第10話 境界を引く、という作業
朝、レオンは畑ではなく、少し離れた高台に立っていた。
村――そう呼ぶにはまだ早いが、この場所全体が見渡せる位置だ。小屋、畑、水路、棚。点だったものが、線でつながり、形になり始めている。
「……見えるようになったな」
それは、単なる景色の話ではない。
“どこまでが内側で、どこからが外側か”――その境目が、ようやく意識できるようになったという意味だった。
戻ると、ミラが帳面を閉じて顔を上げた。
「昨日の取引、周辺に伝わっています」
「早いな」
「ですが、誇張は少ない。実態に近い」
それは良い兆候でもあり、危険信号でもあった。
午前中、レオンは簡単な杭を打ち始めた。
畑の外周、水路の要所、棚のある場所。柵ではない。ただの目印だ。
「何してる」
バルドが訊く。
「境界を引いている」
「柵じゃねえな」
「まだ、要らない」
杭に紐を張り、地面に線を作る。
“ここから先は、管理されている場所だ”という、無言の主張。
ミラが、その意味を察した。
「勝手に入らせないため、ですね」
「入るな、とは言わない」
レオンは答える。
「だが、入るなら“内側のルール”に従ってもらう」
昼前、再び人が来た。
今度は三人。昨日とは別の村の者らしい。
「話を聞いた」
彼らは率直だった。
「干し葉と、粉。分けてほしい」
レオンは、畑の端で立ち止まった。
「物々交換なら、応じる」
「金は?」
「まだだ」
男たちは顔を見合わせた。
「条件は?」
レオンは、杭と紐を指さした。
「中に入るなら、勝手な行動はしない」
「作業の邪魔はしない」
「量は、こちらが決める」
ミラが静かに補足する。
「記録も取ります」
男の一人が眉をひそめた。
「面倒だな」
「だから、無理にとは言わない」
少しの沈黙。
やがて、男は肩をすくめた。
「……いいだろう」
取引は成立した。
干し葉は少量。代わりに、布切れと針。それに、南の街道の状況。
去り際、男が言った。
「ここ、変わったな」
「変わっている途中だ」
レオンは答えた。
午後、エルナが布を広げ、破れた服を直していた。
手際がいい。糸の無駄がなく、仕上がりも丈夫だ。
「助かる」
バルドが腕を動かしやすそうに言う。
レオンは、その様子を見ながら思う。
境界とは、排除のためだけに引くものではない。
**守るために、明確にするものだ。**
夕方、ミラが帳面を差し出した。
「今のところ、内側の人数は四」
「十分だ」
「でも、増えます」
「だから、線を引く」
夜、火を囲んで簡単な確認をした。
ルールを一つだけ決める。
「勝手に奪わない」
「勝手に壊さない」
「困ったら、まず言う」
それだけだ。
難しい規則は作らない。だが、守れない者は、内側に入れない。
帳面に、新しい項目が書き足される。
――境界、設定。
――内側ルール、仮決定。
レオンは火を落とす前、もう一度だけ外を見た。
杭と紐は、夜の中でもかすかに見える。
それは壁ではない。
だが、確かに“線”だ。
「……ここからだな」
村になるかどうかは、まだわからない。
だが、この場所が“ただの空き地”に戻ることは、もうない。
そう確信しながら、レオンは静かに目を閉じた。




