第2話 まずは、生きられる場所を作る
朝は、思ったより早く訪れた。
冷えた空気が肺に入り、レオンは目を覚ました。毛布の隙間から覗く空は、淡い灰色。夜露で草が濡れ、土の匂いがいっそう濃くなっている。
身体を起こすと、背中と腰が少し痛んだ。床がないのだから仕方ない。だが、不快というほどではない。彼は小さく肩を回し、指を動かして感覚を確かめた。
「……動けるな」
それで十分だった。
火打ち石で火を起こし、昨夜の豆の残りを温める。硬いパンを浸して口に運ぶと、少しだけ腹が落ち着いた。豪華な朝食ではないが、働くための燃料にはなる。
食後、レオンは立ち上がり、周囲を見回した。
今日やるべきことは、はっきりしている。
――雨と風をしのげる場所を作る。
まずは倒壊した家の残骸から使えそうな木材を選り分ける。腐っていない柱、まだ形を保っている床板、錆びていない釘。一本一本、叩いて音を確かめる。乾いた音は使える。鈍い音は捨てる。
作業は地味で、単調だ。だが、彼は嫌いではなかった。手を動かしながら、頭の中で構造を組み立てていく。壁は三方でいい。風向きを考え、入口は東。屋根は簡易でいいが、雨水が溜まらない角度が必要だ。
昼前には、小屋の骨組みが立ち上がった。
決して立派ではない。歪みもあるし、隙間風も通るだろう。それでも、何もない地面に比べれば、はるかにましだ。
彼は額の汗を拭い、少し離れて全体を眺めた。
――住める。
その判断が下せた時点で、次に進める。
次は水だ。
地図に描かれていた川は、実際には小さな流れだった。だが、水量は安定している。手ですくうと冷たい。濁りも少ない。飲用には煮沸が必要だが、畑には十分だ。
問題は距離だった。
小屋から川までは、緩やかな下り。毎回水を汲みに行くのは非効率だ。
レオンは鍬を手に取り、地面に線を引いた。
「……ここから、ここまで」
勾配を見極め、土を掘る。深すぎれば流れが止まる。浅すぎれば溢れる。途中に石が多い箇所は迂回する。完璧でなくていい。まずは水が通ることが重要だ。
昼を過ぎ、太陽が高くなる頃、細い水路が形になった。
川から引かれた水が、ゆっくりと溝を流れ、小屋の近くまで届く。
レオンはしゃがみ込み、水に指を浸した。
ちゃんと流れている。
その瞬間、胸の奥に小さな安堵が広がった。
水がある。これは、生き延びるための最低条件だ。
「……よし」
短く息を吐き、彼は次の作業に移った。
畑だ。
小屋の南側、日当たりのいい場所を選ぶ。草を刈り、表土を掘り返す。土は柔らかく、根も深く張っていない。開拓が放棄されてから、そう時間が経っていないのだろう。
彼は畝を作りながら、種袋を確認した。
量は少ない。無駄にはできない。
だから、全部は植えない。
まずは試す。
間隔を空け、種類ごとに区画を分ける。深さも少しずつ変える。水の量も調整する。手間はかかるが、失敗した時に原因を切り分けられる。
作業は日が傾くまで続いた。
腰は重く、腕も張っている。だが、畑の形が整っていくのを見ると、不思議と疲れは気にならなかった。
最後に、そっと土をならす。
指先に伝わる感触が、昨日よりも馴染んでいる気がした。
「……悪くない」
誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。
夕方、火を起こし、簡単な食事を作る。今日は豆と、干し肉を少し。水はしっかり煮沸した。身体が欲しているものを、身体がわかっている。
食べ終えると、帳面を開く。
今日の進捗を書き留め、明日の予定を簡単に整理する。
――小屋補強。
――畑の拡張は様子見。
――保存用の棚を作る。
書き終えたところで、ふと視線を上げた。
畑の向こう、森の縁。
昨日と同じ場所だ。
風で草が揺れただけかもしれない。
だが、視線を向けると、なにかが“引いた”気配があった。
レオンは立ち上がらなかった。
武器も取らない。
ただ、静かに言った。
「……ここは、まだ何もない」
自分に言い聞かせるように。
そして、もし誰かが聞いているのなら――宣言するように。
「だから、これから作る」
返事はない。
森は沈黙したままだ。
夜が来る。
小屋の中はまだ寒いが、昨日よりはましだった。屋根がある。それだけで、安心感が違う。
毛布に包まり、レオンは目を閉じた。
明日もやることは多い。だが、それは絶望ではない。
――進める、という感触があった。
畑はまだ何も生んでいない。
それでも、土の下では、確かに何かが始まっている。
レオンは、その気配を信じることにした。




