第9話 広がる、という気配
翌朝、空は曇っていた。
重たい雲が低く垂れ込み、風は弱い。畑にとっては悪くない天候だが、人の動きは鈍くなる。レオンはそれを確認すると、今日は畑仕事よりも「内側」を優先することに決めた。
「今日は、棚を増やす」
「了解だ」
バルドは即座に動き、材になりそうな倒木を選び始めた。ミラは帳面を開き、保存量と消費量を見比べている。
「……三日分の余裕ができました」
「なら、次は五日分だ」
「段階的に、ですね」
「崩さないために」
このやり取りが、すでに“共同体”のものだった。
午前中、作業は静かに進んだ。
棚が増え、干し葉の束が規則正しく並ぶ。粉にした分は布袋に分け、湿気を避ける位置へ移す。ミラが袋に簡単な印をつけ、内容と日付を書き添えた。
「記号で統一します」
「助かる」
昼前、畑の外から声がした。
「――昨日の者だ」
レオンが顔を上げると、森の縁に二人の男が立っていた。昨日来た三人のうちの二人だ。手には、小さな袋を持っている。
「話は早いな」
レオンは作業を止めずに言った。
「干し葉、使ってみた」
男は袋を差し出す。
「……悪くなかった」
中身は、乾燥させたキノコと、少量の塩だった。
等価としては、妥当だ。
「情報もある」
もう一人が言う。
「北の森で、獣が増えてる。まだ小規模だが」
バルドの目が、わずかに細くなる。
「種類は」
「猪に近い。だが、群れる」
「十分だ」
レオンは頷いた。
「助かる」
取引は短く、淡々と終わった。
男たちは深入りせず、すぐに引いた。
ミラが小声で言う。
「昨日より、距離が近いですね」
「警戒は残っている」
レオンは答える。
「だが、“試す価値がある場所”にはなった」
午後、別の来訪者があった。
今度は、若い女だった。
痩せているが、目は強い。背負い籠の中には、繕い道具が見える。
「……ここで、仕事はある?」
声は控えめだが、迷いはなかった。
レオンは、すぐに答えなかった。
代わりに、ミラを見る。
「記録と保存は回り始めました」
ミラは静かに言う。
「次は、生活の細部です」
「……裁縫、修繕ならできる」
女は言った。
「食事と、寝る場所があれば」
条件は、これまでと同じだった。
「一度、話を聞こう」
レオンはそう言った。
夕方、火を囲んで簡単な話し合いをした。
女の名はエルナ。元は都市で働いていたが、事情があって流れてきたという。詳しいことは語らないが、手つきは確かだった。
「布は貴重だ」
バルドが言う。
「直せるなら、助かる」
レオンは頷いた。
「働き口はある。だが、無理はしない」
エルナは、深く頭を下げた。
「……それで、十分です」
その夜、帳面に新しい行が加わる。
――定住希望者、一名(試用)。
――取引回数、二。
――情報流通、開始。
レオンはペンを置き、火を見つめた。
何も宣言していない。
旗も立てていない。
それでも、人は来る。
物も、情報も、静かに集まり始めている。
「……広がってるな」
それは、喜びでも恐怖でもない。
ただの事実だった。
彼は畑の方を見た。
曇り空の下、芽は揺れずに立っている。
急がない。
だが、止まらない。
この場所は、もう“点”ではない。
線になり、やがて面になる。
その気配を、レオンは確かに感じていた。
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