部屋中を観察していたアイルだったが、しかしこの景色に見覚えはなかった。
(ここはどこだろう……、…………?)
そう思ったところで、なんだか妙な暖かさを感じて視線を移すと、小柄なアイルの身体は柔らかそうなベッドにすっぽりと収まっていた。ベッドから出ようと身体を捻ったが、これがなかなか上手く動かない。どうやら相当に疲弊しているみたいだ。
目が覚めたら見知らぬ部屋のベッドで寝かされている。これは一体どういうことなのか。
「ルシファー……。どこ行っちゃったんだよ……」
魔犬討伐隊なる者たちに追われ、自分を乗せて逃げてくれたルシファー。討伐隊たちは何とか追い払ったからいいものの、彼は消えてしまった。どこに行ったのだろう? それにまだ、ローゲルやハワードのことなど、分からないことはたくさんある。
混乱しながらも、なんとかアイルはベッドから上半身を起こす。
するとそのとき、部屋の扉が音も立てずにゆっくりと開いた。
(誰か来たっ!)
アイルは反射的に掛布団を引っ掴み、再びベッドの中に潜り込もうとしたがもう遅い。アイルが今まさに掛布団を羽織ろうとしたちょうどそのとき、ドアの向こうから一人の女性が現れた。
がっちり、目線が合う。
「……ああ。起きたか」
凛とした落ち着いた声の持ち主は、丁寧な仕草でドアを閉めながら言った。手にはシチューの入った器を乗せたトレイを持っている。
「え、あ、えと――」
思わず言葉が詰まる。
その人が醸し出す荘厳な雰囲気に、アイルは若干宛てられてしまったのだ。
否、雰囲気だけではない。通った鼻筋、切れ長の目、薄い唇――顔の各パーツから輪郭に至るまで、完璧なまでに整えられた顔の造形は、氷細工の華のように完成された美しさを持っていた。
女性にしては身長も高く、間違いなく百七十センチは超えている。少なくともアイルよりも二十センチは背が高く、細見でスタイルもいい。
年齢は二十歳を少し過ぎた程度といったところか――しかし、その物腰はアイルが今までに見てきたどの二十代女性よりも遥かに落ち着いていた。
「……何にせよ、まずは自己紹介だな。そこ座るぞ」
女性はアイルのベッドの横に置かれた安楽椅子を指さした。アイルは口を開いたが、喉が詰まって返事が酷くしゃがれた声になってしまった。女性はそんな様子にも無反応のまま、安楽椅子に腰かけ、シチューの乗ったトレイをテーブルに置いた。
ルビーレッドの髪がさらりと揺れ、前髪の奥から青色の瞳が真っ直ぐにアイルを見据える。
(ルビーレッドの髪……。この人もしかして……)
ピンときた。この人の背中におぶさっていた記憶が、おぼろげながら残っている。
名前は確か――
「ソーラ・シュヴァルツだ。この洋館に拠点を置く《レジスタンス》という組織に所属している」
ソーラと名乗った彼女は淡々と言った。
「……………………」
「……………………」
会話が途切れた。
「えっと……僕をこの洋館に運んでくれた人ですよね……?」
「そうだ」
「あの、僕が倒れていた森に鞄が落ちてませんでしたか? 僕のなんですけど……」
「今検査中だ」
「検査中?」
「ああ」
「……………………」
「……………………」
会話が途切れた。
気付けばいつの間にか、十五分の時が経過している。
その間、ソーラは安楽椅子に腰かけ、腕を組み目を閉じたまま微動だにしていなかった。
(…………………………ええと、あれ……?)
深刻なコミュニケーション不足のため、対人感覚が完全に麻痺しているアイルだ、別に沈黙が気まずいというわけではない――が、そう黙りこくられると流石にちょっと挨拶に困る。
どうやらソーラは随分と無口な人のようだった。これが初対面である以上嫌われているというわけではないのだろうが、アイル自身口下手で対人能力に欠けているところがあるため、会話のキャッチボールが繋がらない。
「名前」
「…………え?」
突然話しかけられ、アイルは居住まいを正す。
「お前の名前だ。まだ聞いてない」
「…………あ」
疑問が氷解した。そうだ、確かソーラは『まずは自己紹介だ』と言って名を告げたが、アイルの方はまだだった。もしそうだとしたら、彼女はアイルが自分から名乗るのを、じっと黙って待っていてくれたということになる。
そういうことかと納得し、アイルはどもらないように気をつけながら口を開いた。
「アイル……アイル・エアハートです。えっと……パール魔法学園の四年生です。あの、助けていただいて、ありがとうございました」
「気にするな」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
会話が途切れた。
(デフォ!? もしかしてデフォルトの状態でそれなの!?)
基本的にはローテンションでどこかぼーっとしているアイルだったが、心の中の彼は今、猛烈なキレと勢いで突っ込みを入れていた。
「アイル」
「……なっ、なんでしょうか……」
「私は用事だ。少し席を外す。テーブルのシチューを食べ終わったらロビーに来い。そこですべてを話す」
「え――ちょっと、今聞いておきたいことが、まっ――」
アイルの制止も虚しく、ソーラは安楽椅子から立ち上がり足早に部屋をあとにしてしまった。
ばたん、とドアが閉まる。
「怒らせちゃったのかな……」
部屋に残されたアイルは、ベッドから降りて、テーブルのシチューを一口食べてみた。野菜がやや多めに入っているが、とても美味しい。レストランなどの気取った味ではなく、どちらかというと家庭の味、母親の味という奴だ。
もっとも、母親のいないアイルに母親の味など分かるはずもなかったが。
それにしてもこのシチュー、
「…………おいしい」
と呟いた、その時だった。
「ぅうううう――――ばぁああっ!!」
部屋の衣装タンスの戸がとんでもない音を立てながら開け放たれ、中から一人の少女が派手に転がりながら登場した。
そしてその少女は両手を顔の横に上げ、アイルに向かって脅かすようなポーズをとる。
「……………………」
スプーンを持っていた手が静止し――
「…………おいしい」
アイルは再びシチューを食べ始めた。
じゃがいもがホクホクだ。
「うぇえ!? ちょっと待ってよ! 現実逃避しないでよ! ねえってばっ!」
こっちを見ろと言わんばかりに両手を振り回しまくりながらアピールする少女をちょっとだけ哀れに思い、アイルは渋々視線を向けた。
くせっ毛の、アイルより少しだけ背の高い少女だった。
年齢はアイルと同じくらいか、やや上といったところだろう――しかしそれは、あくまで『身体的な』年齢の話だと、アイルは思った。
なんであんな所に隠れていたのかと問おうか一瞬迷ったアイルだったが、すぐに『ああ、この子はこういう子なんだな』、と感じて訊くのをやめた。
「ソーラちゃんとのお話は聞いてたよ! きみがアイルくんだよね? わたし、イオ・シンツィア・ファルネル。シンツィって呼んでね!」
「え……名前はイオなのに、わざわざミドルネームをもじって呼ぶの?」
アイルが首を傾げながら尋ねると、彼女は不満そうに口を尖らせた。
「……だってゼノヴィアが、『何だか詠唱すると小規模の爆発を引き起こしそうな名前ね』なんて言うんだもん。意味分かんない」
「小規模の爆発? 何かの呪文……?」
「知らないっ。大昔に発展してた文明の娯楽に関係する何からしいんだけど、細かいことまでは分かってないんだって」
「ふうん……」
よく分からないが、なんだか興味をそそられる話題だなと、アイルは思った。
「あの、そのゼノヴィアって人とか、さっきのソーラさん、それに君のことなんだけど……」
「んーっとね、それについてはまだ言っちゃいけないの。ゼノヴィアにキッツいお仕置きされちゃうんだ。ゴメンね!」
ビシッ、と手でバッテンを作りながら笑顔で答えるイオ。
「……そっか」
釈然としない気持ちだったが、こんな朗らかな笑顔で言い切られてしまえば諦めるしか他にない。それになんとなくだが、彼女の言うゼネヴィアという人――恐らく女性――には、歯向かわない方がいいと、アイルの直感が告げていた。
「あ、でもソーラさんって人が、これ食べ終わったらロビーに来い、そこで全部話すって言ってたんだけど……。ほら、ルビーレッドの髪の……」
「うん、たぶんそのときに話してくれるんじゃないかなっ。あ、でも話してくれるかどうかは、まだ決まってないと――」
「え、どういうこと?」
「い、いいやいや、こっちの話こっちの話っ!」
イオは冷や汗をダラダラ流し、顔の前で残像が見えるほど手をぶんぶん振っていた。
嘘が吐けないというか、むしろ本音が顔に出てしまうような人だったが、とりあえずアイルはこれ以上追及しないことにした。
「それにしても、アイルくんって凄いねっ」
露骨に話題を変えようとしているのが丸分かりだったが、しかしアイルは口にしない。
「凄い?」
「あのソーラちゃん相手に二十分以上も沈黙を保ったままでいられるなんて!」
「……………………」
――悪意はないんだよね……。 僕の口下手を罵ったわけじゃないんだよね……?
ピシリ、とアイルの思考に亀裂が入る。
「いやいやいや、褒めてるんだよっ? レジスタンスの皆は、あの沈黙に耐えられなくてソーラちゃんとはつい距離を置きがちになっちゃうんだから!」
「そうなんだ」
アイルはシチューの最後の一口を呑み込むと、指を組んで食後の挨拶をした。立ち上がって、寝ているうちに乱れてしまった服装を整える。
「食べ終わったよ。あの、イオさん、ロビーまで連れて行ってもらえないかな」
「だからシンツィって――ああもういいよっ! その代わり『さん』付けはなしだからねっ!」
うっ、とアイルは言葉に詰まる。それもそのはず、アイルはこれまで誰かを呼び捨てにした経験などほとんどなかったのだ――ルシファー以外は。
(ルシファー……。本当にどこ行っちゃったんだよ……)
自分を見つけたとき、近くに紅の竜の姿を見かけなかったか聞いてみよう、とアイルは思った。
「じゃあ、行こうか……。えっと、その……イオ」
なんだか気恥ずかしくなり、若干照れながらもアイルは彼女の名を呼んだ。
「……! うんっ! こっちだよ、アイルくん、こっち」
イオはアイルの手を引いて歩き出す。そして部屋のドアを出る直前、ふと何かを思い出したかのように、彼女は立ち止まってアイルを見た。
「――ねえアイルくん」
「……どうかしたの?」
イオはしばらくアイルの顔を見つめ、ニコッと微笑むと、さっきまでとまったく変わらぬ明るい調子でこう言った。
「死なないでねっ!」
◆
「アイルくん連れて来たよーっ!!」
イオの手に引かれ、アイルは戸惑いながらもロビーにやって来た。さっきの部屋に感じた印象を洋館の状態そのも
のに当てはめていたアイルだったが、古めかしいのはあの部屋だけで、全体的には綺麗で手入れの行き届いた建物だ。それはこのロビーも同じだった。
「おーイオ、ご苦労だったな」
ロビーに四つあるうちの一番大きな椅子に腰かけていた男が言った。かなり大柄で、年の頃は二十代中盤といったところだ。その顔つきからは、たくましさとともに子供のような無邪気さも感じさせる。
男はイオの頭を軽く撫でると、アイルに微笑みかけた。
「お前がアイル・エアハートか。俺はガウェイン。ガウェイン・グレイハウンドだ。話はソーラから聞いてるぜ。まあ適当にかけてくれ」
「はい……失礼します」
アイルは緊張しながらも男が指差した椅子に腰を下ろし、ロビーをぐるっと見回した。
ロビーにいるのは、アイルの他に五人いる。まずはイオ、そしてこのガウェインという大柄の男。壁に背中を預け、腕組みをしながらこちらを見ているソーラ。ガウェインの隣で心配そうな視線を向けている、栗色の髪をした女性――年はガウェインと同じくらいだ。
そして、アイルが腰かけた席の斜め右に座っている、藍色のロングヘアの、十代後半くらいの若い女の人だ。理知的な顔つきをしたその人は、観察するようにアイルを見つめていた。
「緊張しなくていいんだぜ――この栗色の髪の奴が、メリエル・フォーガス。んで、藍色の髪のがゼノヴィア・ラヴクラフトだ。あとは――紹介するまでもなく知ってるみてえだな」
メリエルの方はちょっと微笑んでアイルに会釈してくれたが、ゼノヴィアは相変わらず観察するような視線でアイルを見ているだけだった。タイプは違うが、両方とも間違いなく美人だ。
「あー、俺はこういうの好きじゃないんだが……。アイル、あの森で倒れてたお前に幾つか質問がある。お前も色々と訊きたいことがあると思うが、まずこっちの質問に答えてくれねえか」
ガウェインは頭をガシガシと掻きながら言った。
「はい。僕も助けてもらったうえ、シチューまでご馳走してもらったので、そのくらいは……」
「おっ、いい子だ。それじゃあ――」
「あなたがここまで来た経緯を教えてもらえるかしら?」
それまで黙ってアイルを注視していたゼノヴィアが、ガウェインのセリフを遮るようにして、不意に口を開いた。敵視こそしていないようだったが、その目にはすべてを見透かすような深い色を浮かべている。
思わずその瞳を見つめ返す。一体彼女は何を考えているのか――
――が、そこではっと我に返ったアイルは、つっかえつっかえ、今日に起きた出来事を説明していった。教室で馬鹿にされていたら、突然謎の声が聞こえたこと。サルマ・ローゲルなる男が訪れ、聖会に連れて行くと宣言し襲い掛かってきたこと。そこで魂幹魔法が目覚め、ルシファーを召喚し、空を飛んで逃げたこと。追撃してきた魔犬討伐隊たちを追い払ったところでルシファーが消え、あの森に落ちたこと――
「どうだった、ゼノヴィア?」
一通り話し終えると、メリエルが恐る恐る尋ねた。
ガウェインやメリエルの方が年齢的には上だが、こういう場合の発言力はゼノヴィアが一番強いのかもしれない。
イオならここで茶かしてしまいそうな雰囲気だが、彼女はソーラの隣で成り行きを見守っている。
『キッツいお仕置きされちゃうんだ』――そのイオの言葉も、あながち嘘ではなかったのかもしれない。
ゼノヴィアは何度か手元の資料に目を通し、軽く頷くとこう言った。
「ええ、大体こちらで得た情報と合致するわ。嘘は吐いてないみたい。賢明なことね」
やられた――と、アイルは怒りすら通り越して感心してしまった。つまり試されていたのだ。もしここでアイルが嘘を吐いていたらどうなったのか――そんなこと、あまり考えたくはない。
「ごめんね、アイル君。ちょっと私たちにも事情があって――」
「まだ下手に出ちゃ駄目。お話はこれからよ」
謝りかけたメリエルをゼノヴィアが嗜めた。
ガウェイン、ソーラ、イオたちの視線も集中する。
「アイル・エアハート――あなた、私たちの名前を、以前どこかで耳にしたことはある?」
「名前……?」
「そう、名前。たとえばあなたのお父様や学校の教師、さっきあなたの話に出てきたサルマ・ローゲルたちの口から、私たちの中の誰かの名前が出たことはない?」
ソーラ・シュヴァルツ、イオ・シンツィア・ファルネル、ガウェイン・グレイハウンド、メリエル・フォーガス、そしてゼノヴィア・ラヴクラフト。
アイルはここ数日間の記憶をまさぐった。
「……確かクラスメイトと、それからローゲルが、ソーラさんのことを話していたような」
「どんな内容だったか、憶えてる?」
「ローゲルの方は、これからソーラ・シュヴァルツを捕えに行かなければならないとか……。あとクラスメイトたちは、元クラウゼン王国最強の魔法使いがどうだとか」
「やっぱソーラか……。四年前のあれで相当目立っちまったからなあ。あんだけやらかしゃあ、そりゃ一般人たちの間にも噂は流れるだろうな」
ガウェインは溜息を吐いた。
「それに一番の問題はローゲルたちだよね。このアジトがパールの町近くにあるとなぜ目星をつけられたのか」
メリエルが言った。
「あの……。もう僕、何がなんだか分からなくて……」
「あのね、アイル・エアハート――私たちは全員、あなたも含めて、ある共通点のためにサルマ・ローゲルを中心とする聖なる守護団と、聖会の一部から追われているの。その理由、あなたには分かるかしら?」
ゼノヴィアは試すような目をアイルに向けた。
(ローゲルや聖会が僕たちを狙う理由……?)
アイルは黙って、ロビーに集まったメンバーたちを見回した。ここにいる者たちは年齢も性格もバラバラで、一見共通点などないように思える。第一たった今知り合ったばかりの人たちだし、ゼノヴィアの言う『共通点』がそんなにすぐに見抜けるようなものだとも思えない。
だとすると、そんなものを推測するのは不可能ではないか?
(いや……そんなに難しく考える必要はないんだ)
アイルは考え直す。
共通点という言葉に踊らされずに、自分がなぜローゲルに追われていたのかを考えればいいのだ。即ちそれがここにいる者たちの共通点なのだから。
アイルが追われていた理由、それはローゲルが話していたじゃないか――
「――魂幹魔法……」
やっとアイルにも発現した魂幹魔法《幻想召喚》、これがローゲル性質の目的だ。
「ご明察。あなたはガウェインやメリエルなんかよりもずっと賢いわね」
「ちょっとゼノヴィア、それどういう――」
「まあ落ち着けってメリエル。あながち間違いってわけでもねえさ」
ガウェインが快活に笑うと、メリエルは頬を少し赤く染めながら椅子に座りなおした。
「そう、魂幹魔法。普通、魂幹魔法は個々人の価値観やアイデンティティが反映されるが故に、それまで自分が得意としてきた部類の魔法がさらに強化されたものが魂幹魔法として発現され易い――学校ではそう教わってきたはずよね?」
「はい」
アイルは頷いた。
「けれどね、何事にも例外やイレギュラーというのは付き物だわ。十年くらい前、高名な研究家はこんな説を唱えたの――『価値観やアイデンティティが魂幹魔法の特性を左右するのであれば、それらが常人とは乖離した魔法使いには、未だかつて我々が見たこともない魂幹魔法が発現する可能性がある』、とね」
「ええっと……。つまり『変人であればあるほど、より不思議な魂幹魔法が発現するかもしれない』ってことですか?」
「そういうこと。話が早くて助かるわ」
「はあん、なるほどな。アイル、お前要約すんの上手いのな。しっくり来たぜ」
「ガウェイン、やっぱりまだ分かってなかったんだね……」
「ガウェインのアホー!」
「うるせーぞイオ! お前だってよく分かってねーだろ!」
アイルがロビーに顔を出した時の緊迫した雰囲気はどこへやら、ガウェイン、メリエル、イオは楽しそうにじゃれ
合い始めた。ゼノヴィアは呆れたように溜息を吐き、ソーラはその輪の中にも加わらず、壁に背を預けたまま無表情を貫いている。
「……話を戻すわね。つまり、私たちがその『変人が使う魂幹魔法』を習得していることが、聖会側が躍起になって私たちを追いかける理由なのよ。彼らは、私たちが扱う特別な魂幹魔法の事を『混沌魔法』、そしてその使い手を『混沌使い』と呼んで差別化しているわ」
「……具体的にどんな魔法が混沌魔法に分類されるんですか?」
「えっと、それは聖会側が決めちゃうから結構曖昧なんだけど、簡単に言っちゃうと――そう、」
いつの間にかゼノヴィアとアイルだけで会話が進行していたことに気付いたのか、メリエルはゼノヴィアの代わりに言った。
「『世界を滅ぼす可能性のある魔法』」
「……………………」
ロビーを静寂が包みこむ。アイルの頭の中では、メリエルの『世界を滅ぼす可能性のある魔法』と言う言葉だけがぐるぐると渦巻いていた。
◆
洋館のロビーでは、壁に掛けられた時計の針だけが静寂を遮っていた。メリエルの一言から二分が経過した頃だろうか、アイルはようやく我に返ったものの未だに戸惑いを隠せない。
「世界を滅ぼすって、そんな大げさな……。だって、だって僕の魔法は……」
「ええ、ソーラからある程度の事情は聞いているわ。竜を……空想上の生物に乗って空を飛んでいたそうね。それがあなたの魂幹……いえ、《混沌魔法》でしょうね」
アイルの口はエサを求める魚のようにパクパクと動いている。開いた口が塞がらないとはまさにこのことだ。
「でも、僕の魂幹魔法は竜を召喚しただけで……まだどんな系統の魔法なのかも分かっていないですし、それが世界を滅ぼすなんて!」
「うん、私もそれについてはもっと詳しく調べてみる必要があると思う。でもねアイル君、少なくとも、君の魔法がとてつもなく希少だということには変わりがないの。だから聖会も君を追ってきたんじゃないのかな……混沌使いの可能性が少しでもあるのなら、先手を打っておいた方がいいことには変わりないもの」
メリエルは言った。
話がどんどん大きくなってきたと、アイルは半ば信じられない気持ちで俯いた。今日の夕方までは今までとなんら変わらぬ日常を過ごしてきたというのに、サルマ・ローゲルあの男の来訪からすべてがひっくり返ってしまったのだ。
「聖会は……僕やガウェインさんたちを捕まえてどうするつもりなんですか?」
「……元王族で現聖会の権力者の一人に、《ラルフ・ザックス》って男がいるんだけどな」
ガウェインが露骨に顔を歪める。浅からぬ因縁がありありと浮かんで見えた。
「そいつはその邪悪な思想から王家を追放されて聖会の末席に飛ばされたらしいんだが、どういうわけか奴は五年の歳月を費やして権力を伸ばし、聖会を陰から牛耳るようになっちまった」
「一体どうやって……」
「彼も混沌魔法の使い手なのよ。ラルフ・ザックスの混沌魔法《操り人形》……。他者の精神を侵して抜け殻にし、傀儡の如く意のままに操る、最高最悪に性質の悪い魂幹魔法」
ゼノヴィアが口を挟んだ。
「彼は聖会の重役たちを片っ端からこの術の牙にかけ、自分に都合の良いように動かし続けたわ。その結果、聖会は誰にも気取られることなくザックスの魔の手に蝕まれた。この国を動かしているのは王家ではなく聖会だから、実質、ザックスは今、クラウゼン王国の頂点に一番近い存在なのよ。彼の目的は恐らく……《クラウゼン王国の乗っ取り》」
驚きのあまり、アイルは言葉が出なかった。一見平和なクラウゼン王国の裏で、そんな陰謀が渦巻いているなんて――……。
ルシファーは『聖会にお前を売ったのはハワードだ』と言っていたが、今ならそれにも納得できる。そんな絶大な権力を持つ人物に、あの父が媚びを売らないはずがない。
「でも、それと僕たちが……《混沌使い》が狙われるのに、何の関係が……?」
しゃがれた声でアイルが問うと、メリエルは疲れた笑みを浮かべた。
「答えは簡単。つまり《武力》だよ」
「武力……?」
「いくらザックスの立ち回り方が上手くても、これから先、きっと彼の陰謀に気付く魔法使いが出てくるはず。そしてその人たちが徒党を組んで襲撃したら、いくら混沌使いとはいえ万が一の場合もあるって、奴はそう考えたんじゃないかな。だから自分の他に混沌使いを探し出し、奴の魔法で《人形》にすることで下僕にして、もしものために備えようってわけ」
「んで、俺たちは聖会の奴らにあらぬ罪を着せられて、聖会や聖なる守護団たちから追われる羽目になっちまったってわけだ。奴らに捕まればそれで最後だ。未来永劫、あの野郎の傀儡となって過ごすしかねえ」
ガウェインは腹立たしげに手の平に拳を打ちつける。
「だから俺は、そんな薄汚ねえ陰謀に巻き込まれた魔法使いを集めて、ザックスたちから身を守るための組織を結成した。それが俺たち――その名も《レジスタンス》だ!」
両手を広げ、ガウェインは子供のような笑顔で言った。
「あんな大馬鹿野郎の計画に巻き込まれて死ぬのなんざ真っ平ごめんだ! 俺たちは誰かに囚われ、縛られることなんてねえ! 一人ぼっちじゃ膝を抱えることしかできなくても、二人ならお互いを守れる! 三人以上なら戦える!
レジスタンスは、俺たちはそういう集団なんだ!」
「ガウェインカッコ良いーーーっ!」
「はっはっは! そうだろイオ!」
――ああそうか、きっとこの人がレジスタンスのリーダーなんだ……。
熱弁を奮うガウェインとそれにはしゃぐイオを見て、なぜかアイルまで胸が熱くなった。
突如として牙を剥いた理不尽に抗い、運命の差別を受け入れられずに立ち上がる――ガウェインは、きっとそういう男なのだ。
そしてここにいるメンバーたちも、ガウェインのことを信用している。その証拠に、皆が彼と同じ、希望と決意に満ちた表情をしていた。
「私たちがザックスの陰謀を知ったのは、四年前のことなんだけどね」
メリエルが言った。その表情を見れば、彼女のガウェインへの信頼のほどが窺える。それほどまでに晴れやかで、そしてなぜか誇らしげな顔だった。
「まだ四人しかメンバーがいなかった当時の私たちは、正体も分からない敵からただ逃げ惑うことしかできなかったの。混沌使いを狩るために魔犬討伐隊という特殊部隊も編制されてね、私たちは絶体絶命の危機に陥った。そしてそんな時に私たちを助けてくれたのが……」
メリエルはそこで一旦言葉を切って、ロビーの隅で壁に背を預け、腕組みをして目を閉じながらこちらの話を聞いている、ルビーレッドの髪の女性に目を向けた。
「アイル――あなたを森で拾った彼女、ソーラ・シュヴァルツだったの」
全員の視線が、ソーラに集中する。アイルも驚きと尊敬の入り混じった複雑な視線で、彼女を見ていた。しかし当の本人はどこ吹く風、目を閉じて涼しげな顔をしたままだ。
「……あれは偶然だ。私もローゲルの一団から追われていた。その時ちょうど別動隊に捕まりかけていたお前たちを見かけたから、私がまとめて相手をした。それだけだ」
ソーラは淡々と続ける。
「それに今は、話すべきことが他にあるだろう」
「ぉおっとそうだった……アイル・エアハート! ここからが本題だ。ええっと……おいゼノヴィア、なんて言やいいんだ?」
「はぁ……。いいでしょう、私が進めます」
ガウェインに助け舟を求められたゼノヴィアは溜息を吐いた。
「アイル・エアハート……あなた、これからどうしたい?」
「……え、どうしたいって……」
アイルは狼狽える。これまでまともに人と接したことがない以上、何らかの決断を迫られる機会にも恵まれてこなかったのだ。自分の意志を示すのは滅法苦手なアイルだった。
「気の毒だけれど、一度ザックスに目をつけられてしまったら、そう簡単に元の生活には戻れないわよ。あなたのお父様のこともあるし――このままのこのこと家に帰ってごらんなさい、まだ混沌魔法がまともに扱えないあなたなんて、今度こそザックスの手先に捕まるわ」
ゼノヴィアが藍色の前髪を軽く手でかき上げるのを見ながら、アイルは考えを巡らせる。
「えっと……たとえばどんな選択肢があるんですか?」
「選択肢なんて、それこそいくらでも転がってるわ」
「あ、いや、だから……」
「つまり自分で考えなさいってことよ。あなたがどういう道を歩むにせよ、これからは無数の可能性の中から自分で答えを導き出さねばならない場面というのが、必ず出てくるわ。そんな時、何もできずに狼狽えるだけの愚鈍な人間なんて真っ先に死ぬでしょうよ」
ゼノヴィアの目は厳しかった。同時にアイルは、これまでのようにただ親や教師の言うことに従っていればいいだけの時期がとっくに過ぎてしまったのだということを理解した。
「……少し、考えさせてください」
震える声でアイルは告げる。
「幾らでも」
そしてロビーに沈黙が訪れた。ゼノヴィアは頬杖をつき、ガウェインは険しい顔で、メリエルとイオは心配そうに、アイルを見つめている。
アイルはガウェインの熱弁を思い出した。
『あんな馬鹿野郎の計画に巻き込まれて死ぬのなんざ真っ平ごめんだ! 俺たちは誰かに囚われ、縛られることなんてねえ! 一人ぼっちじゃ膝を抱えることしかできなくても、二人ならお互いを守れる! 三人以上なら戦える! レジスタンスは、俺たちはそういう集団なんだ!』
(僕は……今までずっと一人ぼっちだった)
父親からは罵られ、教師からは嘲笑われ、クラスメイトからは気持ち悪がられる、異常者にして異端者だった。
(だけどルシファーが現れて、僕の人生を変えるきっかけになってくれた)
たとえそれが結果的に自分の身を危険に晒すことになろうとも、紅の竜は日常という檻を壊して外の世界へ連れ出し、ソーラ・シュバルツと巡り合わせてくれたのだ。
レジスタンス……理不尽に抗い、運命の差別を受け入れずに立ち上がる者たち。
(きっと僕は、物語の始まりの入り口にいるんだ)
そう、アイルは思った。
すべての物語の主人公には、一番初めに大きな選択を迫られる。即ち『非日常に飛び込むか否か』の選択だ。そして今自分が迫られている選択こそがそれなのだと、アイルは悟っていた。
そして個性的なレジスタンスのメンバーたち。まだ出会ってから一時間ほどしか経っていないにもかかわらず、アイルはこの人たちのことが少しずつ気に入り始めていた。
(それに……ソーラさん)
アイルは、相変わらず壁に寄りかかったまま目を閉じているソーラを見る。
――ほとんど喋ってないのに、さっきからあの人を目で追ってばかりだな……と、アイルは思った。しばらく見つめていると、アイルの視線に気付いたのか、ソーラは目を開け、アイルを見、そして――軽く、頷いた。
その瞬間、揺れ動いていたアイルの決意は固まった。
「ガウェインさん、メリエルさん、ゼノヴィアさん、イオ、そして――ソーラさん」
全員の視線がアイル一人に注目した。
この時ばかりはソーラも壁から背中を離している。
アイルは深く息を吸うと、今まで出したこともない大きな声で言った。
「僕を……僕をレジスタンスに入れてくださいっ!」
しばらくの沈黙のあと、レジスタンスのメンバーたちが無言で視線を交わす。ガウェインとイオは無邪気な笑みを浮かべ、メリエルとゼノヴィアの表情も、さっきまでよりずっと和らいでいた。
「俺たちの答えは決まった。……お前はどうだ、ソーラ」
「…………………………」
ソーラは無言でアイルの座っている椅子の前まで歩み寄ると、右手を差し出し、こう言った。
「改めて。ソーラ・シュヴァルツだ。よろしく」
「な……! おいおいマジかよ、あのソーラが自分から握手を求めるだと……」
「……珍しいこともあるものね」
「ええー、わたしとは握手してくれなかったくせにー」
「ほらほらイオ、怒らない怒らない」
それぞれの反応に苦笑しながらも、アイルは椅子から立ち上がり、差し出された手を取った。
つまり握手だ。
「アイル・エアハートです。よろしくお願いします」
アイルがぎこちなく微笑むと、ソーラの方も、注視しなければ気付かないほどうっすらとだが、確かに笑みを返した。アイルと同じくどこかぎこちなかったが、アイルにはそれで充分だった。
「よーしそれじゃあ! アイルのレジスタンス入団祝いだ! 酒呑むぞ酒!」
「こらガウェイン、アイル君はまだ子供だって」
「まあいいんじゃないお酒くらい。堅っ苦しいことばかり言ってると老眼になるわよ、メリエル」
「ちょっ、私はまだ二十四……ってゼノヴィア、あなたも未成年でしょうが!」
「おら呑めイオ!」
「あばばばばばばばばばば」
「ちょっとぉおおおおーーーーーっ!!」
大宴会を始めた四人を眺めながら、アイルは久しぶりに声に出して笑っていた。
こんなに笑ったのは初めてかもしれないと、そう思いながら。
「……うちはいつもこんな感じだが、アイル、お前本当にここで良かったのか?」
ワイングラスを手に持ったソーラに尋ねられ、アイルは慌ててガウェインに押し付けられたジュースを飲み干して彼女に向き直った。
「はい、すっごく楽しいです」
「…………そうか」
ソーラは満足そうに、ふっと鼻で笑う。
消えてしまったルシファーや混沌魔法、そしてラルフ・ザックスの陰謀など、考えなければいけないこと、しなければならないことは山のように目の前に積まれているのだが、今は、とりあえず今だけはレジスタンスのメンバーたちとこうして騒いでいたいと、アイルは思うのだった。
◆
アイル・エアハートのレジスタンス入団祝いという名目で行われたどんちゃん騒ぎが終わった深夜。イオとガウェインは完全に酔い潰れ、メリエルはその二人を別室へ運んで介抱している真っ最中、そしてパーティの主役であったはずのアイルはソーラに促されて今日は早々に就寝したため、現在ロビーにはゼノヴィアとソーラだけしか残っていなかった。
「新メンバーの加入は、四年前に誰かさんが入団してきて以来ね。憶えてる? あの時もイオとガウェインはお酒の飲み過ぎで、次の日メリエルにこっぴどく叱られていたのよ」
そういうゼノヴィアも、そしてソーラも僅かに頬に赤みが差す程度で、ほとんど酔ってすらいないようだった。
「……アイルの荷物検査は終わったか? そろそろ返してやりたい」
「相変わらず軽口には付き合ってくれないのね。まあ、あなたらしいと言えばあなたらしいけれど――はい、これ」
ゼノヴィアが右手を振ると、廊下の奥から小さめの鞄がふわふわと飛んできて、すっぽりとソーラの腕に収まった。
アイルの鞄だ。
ソーラがアイルを背負ってレジスタンスのアジトに戻ってきたとき、彼の荷物をゼノヴィアに預けていたのだ。ソーラとしては彼の目が覚め次第返す予定だったのだが、ゼノヴィアが頑としてそれを許さなかった。
「分かって頂戴。私だって他人様の荷物を漁るような真似はしたくないわ――けれど、私たちの立場上、こういうことに関しては少し用心深すぎるくらいで丁度いい」
「……ああ、私もそれは理解している。それにこうして無事に返ってきたということは、結局何ともなかったんだろう?」
「ええ、鞄の中身は分厚いハードカバーのファンタジー小説がギッシリ詰まっているだけだったわ。それも見ただけで何かしらの呪いが降りかかるような悪質なものではなくて、正真正銘、ただの小説」
「…………そうか」
ソーラは誰にも気取られないように、ほっと小さく息を吐いた。
初め、アイルがラルフ・ザックスの手駒であり、スパイとして潜り込んできたのではないのかという線もかなり真剣に議論された。しかし彼の無実を一番強く主張していたのは、他でもないソーラだったのだ。
メリエルやゼノヴィアは今でこそアイルの加入を祝っているが、初めは否定的だった。ソーラの詳細な事情説明とゼノヴィアの入念な調査の結果、やっと彼がただの被害者だということが証明されたのだ。
「アイルの魔法学園での成績や家庭事情も、やはり調べたのか?」
ソーラの問いかけに、ゼノヴィアは静かに頷く。
「母親は既に他界。父、ハワード・エアハートはアイルの情報を聖会に漏らしたあと失踪。学園での様子だけど……親しい付き合いのある友人は一切なし、成績は中の上から上の下で、空いた時間はずっと図書室に入り浸って読書に耽っていたそうね」
「だが、それがアイルの魂幹魔法を形成する鍵になった……。そうだろう」
ソーラはあのとき、確かに目撃していた。魔犬討伐隊をたった一発の咆哮で蹴散らした、紅の鱗を持つ竜の姿を。あれほどの強さを誇る竜が、まさかただの少年に付き従うとは思えない。あれは間違いなくアイル・エアハートが魔法で召喚したものだ。
「《物語》に影響を受けて発現した魂幹魔法……それってあなたと同じよね。だからあれほど必死に彼を庇っていたのかしら?」
からかうようにこちらを見てくるゼノヴィアの目を、ソーラはきつく睨み返す。
「アイルの魂幹魔法の能力はまだ未知数だ。魔法に関してはしばらく私が面倒を見る」
へえ、と思わずゼノヴィアの口からそんな声が漏れた。レジスタンスのメンバーとすら距離を置きがちなソーラが、まさか自分から積極的に他人の面倒を見るとは思えなかったのだ。
「魂幹魔法の扱いについては、私が直々に指南して差し上げようと思っていたのだけれど……。そこまで言うのならあなたに任せるわ。この世界で記念すべき二人目の、《想像系》魂幹魔法の使い手だものね」
やや意地悪げな笑みを向ける藍色の髪の少女に、ソーラはフンと鼻を鳴らして返事をする。
それからしばらくの沈黙のあと、意を決したようにソーラは切り出した。
「……アイルの鞄の中身だが――」
「――何の小説が入っていたか、気になるんでしょう? あの子の鞄は渡したのだから自分で中を覗けばいいのに、私に訊くあたり、あなたもなかなか狡賢いわね」
図星を言い当てられたのだろう、ソーラは言葉に詰まる。その様子を見ながらゼノヴィアは楽しげに笑っていた。
「……私は、お前の見透かした(そういう)ところが苦手だ」
ソーラは呆れたように言った。
「で、彼の鞄の中身だけど、そうね――確か『イヴァン・ベーメルと魔界の冒険』、『魔法戦士デドア・グレムル』、『七聖人物語』、『グルトニール王国戦記』、『レーフェンシルトの妖精』……、それから――『オルレアンの少女』」
「……………………っ!」
最後のタイトルを聞いた途端、ソーラは目を見開いた。嬉しさのあまり思わず笑みが零れそうになるのを必死で堪える。
――そうか……。アイル、お前も『あの物語』のことを気に入ってくれていたんだな……。
ソーラは微笑む代わりに咳払いをして、一旦その感情を整理する。
「……私はそろそろ寝る。明日、アジトの案内が終わったら私を呼んでくれ。アイルの魂幹魔法がどういう種類のものか、この目で確かめる」
マントを翻し、きびきびとした足取りでロビーを去ろうとしたそのとき。
「ねえ、ソーラ」
「……まだ何か用か?」
歌うように自分の名を呼ぶゼノヴィアの声に、ソーラは猛烈なまでの嫌な予感を感じながら、それでも彼女の方を振り向いた。
「あの子のこと、食べちゃダメよ」
――その日、レジスタンスのアジトである洋館全体を歪ませる、謎の爆音が轟き渡ったという。
ようやくキャラ増えてきました。