第28話 数字の外にあるもの
その日は、珍しく雨が降った。
強くはない。
だが、畑を叩く音が、一定のリズムで続いている。
作業は、最小限になった。
人は屋根のある場所に集まり、手を動かしながら、静かに時間をやり過ごす。
セリスは、焚き火のそばに腰を下ろしていた。
書類筒は閉じたまま。今日は「確認」ではない。
「……暇ですね」
彼女が、ぽつりと言った。
「珍しいですか」
ミラが答える。
「ええ」
セリスは苦笑した。
「監査に来る場所は、だいたい騒がしい」
ミラは、針を動かしながら言う。
「問題が表に出る前に、手当てしているからだと思います」
「だから、数字が少ない」
セリスは頷いた。
「報告書としては、ありがたい」
だが、その言葉に、含みがあった。
「……逆に、困る」
「困る?」
ミラは顔を上げた。
「数字は、外側の説明には使えます」
セリスは静かに言う。
「ですが、ここは……数字の外で回っている」
ミラは、ゆっくりと針を置いた。
「それが、問題ですか」
「危険です」
セリスは即答した。
「再現できない」
「管理できない」
「引き継げない」
雨音が、少し強まる。
「制度は」
セリスは続ける。
「再現できることを前提に作られます」
「個人に依存する仕組みは、事故になる」
その言葉に、ミラは頷いた。
「その通りです」
セリスが、わずかに目を見開く。
「否定しないのですね」
「否定できません」
ミラは正直に言う。
「この場所は、レオンに依存しています」
沈黙。
雨音だけが続く。
「だから」
ミラは続ける。
「数字にしきれない部分を、言葉に残しています」
彼女は、帳面を開いた。
生活規定。
交換の理由。
判断の経緯。
「すべて、なぜそうしたかを書いています」
「数字ではなく、理由を」
セリスは、帳面を覗き込む。
そこには、曖昧で、だが正直な言葉が並んでいた。
「……これは」
「法ではありません」
ミラは言う。
「思想です」
セリスは、しばらく黙っていた。
役人としてではなく、一人の人間として、読んでいる。
「思想は、管理できません」
やがて、そう言った。
「ええ」
ミラは頷く。
「だから、残します」
午後、雨が弱まった頃、レオンが戻ってきた。
セリスは、立ち上がる。
「一つ、確認させてください」
彼女は言った。
「あなたがいなくなったら、この村は続きますか」
レオンは、すぐには答えなかった。
畑を見る。
人を見る。
帳面を見る。
「……続くように、しています」
それが、彼の答えだった。
セリスは、深く息を吐いた。
「それなら」
「私は、見届ける側に回ります」
それは、約束でも、脅しでもない。
**立場の表明**だった。
夕方、彼女は村を出た。
雨上がりの道を、振り返らずに歩いていく。
ミラは、帳面に一行を書き足す。
――判断理由、明文化。
「増えますね」
イオルが言う。
「数字じゃないものが」
「ああ」
レオンは答える。
「だが、それが残る」
夜、焚き火のそばで、皆が静かに過ごす。
派手な出来事はない。
だが、確実に一歩進んだ。
数字の外にあるもの。
それを残そうとする場所は、少ない。
だからこそ、この村は厄介で、
そして――目を離せない存在になっていた。
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