表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜の威を借る魔法使い  作者: Kay Rodda
物語の始まり
11/11

第六幕  六人のレジスタンス VS 五百体の傀儡軍隊 (3)

更新遅くなってすみません。書き貯めが亡くなってしまいましたので…。




     ◆




「そんな……。せっかく減らした人形が……またあんなにたくさん……!」


 また新たな人形たちが次々と現れる光景を見て、押し寄せる恐怖と徒労感に気力を削がれたアイルはその場にへたり込んでしまった。ゼノヴィアが『魔導石』と呼んでいた宝石を、アイルは懐の中でぎゅっと握り締める。


(これで……ザックスはこの宝石で傀儡軍隊の弱点を補って……? だったら……!)


 何かが閃きかけたそのとき、アイルは何者かに強く肩を叩かれた。慌てて顔を上げてみると、そこにいたのは真剣な眼差しをしたソーラだった。


「……聞けアイル。今から私たちが傀儡軍隊を攻撃して陣形に穴を開ける。お前はそこから真っ直ぐ広場を出てそのまま逃げろ。いかにザックスといえど、国境を越えてしまえばそう簡単には見つけられない」


「――――っ! そんな……だって、僕たちは仲間で……」


「ソーラ! 危ない避けて!!」


 メリエルの警告が飛んできたと思ったその瞬間、アイルはソーラの足に思い切り蹴飛ばされて地面を転がっていた。


 するとその直後、耳を劈く爆音が轟き渡った。アイルの鼓膜は音という名のハンマーか何かで殴られたようにわんと鳴り、爆風の熱波は背中の表皮をチリチリと焦がすように舐めていく。地面に倒れていたアイルの身体はその爆風でさらに吹き飛ばされた。


「う……、あ……」


 (かぶり)を振りつつも何とか起き上がって辺りを見回してみると、ほんの数秒前まで自分がソーラと話していた場所に、まるで爆撃を受けたかのようなクレーターができている。


 そして、その中心でソーラが倒れていた。


 指先の僅かな痙攣が見る間に小さくなっていく。


「ソーラさん!」


「ソーラ!」


「ソーラちゃん!」


 即座にメンバー全員がソーラの元に駆け寄って、彼女を庇うように円陣となって敵と向かい合った。

もちろん、その際も攻撃の手を緩めている余裕などない。傀儡人形たちがまたあの完璧に役割分担された陣形を組み立て直して攻撃してきたら、それこそものの数分でレジスタンスは壊滅してしまうからだ。何より今はアイルを除くメンバー全員が激しく消耗しているため、今まで以上に勝算は薄い――それこそゼノヴィアが言っていたように、『今の私たちじゃどうにもできない』状況だった。


 メンバー同士が孤立しないように集まって、互いを守り合うことくらいしかできない。しかし戦いのための魔法など火の玉くらいしか使えないアイルにはそれすらも叶わない。

どうすることもできず、アイルは無力感のあまり唇を噛み締めた。



「depulsum,i,n,omnis,e,……servo,are,avi,atum,scutum,i,n ,――《破群の盾》!」



 ゼノヴィアが唱えると、レジスタンスの周りにサファイア色に輝く無数の光の盾が現れた。光の盾はゼノヴィアの指揮に合わせて宙を自由自在に動き回り、四方八方から襲い来る傀儡軍隊の呪文からアイルたちの身を守る。


「メリエル、私が攻撃を防いでいる間にソーラとガウェインの傷を治しなさい。イオは縦の内側から敵を攻撃して」


「オッケー!」


 イオがゼノヴィアの元に駆けて行くのを、アイルはぼうっと見送った。


「ソーラさん……!」


 アイルを庇って敵の爆撃の犠牲となったソーラの様子は惨憺たる有様だった。右半身は目を塞ぎたくなるほどの大火傷を負っており、その上右腕が不自然な方向に捻じれている。さらにそんな状態でもなお意識を保っていることが、余計にアイルの不安を駆り立てた。


「メリエル……私はいい。先にガウェインの傷を癒してやれ……。そっちも相当堪えているはずはずだ……」


 光の盾が敵の爆撃を防ぐ音が響く中、傷だらけのソーラは消え入りそうな声で言った。


「馬鹿かお前は! 俺なんざよりお前の方がよっぽど重症じゃねえか!」


「そうだよソーラ! もしあとちょっとでも当たり所が悪かったら……」


「私はまだ戦える……」


 剣を杖の代わりにして立ち上がろうとしたが、彼女の右腕はどう見ても使い物にならない。片腕だけでは碌にバランスもとれず、再び倒れてしまう。

メリエルは慌ててソーラの傷口に手をかざし、早口で呪文を唱えながら魔法での治癒に取りかかった。火傷を淡いオレンジ色の光がソーラの身体を包んでいくが、しかし彼女に刻まれた爆撃の爪痕はなかなか回復の兆しを見せない。

 それでも若干苦痛は和らいだようで、ソーラの表情はさっきより安らかなものとなっていた。


 アイルはふらふらとソーラの元に駆け寄ると、うつ伏せに横たわる彼女の手を取る。


 とても――とても冷たい手だ。その僅かな温もりの残滓さえも、涙に濡れただけで消し飛んでしまうのではないかと――そう疑いたくなるほどにソーラの手は冷たかった。


「ソーラさん……。なんで……なんで僕なんか……」


「うるさい……お前のためじゃない。勘違いするな。お前に死なれると私の寝覚めが悪くなる。ただそれだけの理由だ」


 アイルは何か言おうとしたが、ぐっと喉の奥からせり上がってくる何か重たい感情が、すんでのところでそれを止めてしまった。


「メリエル、ソーラの傷の具合はどうだ?」


 ガウェインが尋ねた。


「かなり酷いよ……。一度アジトに戻って本格的な治癒を施さないと、もしかしたら後遺症が残っちゃうかも……」


「だがアジトに戻ろうにもザックスの野郎がそれを許さねえってか……。ぐっ……! どうにもできねえってのかよ!」


 ガウェインは地面を拳で殴りつけた。


 ソーラほどではないものの、ガウェインもまた相当の傷を負っている。アイルの見る限りでは彼の傷も相当に深い。あちこちが火傷や擦り傷、切り傷に打撲の痕だらけで、もはやまともに戦う体力すら残っていないように見えた。


 いや――この二人だけではない。よく見ればメリエルもイオも、そしてゼノヴィアも皆傷だらけだ。当然だ……これだけの数の敵と戦って、まったくの無傷でいられるはずがない。体力が続くはずがない。


 それでもレジスタンスは耐えてきたのだ。そして彼らをこんな状況下に曝しこんな姿にした原因のすべては自分にあることを、アイルは感じ取っていた。

――『どうだ、貴様らが今ここでアイル・エアハートを俺に引き渡せば、俺は今後一切レジスタンスに手出ししないと約束しよう』――


 アイルの脳裏にザックスの言葉が響く。


「あのときの交渉はまだ生きているぞ、レジスタンス」


 傀儡軍隊に抗戦するレジスタンスたちを大木の上から見下ろしながら、ザックスが言った。


「貴様らが今すぐにでもアイル・エアハートを引き渡せば、俺はすぐさま傀儡軍隊を引き上げる。そして今後一切貴様らに干渉しないと誓おう」


 アイルの心は大きく揺らいだ。今ここで自分が出て行けば、レジスタンス全員がザックスに捕まり奴の人形となることだけは防ぐことができるかもしれないのだ。


「ラヴクラフト、貴様も本心では分かっているはずだ。今この状況においてどうすることが最も合理的か――少数のために多数を犠牲にするのは馬鹿のすることだ。良心や道徳などという何の役にも立たない概念は捨ててしまえ」


 ゼノヴィアは答えない。しかしその理由が《破群の盾》の維持に集中しているからなのか、はたまたザックスのセリフが図星を突いていたからなのかは分からなかった。


「組織とは一個体の生物のようなものだ――トカゲですら身を守るためなら尻尾を犠牲にして切り離すというのに、貴様らは役立たずのガキ一人見捨てられない脆弱なのか? そんなものは組織ですらない。ただの馴れ合い、傷を舐め合うためだけに負け犬を寄せ集めた社会不適合者の集団だ」


 演説のようですらあるザックスの一言一言がレジスタンスの――アイルの心を抉っていく。




(役立たず――僕さえ犠牲になれば、皆は助かる……)




 アイルは呆然とレジスタンス一人ひとりの顔を見る。そのどれもが今起きていることに対し悲観的で、半ば諦めかけているようですらあった。


「ダメ……全然傷が治らない! たぶん強力な呪いがかけられてる……アジトに戻れない今じゃ痛み止めが精一杯だよ! ねえゼノヴィア! 本当にもう作戦はないの!?」


 破群の盾を維持していたゼノヴィアが苦しそうに顔を歪めた。イオが攻撃魔法を放つペースも明らかに落ちている。


 レジスタンスを取り囲み、容赦なく攻撃してくる傀儡軍隊たち。今はゼノヴィアが魔法の盾で守りを固めているものの、その彼女も高度な魔法の連発で明らかに疲弊している。今アイルたちの命を繋ぎ止めている《破群の盾》がいつまでもつか分かったものではない。その上ソーラが倒れてしまった以上、戦いはこれまでよりもっと辛くなる。


 ゼノヴィアの言った通り、戦況は絶望的だった。



(やっぱり……僕が行くしかないんだ……。僕……僕が……)



 自分が行けばそれですべてが終わる。


 それにザックスが約束を破るつもりであったとしても、アイルを《人形》にするためには魂幹魔法を使わなければならない。その僅かな間だけなら傀儡軍隊の動きも鈍くなり、その隙を突いてこの場を脱出できるかも知れないじゃないか――


 その旨を伝えようとした、そのときだった。





『何を呆けたことを考えておる。まさか余を召喚したのはただのまぐれだったというのか?』





 脳内に直接語りかけてくるような声が聞こえた。


「な……誰だ!?」


「まさか新しい敵――」


 そしてその声はガウェインたちにも聞こえていたらしいが、この声の主が誰なのかは見当すらついていないようだった。


(この声……やっぱりそうだ! 『あいつ』の声だ!)


 アイルは慌てて辺りを見回したが、しかし目に映るのは忙しなく飛び回る《破群の盾》が傀儡軍隊たちの攻撃を防ぐ様と、必死に盾を維持するゼノヴィアとイオの姿だ。『あいつ』の姿は、そこにはない。


「でもっ……だけど! 僕が出て行かなきゃ、皆ここであの男にやられちゃうんだ!」


 アイルはどこから聞こえてくるとも分からぬ声に向かって必死に叫び返していた。


「アイル君、この声が誰だか知ってるの!?」


 メリエルの言葉などまるで耳に入らない。アイルは己の心情を、姿の見えぬ『あいつ』に向かって吐き散らす。


「レジスタンスの皆が王国中に指名手配されたのは僕のせいだ――ザックスに鉢合わせてこんなことになっているのも僕のせいなんだ! だったら僕が責任とるしかないじゃないか!」


 今まで引っ込み思案だと思っていたアイルが、どこの誰とも知らぬ『謎の声』に対してだけは自分の気持ちをぶちまけている――それが余程意外だったのだろう、レジスタンスの全員が驚いた顔でアイルを見つめ、彼と『謎の声』との会話に聞き入っていた。


『たかが十年かそこらしか生きていない小僧に責任など取れるものか。お前がやるべきはもっと他のことだと、それがなぜ分からぬ?』


「僕がやるべきこと……」


 アイルは呟いた。


 ――と、アイルが《隠れ蓑》の中に閉まっていた本がどさどさと音を立てて地面の落ちる。それは、ミンティアを召喚してアジトまでの使いとしたとき、図書館から拝借してきた七冊の本だった。


 どれもアイルの好きなファンタジー小説やお伽話……そして、そのうちの一冊のタイトルがアイルの目に留まる。


『イヴァン・ベーメルと魔界の冒険』


 アイルが一番好きな小説だ。


『さてアイル、この絶望的な戦況だ。お前が危惧していたように、もう予想外の事態が起きて場が混乱することはない……いや、むしろ予想外の事態でも起きぬ限りこの場を切り抜けられそうにない』


 アイルは震える手で『イヴァン・ベーメルと魔界の冒険』を手に取った。図書館のファンタジー小説の棚でランダムに手に取った七冊の中にこの本が混じっていたことは、もはやただの偶然だとは思えない。



『レジスタンスはお前の居場所なのだろう? 居場所は自分自身の手で守るものだ。そのための力は余が貸してやる。さあどうする、アイル・エアハート』



 そのとき、今の今までアイルたちを取り囲んでその身を守っていた《破群の盾》が、ガラスが割れるような音とともに砕け散った。前線で盾を維持していたゼノヴィアとイオは傀儡軍隊たちの攻撃に吹き飛ばされ、ガウェインに抱き止められる。


 そのときには既にレジスタンスを取り囲んだ傀儡軍隊たちが手を構えて狙いを定めていた。



「交渉に応じる気がないのなら、レジスタンス。非常に残念だが、全員ここで俺の人形となってもらおう――」



 遠くでザックスの声が聞こえる。


 今アイルの傍には、自分を守るために身を挺して戦ってくれたレジスタンスメンバーたちがいる。そしてその周りには、彼らをここまで追い詰めた五百体を超える人形たちが取り囲んでいる。




(……今度は僕の番だ!)




 アイルは立ち上がるとソーラ達を庇うように前に出て、ザックスと真正面から向かい合った。


「今さら交渉に応じようとしたところでもう遅い。貴様らは全員、今日より俺の人形だ」


 人形たちの手が怪しく光り始めた。その無数の光はすべてアイルたちへと向けられている。


 しかしアイルはまるで動じていなかった。分厚い本を抱えたまま、しっかとその目をザックスへと向けている。


「アイル君どいて! このままじゃ君が攻撃を喰らっちゃうよ!」


「いや……それでいい」


 倒れたままのソーラがメリエルを制した。


「お前の魔法を見せてやれ……アイル・エアハート」


「……はい!」


 アイルは『イヴァン・ベーメルと魔界の冒険』を開いた。そのページに書かれているのは、数百を超える魔神の部下たちと会い見えるたった一頭の紅の竜の姿だ。その竜は灼熱の火炎で魔神の部下と戦い、そしてついに主人公・イヴァンを守った――その紅の竜を今ここに召喚するのだ。


「やれ、傀儡軍隊」


 ザックスの号令とともに傀儡軍隊たちの手が鈍く輝き始める――が、アイルはそれにも動じなかった。


「魂幹魔法 《幻想召喚》! 来たれ灼熱の竜――」


 ――僕を、僕たちを助けてくれ――


 そう心の中で念じながら、アイルは喉を流れる魔力の波動を声に乗せて思い切り叫んだ。


 その、紅の竜の名を。






「ルシファアアアーーーーッッッ!!」






 傀儡軍隊たちから一斉に攻撃呪文が浴びせかけられた。次から次へと一瞬の休みもなく襲い掛かる呪いの弾幕はアイルたちを包み込み、猛烈な爆発音や光を生んでアイルたちの周囲一帯焼き尽くす。永遠にも感じられたその一斉攻撃は、開始されてから何十秒かが経過した頃、ザックスが軽く右手を挙げて合図することによってようやく収まった。


 もうもうと立ち込めていた土煙が自然の風によって流されていき、傀儡軍隊五百体が生み出した破壊の結末が露わになっていく。


 ――――しかし。



『小僧めが、偉大なる竜王たる余を盾の代わりにばかり使いおって……。お前でなければ焼き殺してくれるところだぞ、我が主アイル・エアハート』



「ごめんね……でも助かったよ、ルシファー」


 その攻撃のすべてはたった一頭の竜によって完封されていた。五百体の人形たちが射出した閃光は、爆炎は、水流は、風刃は、雷撃は、そしてその他の呪詛のすべては、アイルの召喚した竜が象る絶対防御の要塞に封じられ、ただの一発たりとてその紅の砦を崩せない。


「紅の竜――即ち『空想上の生物の召喚』……。なるほど、ローゲルの報告通りだ……。それが貴様の魔法か、アイル・エアハート」


 アイルはそんなザックスの言葉にも応じず、レジスタンスを覆う竜の翼を愛おしそうに撫でた。


 彼の《幻想召喚》を初めて目の当たりにしたレジスタンスの面々は驚愕の面持ちで自分たちを取り囲む紅の竜の巨体をまじまじと見つめている。


「ルシファー、皆を乗せて逃げて欲しいんだ。できるかな?」


『余を誰だと思っておる? 乗れ!』


 ルシファーは身を低く屈めて翼を下ろした。すかさずアイルはその翼を伝って竜の背に乗り、呆然としているレジスタンスメンバーを振り返る。


「乗ってください! ここから逃げます!」


「チィッ!」


 ザックスの左手が閃きアイルに呪詛を投げかけたが、それに即座に反応したガウェインは魔力を込めた拳で呪詛を殴りつけ、方向を逸らした。


「ここはアイルの言う通りにするぞ! とにかく逃げるのが先決だ!」


「う、うんっ!」


「……驚くのはそのあとね」


 ガウェインの声に我に返ったレジスタンスたちは次々とルシファーの背に乗り、その背にびっしりと揃った鱗の中でも特に長く突出しているそれを掴んだ。僅か数秒で六人全員が搭乗を終えたが、それでも竜の背はまだまだ広く余裕がある。


「ソーラさん、こっちです!」


「……すまない」


 メリエルの治癒魔法の甲斐もなく、未だに傷が癒えずにふらつくソーラを自分の前に座らせると、アイルはその身体にしっかりと腕を巻きつけて固定した。


「お、おい……なんかアイルって……」


「魔物が一緒にいるときはやけに堂々としてるのね……。何なのこの頼りがい」


「……別人みたいだね」


 珍しく自分を褒める声が聞こえてきたが、今はそれを気にしている暇はない。アイルは全員が背に乗ったのを確認してから、口から炎を吐き出して傀儡軍隊たちを牽制しているルシファーに声をかけた。


「準備できたよルシファー! 飛べる!?」


『無論だ。しっかり捕まっておれ! 振り落とされても助けはせんぞ!』


 ルシファーは一声吼えて両翼を思い切り羽ばたかせ、風圧で人形たちを吹き飛ばした。続けて足の爪で地面を蹴ると、全長七メートルを超える巨体が空へと浮き上がる。


「逃がすな人形ども! 全員で広範囲を一斉に攻撃しろ! 避ける隙間を与えるな!」


 傀儡軍隊たちがルシファーのいる半径十メートルに照準を定めた。ルシファーはもちろんのこと、わざと彼がいない空間にも呪文を放つことで、どの方向へ避けようとも必ず呪文が命中するように仕向けるという作戦だった。


 それをゼノヴィアは一瞬で見抜いたのだろう、彼女は風で揺れる藍色の髪を手で抑えながら顔を顰める。


「……まずいわね。広範囲を一斉攻撃されたら避けようがないわ。何か手はあるの?」


『避けようがないのなら避けなければいいだけのことだ。アイル!』


 呼びかけられたアイルは、ルシファーが言わんとしていることを一瞬にして悟った。


「ええっ――でも、またあのときみたいに魔力切れになったら……」


 と言いかけて、アイルは懐で眩いくらいに発光する紫色の宝石の存在に気が付いた。結界を維持していた魔法使いから奪い、ザックスが人形たちを強化するために使った『魔導石』――ゼノヴィアの言っていたことが真実であるとすれば、あるいは――



(いける……!)



 アイルは確信する。


「攻撃魔法の系統はエレメント、属性は炎、用法は爆発。標的は紅の竜からその半径十メートル――《ラルフ・ザックスの魔術人形》全個体、構え!」

少年と竜の間に流れる空気から『何かをする気』だと察したのか、ザックスは傀儡軍隊たちに指示を飛ばす。


 その指示に対し、ルシファーはまったく臆さなかった。地上五メートルほどの場所に留まって悠然と傀儡軍隊を見下ろしている。その眼光はまさに狩人、空想の世界では食物連鎖の頂点に君臨し続けていたのであろう絶対的強さを誇る生物特有の余裕が窺えた。


「わっ、アイルくん! ちょっとこれどうするのっ!? 早く逃げなきゃ狙い撃ちだよ!」


 イオが必死に叫んでいるが、アイルはそれを無視した。そして誰にもバレないように懐から『魔導石』を取り出し、ぎゅっと握り締める。すると紫色の光があっという間にアイルの身体中を包み込んでいった。


 ――ゼノヴィアの言っていたことが本当だとしたら、これからルシファーが行使する攻撃手段により消費する莫大な魔力は、アイルの代わりにこの宝石が補ってくれるはずだ。


『来るぞアイル! 準備は良いな?』


「うん、行くよルシファー……」


 そのとき、大木の上からザックスが傀儡軍隊たちに向けて最後の指示を出す。


「やれ傀儡軍隊――全個体一斉攻撃!」


 その号令とともにアイルたちに照準を合わせていた傀儡軍隊たちの手から一斉に爆炎が吐き出され、低空で羽ばたくルシファーに襲い掛かった。その規模はザックスの指示通り、現在ルシファーがいる座標から半径十メートル以内を一部の隙間もなくびっしりと埋め尽くしている。


 どこへ避けようともその先に待ち受けているのは爆炎の洗礼。竜の背に乗ったままでは先程のようにルシファーがアイルたちに覆いかぶさるようにしてその身を盾とすることはできない。

この程度の火力ではルシファーを倒すことはできないだろうが、その背に乗るレジスタンスたちを再起不能に陥れることくらいは容易だ――とラルフ・ザックスは恐らくそう考えたのだろう。

だからこそ、ルシファーは『攻撃を避けない』。


 迫り来る爆炎の嵐にも躊躇せず、アイルは落ち着いた様子で『イヴァン・ベーメルと魔界の冒険』のとあるページを開いた。そこには灼熱の竜が吐き出す最強にして最悪の炎の名が書かれている。敵が繰り出したのは爆炎――炎には炎で対抗する。

たかが魔法使い如きが繰り出す炎が、竜のそれより強力なわけがない。


 アイルはそのページに刻まれたルシファーの炎の名を指でなぞると、大声で唱えた。


「――――『餞別(せんべつ)大火(たいか)』!」


 詠唱と同時にルシファーの口から紅蓮の炎が放たれた。炎はルシファーの巨体よりもさらに巨大な熱の塊となって傀儡軍隊が発射した爆炎と衝突し、そのまま爆炎を地上へと押し返した。


 ルシファーの『餞別の大火』と傀儡軍隊たちの爆炎、二つの炎は混ざり合いさらに強大な業火となって地上に降り注ぎ、一瞬で広場のすべてを業火の海へと変貌させた。


 地面に満ちた火の波はザックスの傀儡軍隊を飲み込み灰にして広場の新たな砂へと変えていく。中には水流で消火を試みる人形もいたが、それはすべて虚しい努力に終わった。魔法で出した水は炎に触れた途端に蒸発してしまうのだ。


「な……何これ……」


「すっげえ……」


 その惨状にレジスタンスの面々も驚愕を隠しきれないようだ。


 そしてそれはザックスも同じだった。




「馬鹿な……俺の傀儡軍隊たちが……! 一瞬で……!」



 ザックスの眼下で怒っている地獄の光景は、どうやら彼の許容を遥かに超える事態のようだった。彼の立っている大木の幹は既に炎に焼かれて今にも崩れ落ちん有様だというにもかかわらず、彼はそのことに気付いてすらいない。


 鉄面皮の無表情を貫いていたザックスの顔には、今や絶望と屈辱の色で満ち満ちている。


『さあ、次は貴様の番だザックスとやら。余の主に牙を剥いた代償は命で払ってもらおう』




「ふざけるな……そこまで俺も容易くはない!」




 ザックスは純白のマントを翻した。するとその瞬間、彼の身体が白く発光する。


「目が――うわっ!」


 昼間でもなお強くあたりを照らしたその光はアイルたちの視界を奪う。


「アイル・エアハート――今日は俺の完全な敗北だ……。ここは一旦身を退こう。だが忘れるな。貴様らの敵はもはや俺だけではなく、クラウゼン王国全土にいるのだとな」


 そんな捨て台詞とともに光が収まっていき、再びザックスを姿を捕えようと目を向けたときには――彼は既に消えていた。







「……逃げられたわね。今が奴を仕留める絶好の機会だったのだけれど」


 ルシファーの鱗にぎりりと爪を立てながら、ゼノヴィアが言った。


「そんなことより、今はソーラさんを!」


 アイルは自分の前に座るソーラの弱った身体をしっかりと抱き締める。アイルを庇って負った傷は酷く深い。一刻も早くアジトで処置を施さねばならない状態だ。


「ああ、ザックスの野郎はまたどうにかするさ。だが仲間を失っちまったら意味がねえ。よし、アジトに帰ろうぜ!」


「今回は全っ然目立たなかったよねっ! ガウェインはっ!」


「ぐ……うっ、うるせえっ! いいから行こうぜ――えっと、ルシファー、だっけ?」


『口を慎め愚物めが。余に指図できるのはイヴァン・ベーメルとアイル・エアハートだけだ』


 反論の余地はないとばかりに言うと、ルシファーは大きな翼を広げて太陽が傾き始めた空をアジトの方角へと向けて飛んでいく。


 今回は何とか危機を凌いだレジスタンスだったが、しかしアイルの胸には大きな不安が押し寄せていた。


 そう、自分たちの敵はもはや聖会や守護団だけではなくクラウゼン王国全土――それは今日ガウェインが持ってきた新聞を見れば明らかだ。

(嫌な予感は絶えないけど……。だけど……)


 ――『物語』の世界と、そしてレジスタンスの皆がいれば乗り越えていけるかもしれない。





 その幽かな希望を胸に、アイルはソーラを抱き締める両腕にさらに力を込めるのだった。










評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ