第26話 法が追いつかない場所
その日、境界の外に立っていたのは、商人ではなかった。
整えられた外套。
革靴。
腰には剣ではなく、細身の書類筒。
イオルは、一目で理解した。
「……役人だ」
女だった。
三十代前半。姿勢が良く、視線に無駄がない。歩幅は一定で、周囲を観察する癖がある。
「失礼」
境界の外から、落ち着いた声が届く。
「辺境監査官、セリス・アーベルです」
名を聞いた瞬間、場の空気がわずかに締まった。
商人とは違う。
交渉ではなく、**記録しに来た存在**だ。
焚き火のそばで向かい合う。
「本題から話します」
セリスは書類筒を開いた。
「この場所について、複数の報告が上がっています」
ミラが、静かに視線を向ける。
「どのような内容でしょう」
「未登録の集落」
セリスは即答した。
「未課税の流通」
「価格未設定の取引」
「管理主体不明」
一つ一つは、淡々と。
だが、重い。
「問題ですか」
レオンが訊く。
セリスは、少しだけ首を傾げた。
「現時点では、違法ではありません」
「ただし」
間を置く。
「**事故になりやすい**」
その言葉に、バルドが低く息を吐いた。
「戦争じゃなく、事故か」
「ええ」
セリスは頷く。
「暴動、独占、飢饉。すべて事故として記録されます」
ミラが、静かに言う。
「管理を、望まれますか」
「提案です」
セリスは訂正する。
「登録、課税、代表者の明確化」
焚き火の音だけが、場を支配する。
「代表は、置いていません」
レオンは言った。
「知っています」
セリスは視線を外さない。
「だから、来ました」
彼女は、帳面に視線を落とした。
生活規定。
交換記録。
数量管理。
「……よくできています」
本音だった。
「法より、先に進んでいる」
「法は、遅れるものです」
ミラが言う。
セリスは、わずかに口角を上げた。
「同感です。だから、困る」
レオンは、静かに言った。
「条件がある」
全員の視線が集まる。
「登録は受ける」
「課税も、量に応じて受ける」
「だが、価格は出さない」
セリスの眉が、わずかに動く。
「前例がありません」
「作る気はない」
レオンは言う。
「例外でいい」
沈黙。
セリスは、深く息を吐いた。
「……あなたは」
彼女は言葉を選ぶ。
「秩序を壊す人ではない」
「だが」
「**作り替える人**だ」
ミラが、静かに言った。
「続けるために、です」
セリスは、書類を閉じた。
「仮登録としましょう」
「課税は、物納」
「代表は――」
「調整役」
レオンが言う。
「決定権は、合議」
長い沈黙のあと、セリスは頷いた。
「……記録します」
去り際、彼女は振り返った。
「法は、必ず追いつきます」
「その時は」
レオンは答えた。
「話しましょう」
彼女は、小さく笑った。
「ええ。逃げない場所だと、信じていますから」
人影が消えたあと、イオルが呟く。
「……通った、んですよね」
「ああ」
バルドが言う。
「だが、見られた」
ミラが帳面に書き足す。
――仮登録、完了。
――課税、物納。
――監査対象、継続。
夜、火を囲みながら、レオンは思う。
法が追いつかない場所は、危険だ。
だが、追いついた瞬間に、形を変える場所もある。
ここは、どちらになるか。
選ぶのは、これからだ。
村は、静かに“次の現実”へ足を踏み入れていた。
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