第4話 食える、という強さ
夜明け前、レオンは小屋の中で目を覚ました。
外はまだ薄暗く、鳥の声もない。だが、身体は自然と起きる準備ができていた。昨日よりも寒さが和らいでいる。屋根と壁が、きちんと仕事をしている証拠だ。
彼は火を起こし、湯を沸かした。
豆を放り込み、干し肉をほんの少しだけ削る。香りが立つほどではないが、湯気に混じる匂いは、確実に「食事」だった。
鍋を火から下ろす前、ふと畑の方を見た。
芽は、確かに増えている。
昨日は点だったものが、今日は線になり始めている。風に揺れるその様子は、頼りないが、折れる気配はない。
「……順調だな」
それだけで、朝の仕事に入る理由としては十分だった。
朝食を終えると、レオンは畑の端に簡単な杭を立て、紐を張った。畝の境界をはっきりさせるためだ。踏み荒らしを防ぐ意味もあるが、それ以上に、作業の効率が上がる。
次に手を付けたのは、保存だ。
収穫はまだ先だが、備えは早い方がいい。彼は小屋の壁際に棚を増設し、風通しの良い位置を選んで木枠を組んだ。干し肉や豆だけでなく、いずれは野菜も吊るせるように。
作業の途中、足音が聞こえた。
ゆっくりとした、重い足取り。
森の方からだ。
レオンは振り返らず、手を止めなかった。
「……おはよう」
「朝から働き者だな」
昨日の男――バルドだった。
今日は剣を背負っていない。代わりに、木の枝を抱えている。
「薪だ。勝手に拾ってきた」
「助かる」
短いやり取りだったが、空気は悪くなかった。
バルドは畑を一瞥し、目を細める。
「増えたな」
「少しずつな」
「食えるのか?」
「もう少し待てば」
その言葉に、バルドは小さく笑った。
「……それだけで、十分だ」
昼前、二人で簡単な作業をした。
バルドは力仕事を任せると早い。倒木を運び、杭を打ち、土を均す。片腕でも、身体の使い方が無駄なく、経験が滲み出ていた。
昼食は、豆の煮込みを分け合った。
木の器に注ぎ、二人並んで腰を下ろす。
「うまいとは言えねえな」
バルドは正直に言った。
「だが、腹には溜まる」
「それが重要だ」
レオンは頷く。
「腹が満たされれば、考えられる」
バルドはしばらく黙り込み、やがて言った。
「……戦場じゃ、考える余裕がなかった。食えるかどうか、それだけだった」
レオンは、それ以上踏み込まなかった。
代わりに、鍋を指差す。
「次は、もう少し味を工夫する」
「期待していいか?」
「豆が増えればな」
午後、レオンは畑の一角を試しに掘り返した。
芽の出ていない区画だ。土の湿り具合を確かめ、指で崩す。悪くない。むしろ、思ったよりも良い。
彼は種袋を取り出し、少量だけ追加で蒔いた。
無理はしない。だが、止まりもしない。
その様子を、バルドが黙って見ていた。
「……あんた、欲がないな」
「そうか?」
「普通は、もっと急ぐ」
「急いで、枯らしたくない」
レオンは土をならしながら言った。
「食い物は、裏切らない分、正直だ」
夕方、風が強くなった。
レオンは畑の周囲に簡易な風除けを作り、苗を守る。手間はかかるが、やる価値はある。
日が沈む頃、作業は一段落した。
今日の収穫は、目に見えるものではない。
だが、小屋は少し丈夫になり、棚が増え、畑は広がった。なにより――二人で食事をした。
それは、大きな変化だった。
夜、火を囲みながら、バルドが言った。
「……ここで、しばらく世話になってもいいか」
レオンは即答しなかった。
一瞬だけ、考える。
人が増えれば、責任も増える。
だが、人がいなければ、続かない。
「働いてくれるなら」
彼はそう言った。
「食事は出す」
バルドは、少し驚いたように目を見開き、そして深く頷いた。
「それで十分だ」
その夜、レオンは帳面に新しい一行を書き加えた。
――定住者、一名。
文字にした瞬間、その重みが現実になる。
だが、不安よりも、奇妙な安心感があった。
食える。
寝られる。
人がいる。
それだけ揃えば、ここはもう「生きられる場所」だ。
レオンは火を落とし、闇の中で畑の方を見た。
風に揺れる芽は、暗闇でも確かにそこにある。
――強さとは、きっとこういうものだ。
彼はそう思いながら、静かに目を閉じた。




